231話 異世界喫茶
十月三十日、土曜日。九時ちょうどに、委員長から昨日の結果と今日の連絡事項が伝えられた。
「昨日担当した十人はお疲れ様でした。ミスコンの盛り上がりが異常だったせいで、うちのクラス……というかほぼ全てのクラスの売り上げがほとんど無かったようです。でも、今日はミスコンもライブもありません。天気も良いし、たくさんの方がいらっしゃることでしょう。
……ってことで、まずは今日の担当者二十人を午前と午後に分けます。くじびきで決めようと思ったのですが、事前に聞いた衣装から独断と偏見で決めちゃいました!
まず午前中は、普通の住人、回復魔法使い、妖精などなど。非戦闘員寄りの十人で担当します。そして午後は戦士、攻撃魔法使い、敵キャラを送りこみます!
昨日の在庫も捌かないと、ファミレスじゃなくて教室で余り物を使っての打ち上げになっちゃいます。だから、気合い入れて頑張りましょう! 以上です」
女剣士の天照奈と、どうやら敵キャラに扮する葛はひとまず生徒会室に集まった。
「あらあら、天かすちゃんも暇ねぇ。また勉強でもするつもり?」
「エミリ先輩ほどじゃ無いっす。担当する時間が十三時からに決まりましたからね。準備時間含めても、十二時半くらいまでは暇っすけど」
「天照奈ちゃんは? 今日も一緒にどこかまわる? 触らせてくれるなら三百円あげるよ?」
「結構です。ところで彩夏ちゃんは来てないんですか?」
「そりゃ、ミスコンで準グランプリに輝いたからね。客引きにでも使われてるんでしょ」
「客引きゴリラか……」
「あんたはまたそういうこと言う……あーあ、優勝もあると思ったのにね。ていうか、なんで碧ちゃんはバッくれたわけ?」
「柊のことも勝手にエントリーしたんでしょ? あいつがそんなのに出るわけないじゃないっすか」
「だから無理矢理出させようとしたのに……」
「碧ちゃんカワイいですもんね! でも、何でばば臭い眼鏡とマスクつけてるんですか? お弁当もマスク付けたまま食べてたし……」
「可愛いを隠してるんでしょ。天照奈ちゃんと違って、にじみ出るものも許さないほどの徹底ぶりだけど」
「……素顔を見たこと無いんですか?」
「それが無いの! 生徒会選挙もあれで出たからね」
「つうか、公約を単語で述べただけでよく当選しましたよね。十文字くらいしかしゃべってないっすよ?」
「公約の『無駄が無い生徒会』を体現してたもんね。ねぇ天照奈ちゃん、眼鏡とマスクを取らせる作戦なんて思い付かない?」
「えっと、『眼鏡とマスクを取って欲しいな』ってお願いすれば良いのでは?」
「その手があった!」
「その手を試してなかったんすか!?」
「……じゃあ、日曜日に碧ちゃんも呼ぼう! それが良い!」
「そっすね。来てくれるかは微妙っすけど。雛賀の部屋っていう学校じゃない密室空間なら外してくれるかもしれないっすね」
「やーん、葛のエッチ! 最悪、無理矢理脱がそうとしてるでしょ!」
「それ、エミリパイセンがやるやつでしょ!?」
天照奈は激しく動揺していた。「碧ちゃんがうちに来るかも……?」先日の対面ではまともに会話ができず、それ以降は百人一首のときにチラッと見ただけ。カワイちゃんに似ている彼女と仲良くなりたいのに、意識しすぎて見ることもためらってしまうのだ。
天照奈の中では、彼女と仲良くなれるかどうかは『ゼロか百』だと思っている。アニメに全く興味が無く、そんなアニメのキャラクターに似ていると思われたくないから顔を隠している。だから、仲良くなりたい主な理由がそれの天照奈は、気が合うどころか拒絶される可能性が高い。
でも、もしかすると自分でもカワイちゃんに似ていると思っていて、それを隠している可能性も考えられる。アニメが好きで、カワイちゃんが好きでたまらない。でも、それを表に出すのは恥ずかしい。天照奈だって、アニメ好きを隠しているのだ。アニメ好きなこと自体は別に良いのだが、どうやら自分は小学校低学年向けのアニメが好きなようなのだ。もしも彼女が好きを隠しているのなら……相性百パーセントで間違いないと言える。
だが『ゼロか百』でも、ゼロの可能性が高いと思われる中で、迂闊に近付くこともできなかったのだ。
そんな彼女が自分の部屋に……とりあえず、アニメのグッズは隠すべきだろう。でも……さりげなく食玩のフィギュアを一つくらい置いても良いのでは?
そうだ。もしもアニメ好きを否定されたら、前の高校の友達からもらった思い出の品だと嘘をつけばいいのだ。よし、そうしよう。この前買ったらたまたま当たって、飛び跳ねるほど嬉しかったカワイちゃんのフィギュアを机の上に置こう!
「雛賀、どうした? もしかして、柊は呼ばない方が良いか?」
「ううん。わたし、もっと碧ちゃんと話したいと思ってたから、良い機会だなって思っただけ。来てくれたら嬉しいな!」
「来ぬのなら、来させてみせようホントデス!」
「エミリパイセンって、ほんと面白いっすよね」
「でしょ。こんな感じで、美少女の見た目をした男の子なんていない?」
「いるわけないっすよ」
「せめて、面白さと美少女要素は捨てるから、可愛い男の子は?」
「少なくともこの学校にはいないっすね。てか、いたらほっとかないっしょ」
「そうなの。はぁ、入る高校間違えた! あ、でも天照奈ちゃんと出会えたから……ここに入って良かった!」
結局、生徒会室でずっとおしゃべりをして過ごした天照奈。昼食を取ると衣装に着替え、教室に向かった。
「あ、雛賀さんが来たよ。これで午後の担当者全員揃ったね……って、何その衣装!?」
「すっげぇ! クオリティ高すぎじゃね!?」
「俺らの二千円衣装とは全然違うな……」
教室に来るまでも、すれ違った誰もが振り返るほど注目を浴びていた。
鉄仮面で目と鼻を隠せる代わりに、今は口元が露わになっている。
「雛賀さん、口元も可愛いね!」
「今日の下半分を記憶して、いつもの上半分にくっつけよう」
「それ! 眼鏡だけの顔が完成するね!」
何やら衣装じゃないところで騒がれている気がするが、そんな中、天照奈はとある衣装から目を離せないでいた。「何あの、緑色の敵キャラ? 全身タイツに皮の腰巻き? 手には大きな棍棒? そして一つ目……そうか、あれはサイクロプスに違いない……痛っ……」天照奈の胸が激しく痛んだ。「なに、サイクロプスにでも反応したわけ? もしかして、一緒に住んでたかもしれない大食らいってサイクロプス系ってこと?」胸痛システムにより判明した重要なキーワードの推測をする天照奈。そんな天照奈の様子には気付くも、人前では気を使って近付かない葛だった。
十三時。異世界喫茶、午後の部が開始となった。
好天に恵まれたこともあって、文化祭には予想よりも多くの人が訪れていた。異世界喫茶も足を休めるのにちょうど良いと、午前から多くの人が訪れていた。
だが、午後の部が始まるやいなや、その雰囲気は一変した。
十四時には、大量に残っていた飲み物が底を尽きた。それでも、すでに来客のお目当ては写真撮影に変わっていたため、百円を支払い写真撮影するだけの行列ができていた。
教室の中には、写真撮影担当の魔法使いが一人と、床にうつ伏せに倒れるサイクロプスが一人。そしてそれを足蹴にして剣を突き刺す女剣士だけが残っていた。残りの七人は廊下で百人規模の行列の誘導、百円の徴収に徹していた。
だがそんな行列も、十五時半にはちらほらと撮影客が訪れる程度に落ち着いていた。
「雛賀さん、三百人くらい集めてたね……」
「後半は写真撮影だけだったもんね」
「サイクロプスの遺体をうまく使ってたよね」
超絶忙しい時間を共に過ごした異世界人たちが教室の隅で一息入れる中、写真撮影のために未だ小道具扱いの葛が根を上げ始めた。
「雛賀、そろそろ起き上がっても良いか?」
「良いんじゃない? お客さんに頼まれたらまた絶滅してくれれば」
「お、おぉ。しかし、まさかの事態だったな。全部、柊のおかげ……いや、柊のせい、か?」
「うん。碧ちゃんがあのシチュエーションを希望してから、三百人くらい立て続けだったよね」
「雛賀が八で、俺を含めたシチュエーションが二って感じか……はぁ、疲れた」
「寝てただけでしょ?」
「硬い床に二時間半も寝転がってみろ!」
「ふふっ。ごめん、そうだよね。わたしなんて立ってただけだし」
周囲の目を気にしながら小さい声で会話をしていると、時刻はいつの間にか十五時五十五分になっていた。校内放送では、文化祭も残り五分というアナウンスが流れていた。そんな中、
「あの、異世界喫茶ってまだやってますか?」
駆け込むように教室に入って来た女子が二人、天照奈に話しかけた。
「はい。あ、でも、飲み物は無くなっちゃって……写真撮影だけなんですけど」
「良かった、間に合った!」
「うん。すっごい行列だったから様子見ちゃったけど……冬華ちゃんの言うとおり、この時間なら空いてたね。ギリギリだったけど」
どうやら、二人の目的は写真撮影だったらしく、二人とも手に持った百円を天照奈に手渡そうとした。
「わたしで良いんですか?」
「サイクロプスにも惹かれるけど……女剣士だけでお願いします!」
「えっと、三人で撮ります? それなら百円だけで良いですよ」
「じゃあ、彩ちゃんの百円はガチャガチャの足しにして!」
「やった!」
先ほど冬華ちゃんと呼ばれた女の子は、おそらく自分と同い年だろう。制服を着ていないということは、他校の生徒だろうか。無地の白いTシャツの上に薄手の赤いカーディガンを羽織っている。薄緑色のロングスカートを履き、そして赤いニット帽を被っていた。たまに見せる笑顔からは、包み込むような優しさを感じた。
そして、彩ちゃんと呼ばれた女の子。敬語を使っているから、年下なのだろう。教室で休んでいた男女ともにザワザワしているから、一般的に美少女と呼ばれる見た目なのだろう。
だが、天照奈にとってはそんなことはどうでも良かった。その女の子が教室に入ってからずっと、天照奈はその子が着ているTシャツを見ていた。
「そ、そのTシャツって……」
天照奈は思わず口にしてしまった。
「あ、知ってますか? わたし、カワイちゃんが大好きなんです!」
そう、カワイちゃんが大きくプリントされたTシャツを着ていたのだ。先週、アニメショップ限定で発売されたキャラTで、天照奈も漏れずに購入していた。
女の子は、白のキャラTの上にカーキ色のパーカー、そしてベージュのミニスカートを履いていた。濃紺のニーハイソックスが、白く輝く絶対領域をつくっており、男子の一部が眩しいモノを見るかのよう目を細めていた。
「わたしも、そのTシャツ買ったよ!」
「きゃっ。カワイちゃん好き二人目を発見! さっきの人もすごい食いつきようでした。同士を見つけると嬉しいですよね!」
「うんうん。……って、ずっと話してたいところだけど、写真撮らないとね。希望のポーズとかあれば教えてね」
「えっと、わたしたちで女剣士さんを挟んで……それだけで良いです!」
「うん。笑顔だけ下さい!」
赤いニット帽の女の子が、携帯電話をカメラモードにして魔法使いに渡すと、二人で天照奈を挟むように立った。
くっつくくらいに近付く二人から、温もりが伝わってくる。
魔法使いが構える携帯電話を見つめながら、でも、天照奈は両脇の二人の顔を見たいと思った。二人がどんな顔をしているのか、見たかった。ニット帽の女の子の優しい笑顔が見たかった。キャラTの女の子は、一度も笑顔を見せなかったが、今は笑っているのだろうか。
でも、わたしは携帯電話だけを見た。自然と、自分の顔が満面の笑みに変わっているのに気が付いた。
懐かしいような、とても居心地の良い場所にいるような、そんな感覚を覚えた。いつまでもこの場所にいたい。なぜかそんなことを思ったが、シャッター音とともにその時間は終わりを迎えた。
お礼を言いながら教室を去る二人の背中。見送ると、文化祭の終わりを告げるアナウンスが流れた。
――「しっかし、ギリギリだったね」
「ですね! 謎のタイムセール肩殴りってやつ? あれのおかげで二人とも大きいお花摘みで忙しかったですからね」
「でも、会えて良かったよ。写真も撮れたしね!」
「まさか写真撮影会をやってるとは。みんな喜びますね! しっかし、あて姉、口元しか出してないのに三百人も集めるって……相変わらず恐ろしいですね」
「うんうん。でも、元気そうで良かったよね」
「ですね。わたしたち、みんなと比べて面識少なくてラッキーでした」
「でも、全く覚えてないってことはそれでも封じ込められたってことだもんね。強い思い出認定されたってことだよ!」
「ですね。悲しいけど嬉しいですね」
「瞬矢くんなら絶対忘れられてるはずなのに、なんで来なかったんだろうね」
「万が一って言ってましたけど、兆が一も無いですよね。ところで冬華ちゃん、サイクロプス見ました?」
「見たよ! なんか、天照奈ちゃんと仲良さそうだったね。あの一つ目の奥の面は見た?」
「見ました。彼には申し訳ないですけど……すっごいおバカ面でした!」
「でも、すごく良い人そうだったよね。ていうか、見えたんだね?」
「見えましたね」
「体質、戻したんだよね?」
「はい。わたしにとっての普通に戻しちゃいましたね」
「それで、見えたんだよね?」
「はい。とても気持ちの良いおバカ面でした。そういえば、肩殴りの人も見えましたよ?」
「あの子も可愛いかったよね! 健康そうで、わたしたちの周りにはいないタイプの女の子」
「ねぇ、冬華ちゃん。サイクロプスにも触ってましたよね?」
「うん。棍棒の素材を確認する振りして、触ったよ?」
「どっちの棍棒ですか?」
「下ネタ!? これも紫乃ちゃんの影響なの? 違うよ、手にちょっと触れただけ」
「二人の体質、わかりました?」
「うん。何となくだけど」
「しっかし、出会っちゃうものですね」
「だね。でも今は、天照奈ちゃんにとっては守られるだけの立場じゃ無いからね。でも……二人は天照奈ちゃんを守りたいって思ってるみたいだけど」
「何が見えたんです?」
「女の子は、嘘が聞こえない。男の子は……本当が聞こえる、かな」――