222話 カワイらしさ
まず一つ目『マスクと眼鏡』。これは、自身の呪われた顔面を隠すためのものだった。
眼鏡がじじ臭いと言われるのは予想どおり。なぜなら、オシャレセンスが欠落している父が選んだものだからだ。
しかし、予想に反して、この顔を隠し切れていないことがわかった。
その根拠となるのが二つ目のキーワード『カワイ』である。
わたしのこの顔は、昭和時代に大活躍した演技派の大女優にそっくりらしい。父が言うには、わたしのこの顔が知られると、学校だけでなく日本中が大騒ぎになると言うのだ。
――「例えるなら、興行収入数百億円の超人気アニメの人気キャラクター。その声優が同じ学校にいると知れたら、どうなると思う?」
「スーパーウルトラファイティングなお祭り騒ぎになるね。わたし、ストーキング行為を働くと思うよ?」
「ストーキングはやめようね?」――
既に亡くなったというその大女優のことは全く知らない。大女優とだけ聞かされて、その名前は教えてもらっていない。だけど、みんなの噂話で名前だけは推測できた。
そう、『カワイ』に違いない。
さきほどの二人は、わたしのことを『すっごくカワイ!』、『にじみ出るカワイさ』と言っていた。
つまり、カワイらしさを隠しきれていないのだ……これは今後の課題として、今日の夕食時の議題としよう。
そして三つ目のキーワードも、そのカワイに関連したもの。
『国宝級美少女』とは、例のアニメのヒロインで間違い無い。でもここでみんなが言っているのは、わたしがそのヒロインに似ているということではない。なぜなら、わたしの顔はごくごく普通で、その美少女キャラに似ているわけがないのだ。
そのヒロインの名前は、成川伊織。彼女自身のうぬぼれではなく、実際に超絶美少女だという設定だ。この子の名前をネットで検索すると『美少女』『可愛い』『カワイちゃん』というキーワードが上位に出てくる。
そう、名前の中に『かわい』が入っているため、その可愛い容姿と相まって『カワイちゃん』という愛称でも親しまれているのだ。……つまり、そういうことなのだ。
国宝級美少女と言うのは、暗にわたしを『カワイ』と言っているのだ。なぜこんな回りくどい表現をしているのかわからない。もしかすると、カワイ騒ぎを大きくしないように、という周囲の気遣いなのではないだろうか。
次に四つ目のキーワード『体質』。これは、父が教えてくれていた。
前のわたしは、認知の外からの接触には、ひどく脆い体質だったという。
女子生徒が言っていたように、認知外ではピンポン球が頭に当たるだけで、頭蓋骨が粉砕して死に至るらしいのだ。何という恐ろしい体質を抱えていたのだ、と思ったが、高校入学と同時にその体質は完治したというのだ。だが、その体質もあって、中学時代は誰もわたしに近付かず、三年間誰一人とも会話をせずに過ごしたらしい。よく我慢できたものだと思うが、仕方が無いと諦めていたのだろう。
わたしに近付く人は、そこに大きな責任が伴う。ひどく脆い人の命。例えるなら、時価数億円相当のものすごく脆いガラス細工のような、そんな取扱いだったのだろう。そしてわたしも、無責任に人には近づけない。きっと、いつも背中を壁に付けて移動していたに違いない。
この高校には、そんな中学時代を一緒に過ごした同級生も多い。だから、その体質が治ったことは、父が先生にお願いして、初日に一学年の生徒全員に伝えてもらっていた。
でも、それでもまだ、わたしが友達をつくるには障害があった。
最後、五つ目のキーワード『近付きがたい』である。これは、父が今朝言っていた潔癖症のことだろう。
あれほどの体質に加え、わたしは潔癖症だったらしい。それも、父親にすら触れさせないほどの重症。
体質が治ったことを知り、クラスメイトの中にはわたしに近付きたいと言ってくれる人もいた。でも、誰もが近付きがたいと言うのだ。
さらに、わたしに近付くために、みんなが『身を清めてくる』、『悪いものをはらってくる』、などと言う。身を清めるというのは、そのとおりからだを綺麗にすること、除菌することだろう。悪いものをはらうというのは、単に汚れや埃を払うことに違いない。でも、なぜ神社や教会に行く必要があるかは不明だが。
それに、まだ登校三回目とは言え、誰もわたしに近付いた人はいない。
……考察の結果。これからわたしは、カワイらしさを隠しつつも、その存在感とともに潔癖症でないことをアピールする必要がある。
とすると……カワイらしさは一旦このままにするとして、自分から近付いてみるのが一番だろう。
教室の前方を見ると、二人はまだ神社と教会へは向かっていないようだった。
まずはこの二人に近付いてみよう。そう思い、偉人に謝罪しながら落書きを消すと、教科書を閉じた。椅子を引いて立ち上がろうとした、そのときだった。
「おぉ、雛賀じゃん。今日、いたんだ」
いつの間にか、一人の男子生徒が机の前に立っていて、話しかけてきたのだ。
名字を呼び捨てて呼ぶということは、少なくとも面識があるのではないか。もしかしたら同じ中学校だったのかもしれない。それでも、その顔を見て全く思い出せないのは、覚える価値が無いただのモブか、何か大事な思いに付随するような重要人物だったのか。
でも、そんなことよりも、その顔を見て真っ先にある思いが込み上げてきた。
そして、その思いは喉を通り口から飛び出した。
「何、このバカ面?」
もしかすると、前の自分は口が悪かったのかもしれない。人の顔を見てバカ面などと思い、しかも口に出してしまうなんて。
「ば、バカ面だと!? 彩夏のヤツ、変なこと教えやがったな!」
少しでもお上品に、おバカ面と言うべきだったかもしれない。そんなことを思いつつ、でも、他にもこの男子生徒をバカ面呼ばわりしている人がいることを知り、少し安心した。
是非ともそのサイカという人物に会いたいと考え、何も言わずにいると、
「あのさ、あのときのこと、だけど……やっぱ、まだ根に持ってるよな?」
あのときのことはいつのときのことなのだろうか。根に持つと言うことは、このおバカ面によほどひどいことをされたに違いない。
「もっと、やりようがあった……いや、本当に反省してるんだよ。だから、あれから一度だって近付かなかっただろ?」
前のわたしがこのおバカ面にどんなことをされたのかは覚えていない。どんな思いを抱いていたかはわからない。でも、少なくとも今のわたしは、目の前のおバカ面に悪い印象を抱いていなかった。いや、おバカ面という印象は最悪だとは思うが、あくまでそれは面がそう見えるだけ。その雰囲気は、むしろ好きな部類に入るのだ。
何も言わないのは良くないだろうが、「覚えていない」とだけは言いたくなかった。右手の親指と人差し指であごを触り、少し考えていると、
「こら、バカ面!あんたは雛賀さんに近付くなって言っただろうが!」
教室の入り口から、今度は女子生徒の大きな声が聞こえてきた。バカ面呼ばわりと言うことは、この声の主がサイカなのだろう。
声がした方向を見ると、気持ちが良いくらいに日焼けしたショートカットの女子生徒が、すごい勢いでこちらに向かって歩いて来た。
教室にいた十数人が一斉にその女子生徒に視線を注ぐ。姿勢の良い大きなストライドで歩くその女子生徒は、高身長でスタイルも良く、まるでランウェイを歩くファッションモデルのように見えた。
おバカ面は「やべっ」と呟いて顔を伏せていた。
その女子生徒は、わたしのすぐ横に立つなり、
「雛賀さん、ごめんね? このバカ面、この前ついにデリカシーがゼロを下回ってさ。マイナスなの」
「おい、バカ面って呼ぶんじゃねぇって言ってんだろ!」
「うっさい、稲葉葛!」
なるほど、本名が『いなばかずら』だから、愛称が『バカ面』ということか。とても良い名前だと思うが、親はもう少し考えるべきだったかもしれない。どうせならもっと、例えば『相良武勇』とか『綱牙狼』とか、恥ずかしいけど慈愛心溢れる名前なら良かったのに。
そんなことを考えていると、二人の言い争いが勃発した。
「しかもお前、雛賀に余計なこと言っただろ?」
「は? 言うもなにも、初めて話したけど?」
「え、でも……じゃあ、なんで俺のことバカ面って呼ぶんだよ」
「そりゃ、確実にあんたが悪いだろうが! 後頭部にボールぶつけようとしやがって。殺人未遂だぞ?」
なるほど。この男に殺されかけたらしい。
「いや、あれはそういうわけじゃなくて……」
「しかも、あんたのせいで『雛賀さんの父親がチンピラ引き連れて家に怒鳴り込んできた』なんてでまかせも流れたんだろうが!」
「それは……俺は、父親から電話が来た、としか言ってないからな?」
「あんたがそんなありもしないことを言わないのはわかってる。でも、何でそれが嘘だって、みんなに言ってやらなかったんだよ!」
「……俺が関わると、話が悪い方にもっと大きくなると思ってよ。……てか、うっせんだよ! なら、お前が助けてやりゃ良かっただろうが!」
「あたしだって、雛賀さんと仲良くなりたかったんだよ! ……あんたが、何かを思って行動したのは知ってるんだ……だから……あんたが、何も教えないから悪いんだろうが!」
「俺のせいってのか?」
「あぁ、それ以外に何があるんだよ!」
わたしがその会話から推測したこと。
おバカ面は、何も考えずにボールを投げつけたわけではない。何を考えていたのかは、誰にも明かしていない。そしてサイカは、口の悪さとは裏腹、おバカ面のことを心から信用している。本当はわたしと仲良くしたかったけど、おバカ面が何かを考えてわたしに近付かなくなった以上、サイカもそれを見守ることにした。そして何も無いまま今に至る。
でも、そんな推測よりも、二人のそのやりとりが面白くて、ついつい笑ってしまった。
「な、何笑ってんだよ」
「だって……仲良いなって! あははっ!」
そう言えば、久しぶりに声を出して笑った気がする。でも、その行為には全く違和感が無かったから、前の自分もよく笑っていたのだろう。もしかすると、前の友達の中にいつも面白いことを言う人がいたのかもしれない。
「ねぇ、雛賀さん。もしかして、目が悪かったりする? なんでこんなバカ面と仲良く見えるの?」
「だよな。こんなゴリラ女、早く檻に入れないと危険だぞ? でもな、残念ながら雛賀の視力は二.〇だ」
「あ? 誰がゴリラ女だ! しかも、何で雛賀さんの視力知ってんだよ!」
父の口からたまに出る『イチャイチャ』とはこのことだろうか。しばらく眺めていると、
「はぁ、はぁ……あぁ、そういえば。体質、治って良かったね。わたし、篠田彩夏っていうの」
しのださいか……しの、さい……その名前を聞いて、ほんの一瞬だが胸が痛んだ。『さい』はわかるとして……もしかすると『しの』という友達もいたのだろうか。
「わたし、雛賀天照奈、です」
「知ってるって! 中学校でも有名人だったからね。体質と、このバカ面のせいで誰も近付かなかったけど、誰よりも可愛いじゃん? あたし、三年間違うクラスだったけど、ずっと話したいって思ってたんだ。でもこのバカ面のせいで結局……」
彩夏にも、『誰よりもカワイじゃん?』などと言われてしまった。
でも、そんなことよりも……彩夏はわたしと話したい、仲良くしたいと思ってくれていたのだ。それに、二人はわたしの潔癖症を気にしないのか、すぐ目の前に来て話してくれている。
それが何よりも嬉しくて、そして、この二人と友達になりたい。そう、思った。