226話 見る目
稲葉葛は、授業が終わるとすぐに学校を出て、佐倉弓月の家へと走った。葛自身は弓月と一度も会話したことが無かったが、どうやら彩夏は腐れ縁である葛の話をよくしていたらしい。
「弓月と彩夏のための計画なんだ。協力して欲しい」
そうお願いすると、弓月は自分の部屋に案内してくれた。「あのゴリラ女、俺のこと何て言ってやがったんだ?」そんな疑問は一旦置いておき、計画を話しつつ、弓月の携帯電話がターゲット三人からのメッセージを受信するのを待った。
「……来たよ?『ブレスレットだけど、返してもらっても良い?』だって」
「よし、計画通り。てかさ、学校休んでる友達に送るメッセージかこれ? ……弓月、悪いけど『お金は返してくれるの?』って返信してくれ」
「……うん」
弓月が、葛の言うとおりに返信すると、すぐに『これから向かうね!』というメッセージが返ってきた。
「……わたし正直、お金なんてどうでも良いんだけど……こんなことして、また悪いことにならないかな? 彩夏ちゃん、大丈夫?」
「平気平気! あのゴリラ、殴打療法のカリスマになったからな。あとは明日、弓月が学校に来てくれればミッションコンプリートだ!」
「……ブレスレットの価値を高騰させるって言ってたけど……なんとなく、お金で解決したら良くないんじゃないかな……」
「いやいや、あいつらにやる金なんて一円も無いぜ? うっしゃっしゃ!」
「何その笑い方……キモいね」
「俺、やっぱりキモいんだ!? ……実はさ、あの国民的アイドルの紫音も協力してくれてるんだ!」
「……え!?」
「そりゃ、信じられないよな……現時点で、あのブレスレットはあいつら三人と弓月、紫音、エミリ先輩しか持ってないんだわ。既にかなりの希少価値になってるんだぜ?」
「それを、ファンの人に買い取ってもらうんでしょ?」
「あぁ。でもな、それはこれまでの価値だ。三人が弓月にお金を返したすぐ後に、その価値は大暴落する」
「……どういうこと?」
「うん。紫音は熱烈なファンの一人に、無償でブレスレットをあげることになる。理由は、いつも衣装をつくってもらってるお礼ってことにするらしい」
「……つまり?」
「紫音がブレスレットを授与する。その熱烈ファンは、『これ、自分のお墓に入れて!』と、そのままお墓に直行しそうなくらい歓喜する。それまでは、紫音がつけていたブレスレットを、喉から手が出るほど欲しがっていた。それこそ、百万円でも買うと豪語するくらいに。でも、紫音が手首から外したホヤホヤのそれをもらうんだ。もう、他のなんていらないだろ?」
「で、でも……紫音のファンなら他にも数億人いるんじゃ……」
「それが、雛賀の計画のすごいところなんだ。そもそも、ブレスレットの価値が高まったのは、紫音が自分の手首に巻いている画像を投稿したのが発端だ。でもな、その投稿、世の中には出回っていない」
「え? どういうこと?」
「投稿する直前の画面をスクショしてもらって、エミリ先輩があの三人に見せただけ」
「そんな……なんで紫音がそんなことまでしてくれるの?」
「わからないけど……雛賀の周りでは、あり得ないこともあり得ちまうのかもな……」
――十月十九日、火曜日。
「いやいや、はやはや! あの後、まさかまさか、予想外の展開。紫音たんの投稿見た?」
朝一で一年二組にやって来たエミリは、爆裂なテンションで三人に報告を始めた。
「見ました……あの男おばさんに買ってもらう予定だったんですか?」
「でも、あの男おばさん以外にもファンはいますよね?」
「うんうん。数億人いるよね。わたしも他のファンを当たってみたんだ! その数ざっと一千万人!」
「い、一千万人!?」
「でもね……ブレスレット授与の……あの男おばさんの画像見たでしょ? あのゴツい手首にブレスレットが巻き付けられた瞬間、その価値が暴落しちゃったみたいなの。なななんと、その価値百円なり!」
「……え?」
「で、でも……紫音たんが可愛いって言ってたのは事実ですよね? 同じのを身に付けたいって人もいっぱいいるんじゃ……」
「と、思うよね? でも、そもそもさ、ブレスレットを買ったっていうあの投稿、あの後見つからないでしょ?」
「……そうなんです。授与式の投稿しか無くなってて」
「例え本人が消したとしても、数億人に拡散されてるはずなのにね。不思議だよねぇ?」
「……つまり、百円の価値しか無くなったから、消されたってことですか?」
「うんうん。たぶんそう。つくった人に申し訳無いって思ったのか、まずは紫音たんが削除した。とてもマナーのよろしいファン達は、その紫音に続いて拡散したものを全て引っ込めた。ってところかな」
「ということは……?」
「高値で買い取る話、無くなっちゃいました! いやぁ、まさかまさかの展開でしたなぁ。がっかりするのなら、わたしのこの胸を貸すぞ?」
肩を落とし、ひどくがっかりする様子の三人。その落ちた肩を拾い上げる謎の素振りを見せながら、エミリはケタケタと笑っていた。二組の生徒達は、そんなエミリを『その胸、わたしに貸して下さい!』と懇願するような目で見ていた。
そんな雰囲気の教室に、一人の女子生徒が入って来た。それは、弓月だった。教室の雰囲気から察したのか、少し気まずそう三人の元に近付く弓月に、エミリは笑顔のまま話しかけた。
「……あれ、もしかしてあなた、友達の一人じゃない?」
エミリがわざとらしいくらい大げさに聞くと、弓月は、「はい……」少し遠慮がちな表情のまま答えた。
「このたびは非常に残念だったねぇ。あぁ、でも、逆に良かったんじゃない? そのブレスレット、友達の証だったんでしょ?」
エミリは、三人のうちの一人が大事そうに抱えた、上質の紙袋を見てそう言った。その女子生徒は、薄ら笑いを浮かべると、エミリに答えた。
「……そう、ですね。でも、もういらないかな……」
紙袋を両手で持つと、力を込めてくしゃくしゃに潰し始めた。
「……ねぇ、そのブレスレット。わたし、やっぱり欲しいな」
弓月のその言葉に、女子生徒の手が止まった。
「は?……百円の価値しか無いし、欲しいなら全部あげるけど……」
「でも、これ、友達の証なんだよね……?」
「んなわけ無いでしょ!? こんな安物身に付けたら友達? 何言ってるわけ?」
「そうだよ。そもそも、あんたは友達じゃないし」
「うんうん。これで友達なら、あんた、百円の価値しか無い友達ってこと?」
開き直ったのか、クラスメイトに注目されていることも、エミリがいることも気にせずに弓月に食ってかかる三人。だが、
「わたしは、すごく嬉しかったよ? たとえ百円でも……一万円でも……それはただの証だから。ただのきっかけだから。友達に、価値はつけられないから……同じものを身に付けてるだけで、嬉しかったの。だから、やっぱりわたし、それを付けたい!」
そんな三人に負けず、弓月は大きな声で自分の気持ちを伝えた。
「あぁ、面倒くさい。ウザいんだよ! もう関わんないでやるからさ、話しかけないでもらえる?」
「……友達じゃなくて良いよ。でも、話しかけるくらい良いよね? だって……みんな、見る目、すごいよ! あの紫音より先にあれを選んだんだから。だから……今度、お買い物するときは相談させてもらえると嬉しいな!」
そんな弓月の言葉で、険悪だった教室の雰囲気が一変した。
『そうだよ、あの三人の見る目って神じゃね?』『百円でも、わたしもあのブレスレット欲しい!』『俺はあいつらの見る目を見抜いてたぜ?』『お前誰だよ!』
クラスメイトがその見る目を称え、少し頬を赤くする三人を囲み始めていた。
「……べ、別に、そのくらいは良いけど……」
紙袋の皺を直しながら、女子生徒は小さい声で、弓月にそう言葉をかけていた。
喉を通り口から出かかった『ツンデレかーい!』というつっこみを飲み込むと、エミリは教室を後にした。
「いやぁ、お疲れ様……ていうか、一番働いたのわたしじゃない!? いや……サイちゃんか。今日も行列できてるもんね」
一年一組の教室の前を通ると、困惑する彩夏の机の前には、便秘に悩む女子生徒が二十人も列をつくっていた。
「まさか、天照奈ちゃんのパパさんが言ってた有名人が、本当に紫音たんだったとは……もしかして、天照奈ちゃんに近付くと紫音たんに会えたりするの? ただでさえ可愛いのに、オプションもすごすぎじゃない? まぁ、そんなことより……成功報酬は天照奈ちゃんの笑顔かな!? あ、同性だし、もしかしたら一緒にお風呂に入れたりする? ……やーん、楽しみ! いっひっひ!」
お昼休みの報告会を待ちきれず、スキップしながら自分の教室に戻るエミリ。
階段の途中で躓き、右肩を強く打ち付けて悶絶したのだった。
――「天照奈ちゃんのお父さま。うまくいきましたか?」
「ふぉっふぉ! 天照奈から連絡が来たよ。『うまくいきすぎて恐いくらい! 紫音さんにありがとうって伝えておいて!』だそうだ」
「紫音さん、か……ふふっ。あーあ、わたし、アイドルやってて良かったぁ! 地球外男おばさんも大喜びだったし!」
「しかし、急で悪かったね。勉強する時間を割いてしまったかな?」
「友達に使う時間が最優先ですから。でもこれ、みんなに話しちゃダメなんですか? 天照奈ちゃんが元気でやってるって知れば、みんな喜びますよ?」
「うむ。天照奈が思い出せない以上、わたしたちは何も言わずに見守ることに決めた。そうだろう?」
「サイサイがそう決めたから、わたしは何も言えませんけど……」
「それに、天照奈が前の友達を頼ることが知れたら……君たち、黙っていられないだろう?」
「……『次は自分だ!』って、日替わりで何かをしたがるでしょうね。天照台高校に……八人。あと、サイちゃんと冬華ちゃんもいるし。順番決めるだけで揉めちゃいますね!」
「……高校に、一人足りなくないかね?」
「へ? サイサイ、紫乃、ラブくん、太一くん、ツナロウくん、皇輝くん、朱音ちゃん、わたし。……ほら、八人で合ってますよ?」
「……やっぱり、不動堂くんか……」