215話 祖父の話
親父・・・校長は、個人端末のメッセージで、俺に聞いてきた。
『天照奈くんが他校への転校を申し出た。何か気付いたことがあれば教えてほしい』
気付いたことも何も、薬の投与以降、俺の周りはおかしなことだらけだった。その中でも特に気になることを、校長に質問した。
『相良には、天照奈に一日に何回触れるよう指示した?』
校長の答え。
『一日に一回だ。でも、それでは裁くんに隠し通せないかもしれない。だから、それとは別に、何かを思い悩むような表情を浮かべたら触れるようにお願いした』
相良は、こう見えて目ざとい。誰よりも人の表情の変化を見て取ることができる。そんな相良が、天照奈の少しの表情の変化を見逃すはずがない。きっと、裁に話してはいけないという我慢だけじゃなく、その他のいろんな思いが封じ込められたのだろう。俺が見ただけでも、相良は天照奈に、一日に何度も触れていた。
相良の封じ込めは、人に悪影響を及ぼすことはない。そう考えられた。突発的な思いは、そのときにだけ生じるもの。その後にまた違う形で何度も出てくるものだろう。でも、一日にそう何度も触れたのなら、突発的じゃない思いだって封じ込めてしまうに違いない。
相良が封じ込めるのは、思い、そして我慢。記憶など、人を形成する何かを封じ込めることは無い。それが校長の考えだった。だけど・・・。
おそらく、強い思いには記憶が付随することもあるんだろう。例えば、良い思い出を振り返ることがあるだろう?いろんな思い出を振り返って、楽しかった。嬉しかった。そう、強く思う。もしも、その思いが封じ込められたら・・・思い出ごと封じ込められるんじゃないか?
天照奈は、相良に何度も触れられて、いくつもの思い出が封じ込められた。そう、天照奈の普通を形成するような大事な思い出が、相良に触れられるたびに、だ。
そしてそれは、紫乃も同じだった。日に日に、二人の間には溝が生まれていった。ぎりぎり、友達だという思いだけは残っていたんだろう。最後まで、普段どおり一緒にいた。でも俺から見たら、まるで初対面のようなよそよそしさを持っていた。
だとしても、なぜ周りのみんなはそれに気付かなかったのか。特に、裁、お前だ。天照奈がいなくなる前日の夜まで、何の違和感も感じなかったんだろう?
・・・それは、みんなの違和感も、相良の体質で封じ込められていたからだろう。
相良は、周りの人間がその顔に違和感を浮かべたら触れるようにも指示されていたんじゃないか?
でも裁の場合は、ただ触れても相良の体質が無効化されてしまう。・・・おそらく、何かしらの言い訳を持って、定期的に触れる大義名分を得たんだろう。
例えば・・・成績が伸び悩んでいるのは、自身が気付かないような邪念が原因だ。相良が触れることで、そんな邪念だけを封じ込めることができる。きっと、目を瞑らせて『違和感』を仄めかした上で触れていたんだろう。だから、裁は大事な思い出まで封じ込められることは無かった。
天照奈、紫乃。そして周りのみんなは、何も不思議に思うことなく、全ての違和感を封じ込められていた。
俺はその違和感を目の当たりにしながら、でも、相良に感づかれないように注意を払った。これまでと同じように、起きている姿を見せないようにすることで。
結局、校長にもその違和感を伝えなかった。なぜなら、俺の中にはある疑問が生まれていたからだ。
校長、そして相良が、誰かに何かしらの操作をされているのではないか?と。
俺は、これらの出来事には二つの体質が関わっていると考えた。
一つは、相良の封じ込める体質。
そしてもう一つは、誰かの、人を操作するような体質だ。
まず初めに疑問を持ったのは、校長の、相良への指示だ。なぜ一日一回だけとしなかったのか。相良が表情の変化を見るたびに触れたら、それこそ大変なことになると思うはずだ。それなのに、そんな指示をしていた本人が、天照奈が転校することになってなぜショックを覚えたのか。俺に聞くなんて、よほどのことだからな。
そして、相良だ。こいつは、誰よりも人の表情を見ることができる。そして表には出さないが、誰よりも人への気遣いができる。そんな相良が、校長からの指示とは言え、そんなことをするだろうか?いや、絶対にしないだろう。
そう、これらの裏には、操作をする誰かがいたとしか考えられないんだ。校長、そして相良を操作するなんて、そんな体質を持っているとしか思えない。
そしてそれは、じいさん、あんたしかいない。
他に考えられたのは、裁の親父だ。でも、裁の親父は彩の目に映る、普通の体質だ。それに、人にバレないようにそんなことができるとは思えない。
じいさん、あんたは、片目が見えない代わりに見える方の視力が人並外れていると言っていた。そして、自分は特殊体質持ちではない、とも。
でも、その言葉に矛盾は感じていたし、あんたはそれを隠していなかったな。あんたの姿は、彩に見えるんだ。天照台家で見えないのは、母親と祖母だけだと公言していた。
俺たちは、その視力が特殊な体質だと思っていた。・・・でも、違うのなら。その体質は人を操作できるようなものじゃないのか?もしかすると、自分の考えを人に伝染させることができるんじゃないか?
俺の体質は、俺が抱いた感情を伝染させるもの。あんたのそれは、伝染させることで、自分の考えと同じように人を動かせるんじゃないか?
・・・きっと、そこにはじいさんなりの思いがあったんだろう。突発的な思いで動く人間じゃない。これまでにずっと思い続けてきたこと。そして、我慢があったんだろう。
話を聞けば、俺も納得できる部分があるかもしれない。同情もするかもしれない。
でも、絶対に許せないことがある。
友達が苦しんでいるんだ。天照奈、そして紫乃に、あそこまで苦しい、悲しい表情をさせたんだ。俺は、見ていられなかった。現に、相良に感づかれないように瞑想する振りをして、見ないようにしていた。
封じ込められて、大事なことを思い出すことができない。でも、心にぽっかりと大きな穴が開いて、そこに何かがあったはずだと、必死に思い出そうとしていた。
二人は強かったから、まだ自分を保つことができたんだろう。でも、そんな二人を見て・・・天照奈を見て、今度は、裁だ。その目を潰してでも、天照奈に会いたいと望んだ。
友達を傷つけることを、許すことができない。
・・・話してくれ。何で、こんなことをしたのか」
皇輝の長い推測が終わった。
そして、皇輝が見つめる先で、祖父の話が始まった。
「・・・さすが、わたしの孫だな。少しでも食い違いがあれば否定してやろうと思ったが・・・くくっ。
あぁ。わたしはね、一族の血を憎んでいる。特殊な体質?特殊な体質を持つほど優れた人間が生まれる?・・・人に迷惑をかけて、しかも自身には我慢しか無いそんな人間のどこが優秀なんだ?
・・・そんなことを言いつつ、でも、これも一族の血なんだろう。息子を持った。わたしはそのとき、特殊な体質を持っていなかった。だから、普通の妻との間には、普通の子供が生まれると思った。
その息子は、耳が良かった。どんな小さな音をも聞き分けることができた。人が発する音から、その人の感情を読み取ることができた。一見、優れた体質とも思える。だが、わたしは息子が耳を塞いでいる姿を何度も見てきた。きっと、聞きたくない言葉、感情も全て聞こえてしまうんだろう。でも、そんな息子は校長にふさわしいとされた。
もう一人、息子を持った。一族の希望。それは、より優れた子供が生まれること。でも実際に、親が望むのは、少しでも普通に生きることだ。
その息子は・・・瑞輝は、人よりも三倍の早さで成長した。そしてその体質故、八歳の誕生日の目前に命を失った。
何が希望だ。わたしは絶望したよ。こんな血は途絶えるべきだ。さらに強く、そう思った。
瑞輝が残した命。わたしには孫ができた。皇輝に続き、二人目だった。二人目の孫は、生まれながらに五人もの人間を不幸にした。四人の命を犠牲にした。なんという体質を持ったのだ。でもその孫の、義理の父親はわたしに言った。
『この体質は、人から普通を奪うだけじゃない』
最も信頼する部下から言われたその言葉を、わたしは信じた。そして、生まれてすぐのその孫の体質を検証する日、初めての対面をした。
強い思い、あるいは我慢が表に出てしまう。そう聞いていたから、近づくことを躊躇した。なぜなら、今の自分が近づくと、その子を殺してしまうと思ったから。
一族の血を恨み、そして、自身の体質を恨むような子供を生み出してしまったのだ。すべて、わたしのせいなのだ。だから、この負の連鎖を止めなくてはならない。周囲の人に迷惑をかけ、そして孫自身がつらい思いをして生きるなんて、我慢できなかった。
わたしはその子に近づいた。わたしからは、一族の血を恨む気持ちが発現される。孫を手にかけて、楽にさせたら、自分もこの世を去ろう。
そう決意し、孫を抱っこした。
温かかった。そう、裁は、普通の赤ちゃんだった。普通に生きているんだ。それを普通かどうか決めつけるのは、周りの人間なのだ。普通に育てて、普通に接すれば、きっとこの子も普通に生きることが出来るのだ。
そんな思いが芽生えた。だけど、それはわたしから発現されたものでは無かった。それは、裁を抱っこして初めて抱いた思いなのだから。
でも、他に何かが発現されたとも思えない。これまでの話を聞いて、何かを発現する体質だと思われた。これまでと違うのは、わたしが一族の・・・。わたしはすぐに察した。おそらく、この子の体質は何かを発現させるだけじゃない。・・・そうか、もしかしたら一族にとっては、希望となる存在なのかもしれない。一族の血に、特殊な体質に何かしらの影響を及ぼすんじゃないか?
その場では、わたしの寂しい心が発現された振りをした。それは心の奥底にあった大便みたいな、希望のしぼりかすのような思い。そしてそのしぼりかすが、裁の誕生によってわたしの欲望を満たしてしまった。
わたしは、子供がもう一人欲しいと妻に電話をした。さすがの妻も電話先で困惑していた。帰ったら詳しく話すと言い、すぐに電話を切った。
検証の結果、裁のおそろしい体質は制御できることがわかった。体質を抑えるのではなく、人に近づかせないという制御だったが。そしてわたし自身の身には何が起こったのか、それは全くわからなかった。
家に帰り、妻と面と向かって話をした。一族ではない妻にとって、しかも自分のお腹を痛めた子供二人が不幸な体質を持って産まれたんだ。もう一人産むなんて、馬鹿げた話だと思ったんだろう。
それでも、『今日、何かあったの?』と、理由を聞いてくれた。裁の存在はまだ伝えることができなかった。だから、一族の中に希望の光が現れたことを伝えた。
次は、その子にはわたしたちの希望が宿り、そしてその希望の光が照らしてくれるんじゃないかと。
妻の表情が一変した。一年前に瑞輝を失い、未だ引きずっている妻。そんな話をしてもなお、わたしを罵倒するものだと思った。でも、妻は聞き入れた。
そうか、希望の光というのはここまで大きい・・・いや、違うかもしれない。妻が、わたしのこんな身勝手な話を素直に聞くだろうか?高校からの付き合いである妻は、いつもわたしの間違いを正してくれた。突発的なこんな願いを聞くわけが無い。
だとすると・・・わたしは、妻に言った。まずは目を見ないで言ってみた。『今日の夕食、いなごの佃煮が良いな』『正気?わたしも、あなたも絶対に食べれないやつじゃない』。
次に、目を見て、目を合わせて言ってみた。『今日の夕食、いなごの佃煮が良いな』『そうね。つくったことないけど、そうしましょ』。
どうやら、わたしには特殊な体質が芽生えたらしかった。目を合わせてお願いすることで、その願いが叶う。誰にも言うことは無かったが、その後の検証でそれは、願いではなく思ったことを伝染させるものだとわかった。
食べず嫌いの、いなごの佃煮を食べたいと願うことはない。あのときは、確かめるためにそう思っただけだった。ただし、言葉にも出す必要があった。だから、一度に伝染させるのは一人ということ。
まるで人に命令をするようなその体質。体質の検証を終えると、一度も使うことは無かった。人と目を合わせることをやめれば良いだけだった。
そもそも、なぜ今頃になって体質が?だがその疑問の答えはすでに知っていた。そう、裁の体質だ。
裁に近づいたことで、裁を抱っこしたことで、体質が発現したのだ。
そこで、裁の体質で新たな疑問が生じた。
すでに体質が発現されている人間に近づいたらどうなるのだろう?