220話 プロローグ
『キィィィン』
『ドォォォン!』
耳を裂く高音と轟音。
目に映るのは、武装した兵士達。その足で槍を手に突進してくる兵士、馬に乗って突進してくる兵士。遠方には弓矢を放つ兵士。
さらにその奥には、漆黒のローブを纏った魔法騎士団。杖を天に掲げると、その先端からは赤、青、黄色と言った、色とりどりの攻撃魔法が放たれた。
全ての攻撃が、わたしに向けられていた。それを傍観しているはずの、わたしに。
『キィィィン』
だが、無数の攻撃たちは、わたしの元には届かなかった。
目の前の光り輝く壁。いや、光り輝いて見えるのはおそらく幻覚だろう。その先の光景を一切遮ることのないその透明な壁は、全ての攻撃を跳ね返していた。
後ろを振り返っても、右を見ても、左を見ても、同じ光景が広がっていた。
なぜ攻撃を受けているのか、なぜ敵対されているのか、全くわからなかった。
しばらく傍観していると、全ての攻撃が止んだ。力が尽き、武器が尽き、魔力が尽きたのだ。
全ての人間が膝を付き、天を仰いだ。すると、空一面を覆っていた重い雲に切れ間が現れ、そこから一筋の光が差した。その光は、わたしを照らした。
全ての人間が、天に照らされたわたしの前にひれ伏した。
何を見せられているのだろう。わかるのは、わたし自身は何もしていないこと。そして、何一つ望んでいないこと。
ひれ伏す人間たち。その中から一人の幼子が現れ、わたしに向かって歩いて来た。その手には一輪の赤い花を持っていた。目の前まで来たその幼子は、わたしにその花を差し出した。
「わたしに、くれるの?」
表情が全く無いその幼子は、頷くことも無かった。わたしは、笑顔でそれを受け取った。その瞬間、指先に鋭い痛みを感じた。その花には棘が付いていたようだ。
それでも、
「ありがとう」
お礼を言うと、幼子の無表情がほころび、笑顔へと変わった。
棘が刺さった指先を見ると、青黒く変色していた。その棘には毒があったのだ。その変色はすぐに指の根本まで到達し、手首、そして肘まで及んだ。
目の前で笑顔を浮かべたままの幼子に、
「解毒剤を持っていない?」
と聞いた。すると、身に付けていたボロボロな服のポケットから、緑色の草を取りだした。おそらく、毒を消す効果がある薬草なのだろう。
受け取ろうと手に力を入れるが、すでに両腕全体に毒が巡っているためか、動かすことができなかった。足にも力が入らなくなり、その場で仰向けに寝転んだ。
横目で見ると、幼子はその薬草を細かくちぎっていた。そしてそれを持った右手を、わたしの口の真上に差し出した。
まだかろうじて動く口を開けると、幼子はちぎった薬草を口に向けて落とした。
薬草は、わたしの口の中には入らなかった。口内に届く直前、見えない壁によって跳ね返されたのだ。
その壁は、あらゆる攻撃からわたしを守ってくれた。でもそれは、守っていたわけではなかったのだ。
ただ、跳ね返していただけ。それが、壁の役割なのだろう。
口を閉じることもできず、ただ、雲間から差し込む光を眺めていた。
突然、目の前に大きな顔が現れた。真っ青な皮膚に、大きな目が一つ。普通の鼻と口が一つずつ付いていた。その異形に、だが、不思議と懐かしさを覚えた。
それに、その一つ目と目が合うだけで、毒が少しだけ和らいだ気もした。
瞬きをすると、目の前の光景が一変した。
そこは、真っ暗な闇の中だった。仰向けのままなのか、あるいは立っているのかすらわからない深い闇。
もう一度瞬きをすると、目の前には先ほどの一つ目が立っていた。筋骨隆々なからだをしたその一つ目は、胸の前で腕を組み、仁王立ちしていた。
その一つ目の後ろには、大きな扉が見えた。一つ目は、その扉を守っているのだろう。
一つ目と反対側、後ろを振り返って見ると、そこにも扉があった。
扉を開けなくても、その先に何があるのか、わたしにはわかっていた。
一つ目が守っている扉の先に広がるのは、さっきまで見ていた光景。あらゆるものを跳ね返す壁が存在する世界だろう。
そして、わたしの背後の扉。その先には、その壁が存在しない世界が広がっている。
わたしにはわかっていた。どちらか一つの扉しか選択できないのだろう。
でも、その答えはすでに決まっていた。どちらの扉を選ぶか、そんなのはどうでも良かった。
「わたしは、あなたと一緒にいたい!」
目の前の一つ目に向かって叫んだ。でも、その声は闇にかき消された。何度叫んでも、一つ目には届かなかった。
しばらくすると、一つ目は腰巻きに付けられた袋から何かを取り出した。それは、鍵に見えた。一つ目は、振り返ると守っていたその扉の鍵穴にそれを差し込んだ。
『ガチャン』
扉が、その先の世界が封じ込められた。
でも、そんなこともどうでも良かった。
一つ目が、あなたが一緒なら、それだけで良いのだから。
施錠するとすぐに、一つ目は微笑んだ。とても優しい笑顔だった。とても温かい笑顔だった。懐かしい、笑顔だった。
一つ目の笑顔から、ある思いが伝わってきた。
わたしは、その思いに応えるように叫んだ。
「わたしも、あなたのことが好き……あなたと一緒にいたい!」
大きな声で叫んだ。でもその声は、またも闇にかき消された。
わたしの目から、一粒の涙が零れ落ちた。
次の瞬間、わたしの背後から『ギィィ……』という音が聞こえた。
扉が、勝手に開き始めたのだ。
「嫌だ、行きたくない!」
わたしの意思など無視をして、その扉はわたしを吸い込み始めた。
わたしは、手を伸ばした。その手の先に見える、一つ目の笑顔が遠ざかっていく。
「わたしは……あなたと歩む道を選ぶ……だから……必ず、戻るから……待っててね、裁くん!」
扉が閉まると、闇が消え、光に包まれた。