216話 離したい理由
検証には自分の体質を使った。検証と言っても、体質が芽生えたそのからだで裁に近づくだけだった。可愛い孫をただ抱っこしたいと言い、自身の体質に何か影響が出るかどうかを確かめるためには、セイギを使った。
裁を抱っこして、セイギの目を見ながら言った。
『いずれお前も、奥さんのことを母さんと呼ぶ日が来るだろうな。試しに今、呼んでみてくれ』
セイギは、わたしの目を見たまま答えた。
『俺、たぶん、死ぬまで名前で呼ぶと思いますよ?』
念のため、もう一つ試してみた。
『つまらん。お前、しばらくボケ禁止な』
『俺、死んじゃいますよ?ボケと共に去りぬって、映画になっちゃいますよ?』
果たしてあれはボケだったのだろうか。とりあえず、ボケだったと判断した。
次に、裁をセイギの手の中に戻し、二人から二メートル離れた位置で、全く同じことを言ってみた。すると、
『母さんにはいつ、この子の体質が影響したんだろう。お腹にいる間?お腹から出てから?発現だけに、産声をあげたら?』
わたしが思ったとおりに、母さんと呼んでくれた。
『・・・・・・』
そして、ボケが禁止されたから、急に何も喋らなくなった。
すぐにわかった。特殊体質持ちが裁に近づくと、近づいている間だけその体質が無効化されるんだ。
まさに、一族にとっての救世主ではないか。デメリットを抱える体質にとって、まさに希望となる存在ではないか。
近づいている間とはいえ、その間だけは本当の普通が与えられるのだから。
そして同時に、ひどく口惜しかった。せめてあと一年、瑞輝が長生きできていたなら。自分の子供を抱くだけで、愛情を注ぐだけで、その体質が普通に戻ったのだから。
もっともっと、もしかしたら普通の人と同じくらい生きることができたかもしれない。たとえ一族の人間だけだとしても、希望を与える、普通を与えることができる子だと知ったなら、どれだけ喜んだことか。
今さら、たらればを言っても仕方が無い。裁のその体質のことは、自分の胸の内に秘めることにした。いずれその存在を明るみに出すことができた日には、一族の希望として生きてもらいたい。そんな願いとともに。
次の年、彩が生まれた。まるで天使のように可愛い女の子だった。その体質は校長と同じで、耳の良さに関連したものだと思っていた。だがあるとき、彩の問いかけで気が付いた。
『お母さまは何で透明なの?』
すぐに、誰が見えて誰が見えないのかを確認した。すると、見えるのは特殊体質を持った人間だけだということがわかった。
なんという体質を持って生まれてしまったのだ。せめて見えるのが逆なら、どれだけ良かっただろうか。
あの子は、自分の母親の姿を見ることもできないのだから・・・。
一族の血、そして、またも同じことを繰り返してしまった自分の行いを憎んだ。
君たちの代には、一族の間に六人もの子供が産まれた。天照台家には皇輝、裁。東條家には紫音、紫乃、そして天照奈。西望寺家には、朱音。
裁、そして天照奈くんに至っては、事情により一族の人間であると伝えるのが遅くなった。だが、みんな、例外無く天照台高校に集まった。
一族の血は、特殊な体質を持つ他に、友達に恵まれるという側面も持っている。そしてその友達は、例外無く生涯の友となる。その友達が特殊な体質を持っていようがいまいが、一族の人間に普通を感じさせてくれるのだ。
天照台高校には、そんな人間が集まりやすい。だから、特殊体質持ちに普通を感じさせる環境を整えるというのも、高校をつくった目的の一つだったのかもしれない。
そんな環境で、君たちは出会った。まさか、そのほとんどが特殊体質持ちとは信じられないがね。まるで運命の相手に出会ったかのように、君たちは固い絆で結ばれ、生涯の友達となった。わたしの時代には無かったが、ズッ友と言うらしいな。
これから天照台高校に入るという川島冬華くん。彼女との対面で、相良くんの体質を知ることになった。
近づいている間だけ特殊体質を無効化する裁とは違い、相良くんのそれは、体質を完全に封じ込めることができる。これこそまさに、一族を救う体質ではないか。メリットだけの体質なら封じ込める必要は無い。だが、そのほとんどはデメリットなのだ。
デメリットを、一族の血を封じ込めてしまえば良いのだ。
紫乃くんの体質が治ったことを聞くと、すぐに校長に呼ばれた。呼ばれるだろうと思っていたから、そのとき、すでに高校の近くまで来ていた。校長に会う前に裁のところに行きたかったからだ。
覚えているかな?成績が伸び悩んでいる原因がわかったと、君にその解決法を示したときのことだ。
あのとき、真っ先に君の体質を封じ込めたいと思っていた。愛しい瑞輝の子供。そして、知る限り最も特殊な体質を持つ。その体質をまず封じ込めてあげたかった。
・・・だが、相良くんが触れても、その体質を封じ込めることはできなかった。宣言どおり、そのとき抱いていた邪念を封じ込めることしかできなかったんだ。
きっと、目を閉じることで、その体質を閉じ込めているからだろう。相良くんの体質は、裁のその体質がすでに封じ込められたものだと判定した。
残念だったよ。特殊性が強いということは、一族の血の呪いも強いのだろう。
そう思い、諦めた。
校長と話をして、一族の今後のためにと、裁の体質だけを残すことにした。そしてもうひとつ。裁の今後のことを考慮して、裁にはみんなの体質が治ったことを知られないようにした。そのために、体質を封じ込めたみんなの思いを封じ込めることにしたんだ。
相良くんがみんなに触れるタイミングについて、校長は、一日に一回と提案した。しかも、違和感を持ったと思われるときにだけ触れれば良いだろうと言った。
わたしもそれで良いと思った。でも、天照奈くんと紫乃くんには、それでは足りないと思った。それだけでは、せっかく普通に戻ったのに、裁と接触してしまう可能性があるから。
わたしは、裁とみんなを離したかった。だから、もっと触れた方が良いと強く思い、校長の目を見てそう提案した。
離したい理由は二つあった。
一つ目は、裁が近づくことで、せっかく封じ込めた体質が元に戻ってしまうからだ。
それは、わたし自身の体質で検証したよ。校長に会いに行く前、裁の体質を封じ込めようとしたときに、同時に検証をしていた。
相良くんに触れてもらい、まずは自分の体質を封じ込めた。その時点で、思ったことが伝染しないことを確かめると、次に、ただ裁に近づいた。そして、体質が元に戻ったことを確認した。
相良くんの封じ込めをペットボトルで例えると、蓋をするという行為なのではないだろうか。裁が近づくと、その蓋が外される。
それが特殊体質であっても、思いや我慢であっても、蓋が外されるだけ。発現はされないのではないか。
これは、川島冬華くんの件で明らかだろう。特殊体質持ちでない彼女は、相良くんと握手をした。そのとき強く思っていた何かが封じ込められただろう。そしてすぐ後に、裁と握手をした。彼女からは、何も発現されなかった。
封じ込められたものが除外されたとしても、次点の何かが発現されたはず。でも、それが無かった。ということは、封じ込められたものが、ただ蓋を開けられただけ。発現ではなく、解放されただけと言えるのではないか。
そして二つ目。それは、災厄だ。
さっき、皇輝も言っていたな?一族の血、あるいは特殊な体質は、災厄を呼び寄せるという側面も持っている。紫乃くんが考えた災厄ポイントカードは実にイメージしやすい。何らかの要因でポイントが貯まり、いつか、災厄が訪れる。
その要因として、特殊体質同士が近づくことも考えただろう?君たちがそれを考えたように、一族の、災厄を経験した人間はみな同じことを考えるんだ。
では、果たしてそのポイントカードは、特殊体質を封じ込められた人間も持ち続けているのだろうか?もしかするとそのカードは凍結されているのではないか?・・・でも、いずれにせよ、近づかないことが望ましい。
かと言って、天照台高校にいる時点で、体質持ち同士の接近をさせないこと自体が難しい。なぜなら毎年必ず、野良を含めた体質持ちが数人は集まってしまうからだ。
でもそれも、天照台高校がつくられた目的の一つなのだろう。特殊体質持ちを集め、災厄を外に出さない。無関係な人を巻き込まないためのものなのだろう。
初代校長がそんな考えを持ったのは仕方無いと思う。でも、どうしても許せないことだってある。
高校には、普通の体質の人間だっている。むしろ、そっちの方が多い。そしてその人間は、特殊体質持ちに普通を感じさせてくれる、生涯の友達になり得る人間だ。
つまり・・・天照台高校は、災厄の責任を、その友達にも負わせているんだ。みんなで災厄に、悪に立ち向かおうとする君たちのようにね・・・。
結果、わたしが望んだとおり、天照奈くんが天照台高校を去ることを決めた。
彼女の体質が治った。この時点で、裁と体質に守られているという思いが消えた。
相良くんが彼女に何度も触ることで、裁への思い、思い出が封印された。この時点で、裁と一緒にいる理由が消えた。
特殊な体質により我慢してきた思い、思い出が封印された。この時点で、完全に、普通の女の子に戻った。
投薬に立ち会ったとき、わたしはこの体質で彼女に語りかけていた。
『普通の女の子に戻ったら、天照台高校にいる必要も無くなるんじゃないか?』
特に、天照奈くんを離したかったんだ。なぜなら、裁くんと同じ、あるいはそれ以上に特殊な体質を持っているからだ。体質が封じ込められたとはいえ、それが災厄を呼び寄せる何かに影響するかどうかは不明だ。
災厄が訪れる頻度、あるいはその大きさを減らすためにも、最低でも天照奈くんを離したかった。
君たちの友情に溝をつくってしまったのは、わたしだって心が痛い。でも、みんなの、お前たちのためなんだ。もちろん、わたし自身の思いのためでもあったが・・・」
祖父の長い話が終わった。
全てを知った裁は、祖父の思いを理解することができた。
自分の『我慢』と、友達の『普通』を天秤にかけたらどうなるか。
後者を選ぶに違いない。
でも、どうしても納得できないことがあった。
「おじいさんのそれは・・・逃げているのではないですか?封じ込めて、見ないようにしているだけじゃないですか?」
「・・・そうかもしれないな。でも・・・君ならどうした?」
「それは・・・」
「いずれ訪れる災厄。逃げずに、友達みんなと直面すれば怖くない、か?みんなでできることをすれば、きっと解決できる、か?」
「僕たちはそう約束を・・・」
「わたしも、お泊まり会で起きた事件のことは知っている。大事に至らなくて本当に良かった。それは、各自ができることを成した結果だと思っている。でも・・・その後、みんなで話したことだろう。もしも誰かの身に何かが起きたら?もしも友達以外の、関係の無い人を巻き込んだらどうする?」
「その責任は、僕たちにあります。僕たちが負うしかありません」
「・・・そうか。君たちは本当に強いんだな。責任を負ってくれる人間がたくさんいるからかもしれないがな。でもな、君たちの言うそれは、ただの綺麗ごとにすぎない。
実際に何かが起きたとき。本当に、その責任を負いきれるか?みんなでその負担を分け合うことができるのか?・・・きっと、いずれ直面することになるだろう。体質を、血を恨むことになるそんな災厄に。
一族と無関係の人間がその責任を受け持った結果・・・大事な友達を失うことだってあるのだから・・・」
「じいさん、もしかして大事な友達を・・・?・・・そうか、三人がたまたまランドセルを買ったデパート。あのとき、誰かが呼び寄せた災厄・・・もしかして?」
「お前の察しの良さも大概だな。恐ろしいよ。・・・あぁ、そうだ。あのデパートで殉職した警察官。不動堂瞬矢くんの祖父は、わたしの友達だったんだ」