213話 最悪の災厄
「ごめんね・・・黙っていなくなっておいて、今さら電話なんて・・・」
「ううん。声が聞けてだけで嬉しいよ」
「・・・アニメを観ていたら、わからないけど、急にあなたの声が聞きたくなって・・・」
「僕も観てたよ?『わたくしの美しさ、国宝級ですもの!』ってやつだよね?」
「うん・・・」
「どこから電話をかけてるの?非通知ってなってるけど」
「父の携帯電話なの。電話番号の前に数字を入れると非通知になるって・・・」
「そっか。それで、元気なの?初日から体調崩したって聞いたから心配して・・・」
「うん。元気だよ。でも、わからないけど、ずっとモヤモヤしてて。それで、アニメを観ていたら急に胸が痛くなって・・・わたしの様子を見てお父さん、サイ少年に電話をしてみるといいって、携帯電話を渡してきて・・・」
「そうなんだ・・・モヤモヤはしてるけど、元気ってことだね?良かったよ」
「・・・・・・」
「どうかした?」
「ううん。特に話すことは無いから。たぶんもう、あなたに電話することは無いと思う・・・」
「・・・わかった。元気でね?」
「うん・・・・・・じゃあね」
『プーッ、プーッ』
電話が切断され、機械音だけが耳に響いた。
久しぶりに話すことができて、嬉しいはずなのに。
涙が止まらなかった。
嬉し涙ではなくて、悲しくて涙が流れているのだった。
元気でいるらしい。それだけは安心した。
モヤモヤというのはきっと、友達と決別したからだろう。新しい環境で友達ができれば、そのモヤモヤも消えるに違いない。
でも・・・名前を呼んでもらえなかったな・・・
裁は、それだけが心残りだった。
特殊な普通とは完全に決別したという表れなのだろう。
それでも、もう二度と話すことが無いのなら、最後に名前を呼んでもらいたかった。
テレビを消すと、自室へと戻った。
机に向かい、また、振り返ってしまった。
小学校に入る前、いつもの施設で初めて目にしたこと。
中学校入学の数日後、廊下で話をしたこと。
卒業式の次の日、施設で対面したこと。
東條家にお呼ばれして、会長のペットを可愛がったこと。
東條家別宅での勉強会。別荘でのお泊まり会。
毎朝、『おはよう』と言って微笑んでくれた。
夕食後、二階に戻るときに、『おやすみ』と言って微笑んでくれた。
つくってくれた料理を残さずに食べると、『ありがとう』と言って微笑んでくれた。
うちのお父さんの話をすると、いつも苦笑していた。
いつも、優しく、微笑んでくれた。
その笑顔が大好きだった。
ずっと、その笑顔の隣にいたかった。
ずっと一緒だと思っていたのに・・・
そうだ。あのとき、それを望んでしまったからだ。
そして、自分にとっての災厄が訪れたのだ。
防ぐことも解決することもできなかった。
最悪の災厄によって、望んだ日常が壊されてしまったのだ。
どうすれば良いのだろうか。何を思えば良いのだろうか。
もしもこの体質が普通だったなら、天照奈とは出会うことも無かっただろう。
でも、もしもお互いが普通の体質で出会うことができていたら、どうなっていただろうか。
本質は変わらないはずだ。
優しい天照奈は、きっと、こんな何の特徴の無い僕とも仲良くしてくれただろう。
笑顔をくれただろう。
そうだ。もしも今、この体質が無ければ、また天照奈と会うこともできるのではないか?
もう、人に迷惑しか与えないこの体質。
これが無ければ、本当のお母さんだって、犠牲になることは無かったのだ。
この体質。人に近づくことでその人が強く思っていること、我慢していることが発現される。
でも、目を閉じるだけで、その力を封じ込めることができる。
そう、目から出る何かが無くなれば良いんだ。
この目が、無くなれば良いんだ。
裁は、右手の人差し指、そして中指を見た。
そしてその指を、目に近づけた。
指が眼球に触れるのを感じた。
そのときだった。
インターホンが鳴った。
誰だろうという思いと、またも何かの期待感を抱き、気付くと玄関に走っていた。
ドアを開けると、そこには祖父が立っていた。
そしてそのすぐ横には、なぜか相良の姿もあった。
「なんだ、そんな赤い目をして・・・天照奈くんのことは残念だが・・・いつまでもそれではダメだぞ?」
「おぉ、その通りだぜ?」
二人を部屋に入れると、まずはなぜここに来たのかを尋ねた。
「お前・・・その体質を無くしたいって考えただろう?」
「・・・はい」
「目を潰そうなんて考えなかったよな?」
「・・・あと一秒遅ければ、潰していました」
「おい、相棒・・・何で俺たちに相談しないんだ!?」
「・・・普通の生活を送るみんなに、また迷惑をかけたくないから・・・」
「お?誰が迷惑だなんて思うんだ?俺たちをなめるなよ?」
「そうだ。お前は友達に相談するべきだった。セイギ、美守さん、それに俺だっているだろう?目を潰すなんて、そんなバカなことを考えるやつがあるか!」
「すみません・・・思いが込み上げてきて・・・どうしても我慢ができなくなって・・・」
「まるで、自分の体質で自分の我慢を発現させたみたいだな・・・」
「お?じゃあ、俺の出番なんだぜ?」
「・・・相良くんの、出番?」
「あぁ。お前も知っているだろう?彼の体質は、お前とは逆のもの。強い思い、我慢を封じ込める」
「・・・もしかして、僕のこの思いを封じ込めてくれる、と?」
「だぜ?」
「・・・相良くんの体質、どこまでわかっているのですか?封じ込める時間とか、種類とか、数とか」
「ある程度のことはわかっている。君の友達を使って検証させてもらった」
「・・・え?みんなを、使った?」
「おっと、何も変なことをしたわけじゃないぞ?相良くんの体質はすごいものだろう?もしも悪事を働こうなんて考えている悪人がいたとする。裁、お前が発現させなくても、相良くんが触れば、その悪意を封じ込めることができるんだ。だから、ちゃんと知っておく必要があった」
「どんな検証だったのですか?そもそも、それも僕には全然知らされなかったんですね・・・」
「その検証が、例の薬の投薬とも関わっていたからな」
「特殊体質を治す薬と?」
「あぁ。特殊体質が治る薬が完成した。紫乃くんが、みんなに声をかけてくれた。でも、裁には知られたくなかった。なぜかというと、君のその体質は、一族にとって必要だからだ」
「無効化、ですか・・・近づいている間だけ、特殊体質を無効化できる。でも、ずっと無効化できる薬ができたんですよね?僕の体質なんてもう、必要無いんじゃ・・・」
「薬で無効化できるかもしれない。でも、君のその存在が、間違いなくみんなの希望になる。そうだろう?天照奈くん、紫乃くん、そして彩。みんな、一時的な無効化だとわかっても、君に普通を与えられた。希望を与えられたんだ。だから・・・自信を持ちなさい」
「一族はこれから、どうなっていくのですか?」
「校長になる条件は詳しく知らない。でも、特殊体質以外の条件はこれからも必要なはずだ。そしてその条件は、おそらくだが特殊体質を持った人間の血を受け継がないと、生まれないのだろう」
「・・・せめて、僕だけでもこのままの体質でいる必要があると?」
「すまん。そっちが本当の理由だ」
「わかりました・・・それで、みんなを使って検証したというのは?」
「あぁ。君も知っているとおり、君の友達はみんな優しくて、気遣いもできる。だから、特殊体質を治せるということを、君に言わないことなどできるだろうか?」
「そうか・・・みんなの、『僕に話すべきだ』という思い、あるいは我慢を封じ込めた、と?」
「そうだ。隠し事をさせるようで申し訳無かったのだが・・・でも、検証は成功した。薬が完成したこと、そして君に内緒にしてほしいという話をしてすぐに、相良くんに触れてもらったんだ」
「初めは紫乃ちゃん。そして、天照奈ちゃん。そのあとはみんなに・・・」
「あぁ。みんな、友達思いのみんなは、その我慢が一番強かったんだろうな。思った通りの結果になってくれた。もしも違うものが封じ込められても、それは悪いことにはならないだろうと聞いていたからね」
「・・・あれ?天照奈ちゃんにはどうやって触れたのですか?」
「お?やっぱり気になるよな?」
「学校で触れてもらった。君は、友達とは距離を取ったり取らなかったりするだろう?相良くんに頼んで、うまい具合に触れてもらったんだ。天照奈ちゃんと君が二メートル以内に近づいていて、かつ、君から二メートル以上離れている天照奈ちゃんに触れてもらった」
「・・・例えば、手を伸ばしている場合ですか?」
「おぉ、そのとおりだぜ!相棒に近づくと、天照奈さんには、全身に触れるようになるらしい。たとえ手を伸ばしていて、その手が二メートルの距離を越えていたとしても、その手に触れることができるんだぜ?」
「それって、天照奈ちゃんの協力も無いとできませんよね?」
「あぁ。天照奈くんにも、君に伝えたいという思いを封じ込めるという条件を付した上で、被験者になってもらったんだ」
「じゃあ、みんなの合意を得た上での検証だったんですね?」
「そうだ。検証後はみんな、何が封じ込められたかわかっていなかったがな」
「・・・そしてその封じ込めは、十月一日までずっと続いていた、と?」
「そこに不安があった。君の場合、発現させてから二十四時間で元に戻ってしまうだろう?だから、特に最初の二人は、薬を飲んだあとに相良くんに付きっきりになってもらった」
「おぉ。とは言っても、べったりくっついてたわけじゃないぜ?お風呂に一緒に入るなんてしなかったぜ?」
「さすがに部屋にいたらわかるもんね」
「最初は一日ごと、だんだんと時間を空けてみた。結局、どのくらいの時間で戻るかははっきりしていないがね」
「ということは、僕の体質みたいに一度発現したら二度と出てこないわけじゃない。何度でも封じ込めることができるのか・・・そういえば、十月一日に僕がみんなと話したときには、内緒にしていたことを謝っていました」
「おそらく三日くらい空いていたのかな?」
「おぉ、そのくらいだぜ?」
「・・・じゃあ、僕のこの我慢を封じ込めてくれる、と?」
「そうだ。友達にも相談できずに、自分の目を潰すなんて・・・絶対にやってはいけないことだ」
「冷静になったから、もうそんなことをしないとは思うんですが・・・」
「確証は持てないだろう?」
「そうですね・・・わかりました。じゃあ、お願いします」
「よし。じゃあ、目を瞑ってくれ。相良くんの体質を無効化させないためにな」
裁は、言われたとおりに目を閉じた。
二人の姿を白い影で認知した。
相良の影が近づき、そして、右手に触れた。
触れるとすぐに、その相良の影は距離をとった。
「よし、目を開けて良いぞ?」
祖父の声を聞き、目を開けると、二人は何か心配をするような目で裁を見つめていた。
「今さっき、一番気にしていたこと、我慢していたことはなんだ?」
祖父の問いに、裁は少し考えて答えた。
「紫乃ちゃんと天照奈ちゃん、何かあったのかな?・・・どうですか?わからないけど、ちゃんと封じ込められていますか?」
祖父の微笑みが答えをくれた。
「よし。もしもこれから、ひどく悩むこと、落ち込むことがあったら。わかるな?」
「・・・はい。まずは友達に相談したいと思います」
「よろしい。じゃあ・・・相良くん、遅くにすまなかったね」
「お?相棒の危機だって聞いたからな。そりゃ、地球の裏側からでも駆けつけるぜ?」
「相良くん・・・ありがとう」
「おぉ。じゃあ、何かあったら、次からは俺たちに言うんだぜ?」
「うん!」
「じゃあ相良くん、帰ろうか。もちろん車で送るからね」
ドアノブに手をかける祖父と、一仕事を終えて腹が減ったのか、お腹に手を当てている相良。
二人を見送ろうと、裁も足を動かした。
祖父がドアが開けた、そのときだった。
「そうか・・・裁の体質だけは封じ込められないんだな?」
ドアの外から声が聞こえた。
その声の主は、皇輝だった。