08話 自己責任ヒーロー
「はぁ、はぁ……最後まで持ってくれよ、俺のからだ」
「笑って死ねるなら、そんな幸せなこと無いんじゃない?」
「えっ、そんな酷いこと言っちゃう?」
裁と父がいつもどおりのやりとりをしていると、雛賀のじいさんが『フォッフォッ』と笑いながら、台車に何やら箱を乗せて持ってきた。
「君はどうやら重さのことを言ってもピンとこないようだね。だから、これを着てスポーツテストをやってもらうよ」
箱に入っていたのは、いつもの黒いウェアだった。
だが、持ち上げてみるといつものウェアとは全然違うことに気付く。
「これって……」
「『軽い』だろう? これまでは、君の記録を平均値にするためにわざと重く、そして最終的には二〇〇キログラムのウェアを着せていた。でも、今日は通常仕様の二〇キログラムを着てもらう」
「前回、お前は二〇〇キログラムの、しかもただ重いだけじゃ無くてひどく動きにくいウェアを着ていた。そして、それでも全ての種目で平均値を叩き出したお前が、この二〇キログラムのウェアではどうなるか。楽しみで昨日は五時間五十分しか寝れなかったぞ」
きっと、いつもは六時間寝ているのに、お前のせいで十分寝るのが遅くなった、そんなことを言いたいのだろう。
だが、細かいボケに構っている余裕も無いので、裁は黙ってウェアを着始めた。
着てみると、いつものウェアとは動きやすさが格段に違うことがわかる。
実施する種目と順番は、父とじいさんによって決められた。
まず、ウェアの重さが与える影響が小さいと考えられる『長座体前屈』が除外された。
また、数値による凄みがわかりにくいということで、『上体起こし』と『反復横跳び』も除外となった。
いつもより格段に軽くなった体を慣らすことを考慮して、『握力』、『一五〇〇メートル走』、『ハンドボール投げ』、『立ち幅跳び』、そして『五〇メートル走』の順番で実施することになった。
まずは握力だった。
「さて、午前中に三人の手を粉砕したデストロイヤー裁は、果たして何キログラムを叩き出すのか!」
「ちょっと、人のトラウマを実況風に抉らないでもらえる?」
「ゲンさん、この握力計って何キログラムまで計れるんだっけ?」
「三〇〇キログラムまでだね。確か世界記録が一九〇キログラムくらいだし、さすがに計測できないなんてことはないだろう。だから、思い切り握るといいよ、サイクロプス君」
誰がサイクロプスだ! これはきっと、裏ではいつもそう呼んでいるに違いない。
そう思うと、裁は軽いノリの二人への怒りを握力計に込めることにした。
表面に表示された結果、
『一七八キログラム』だった。
「世界記録は無理だったか。でも、二〇キログラムのウェア着てそれだからな……素手で握られたらと思うとぞっとするよ。お前、女の子とデートするときは二〇〇キログラムの服着て、ちゃんと手袋しろよ」
二メートル以内はおろか、人に触れることなど考えたことが無かった。だが、たしかに父の言うとおりだ、と裁は珍しく同意した。
次は一五〇〇メートル走だ。
「二〇〇キログラムの制服着て動いてたから、準備運動はいらないだろうね」
じいさんの言うとおりに、すぐにスタートすることになった。
その部屋の長辺は、壁から壁までの距離が約一〇〇メートル、短辺のそれは約八〇メートルあった。部屋の床に一本引かれた、一周二五〇メートルの白線に沿って、裁はいつもと同じペースで走り始めた。
いつもと同じはずなのだが、景色が視界を過ぎ去るのがいつもより速いことに気付いた。
そして、走り慣れたはずのそのコース、最初のカーブで曲がりきれず、壁に衝突してしまった。
壁に緩衝材が設置されていたおかげで怪我は無かったのだが、少し時間をロスしてしまった。その後はカーブの走り方を気をつけ、少しずつ修正していく。
三周もするとカーブの走り方にも慣れ、遠心力を味方に付けた裁は、気付くと六周、一五〇〇メートルを走りきっていた。
いつもと違う感覚にばかり気をとられ、感じることを忘れていた疲れは、走り終わった瞬間に訪れた。
記録は『三分五十九秒』だった。
「壁を壊すロスがあったけど、四分切ったか。これで長距離走に自信がある悪人でも安心して追えるな!じゃあ、次はハンドボール投げだな」
じいさんが準備していたボールを手にする。
「君のために特別に作ったボールだよ。割れないように通常よりも頑丈にできている。その分少し重くなってしまったけどね」
今回は、デモンストレーションと称して、父が試投をした。
肩に自信があるらしい父は、通常のボールなら四十五メートル投げることができるという。だが、少し仕様の違うボールでの記録は三十四メートルだった。
やはり、少し重いらしいそのボールを持つと、投げるフォームをイメージする。
裁は、これまで野球やドッジボールなどをしたことが無かった。そのため、『投げる』という日常生活にはあまり登場しない動作が、よくわからなかった。
それでも、父や、テレビで観る野球の投手などの投げるフォームを参考にして、とにかく遠くに投げることを意識した。
いつもより動きやすいため、ボールに込める力が逃げないよう、重心を意識して全力で放り投げた。
ボールは、約九十メートル先の壁に激突した。
壁に当たったときの速さと高さから、じいさんが推定した距離は『一四〇メートル』だった。
「これなら一〇〇メートル先の悪人にもモノを投げてぶつけることができるな」
「いや、どういう状況で? コントロールに難がありそうだし、てか、一〇〇メートルも離れてたらそもそも悪が発現しないよね?」
次は立ち幅跳びだった。
本当は走って跳ぶ方を見たいようだが、どのくらいの実施環境を整えるべきか判断するためにも、まずは立った状態での跳躍を確認する、という。
また、すぐ後に垂直跳びも行うようだ。
白いラインに足をそろえると、手を大きく振り反動をつけ、前方、なぜか一〇メートルにも渡って設置されたマットに向かって跳びだした。
空中で、『跳んでるな』と思う余裕が少しあった。
結果は『四メートル八十五センチメートル』だった。
「これなら、悪人によって建物が破壊されて、床に四メートルくらいの大穴が空いても跳び越えられるな!走ればもっと跳べるだろうし」
「だから、どういう状況を想定してるの?」
そして、続けざまに垂直跳びを行った。
先ほどと同じ動作で、跳ぶ方向が真上に変わるだけだった。
結果は『一メートル七十五センチメートル』だった。
「さすがに、一五〇キログラムの巨漢がそんなに跳び上がると迫力あるな。でも、これなら、えーと、一メートル五〇センチメートルの障害物があっても跳び越えられるな!」
「なんか、『こんなこともできるな!』が雑になってきてない?」
そして最後、五〇メートル走である。
なんとなく全力疾走への不安があったが、裁の気持ちを察してか、前方の壁に分厚いクッションが立てかけられた。
父のかけ声で勢いよくスタンディングスタートすると、全力で地面を蹴る。
いつもと全く違う進み方にバランスをうまくとっている間にゴールしていた。
そして、止まりきれずに四〇メートル先のクッションに激突した。
フォッフォが計測したその記録、
『三秒八』だった。
「これさ、一〇〇メートル走ったら五秒台くらいでいけるんじゃないか? なんかもう恐いわ。そして、えーと、これで世界一速い悪人でも捕まえられるな!」
「もう、思い浮かばないなら無理に言わなくて良いよ。なんか後半面白くなかったし」
「そ、そうか? まぁ、そんなことは置いといて。これでわかっただろ? 自分の凄さ。これならどんな悪にだって立ち向かえるはずだ」
素直に肯定しようと思ったが、裁の脳裏には、午前中にナイフとマシンガンを向けられた光景が過った。
「でも、やっぱり凶器向けられるのは恐いよ。いくら身体能力が高くても、当たったら死んじゃうって思うと……」
「フォッフォ。そのウェアの性能を忘れたかな、サイP少年。どんなナイフでも、どんな銃であろうとも、そのウェアを貫くことは不可能だ。ただし、耐衝撃には限界があるから、戦車の砲弾とかになるとさすがに痛いかもしれないな。あと、さっきも言ったが水中と宇宙空間には対応していないから注意だ」
だから、宇宙空間に潜む悪ってなんだ?しかもさらっと『サイP少年』とか言わなかったかこのじいさん?
サイPってなんだ? あぁ、サイクロプスのサイとPか……って、おい!
頭の中で猛烈につっこむ裁の様子にはお構いなく、父が真面目な話を切り出した。
「さてと、全てわかったところでもう一度、質問するぞ? 今度はお願いじゃない。お前の意思だけを確認する。
正義のために、お前のその体質を使ってくれるか?」
自分の本当の体質、そして身体能力のこと、全てを教えてもらい、あらゆる不安が取り除かれた。
そんな今、前回の答えが覆る理由は無い。
答えはひとつだ。
「きっと、これが僕に与えられた役目なんだね。わかった。僕ができること、いや、僕だからできることを、できる範囲でやってみるよ」
「よし、良かった。今日の夕飯は赤飯パーティーだな!」
「え? 昼にやったばっかりだよ?」
「俺さ、ワクワクとドキドキでほとんど食べれなかったし、お前を祝う気持ち、これっぽっちもなかったしな。美守もきっとまた準備してるぞ」
裁は、嬉しそうな父を見て、『父と母が喜んでくれるなら、それで良いか』と心の底から思った。
これまで、ただ迷惑しかかけていなかったにも関わらず、母は、
『ただ裁が生きていてくれるだけで、笑ってくれる、それだけでわたしは幸せ』
と言ってくれていた。
そんな母に、生きていること以外でも喜んでもらえたら、なんと嬉しいことか。
「じゃあ、そうだな。自分が発現させた悪を自分で払う。つまり自分で勝手に責任を負って、その責任を果たす、か。よし、
『自己責任ヒーロー』
なんてどうだ?」
「何が? えっと、無理にヒーローの名前つけなくていいよ? まぁ、でもこの体質、力の名前を付けるんだったら、『自己責任スキル』でいいかもね」
全てを打ち明けたからか、父は大きく一息つくと、微笑みながら床を見つめ『良かったな、美琴』と呟いた。
父よ、あんたの最愛の人は地獄に落ちた設定なのか?というつっこみを堪えつつ、裁はどうしても確認したいことを聞いた。
「あのさ、聞きたいことがあるんだ。悪に立ち向かうのはいいんだけど……
僕、高校ってどうするんだっけ?」