04話 距離
帰りの車の中。
いつもなら呼吸をするように小ボケをかます父も、ただ一言、
「家に帰ったら、全部話す」
と言ったきり、ずっと黙ったままだった。
裁はずっと考えていた。
父が話してくれる『全部』とは何か、を。
『そういえば、どちらの事件も、父は僕の近くにいた。もしかして、事件が起きることを知っていたとか……? いや、考えすぎか?』
そんなことを考えているうちに、車は家へと到着した。
予期せぬ銀行強盗に遭遇したせいで、予定よりも遅い帰宅となった。
だが、そのおかげで母のお手製の『赤飯』がちょうど完成したところであった。
昼食は、赤飯と味噌汁、そして漬け物。
なかなかに渋いお祝い料理である。
『近距離赤飯パーティー』という名のとおり、父は正面、そして母は隣に、いつもの距離を取らずに座っていた。
午前中の出来事を話しながら、和気あいあいと食事を...などできるわけもない。
バスジャックと銀行強盗に遭遇、と言うか巻き込まれた。なんなら人質にされたこと。
初めて素肌で触れたのがバスジャック犯の男子高校生だったこと。
初触れ後も、二番目と三番目が、銀行強盗犯だったこと。
ため息と苦笑いしか出ない話題の中、相変わらず黙ったままの父。
「ねぇ、大人しいけど、何か悪いものでも拾って食べた?」
と、母は心配して聞いた。
「いや、今日はまだ食べてない」
と、答える父。
『いや、いつも食べてるんかい』
と、心の中でつっこむ裁。
全員が食べ終わると、父は沈黙を破り、話を切り出した。
「さてと、真面目な話してもいいか?」
「できるなら、どうぞ」
いつもの返しをする裁に、父はいつもの反応をしない。
「今日、違和感というか、変わったこと無かったか?」
「いや、変わったことしか無かったよ?」
この父は何を言っているのだろうか。
初めて尽くしの一日だったではないか。
「ごめん、聞き方が悪かったな。じゃあ、さっきまで美守に話した『初めての出来事』。それ以外の『初めて』を、ちょっとしたことでいいから思い出して、話してくれないか?」
「えっと、バスに乗って……座って……そうだ、僕の席の近く、五十センチメートルくらいかな? 人が二人座った。お父さんとお母さん以外の人とあんなに近づいたの初めてかも」
「で、そのうちの一人が犯人だった、と」
「そう、だね。発車して間も無くジャックしたね、バスを。あと、近かったと言えば、銀行に入るときかな。男の人とぶつかりそうになった。て言うか、たぶん、ちょっとぶつかったかも」
「で、その男達が犯人だった、と」
「そう、だね。なんか駐車場の方に走って行ったと思ったんだけど。すぐに戻ってきて強盗したね、銀行で」
期待する答えを聞いたのか、父はまた別の話を切り出す。
「昨日、裁の検診結果を伝えたよな。でも、実は、な」
「なに? やっぱり治ってませんでしたー! とか?」
「いや、治るもなにも、アレルギー症状なんて無かったんだ」
「え? えっと……えっ!?」
「アレルギー症状は無かった。でも、ずっと、『アレルギー症状がある』って、嘘をつく必要があったんだ」
「……どう、して?」
「今まで、アレルギー症状があるから、『人に近づいてはいけない』って言われてきたよな?」
「うん。最低でも二メートルは距離を取れって言われてきた、けど」
「距離をとる必要がある、それは本当だ」
「えっと……何を言いたいの? ねぇ、本当にわかんないんだけど」
困惑しながらも、裁はあることを考えていた。
二メートル離れなければいけないのは本当、という父の言葉。
そして、今日、二メートル以内に入った人物は4人。
そのうちの三人が犯罪者だった。
犯罪者が僕に近づいたのか。
それとも、僕が近づいたら犯罪者になった、のか?
「今から全部、教える。いいよな、美守?」
母は何も言わず、表情を変えず、ただ頷いた。
父は席を立つと、二階から何かを手にし、戻ってきた。
どうやら新聞のようだ。
付箋がついた、とあるページを開くと裁に見せた。
開かれたページ、蛍光ペンで囲まれた部分を読んでみる。
『○○区の産婦人科医の男性(四十六歳)、妻(四十二歳)への暴力行為で逮捕。妻は意識不明の重体』
「この記事が何? ていうか、この新聞古っ! ……えっと、二〇〇六年の二月二日ってことは、十五年前の、か。これ、僕の生まれた年だね。しかも僕が生まれた、二日後?」
「あぁ。そして、この産婦人科だけど。裁、お前が生まれた病院だ」
「え?じゃあ、もしかしてこのお医者さんて……」
「そう、お前の母さんから、お前を取り出した男だ」
いや、『取り上げた』だよね、と思った裁だが、空気を読んでか、口には出さなかった。
「裁が生まれたのは、一月三十一日の十七時三十三分。そして、この日の夜のことだった。この医者は自宅で、妻に対して暴力を働いた。妻は隙をみて、なんとか警察に電話をしたらしい。が、警察が駆け付けたときには既に意識不明の重体だった。そして、病院に搬送されるも、意識が戻らずに死亡したらしい」
「……」
「当時聞いた話だと、男はその日の仕事が終わって自宅に戻るとすぐ、妻に対して抑えがたい殺意を抱いたらしい。もともと夫婦の仲は悪かったみたいなんだが。さらに、その男が言っていたらしいんだが。
『その夜、妻も同じく自分に殺意を向けていた』、そして『妻と殺し合った』、らしい。
そして、その男の妻というのが、お前の出産に立ち会った助産師だ」
なるほど。裁は父が言いたいことを理解した。
自分が生まれたその日の夜、自分とゼロ距離に近づいた二人が、殺し合ったのだ。
「そして、次の日、二月一日のことだ。俺のオヤジが病院に面会に行った。というか、偶然なんだが、医者夫婦の事件を担当したらしい」
おじいちゃんも警察官だった、ということは、裁も父から聞いていた。
そして、父が最も尊敬していた警察官だった、ということも。
「隙を見て部屋に面会に行って、高速でお前を愛でて帰ったようだ。これは、母さんからの、
『なんか今、あなたのお義父さんに似た残像が赤ちゃんを抱っこして、すぐに消えたんだけど……』ってメールで気づいたんだが」
えっと、なに、残像って?
おじいちゃん、素早さカンストしてたの?
「メールが来たのが午前八時五十分。一応、残像の正体を確かめるために、ちょっと経ってからだけど、十一時くらいにオヤジに電話してみた。
長いコールの末に、電話に出たのはおふくろだった。電話に出るなり、おふくろは、『お父さん、取り調べで容疑者を殺そうとしたんだって……』と言っていた。
オヤジがそんなことをするわけない。信じられなかった。
でも、事実だった。
当時、オヤジはとあるでかい事件を追っていた。
その日、産婦人科から帰ってすぐの取り調べだったらしい。相変わらず口を割らない容疑者に対して、胸ぐらを掴むと、顔面を殴打し始めたという。
すぐに止めていなければ、殺していてもおかしくない状況だったらしい。
最後の証拠が無いだけで、その容疑者が犯人なのは明らかだった。
そして、オヤジの功績、人柄は誰もが認めていたから、オヤジを責める人は誰もいなかった。
責めたのは、自分自身だけ。
オヤジは、そのあとすぐに辞職願を出した、と聞いた」
淡々と話を続ける父に、裁は何も言えず、ただ黙っているしか無かった。
「その日は、もう一人、病院を訪れていた。お義父さん、『おぎちちさん』のほうだ」
つっこむ気などもちろんあるはずも無かったが、『おぎちち』などと言わなくても『オヤジ』と『お義父さん』で聞き分けられる、とは思った。
今でもよく思い返すのだろうか。
父は当時のことを鮮明に、そして考える間も無く、話し続けた。
裁は、父の話の中で強い違和感を感じていた。いや、違和感ではなく、すでに気づいていた。
だが、あえて考えないようにしていた。
「お義父さんが病院に行ったのは午後、たしか三時くらいだった。
そう言えば、俺のこと、まだ話してなかった。実は仕事のせいで出産の立ち会いもできなくてな。
初めてお前に直接会えたのは、その日の真夜中だったんだ。
でも、母さんが何回も携帯で動画通話してくれて、何度もお前を観せてくれた。
そして、お義父さんが来たときも、動画通話でその様子を観せたんだ。
画面の向こうで、お義父さん、嬉しそうな顔してたな。あの頃はお義父さん、いろいろと大変で、あんなに幸せそうな顔を見るのは久しぶりだった。お前を抱き抱えると、『じぃじですよー』って、泣いて、笑ってた。
そんなお義父さんが、その日、自宅に帰ってすぐ。十六時過ぎくらい、だったか。
重度の認知症だったお義母さんの首を絞めて殺したんだ……
お義父さん、すぐに警察に電話したらしい。
でも、警察が家に到着して、鍵が空いていた家に入ると、
お義父さん、首を吊って、自殺してたんだ」
自分が生まれて、たった二十四時間。自分に触れたという四人のうち三人が死んだ。
どんな表情をしたらいいのかもわからず、裁はただ、俯いていた。
母をみると、テーブルに顔を伏せて、声を出して泣いていた。
そんな二人の様子には応えず、父の話は続く。
「本当に、良い夫婦だったよ。認知症になる前は、いつも二人で出掛けていて、年齢なんて気にしないで手を繋いでた。あんな夫婦になりたいな、って、よく母さんと話してたよ。
でも、一年前くらいから、お義母さんの認知症が始まって。
事件の前には、もうお義父さんのこともわからなくなってたらしい。
それでも、怒鳴られても、罵られても、わめかれても、自分の最愛の人だからって。
いつも一緒にいた。
だけど、やっぱり、我慢もあったんだろう。疲れも見えていた」
「僕に、近づいて、触ったから……? 僕が、殺した、の?」
父は裁の質問には答えず、話を続ける。
「そして、そのことはすぐ、警察から母さんにも伝わったらしい。すぐに母さんから電話があったよ。
『お父さんがお母さん殺して、お父さんも死んじゃった』って。
俺はそのとき、すぐには向かえない場所にいた。だけど、電話で母さんの異変に気づいて、車をぶっ飛ばして病院に向かった。
病院に着いたのは、電話から、一時間後だった。
時間は夜、十一時過ぎだった。
病院に着いたら、暗いはずの病院のまわりが明るかったんだ。
パトカーが停まっていて、何かを調べているようだった。
どうやら、三階から、出産したばかりの女性が飛び降りたことがわかった。
その女性、頭から落ちたらしく、一目で死んでいるとわかるような有り様だったようだ。
予想はできていた。でも、その女性の名前を現場の担当者に聞いてみた。
やっぱり、思ったとおりの名前が返ってきた。
黒木美琴。
そう、お前を産んだ、母さんの名前だ」