227話 カワイちゃん
十月二十日、水曜日のお昼休み。生徒会室には異様な緊張感が漂っていた。
戸田エミリの提案により、この時間、天照奈と他の生徒会メンバーの対面会が開かれることになった。
ただ、緊張感と言っても漂わせているのはエミリだけだった。稲葉葛は、その瞬間を撮影しようと携帯電話をカメラ機能にしてアングルをずっと気にしている。天照奈は、部屋に入ってからずっと、ただただ違和感を抱いていた。
まず、昨日は無かったはずの大きな段ボール箱が部屋の隅に無造作に置かれていた。体育座りをすれば人一人が入れる大きさだ。
そしてもう一箇所、掃除用具を入れるロッカー。その横の壁に、中身のホウキ全てが出されて立てかけられていた。
対面する相手は、会長と庶務の二人。違和感を持ったのは二箇所。つまり、そういうことなのだろう。「エミリ先輩……黒。葛くん……黒。でも……なるほど」エミリの緊張感は、時間の経過とともに増していた。葛は緊張していないものの、余計なモノを見ないためか、ずっとカメラのアングルを気にする振りを続けていた。
十二時五分。
「……あっれぇ? 二人とも来ないなぁ」
台本どおりと思われるセリフとともに、エミリは席を立ち、出入り口のドアに向かって歩いた。ドアの磨りガラスに、人の姿は確認されない。エミリがそのドアに手をかけたその時だった。
「ごめん遅くなった!」
外側からそのスライドドアが勢いよく開かれた。
「ぎゃーっ!」
「うわっ!」
エミリと葛の奇声が生徒会室に響いた。そう、仕掛け人をだますというサプライズだろう。なんだか、つい最近経験した気がする。……もしかすると前の友達の中に、サプライズ上級者でもいたのかもしれない。
「あははっ! あわよくば転校生にも驚いてもらいたかったけど……やっぱり、上級者だったみたいだね」
会長と思われる男子生徒が、白い歯を見せて笑いながら部屋の中へと入ってきた。そのすぐ後ろでは、庶務と思われる女子生徒が黙って中の様子を見つめていた。
「ちょっと、箱とロッカーから飛び出す予定だったでしょ!?」
「そっすよ! 俺、驚く雛賀の姿を写真におさめようとしてたんすよ?」
「でも結局、そっちでも驚かなかったと思うよ? だから、せめて二人に驚いてもらおうと思って」
「。」
改めて五人で、長机でつくられたテーブルを囲むと、
「じゃあ、副会長のわたしが紹介してあげまーす!」
今回の発起人であるエミリが、その豊満な胸を張って仕切りを始めた。
「まずこちらの一見普通の男子。驚くなかれ、二見しても三見しても普通。噛んでも噛んでも薄味以外出ないけど、それ以上味が薄くなることは無い。前回の全国模試は九七〇位。校内のテスト、自己最高は十九位。あらゆる分野で普通の成績を収めることができる、人呼んでオールフツウダー。そう、わが高校の生徒会長、鈴木武士! やーん、名前も親しみやすいよね!」
「どうも。超普通の人です! ……でも、実は、IQだけはまわりの誰よりも高い自信があるんだ。あと、特殊能力を持っててね。普段はそれを隠すために普通の人間を演じている。……っていう紹介ができたら良いなって、常々妄想だけを繰り広げる本当に普通の男です。よろしく!」
オールフツウダーって何? そんな疑問をも吹き飛ばすくらい、会長は本当に普通の人らしい。だが、そんな本当の普通が、天照奈にとっては心地良かった。雰囲気も普通に好きな方だし、その普通の顔もどこか安心できるものだった。
その普通を見て、天照奈は幼なじみのクロキサイを思い出した。
彼の雰囲気は、天照奈の好みど真ん中と言えるものだった。優しくて温かくて包容力のある雰囲気。でも、彼を見たのはつい四日前のことなのに、無特徴のその顔を思い出すことはできなかった。
見た瞬間、『その顔、好き』と思った気もするが、そんな思いも一緒に、瞬きと一緒に忘れてしまったようだ。
彼は、わたしにとってただの幼なじみなのだろうか。彼の思いに、わたしは何と答えるべきだったのか。だけど、あのときは目の前の彼に、物理的にも感情的にも近付きたいとは思わなかった。
喧嘩でもしたのだろうか。それとも、彼は何らかの理由で、わたしから離れてくれたのだろうか。わからない。それに、これ以上思い出したくなかった。胸がズキズキと痛むから。
次に、エミリは庶務の紹介を始めた。
「さてさて、次はこちらのお嬢さん。余計なことは一切しゃべらない。余計な感情は一切出さない。余計なお肉は一切付いていない。でもでも、あれあれ? 何その余計な、ばば臭い眼鏡とマスクは? だ・け・ど。やーん、可愛いさは隠せてまっせーん! 庶務の柊碧ちゃんです!」
「です」
本人からの一言を余計なことと判断したのか。柊碧の挨拶は、たったの二文字と無表情で終了した。だが、その二文字にはかなりの意味が込められていたのだった。
『趣味はアニメ鑑賞。頭の中に自分だけの異世界をつくるのが好き。誰にもその邪魔をされたくないし、させない。ちなみに、目の前の転校生とやらが気になって仕方が無い。じじ臭い眼鏡とマスクでその顔を隠しているけど、わたしにはわかる。彼女はその可愛い顔を隠しているのだ。国宝級の美少女に違いない。
でも、この美少女はきっと、アニメには微塵も興味を持たないだろう。彼女は見る側じゃなくて見られる側だから。そう、わたしの異世界のメインヒロインはたった今、あなたに決定した。わたしのヒーローくんと一緒に魔王を倒してください。
って……あーあ、一緒にアニメの話なんかできたら最高なのにな。せめて、わたしの大好きなカワイちゃんのあの台詞――だって、わたくしの可愛さ、国宝級ですもの!――って言ってもらえないかな。
でも、無理なのはわかってる。わたし、余計なことで変に思われたくないだけの陰キャだから。しかもわたし、自分がカワイちゃんに似てるなんて思ってるイタいヤツなんだよねぇ。髪型なんてまんまカワイちゃんに寄せてるし。気付いた人が話しかけてくれないかな、なんて甘いこと考えてるし。だからと言ってやっぱり恥ずかしいから、眼鏡とマスクでカワイちゃんらしさを隠しちゃってるし。
でもまぁ、そんなことよりも。一刻も早く、その可愛らしさを隠してるじじ臭い眼鏡とマスクを外して欲しいです』
柊碧のそんな激しい脳内妄想挨拶など知る由も無い天照奈。だが、天照奈は何かを強く感じ取っていた。というよりも、見たその瞬間から、柊碧のことが気になって仕方が無かった。
『なんかこの子、カワイちゃんに似てない? 髪型なんて、まんまカワイちゃんでしょ。美容室でカワイちゃんカットって言うとしてもらえるの? どこの美容室?
しかもあのばば臭い眼鏡とマスク。きっと、あれでカワイちゃんらしさを隠してるんだ。そうだよね、似てるってバレたら大騒ぎだもんね。わたし、つきまとっちゃうもん。
でも……いやいや、そんなわけないでしょ。わたしがカワイちゃんのことを好きすぎるのと、髪型がそっくりだからそう感じるだけ。余計なことを嫌うのなら、アニメなんかに興味持たないだろうし。そうだ、アニメのキャラクターに似ているなんて思われても迷惑だから、顔を隠しているのかもしれない。
でも、何だろう、彼女から感じるこの何か。もしもカワイちゃんのことが大好きだったらどうする? 確かめたいけど、でも、迂闊には話しかけられない。あぁ、せめてカワイちゃんのあの台詞だけでも言ってもらえないかな。
……そうか、冗談を言って確かめるという手があるな。たぶん、エミリ先輩はわたしのこのじじ臭い眼鏡とマスクにも触れるから……よし。
でもまぁ、そんなことよりも。一刻も早く、そのカワイらしさを隠してるばば臭い眼鏡とマスクを外して欲しいです』
たったの数秒で激しい妄想と一言挨拶を考え終えた天照奈。エミリからの紹介を受けながら、心の準備を整えていた。
「そしてそして……突如地球に現れた、未確認可愛い物体。何でじじ臭い眼鏡とマスクをしているかって? 外すと眩しすぎて直視できないからだよ! 写真撮影にフラッシュなど不要。ねぇねぇ、部屋に太陽光発電のパネルを設置しても良い? 余計なことは言わせない。ただの国宝級美少女、雛賀天照奈ちゃんです!」
概ね予想どおりの紹介。でも、太陽光パネル?……またしても天照奈の胸痛システムが発動した。なんだろう、前の友達の誰かが同じようなことを言っていたのだろうか。いや、何となく、友達では無かった気がする。とすると、友達じゃない誰かがただ話しているのを聞いただけか。
いや、そんなことよりも。今は柊碧のことに集中しなければ。
天照奈は小さく息を吸うと、挨拶を始めた。
「一昨日から生徒会室にお邪魔しています。わたし、諸事情あって眼鏡とマスクをしているんです。……だって、わたくしの可愛さ、国宝級ですもの!……なんちゃって、あはは!」
天照奈は、はっきりと見た。
ばば臭い眼鏡の奥、その目をかっ開く柊碧を。そしてその口も最大限に開かれていることは、不織布の白いマスクをしていてもよくわかった。「で、でも……どっちなの!? 『こいつ何言ってんの? なんて可哀想なアニメ脳なんだろう』っていう最上級の哀れみを含んだ驚愕の表情?」台詞の選択を間違えたのか。もっとマニアックなものにして、少しでも反応するかを確かめれば良かったのか。天照奈は激しく後悔した。
柊碧は、はっきりと聞いた。「嘘でしょ!? もしかして今日、わたしの誕生日だってこと知ってるの? これ、もしかしてサプライズプレゼント? こんなの、わたし史上最高のプレゼントに決まって……いや、ちょっと待った。『なんちゃって、あはは!』には……『可哀想なアニメ脳なら、こんな台詞でも言っておけば勝手に喜ぶでしょ。あはは!』っていう意味が込められているのでは?」それはそうか。なぜわたしはプレゼントなどと考えてぬか喜びしてしまったのだ。柊碧は激しく後悔した。
エミリ、会長、葛の三人は思った。
『なにこの二人!? なんか、頭を抱えて泣いてるんだけど!?』