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ジコセキニンヒーロー  作者: ケト
無責任ヒロイン
9/242

09話 体質

 三月十七日、火曜日。

 卒業式を翌日に控えたその少女は、晴れ渡った窓の外を眺めていた。

 この中学校生活も明日で終わるのだ。そして、我慢ばかりのこの生活も。

 その少女の席は、窓際の一番後ろだった。少女の前と右隣の席は、心なしか他の席配置と比べて間隔が広いように見える。

 

 その少女は、人に触られることができなかった。

 正確には、その少女の認知の外での接触ができないということだった。

 例えば、握手をすることは可能だ。それは、お互い面と向かって、手を合わせるという行為だからだ。

 正面から肩を叩かれるのも問題ない。

 しかし、もしも背後から、例えば手首を掴まれたとしたら。少女の手首は砕けるだろう。

 そして、もしも背後から肩を叩かれたら。肩から肋骨まで砕け、内蔵に突き刺さり、死に至る可能性が高い。


 物心ついた頃から、父と、かかりつけの医者に強く言われていた。

『お前の体は、不意に触られるとすぐに壊れてしまう。そう、ピンポン玉が当たっただけでも、命に関わると思った方がいい』と。



 小学校では、たとえ全員に言い聞かせたとしても危険が伴うとされ、六年間、自宅での通信学習となった。

 だが、父がほぼ毎日のように自分の職場や実験棟などに連れ出してくれたおかげで、ただの座学だけでなく、実習感覚で様々なことを学ぶことができた。

 ただ、高校や大学で学ぶような高度なものだったと気付いたのは、中学校に入学してからであったが。

 そして、小学校の終わりに父から聞かれた。

「中学校に行きたいか?」

 わたしは、

「うん、行ってみたい」

 と答えていた。いや、答えてしまった、と言うべきか。

 


 それから、わたしの我慢の日々が始まった。

 なにも、入学した日からではない。入学後、三日目からだった。

 入学前から、父は学校に事情を細かく伝えていた。そして、そのことは入学式直前に、担任の先生からクラス全員に伝えられた。

 同情してくれる人もいれば、面白半分に触れる振りをする馬鹿もいた。

 それでも、学校生活というものに憧れていたわたしは、このくらいなら平気だろう、と思っていた。

 だが、その考えが甘いことがわかった。

 世の中には、話を聞かない、そして人の気持ちを少しも理解することができないクズがいることがわかったのだ。

 

 

 入学した次の日、わたしは初めての体育の授業を見学していた。

 通常の授業は男女分かれるらしいが、初回なので、レクリエーションを兼ねて男女混合のドッジボールをすることになったのだ。

 わたしは、楽しそうに球遊びをするクラスメイトを眺めていた。


 授業の後半になると、ボールを当てられて外野に出た生徒が増え、そのうちの数人が暇を持て余し始めた。

 すると、いかにも頭の悪そうな少年がウロウロし始めるのが見えた。

 でも、わたしはその生き残りゲームの決着が気になり、その少年への興味は薄れていた。

 

 すると、突然聞こえた『危ない』という声に、わたしは咄嗟に頭を手でかばった。

 と同時に、自分のすぐ横にドッジボールで使用していた予備のボールが落ちたのがわかった。

 また、背後からは、『いってぇ』という声が聞こえた。

 振り返ると、あの馬鹿面が後頭部を押さえて蹲っていたのだ。

 何があったのかわからなかったわたしに、それを見ていた生徒から、『あいつが後ろからボールを投げてぶつけようとした』と聞いた。

 しかし、そのボールは、わたしの後頭部に当たったようにも見えたが、幸いにも当たらなかったらしい。

 そして、その行為を見た誰かが、悪いことをしようとしているその少年に向かって、何かを投げたのだという。

 投げたのが誰か、何が当たったのかもわからなかった。

 ただ、もしもそのボールがわたしの頭に当たっていたなら、比較的柔らかいボールと言え、おそらく頭蓋骨が粉砕して命を落としていたに違いない。

 

 その日、帰宅すると、わたしは父にそのことを話した。すると、いつも温厚な父が怒りを露わにし、『もう学校には行くな』と言った。



 でも、もしもわたしがその馬鹿面に注意を向けていれば、避けることができた。

 だから、

「これからは馬鹿、阿呆、クズを見分けて注意するから、大丈夫」

 と、わたしは父に言った。

 いつも、誰よりもわたしのことを理解してくれている父は、怒りを抑え、

『わかった。でも、今日の出来事が本当に危険だったこと、その少年が人を殺す可能性があったことは、ちゃんと学校、そしてクラスのみんなにわかってもらわないといけない』

 そう言い、その夜のうちに、学校、そして当事者の少年の親へと電話をし、だが穏やかな口調で訴えたのだった。

 

 そしてその次の日。

 入学後、三日目だった。その少年は、わたしに近づくことも、目を合わせることもしなくなった。

 それはクラスの他の生徒も同じだった。父の訴えは正確に、担任の先生、すべての保護者、そして生徒にも伝わったのだろう。

 わたしが危険にさらされたこと、そして死んでいたかもしれないという事実が、生徒達に正確に伝わったのだ。


 わたしの存在は『注意して触れなければいけないもの』から『近づいてはいけないもの』へと変わったようだ。

 わたしはクラスメイトのことを悪いとは思わなかった。

 悪いのはわたし、この体が悪いのだから。その日から、わたしは出欠の時にだけ返事をする、ただの置物へと化した。

 ただし、その置物は、時価数十億円もする、繊細で壊れやすいガラス細工だ。誰も、触るなとも、近づくなとも言われていない。だが、もしも壊したら、その責任を全て負うことになる、とだけ言われている。

 そんなモノに近づくものがいるだろうか。誰も責任を負いたくはないだろう。そのことに、わたしは何も言えない。

 だって、わたしは何の責任も負えないのだから。

 だから、わたしから近づくこともできないし、しない。人に責任を負わせるかもしれない、それはただの『無責任』な行動なのだから。



 その後、わたしが学校に通う理由は無くなった。

 でも、ひとつだけ、わたしが通い続けることができる、理由はあった。

 

 入学したその日、わたしよりも不遇な環境に生きる少年がいることを知った。

 その少年は、同じ学年の、違うクラスの生徒だった。

 入学式では、周りの人から二メートルの距離をとるよう、少年の周りにはバリケードが設置されていた。

 そしてその少年の見た目は、皮膚を極力露出しないようにする美魔女のようなものだった。

 すぐにわたしのクラスにも噂が広まり、最初の二日間くらいは少年の属する教室の外に人だかりができていた。

 少年が使う机、椅子も、何やら異様な、黒い物質でできていたのだった。

 その少年の噂話をするクラスメイトの声が少女の耳にも入った。


 どうやら、重度のアレルギー症状を持っており、人はもちろん、ほとんどのモノに触れることすらできないというのだ。

 少女は、自分よりも不遇な少年がいたことに、まずは驚いた。

 そして、さらに驚くべきことは、その少年が孤独では無かったこと。

 二メートルという距離をとりながらも、クラスメイトとの心の距離を詰めていたのだった。気さくな性格なのだろう。これも噂だが、小学校の頃から同様の学校生活を続けているらしい。

 だがそれでも、親友と呼べる生徒がいたり、休み時間にいつもお喋りできるような友達がいるわけではないようだった。

 クラスメイトから拒絶されることはない、でも、やはりその特異な存在に親しみというものは生まれなかったようだ。



 入学から三日目の放課後のことだった。

 わたしは日直の仕事があったため、少し遅い時間の下校となった。当然、部活動には入っていないため、すぐ帰宅しようと教室から出て下駄箱へと向かった。

 すると、向かう先の教室から一人の生徒が出てくるのが見えた。

 そして、その生徒が一目で『あの少年』であることがわかった。


 足を止めるのも不自然だと思い、そのまま歩き続けると、すぐにその少年に近づきそうになった。

 距離をとらないと命に関わる、そういう噂を聞いていたので、やはり足を止めることにした。

 少年が振り返り、足を止めるわたしの存在に気づいた。

 少年の第一声は、

「ごめん」

 だった。


 急に止まったとは言え、ちゃんと二メートルは離れていただろう。

 ごめん、に返す言葉を選んでいると、次も少年から話かけてくれた。


「間違ってたらごめん、もしかしたら、後ろから触られると死ぬかもしれない、って君のこと?」

 まずは、クラスメイトだけでなく、他のクラスにもちゃんと伝わっていることに気づいた。そして、ちゃんと正確に伝わっていることにも。


「うん、そうだよ。わたしも、あなたのこと噂で聞いたよ。人に触れないし近づけない、あと、触れるものも限られるって」

「ははっ、それ噂じゃなくて百パーセント事実だから。ありがたいけど、怖いね、噂って」

 少年は笑っていた。人の噂に慣れているのだろう、そう思った。


「でも噂って、僕は信じない。知りたいなら本人に聞けばいいでしょ? 近くにいるならなおさらだよね。だから、聞きたくもない君の噂も聞いちゃった。

 まぁ、信じてなんかいないけど、聞いていい?」

「……いいよ」

「聞いた噂はね、クラスメートの男の子の家にチンピラ引き連れて行ったってやつ。くだらないよね。ほら、この中学校ってさ、お受験で入るわけでもない、ただの市立中学校だから。ピンからキリまでいるんだよ。そこはしょうがない、諦めよう。

 そんな噂を信じる人もそうだし、広める人なんてなおさら。そういう奴だって思えばいい。

 だから、僕はもう諦めてるよ?

 でもね、考え方で少しは変わるんだ。これは僕のお母さんから教えてもらったんだけど。

『世の中、悪くない人もいる』って」


 誰も目を合わすこともしないわけだ。しかし、あのバカ面の言うことを信じるとは、わたしのクラスメート、全滅じゃない?

 そんな現実に、深いため息をつくしかなかった。


「そっか、じゃあ、小学校は通信教育だった、って噂だけは本当なんだね。

 僕も初めは絶望が続いたな。でもね、あぁ、これはうち特有かもしれないけど。落ち込んでる暇が無くってさ。まぁ、お父さんとお母さんにつっこむのが役割というか……とにかく、悩むだけ損。

 お母さんが教えてくれたもうひとつの言葉。

『マイナスは気にするだけ無駄。プラスなんて期待するな。プラマイゼロが一人でもいればいいじゃない』って」

「ごめん、何言ってるかわからない」

「あっごめん。僕も最近自覚したんだけど、やっぱり僕って見た目だけじゃなくて変なやつだよね。でも、君にとってマイナスではないと思うから。また話せたらいいな」


 少年の目は笑っていた。マスクで隠れた口もちゃんと笑っているに違いない。

 少年の言いたいことは全て理解できたし、その全てがわたしの心に響いた。それでも、わからないと答えてしまったのは、たかだか三日間で生まれてしまったわたしの天の邪鬼からくるものだろう。


 それでも、『また話したい』と言ってくれたその一言だけで、わたしは十分だった。

 わたしよりも辛い環境で、強く生きている存在を知った。

 そして存在しているだけで心強いその少年は、さらにわたしに、温かく強い言葉をくれた。

 たった三日間で冷えきったわたしの心。

 火を灯して温めたわけでもない、ホッカイロをくれたわけでもない。でも、

『寄り添ってくれた』

 そう感じた。



 ゴーグルの下で微笑む目。それ以外はマスクや帽子で隠れ、ほとんど見えない。

 それでも、他の誰よりもその表情が温かく感じられた。


 

 それは、わたしの初恋だった。

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