表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジコセキニンヒーロー  作者: ケト
無ジカクヒロイン
221/242

221話 違和感

 目を開けると、見えたのはいつもの白い天井。そして、なぜか天井に向けて思い切り伸ばしている右手だった。

 手を降ろし上半身を起こすと、机の上に置かれたデジタル表示の時計を見た。


 十月十八日、月曜日。六時〇〇分、十二秒。

 いつからか、目覚まし機能に頼らなくても、六時ちょうどに目を覚ますようになっていた。いつも起きるとすぐに時計を見るが、誤差は前後十秒ほど。でも今日はいつもより二秒遅い目覚めだったようだ。

 その原因と思われる、だけど全く覚えていない夢の余韻を感じながらベッドから降りると、カーテンを開けた。いつの間にか秋の様相も深まり、差し込む日差しも穏やかな表情へと変わっていた。

 両手を上げて大きく背伸びをすると、部屋を出て一階の洗面所へと向かった。


 水で洗った顔をタオルで拭きながら、鏡の中の自分と向き合う。そこにいるのは普通の、高校一年生の女の子。目が大きいとか、鼻が高いとか、そんな特徴は一切見て取れない普通の顔だった。


「昭和の大女優、か……よっぽど演技派だったのね」


 ふと思ったことを呟くと、鏡の中の自分に別れを告げ、キッチンへと向かった。

 昨晩タイマーをセットしていた炊飯器からは、良い匂いがする蒸気が吹き出ていた。

 


 焼き鮭と味噌汁をテーブルに運んでいると、起床したばかりの父が「おはよう」と眠そうな声と一緒にやって来た。

 いつもと何ら変わりのない朝。それでも、この『いつも』には違和感が多すぎた。


 まず、なぜうちの炊飯器は十合炊きなのか。

 父と二人暮らし。二人がどんなに頑張っても、一食当たり二合食べるのが限界だろう。もしかすると、大食らいと一緒に住んでいたことがあるのかもしれない。そしておそらく、それが正解なのだろう。なぜならわたしも、十合目一杯を炊く習慣が根付いてしまっているのだ。昨晩も、計量カップを七回使ったところでようやく気が付いた。

 謎の大食らい……想像すると、なぜかいつも大きな棍棒を片手に持つ、一つ目の巨人が思い浮かんだ。


 そして、二つ目の違和感……というよりも、全ての違和感の原因である違和感。

 それは、何も思い出せないことだった。


 わたしは、雛賀ひなが天照奈あてな。十五歳、高校一年生。性別は女。やたら視力と聴力に優れているが、その他には顔と同様、身体的特徴は一切無い。アニメ、特にヒーローものを観るのが大好き。最近のお気に入りは、自分を『国宝級美少女』と謳うヒロインが出てくるヒーローもの。少し前に流行ったアニメで人気が出たサブキャラで、今回はスピンオフ作品でヒロインの座に……と、アニメの話になると変なスイッチが入ってしまうだけの、ごくごく普通の女子高生。

 こんな、薄っぺらい個人情報を思い出すことはできた。

 思い出せないのは、これまでに抱いてきた思い。そして、おそらくそれに付随する思い出。でも、これまでのことを全く思い出せないわけではない。


 小学校に入る少し前、お母さんを事故で亡くしたこと。生まれながら抱えていた体質の影響で、小学校は通信教育だったこと。中学校には自分の足で三年間通っていたこと。の高校は、自宅から離れたところにあるため、幼なじみの男の子と二人、同じアパートに下宿して通っていたこと。前の高校には、友達が八人いたこと。そして、思い出せなくなって、つい二週間前に自宅から近い高校に転校したこと。

 思い出せるのは、そんな情報だった。まるで履歴書に記載されるような、事実を伝えるだけの情報。そこからは、その時々に自分がどんな思いを抱いていたのかを読み取れない。思い出せないのだ。


 思い出そうとしても、頭と胸が痛くなるだけだった。無理に思い出す必要は無いと思いつつ、でも、無理をしてでも思い出そうとした。なぜなら、それは間違い無く自分にとってかけがえのないもの。

 だから、思い出したいのに……無理だった。

 痛くて、痛くて……転校して二週間も経ったというのに、転校初日とその後の一日しか学校に行くことができなかった。


 でも……そんなわたしに会いに来てくれた人がいた。前の高校の同級生で、同じアパートに住んでいた幼なじみの男の子。八人の友達のうちの一人。わたし以上に特徴の無い顔をしていて、逆に、特徴が皆無という特徴を持った男の子だった。


 この前の土曜日、彼に会って、わたしは変わった。何も思い出せないのは変わらない。変わったのは、意識だった。

 思い出せないのは痛いくらい辛いし悲しいけど、でも、すぐに思い出す必要なんて無かったのだ。だって、何も失ってはいないのだから。ただ、そう感じているだけだから。

 かけがえのないものは記憶のどこかにあるし、かけがえのない友達は前の高校にいる。

 それに、いつか思い出せたときに、それは自分にとって最高のプレゼントとなるだろう。そこには、辛かったこと、悲しかったこと、我慢したことが多く詰められているに違いない。でも、それをはるかに上回るような、楽しかった、嬉しかった思い出が詰まっているはずだから。


 ……だけど……そんな、かけがえのないものがあるのなら、なぜわたしは転校などしたのだろう。

 なぜ、友達から離れたのだろう……思い出せないし、なぜか、思い出したくなかった。




――違和感の振り返りを終えると、意識を朝食へと戻した。

 振り返りと言っても、ほんの数秒のことだったと思う。それでも、察しの良い父は、


「大丈夫だ。違和感というものは、そう長続きはしないだろう」


 そう言ってくれた。わたしも察しが良い方だと思うのだが、父も大概である。

 でも、父の言うとおりだ。今日から始まる新しい生活、それがわたしにとって普通の日常だと感じたときに、その違和感も消えることだろう。


「大丈夫だよ。心配かけたけど、今日からちゃんと学校にも通うから。……わたしはただの、転校先デビューに失敗した女の子。よし、友達九人つくるぞ!」

「うん。でも、なんで九人なんだ?」

「……前の高校には友達が八人いたっていうのは覚えてるの。ただの数字で、名前も顔も思い出せないけど。前のわたしにできて、今のわたしにできないことは無いはずでしょ? だから、目標は高く、プラス一人!」


 頷きながら、両手の指を使い何かを数え始めた父。九本目の指を折りたたんだところで「不動堂くんかな……」と小さい声で呟いていた。




 七時四十分。

 父と一緒に家を出ようとすると、


「天照奈、糸くずがついているぞ?」


 父は、肩についたそれを取ってくれた。


「ありがとう。……わたし、前もこんな感じだった? なんだか、だらしないよね」

「前は……肩にさわるなんてとてもできなかった。……あぁ、ひどい思春期だったんだよ」

「へぇ……避けていたのはお父さんだけ?」

「避けていたわけじゃない。むしろ、誰よりも優しくて、気遣いができる最高の娘だったよ。おっと、今も変わらないがね」

「でも、ひどい思春期だったんでしょ?」

「なんと言えば良いか……体質が人を避けていたというか……潔癖症の類いだと思ってくれ」

「ふーん……それなら忘れて良かったかもね。わたし、そんな体質いらないもん!」


 父はわたしに、これまでのわたしのことを話してくれない。きっと、話してもただの情報としか捉えられないと知っているのだろう。

 でも、体質の話をしてくれたとき、その表情に微細な変化があったことに気が付いた。そこには少しだけ、安堵のようなものが混じっていた気がした。きっと、度が過ぎた潔癖症だったに違いない。人との距離を置いて、よほど近寄りがたい雰囲気を放っていたのだろう。



 教室に到着すると、窓際の一番後ろに設けられた自席に着いた。もともとクラスの人数が奇数で、空いていたこの空間に転校生用の席が設けられたのだった。

 手提げカバンから教科書を取り出すと、机の中にしまった。

 ここでもまた、気になることが二つあった。


 転校が決まってから教科書一式を揃えたのは覚えているのだが……前の高校で使っていたはずの教科書や参考書の類いが、一切残っていないのだ。もしかすると、幼なじみの男の子が勉強マニアで、勉強用とは別に観賞用としてもう一冊ずつ手元に置きたかったのかもしれない。


 そしてもう一つ。教室を見回すと、普通の光景が広がっている。縦の列で男女分けられているのは普通だし、その机が前後左右で一メートル程度ずつ離れているのも普通。でも、なぜかわからないが『近い』と感じてしまうのだ。……前の自分が潔癖症だったからかもしれない。おそらく人に触れたくないため、最低二メートルくらいは距離を取っていたのだろう。



 時計を見ると、朝のホームルーム開始まではまだ三十分以上あった。

 ギリギリの時間に登校しようとも思った。クラスメイトだって気まずいに違いないのだから。でも、友達を九人つくるためには、少しでも自分の存在をアピールしなければと思ったのだ。


 アピールと言っても、しばらくはその存在感を示すだけ。着席していればいいだけ。

 特にすることも無いため、新品の教科書を一冊取り出すと、勉強する振りを始めた。

 前の高校がよほどの進学校だったのか、あるいは前の自分がよほどの勉強好きだったのか。確実に前者だろうが、わたしの脳みそには、通常の高校一年生が学ぶ範囲の知識が全て記憶されていた。

 教科書をパラパラと捲り、目に付いた歴史上の偉人に落書きをしようとした、そのときだった。


 教室の前方から、クラスメイトのヒソヒソ話が聞こえてきたのだ。

 気付かれないように一瞬だけ視線を向けると、黒板の前に立っている女子生徒二人が、こちらをチラチラと見ながら会話をしていた。落書きの最適解を考察しながら、その二人の会話に耳を傾けてみた。


「雛賀さん、久しぶりに見たね」

「ずっとマスクつけてるし、体調でも悪いのかな?」

「思うんだけど、あの眼鏡、なんかじじ臭いよね」

「わかる。わたしも思った。でもさ、雛賀さんって……すっごく可愛い!」

「うんうん! にじみ出る可愛さって言うのかな?」

「しかも、マスクを取ると国宝級の美少女らしいよ?」

「わたし、お近付きになりたいな!」

「クラスメイトなんだし、話しかければ良いだけじゃん」

「そうなんだけど、近付きがたいって言うか……」

「わかる。それにさ、中学時代のこと聞いた?」

「聞いた! 大変な体質を抱えていたって……」

「後頭部にピンポン球が当たるだけでも死んじゃうんでしょ? 恐いよね。本人もそうだけど、周りの人だって大変だっただろうね」

「だから、みんな近付かなかったし、ほとんどの人が一度も話したこと無いんだって」

「でも、もう完全に治ったって、先生が言ってたよね」

「うん。だから、何も気にせずお近づきになれるよね!」

「ならさ、先にお近づいてよ」

「わたし……神社で心を清めてくる!」

「あ、逃げるなんてずるい! じゃあわたしも、教会に行って悪いものを祓ってくる!」



 ……ヒソヒソ話の内容は、転校初日から全く変わらなかった。そして、誰もが先ほどの二人とほとんど同じ内容を話していた。

 そこで、これまでに聞いたヒソヒソ話から、重要と思えるキーワードを抽出して考察してみることにした。


 教科書の偉人、その右側にちょうど良いスペースを見つけたので、まずはその口元に吹き出しを描いた。

 そしてその中に、『マスクと眼鏡』『カワイ』『国宝級美少女』『体質』『近付きがたい』という五つのキーワードを書いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ