06話 検証
美守は、俺のことが好きだったらしい。
俺も驚いたよ。
実は美守の気持ちに気づいていなかった訳じゃないんだ。
でも、今この空気の中で言うか? って意味で驚いた。
同時に、お前に触れたことで、自分の中の何かが発現するという事象への確信、そして恐ろしさを実感したんだ。
そしてその後、俺は、
『さすがにすぐに結婚したら、世間体的にまずいよな。
よし、二年後の今日、結婚しよう』
って、改めて俺からプロポーズ返ししたんだ」
裁は首を傾げたまま口を開いていた。
さっきまでの重い話はなんだったのか。
そしてなぜ、この男は、最愛の妻が死んだ直後に妹との結婚の話を進めているのか。
「うん、お前の考えていることはよくわかる。
言い訳と言うか、事実なんだが、やっぱりお前の体質は恐いって話だ。
『お前を利用するため』に、『美守を利用する』という思いが付随したのか、あるいはもうひとつの強い思いとして発現されたのか、そのときはわからなかった。
でも今考えれば、俺はなんて薄情な男だ、とか、そりゃ思うわ」
「そう、わたしも。
正義さんへの憧れが恋愛感情だったのは、まぁ、否定しない。
でも、あのときあの瞬間それを言うか? って、今でも恥ずかしいわ。
そう、あなたの体質が与える影響。その効果は恐ろしい。
それを痛感したわたしたちが言うんだから間違いない」
今まで育ててくれた両親に『恐ろしい』と言われても、裁はどう反応していいかわからない。
とりあえず、話を進めてもらうために、気になることを聞いてみた。
「これから、その、憶測じゃなくて、実際どんな体質なのか、を話してくれるんだよね?」
「あぁ。お前のその体質、
発現する条件、その距離はどのくらいなのか。
発現する内容、そのときに一番我慢していること、あるいは望んでいることで違いないか。
あとは、人によって効果が変わらないか、あるいは効果の持続性とか、だな。
お前を育てるため、あとは、まぁ、俺の願いを叶えるためにも、見極める必要があった。
それを検証するために、俺は『ある人』に電話したんだ。
その人は、俺がオヤジの次に尊敬する、そして信頼する上司だった。
その時までに起きた出来事、そして、俺の推測を全て話した。
もちろん、美守とのことも含めて、だ。
話を聞いてくれたその人は、まず、こう言った。
『良かった。お前の親父さんのこと、疑うところだった』
全てを受け入れてくれたその人は、その後話した『検証』を実行するための場を準備してくれたんだ。
次の日、二月二日のことだ。
とある取調室、そしてとある事件の容疑者を用意してもらった。
その部屋の暖房が壊れていることにして、容疑者には分厚い防寒着を与えていた。
隣の部屋には、準備してくれた上司、そしてその上司が呼ぶべきと判断した科学班の班長、その助手の合計三人。
その助手というのは美守だったのだが。いずれも信用できる人たちが控えていた。
俺は超薄手の防寒着の中に、産まれたばかりのお前をおぶっていた。
端から見れば分厚い防寒着を着ているように見えただろう。
部屋に入ると、その容疑者の男は俺を一瞥して、表情を変えずに口元だけ笑った。
オヤジが殺し損ねた男だった。
まずは、部屋に入ってすぐ、足元に小さく印をつけたところに立った。
その、男から『二メートル』の位置で、まずは容疑の確認を始めた。
これまでどおり、男からは否認の言葉が返るだけで、特に変化は見られなかった。
次に、『一メートル五〇センチメートル』地点に立つ。
少し話をしていると、ある変化に気づいた。
男と目が合う回数が少なくなったのだ。心なしか、少し目が泳いでいるようにも見えた。
さらに、五〇センチメートル近づく。
すると、いつも落ち着いた様子で人を小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑うその男が、急に大声を出した。
『俺じゃないって、何回、何百回言えばわかるんだ?』と。
さらに五〇センチメートル近づく。
すでに男との距離は五〇センチメートルだった。
男は急に立ち上がると、俺に突進してきた。
あらゆる想定をして検証に臨んでいたから、男の行動にはすぐに反応できた。
突進をかわすと、男は床に転がった。
俺は、お前をおぶったままその男に覆い被さり、取り押さえた。
そのとき、男とお前の距離は俺の胸板分、おそらく二〇から三〇センチメートルくらいになっていただろう。
男は自供を始めた。
『そうだよ、俺だよ、やったのは。みんなさ、証拠つかめないで、馬鹿みたいに焦ってやがんの。
見てて超楽しかったんだけど。でも、まさかあのじじいが殴りかかってくるのは思わなかったな。
よっぽど我慢できなかったのか? まぁ、面白いもん見れたからいいか』
取り押さえたまま男に手錠をつけると、俺は立ち上がって部屋の奥、隅に移動した。
それを合図に、すぐに上司が部屋に入ってきて、男を連行した。
この検証で明らかとなったのは、まず、お前のその体質が影響を及ぼす距離だった。
二メートル離れていれば、影響が出なかった。
そして、一メートル五〇センチメートルで影響が出始め、近づくにつれてその影響は大きくなっていった。
五〇センチメートル間隔ではあったが、これ以上刻む必要もないだろうと思われた。
そして、次に発現した内容だ。
最後の証拠が無いだけで、男が犯人なのは間違いなかった。
だから、取り調べ中に男が考えていたこと、それは『自白しないこと』だったに違いない。
つまり、そのとき一番我慢していたことが発現されたといっていいだろう。
次は、その影響がずっと続くのか、あるいは限りがあるのか、だった。
その検証は、別に俺と美守でもできるんじゃないか、とも思われそうだが、俺たちはお前に継続的に触れるからな。
一応、検証の対象からは除外したんだ。
そこで、先ほど連行された男の動向を追ったんだ。
逮捕後も特に供述内容が変わらなかった男。
しかし、次の日のことだった。
急に、
『俺は何もしてない。あのときの供述は嘘だ。何か薬でも使ったんだろう』
などと言い出したのだ。
それは、およそ二十四時間後。つまり、一日は持続するようだった」
産まれて二日目、そんな自分を検証に使うとは、なんという父親だろうか。
そんな怒りが込み上げたが、自分の体質が父にそうさせたのだろう、という思いから、口には出さないであげた。
代わりに、そのときふと疑問に思ったことを聞いてみた。
「あれ?でも、さっきお父さんとお母さん、昔の自分を薄情とか、恥ずかしいとか言ってたよね。
ずっと近くにいても、いつかは効力が無くなるってこと?」
「いいところに気づいたな。それは検証の途中で気づいたんだが。
あの夜から一週間後くらいかな。それまで俺にべったりくっついていた美守が、急によそよそしくなったんだ。
『ごめんなさい、あんな状況であんなこと言うなんて、どうかしてたわ。裁の体質の影響だったのはわかるけど、ダメ、恥ずかしい』
それまで美守は、お前から半日も離れたことはなかった。
だから、二十四時間という持続性に加えて、我慢していること、望むことが『変わったら』、効力も無くなるのでは、と推測したんだ。
おそらくだけど、俺と結婚の約束をして、そして一緒に過ごすことになって、『俺と結婚したい』が願望から現実になったことを実感したからだろう、と」
その後も、検証の結果を聞いた。
裁の体質により、全ての被験者がそのときに一番我慢していること、望んでいることが発現されたことが確認された。
ただし、悪事を暴くことに関しては、難がある、ということもわかったという。
それは、とある容疑者が
『カツ丼食べたい!』
と暴れたことによって判明した。
その男にとっては、取調室で自白しないようにするという我慢より、『取り調べと言ったらカツ丼だよな?』という思い込みが強かったに違いないのだ。
つまり、別のことを強く考えていると、本当に聞き出したいことを聞けない。
そして、『発現するのはひとつ』ということ。
だから、使い方も考えなくてはならない、というのが、検証からわかったことだという。
使い方、と言われると、裁はあまりいい気がしないのであったが。
自分の本当の体質の話が一段落したとき、裁にはもうひとつ、気になることがあった。
物心ついてからのことで、おかしい、と感じることがあるのだ。
「お父さん、もうひとつ、何か隠しているよね?」
父は動揺を隠せない様子のあとに、裁の察しの良さに何やら誇らしげな顔を見せた。
「さすが俺の息子だな。このあと話そうと思っていたんだ。お前の本当の体質を話したあとに、な」
「ずっと感じていたんだ。僕の体質が異質だったからかなって、そう思っていたんだけど。
あんまり他人のことはもちろん、よその家族のことなんてわからないけど。
でも、友達の会話を聞いたり、テレビの情報とか、やっぱりよく考えると、よその家とは全然違うんだ」
「うん、そうだな。お前のその体質をいいことに、ちょっとやりすぎていた感は否めないな」
「やっぱりやりすぎだよ。でもね、きっと、それも僕の体質がそうさせたんだよね。だから、仕方がないと思ってる」
「裁……ありがとう。でも、例えやりすぎていたとしても、今までのこと、俺は無駄じゃないと思っている」
「いや、無駄かどうかと言われれば、間違いなく無駄だけど。
でも、ごめんね、今まで、辛かったよね。もしかしたら、出張とかで、僕から離れたときにひどい後悔もあったんじゃないかなって」
「美琴……お前の子はこんなに良い子に育ったぞ」
感極まりない様子の父は、覚悟を決めた表情をした。
「じゃあ、わかった。これで心置きなく言えるな。今、一番言いたいことを言うぞ」
「いや、ダメだよ?言っちゃ。我慢してよ」
「えっ?」
「え?」
「あの、裁くん? そのさ、俺が今から話したかったのって、お前が普段身に付けてるもののことだけど?」
「えっ?」
どうやらお互い話がずれていたようだ。
「お父さんのその、小ボケとかギャグの話でしょ?
ほら、普通、いい大人だったらそんな馬鹿なこと言わないじゃん。
もしかしたら考えるくらいはするかもしれないけど、節度ある大人なら普通、我慢するよね?」
「あぁ、そういうことだったの?わたしもずっとおかしいな、とは思ってたのよね。
今気づいたわ。それだったら納得。裁、さすがねぇ」
「...今日の俺の日記、たぶんノート一冊分くらいになるぞ。嫁と息子に馬鹿にされた! ってな」
憤慨する父と、ゲラゲラ笑う母。
いつもの二人に戻ったことを確認して、裁は安心した。
でも、決して場を和ませるために言ったことでは無く、本当のことだったのだが。
とすると、父が話したかったこととは何なのか?
『僕が普段身に付けてるもの』とか『やりすぎ』とは何のことなのだろうか?