233話 環境
「天照奈ちゃんて、体育の時間とかどうしてたわけ?」
「わたし、体育と音楽と給食と全校集会と人付き合いは見学してました」
「おぉ……」
「雛賀って、窓際の一番後ろが特等席だったんすよ。普段は壁に背中付けて歩いてましたからね」
「全てお前のせいだバカ面!」
「そりゃそうだけど……でも、半分は体質のせいだろ?」
「そんな体質でも、中学校では普通の生活を送りたかった。だから普通の中学校に通った。でも、入学後すぐにあんたみたいなバカがいることがわかった。絶望して、三年間我慢の日々が続きましたとさ……」
「何も言えねぇな……」
中学時代の話をすると予想していた天照奈は、事前に父から当時の出来事などを教えてもらっていた。一番近くで見ていた父だから、その全てが事実で間違い無い。そして、目の前の二人も父とほとんど同じことを言っていた。それだけ、わたしのことを見てくれていたのだろう。
「後頭部を撫でるだけで頭蓋骨が粉砕するかもしれない……もしわたしがクラスメイトだったら、何回殺めていたことか……可愛いからほっとけないもんね!」
「それ、何回も生き返る設定っすか?」
「……でもさ、天照奈がみんなを遠ざけるだけじゃなくて、不思議とみんなも近付こうとしなかったよね? 学年に一人二人くらいはエミリ先輩みたいなおせっかい変人がいてもおかしくないでしょ?」
「おせっかい変人!?」
「まぁ、それは雛賀の遠ざけテクが凄すぎただけだろ! あと、じゃあやっぱ俺のおかげじゃね?」
「あんた、もしかしてみんなを遠ざけるためにあれをやったってこと?」
「それは、断じて違うが……ま、結果オーライなこともあったってことで。結果、雛賀は俺とともに暗黒時代を生きた」
「なるほど。葛は入学直後に前科持ちになって、異世界生活を送った、と」
「前科持ちスキルとともに異世界にワープ!? 俺は……そうっすね。あれからずっと要注意人物扱い。ヤンチャっぽいからいじめられるとかは無かったけど。とりあえず気の良いバカ面とつるんで、勉強ばっかしてましたね」
「でも葛には彩夏ちゃんがいるもんね!」
「こ、このゴリラはただの腐れ縁っすよ。たまたま動物園の隣に住んでただけっす」
「あたしも、バカ面博物館の隣に住んでただけです」
「動物園とバカ面博物館が隣接していると……」
「そういえば、彩夏ちゃんって陸上部だったんだよね?」
「そうだよ?」
「こいつの前からは誰も逃げ出せなかったな。百メートルで全国大会出てるんだぜ?」
「すごい! 高校でも部活入れば良いのに」
「バカ面から聞いたかもしれないけど。ちょっと出てみた程度のやつがすごすぎてさ。所詮なんでもかんでも重要なのは才能なのかなって思っちゃったわけよ。でも、ちゃんと練習はしてるけどね」
「やーん。わたし、その超絶美少年に会ってみたいんだよね」
「好みじゃないからあんまり覚えてないですけど、髪型が謎だったかな。どっちかの目を前髪で隠してました」
「ミステリアス美少年……じゅるっ」
ちょっと出てみた百メートルで中学記録。前髪で片眼を隠す謎の髪型……天照奈の胸はずっとチクチクと痛んでいた。もしかすると前の友達がその人なのか、あるいは彩夏と同じような目撃談を聞いただけか……
「サイちゃん、可愛くて格好良いからモテモテだったんじゃない? 特に女子に!」
「いや、あたしは……言い方がきついみたいで、特に女子から嫌われてますから」
「そうそう。こいつ、嘘が大嫌いなんすよ。ちょっとでも曲がった人間は片手でひねり潰されちまうんす」
葛は空き缶を片手で潰すようなジェスチャーを見せた。
「誰が嘘発見ゴリラだ!」
「まだそこまで言ってねぇだろ」
「いつも言ってんだろうが!」
イチャイチャを始める二人をさて置き、天照奈はエミリの中学時代が気になった。
「エミリ先輩って、わたしたちと同じ中学校でしたっけ?」
「ノンノン! アメリカ国立アメリカ中学校だよん!」
「パイセン、幼稚園生にしか通用しなそうな嘘つきますね。アメリカ国ってウケる!」
「ふふん。本当はね、お父さん……パピーの転勤と同時にこっちに引っ越してきたんだ。中学三年間はここと全然違うところで過ごしたの」
「パピーなんて絶対呼んでないっすよね? なんで外国人要素つけたがるんすか?」
「さっきからうっさい! この見た目を生かしたいだけでしょうが!」
「日本生まれ日本育ち。英語も喋れないっすけどね」
「可愛いから助かったけどさ……でも、こんな見た目じゃ、みんな近寄りがたいみたい。わーきゃー騒がれるけどさ、見える部分しか見てくれないっていうか。三つ星レストランなんて騒がれて『でもお高いんでしょ?』って、その実すっごい良心的な値段で家庭的な味なのに、味のわからない金持ちしか来ない。みたいな?」
「わかるようでわからない例えっすね。要するに、ツッコミ役がいなかったと?」
「……イエス」
「エミリ先輩も、華やかな裏で苦労してたんだね……意外だわぁ」
「べ、別に、高校デビューしたいから引っ越してきたわけじゃないんだからね?」
「誰も思ってないっすよ。じゃあほんとに、意外とみんな似たもの同士っすね」
「あんただけは自業自得だけどね」
「……イエス」
突然、エミリは羽織っているパーカーのポケットから携帯電話を取りだした。
「碧ちゃんからメッセージ来たよ」
「急に帰った理由とか?」
「ふむふむ。『すみませんでした。明日学校で話します』だってさ」
「でも明日って文化祭の振り替えで休みっすよね」
「ふむ。『あらあらー? 明日はお休みなのに、そんなにわたしと会いたいの? わかりました。勝負下着で待っています』っと、送信!」
たまにするお姉さん口調でメッセージを送ると、すぐに返信がきたようだ。
「ふむふむ。『すみませんでした。明後日学校で話します』だってさ」
「……明日休みってことを忘れてただけか。それほどの何かがあったのかな? まぁ、あんまり深刻じゃ無さそうで安心したよね」
「よし……」
ホッとした三人の横で葛が急に立ち上がり、脇に置いていたショルダーバッグを肩にかけ始めた。
「え、何? もう帰るの?」
「目的は果たせたっすよね? 今日はそれで帰る予定だったでしょ」
「そ、そうだけど……不幸自慢的なのもして、楽しくなってきたとこじゃない?」
「だから良いんじゃないっすか。何事も引き際が大事っすよ」
「……そうだね。バカ面の言うとおりにするのは癪だけど。天照奈、楽しかったよ。また明後日ね!」
「うん、わたしも楽しかった!」
「ねぇ、わたしだけ残っても良い? 今日まだ触ってないの。禁断症状が……」
「お引き取り願います」
「!?」
粘るエミリを、最後は彩夏が引きずるようにして、三人は雛賀家を出て行った。葛と彩夏が一瞬だけ目配せのようなものをしていたから、何かわたしに気を使ってくれたのかもしれない。
……そうか、封印したアニメグッズを飾り直す時間をくれたに違いない。そう推測すると、天照奈は二人に感謝し、クローゼットから大量のグッズを取り出した。
「ねぇバカ面、もしかしてこの後どこかに行くわけ?」
「そういうこと」
「天照奈ちゃんとの密会よりも大事なわけ?」
「そういうこと……あ、エミリパイセンはいらなかったかもしれないっす」
「ぎゃーっ! じゃあわたし、戻って良い?」
「あぁ……でも、今の雛賀が元気で楽しくやってるっていう物的証拠になるか……よし、三人で行きましょう」
「それで? 天照奈のお父さんは何て言ってたの?」
「あぁ。あの後すぐリビングに案内されてな……」
「ぽわわわーん」
「何すかその効果音?」
「回想シーンに入るときのお決まりのやつでしょうが!」
――「聞こえた、というわけか」
「はい。でも、やり方を間違えてしまいました」
「うむ……和史の息子だからな、ただのバカ面では無いと思っていた。だけど、やはりその行為だけは許せなくてね」
「本当に、すみませんでした」
「だが、その後はずっと見守ってくれていたんだろう?」
「……見てただけです。結局は誰も近付かなかったので」
「それも、君のあの愚行がもたらしたもの……かといってプラスにはならんがね。それで、転校してきた天照奈に近付いた。それも、何かが聞こえたとでも?」
「いえ、そのときはそう見えただけです。『友達が欲しい』『可愛いを隠さないと』って顔をしてました」
「なるほど……君が近付くことで、君の友達も近付いてくれた。それに、生徒会室を紹介してくれた。そのことは天照奈も喜んでいたよ」
「結局、俺なんかも友達になっちゃいましたけど……」
「それは問題無い。天照奈も君の話をよくするからね。わたしの顔色を見ながらだが」
「それで、その……今日話したかったのは、あのときのことを謝りたいのと……」
「今の天照奈が抱えているものが何なのか、だろう?」
「……そのとおりです」
「でもね、自分で言っておいてなんだが、『抱えているもの』と言うよりは『遠ざけたもの』と言うべきかもな」
「あるものを抱えていて、そこから遠ざけた、とでも? そしてそれは雛・・・天照奈さんの意思では無かった」
「そうだ。きっかけというか、環境を大きく変えたのは一人の人間だった。でもね、その環境を戻すか、守るか。非常に難しい選択だった」
「結果、守った……ということですか」
「今の天照奈を見てどう思う? 変わっていると思うか? 普通だと思うか?」
「容姿も才能もずば抜けて特殊な、でも、普通の女の子です。普通に話して、普通に笑って。でも、たまに一瞬ですけど、苦しい顔をします」
「うむ。それが、わたしたちが守りたかった『普通』だ。天照奈にとってその『普通』は非常に重要なもの。でもね、そのための代償が大きかった」
「友達、そして思い出ですか?」
「ふぉっふぉ! 君の察しの良さも大概だね。いや、体質のせいもあるかもしれんが。君の言うとおりだよ。天照奈は転校するまでのことをほとんど思い出せない。覚えているのはちょっとした事実だけ。そのときに何を思ったか、どう感じたかを思い出すことはできない。楽しかった、辛かった思い。そしてそれに付随する思い出が全てどこかに閉じ込められているのだよ」
「前の高校には最高の友達がいた。天照奈さんにとってかけがえのない場所だった。だからこそ、そんなかけがえのない思い、そして思い出はほとんど全てが閉じ込められた……たまに見せる苦しい顔は、前と似たようなことが起きたり、キーワードを聞いたりしたとき……」
「君もそうかもしれないが、天照奈はね、友達に恵まれる。きっと、今の生活が楽しくて仕方が無いだろう。おそらく、今の楽しい思い出が、前の思い出の上にどんどん積み重なっている。前の思い出たちは、おそらく優しい意思を持っているんだろう。もう思い出されなくなる可能性を受け入れて、でも、そんな重さを感じて少しだけ悲鳴を上げているに違いない」
「……思い出したら、今の普通は無くなってしまうのですか?」
「それは、わからない。でも、わたしたちはそう判断した」
「だけど……俺たちは今の天照奈さんしか知らない。天照奈さんが苦しむ姿を見たくない」
「そうだろうな。わたしは前の天照奈を知っている分、もっとつらいのだよ。でもね、そんな苦しみも、今の普通で上書きされるはずだ。時間はかかるかもしれないがね」
「……俺たちにできるのは、これまでどおり天照奈さんと今の普通を過ごすこと。それだけですか?」
「……天照奈にとっての普通。それは間違い無く、前の生活だろう。でも、今の天照奈は今の普通しか知らない。そして、一般的に見て今の普通が本当の普通だ。わたしたちもね、ひどく悩んだ。苦しんだ。天照奈に選ばせるのが一番だと、誰もが思った。でも、誰もが天照奈のことを考えて、一般的な普通を選んだ……」
「前の生活では、本当の普通は得られないのですか?」
「感じることはできる」
「そう感じることしかできない、ひどく脆い普通。そんな感じですか?」
「そうだな。何かをきっかけにその普通は簡単に奪われる。そしてその何かはいつか必ず起こる」
「……きっと、前の友達、そしてみんながその何かから天照奈さんを守りたいと思っていた。そして、本当の普通を得るきっかけが転がり込んできた。だから、天照奈さんを守るために、みんなはその本当の普通を守ることにした……もしかすると、天照奈さんは守られることに抵抗でもあったのですか?」
「それもある。天照奈は友達を守るためなら何でもするだろう。でも、自分の本当の体質に、そして周りの人に守られるのは嫌だった。何も、頼ることが嫌なのではなくて、守られないといけない弱い自分が嫌だったんだ」
「そんな天照奈さんの思いを汲んで、みんなが今の環境を守った……」
「君たちもきっと、天照奈を守りたいのだろう。今の苦しみから救いたいのだろう。でもね、今の苦しみは、みんなが守りたい環境のほんの一部、負の副産物なんだ」
「今の環境も踏まえて、できることもあるはずです。環境を戻したり壊したりするではなくて、守りつつ、さらに良い方向にはできないのでしょうか?」
「君たちにできるのはそれなのだろう。そうだな……天照奈の、前の友達に会ってみると良い」
「紹介してもらえるんですか?」
「あぁ。もしかすると一人は知っているかもしれないね。君たちと同じ中学校だったのだから」
「もしかして、幼なじみっていう男子ですか?」
「ふぉっふぉ! 親同士は古い付き合いだが、子供同士は小さい頃に一度顔を合わせただけだがね。じゃあ、みんなで話し合って、いつ会うか決めたら教えてくれ」
「……今日、これからではダメですか?」
「ふぉっ! おそらくサイ少年は一年中予定が無いだろうが……でも、前の高校はここから遠いんだ。車で片道三時間はかかるぞ?」
「文化祭の振り替えで、明日は学校が休みなんです」
「……良かろう。じゃあ、わたしが運転してあげよう。帰りが遅くなるから、みんな、ちゃんとご両親に連絡するのだぞ?」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、二階に行くと良い。あんまり長話すると怪しまれるだろう」――