208話 漫画の主人公みたいな女神
九月三日、金曜日。
今朝も、いつもと同じ時間にアパートを出た裁。だが、いつもとは異なり、出てすぐの路上に停車していたタクシーへと乗り込んだ。
昨日の夜に先生から連絡があり、今日から当面の間、タクシーでの登下校となったのだ。
いつもより十五分ほど早く教室の自席に到着すると、いつもどおり隣の席の朱音に挨拶を交わし、個人端末を起動させた。
端末がメッセージを受信していることに気が付き、見ると、送り主は先生だった。そこには『登校したら速やかに職員棟に来てください』とだけ書かれていた。
何か悪いことしたかな・・・?職員棟へと向かいながら、良からぬことばかり考えてしまう。
職員棟に入るとすぐ、『小会議室』とプレートが付けられた部屋から、壱クラスの先生が顔を覗かせているのが目に付いた。
「朝から済みません。中に入って下さい」
いつもどおり抑揚の無い声に招き入れられると、部屋の真ん中、革張りのソファに腰掛ける目出し帽の姿を見つけた。
「あら、サイくんもお呼ばれしたのですね」
「紫乃ちゃんも?・・・僕たち二人ですか?他にも?」
「黒木くん、東條さんの二人です」
「天照奈ちゃんがいないということは、ホストクラブの件ではない・・・。先生、わたしたち何か悪いことしましたか?」
「あぁ、ごめん。変に考えさせてしまったね。君たち二人に伝えたいことがある。それだけだ」
「ん?」
「これを見てくれないか?」
「え?」
突然、口調と雰囲気が変わった先生は、激しく動揺する二人に、個人端末と同じタブレットの画面を見せた。
「これ、SNSの投稿ですか?スクショですね・・・昨日の、十八時十五分の投稿?」
「文章は、『何このスーパー、三百人くらいで女の子の買い物風景を拝んでるんだけど?怖っ!』って書かれてる・・・この画像がそのスーパーなのかな?」
「スーパーに三百人?女の子の買い物風景を拝む?激しく思い当たる節がありますけど、まさかね・・・」
「すごい人だかりの先に、すごい遠目でぼやけてるけど、女の子っぽい姿が写ってるね」
「わたし、たとえどんなモザイクをかけられたとしても、この女の子だけは見分ける自信がありますよ」
「・・・そう。その女の子、雛賀天照奈さんだ」
「ついに女神が明るみに・・・むしろ今までなぜ騒ぎにならなかったのか・・・」
「日付からわかるとおり、これは昨日、天照奈さんの買い物後に投稿されたものだろう。そしてこの投稿は一切拡散されることなく、すぐに削除された」
「・・・なるほど、投稿した人がすぐに、『はっ、ボクちんなんてことをしてしまったんだ。おぉ、女神よ、ボクちんをお許し下さい!』って、改心したのですね?」
「はははっ!噂以上に、恐ろしいほど面白いな、君は」
「先生の変わりぶりの方がよっぽど恐ろしいですよ?」
「この投稿、拡散はされなかったけど大炎上してね。猛烈に批難されて、投稿者がアカウントごと消したみたいなんだ」
「ほぉ。批難したのはきっと、女神の崇拝者ですね。少なくとも一万人は参拝経験があるでしょうし」
「その辺はよくわからないが。少なくとも今後、天照奈さんの生活に支障が出ることは無いだろう」
「でも、すぐに消されたのなら、先生はどうやってこの投稿を?消える前に偶然見つけたのですか?」
「・・・これを見つけたのは校長だ。そして校長は俺に、このことを君たちに伝えるよう指示をした」
「校長が?・・・でも、なぜ僕と紫乃ちゃんなのですか?」
「わたしたち、ただの次期校長第一候補と、天照台高校一面白い生徒第一候補ですよ?」
「ぶっ、あははは・・・」
機械のように鉄壁の無表情を誇っていた先生は、これでもかと顔を歪ませて爆笑し始めた。
「・・・ふぅ。ここからは校長からの伝言だ。
『君たちも、天照奈くんの体質に疑問を感じていたことだろう。あの神がかった才色兼備が、なぜ明るみに出ないのか?とね。
天照奈くん本人にこのことを伝えた場合、変に意識をさせてしまうかもしれない。そしてその意識が環境を変えてしまうかもしれない。だから、一番身近にいる君たちに伝えた』だ、そうだ」
「・・・ていうか、先生は何者なのです?校長からこんな伝言を託されて、しかも天照奈ちゃんの体質のことも・・・」
「ただの友達だよ。高校からの、ね」
「なるほど。裁くんと太一の二十年後みたいな感じですか。でも、そうですね・・・天照奈ちゃんの体質のこと、昨日も朱音と話をしたばかりですけど・・・」
「おっと、俺はこれ以上聞かないでおこう。・・・あぁ、あと、もう一つ。『冬華の笑顔、画像でも良いから見てみたいものだ』だってさ。じゃあ、伝えたから。この部屋、授業が始まるまでは使ってて良いから。じゃあな」
先生は、笑顔を浮かべて手を少し挙げると、一瞬で無表情に戻り部屋を出て行った。
「何ですかあの爽やかイケメンは・・・普段からあれで良くない?何で変なキャラつくってるの?」
「生徒との接し方にも優劣をつけないようにしてるとか?」
「ふむ。それなら全員にあの笑顔で接すれば良いのに・・・」
「でも・・・まさかこんなことが起こるなんてね」
「いつ起こってもおかしくなかったのですが・・・まさか一昨日の紫音の件に続くとは」
「そうなんだよね。もしかして投稿したの、同じ人だったりして?」
「その可能性はありますね。その人は一昨日、何らかの手段で東條家別宅の住所を知って、紫音を追った。結果、紫音の制服姿、そして養成学校の一日講師という特ダネをつかんだ。
たぶん今日も、養成学校とかバス停とかに行って、紫音の情報をつかもうとしたことでしょう。帰りにふと立ち寄ったスーパーで、なぜか整理券が配られていて、そしてあの状況に出くわした・・・って感じでしょうか」
「店内ぎゅうぎゅう詰めで、しかも最近は肩車して高さ方向も使い出した。普通なら、誰だって不思議に思うよね。天照奈ちゃんが不思議に思わないのもすごいけど」
「天照奈ちゃんのはただの天然でしょう。少しくらい抜けているところが無いと恐いですもん」
「ガチャガチャの件もそうだよね。振り向いたら、後ろに百人くらい並んでたって言ってたよね」
「・・・ほんと、よくもまぁ明るみに出なかったものです。最強の体質にはまだ何かが隠されている・・・ほんと、漫画の主人公みたいな女神ですね」
「うん・・・ところでさ、校長からの伝言の、冬華の笑顔って何?」
「詳しいことは後でドードーに聞いてください。・・・その子ね、体質を見抜く体質を持っているようなのです」
「デメリットも無いけど、何のメリットも無いよね?あ、でも・・・」
「です。天照奈ちゃんの体質、本人も知らない何かがわかるかもしれません」
「その子と天照奈ちゃん、会わせることは可能なの?」
「実は昨日、早ければ今週の土曜日にでも対面しようって話をしたところなのです。一番の目的は冬華の笑顔だったのですが、一つ追加されましたね」
「それって、みんなも誘う予定だったの?ちなみに僕は空いてるけど」
「逆に、空いてない日なんてあるの?・・・冬華の体質を見抜く体質が本物なのか、それを確かめるのも目的の一つでした。それに、友達の友達ですからね、みんなも会いたいでしょ?
だから、漏れなく全員に声をかけるつもりでしたよ。ただ、明日のことなのでバイトの二人は難しいかもしれないですね。まぁ、わたしと朱音は絶対で、あとは天照奈ちゃんさえいれば良いですけど」
「体質のことがわかったとして・・・次は、それを天照奈ちゃんに伝えるかどうかだね」
「たしかに、校長が言うことももっともだと思いますね」
「昨日、朱音ちゃんとその話をしたって言ってたけど。紫乃ちゃんは天照奈ちゃんの体質、どう考えてるの?」
「ふふっ。わたしの予想はこうです!天照奈ちゃんは、人が自身に向ける負の感情さえも跳ね返すのではないでしょうか?『悪いことしちゃうぞぉ!』っていう悪いやつも、天照奈ちゃんにその悪意を向けると、跳ね返って、よくわからないけど勝手に改心してしまう。
そして、もしかするとですが・・・天照奈ちゃん自身が負の感情を抱いているときは、人の負の感情を跳ね返せないのではないでしょうか!」
「なんかそれっぽいのキタ!」
「でしょ!普段、買い物をしたり、ガチャガチャをしたり。そんなときは負の感情なんて抱かないことでしょう。そんな天照奈ちゃんに、周囲の人たちは、『写真を撮りたい』『SNSで拡散したい』『触りたい』『持って帰りたい』などという感情を向けます。
でも、その感情は天照奈ちゃんの体質に負の感情と判定されて、跳ね返される。すると、『ただ拝みたい』という感情しか持たない崇拝者になってしまうのです」
「もしそうだとして、じゃあそれを天照奈ちゃんが知ったら?『負の感情を持たないように気を付ける!』だけで済むかもしれないね」
「ですね・・・でも、全てが推測ですからね。校長が言うように『意識する』だけでも跳ね返せなくなるかもしれませんし・・・いずれにせよ、冬華ちゃんには事前に根回しをしておきますよ」
二人は、最後に顔を合わせて頷くと、それぞれの教室へと戻った。
――九月四日、土曜日。
十一時五十分、裁と天照奈のアパート。
天照奈の手料理が並べられたテーブルを六人が囲んでいた。
早く冬華の笑顔が見たい紫乃と朱音。
冬華の体質に期待を抱く裁。
お師匠の教えに従い長期間お泊まり可能な荷物を持参した彩。
その彩とアニメの話をしたくてうずうずしている天照奈。
その天照奈の手料理を食べたいだけの相良。
それぞれ何かを心待ちにしていると、十二時ちょうど、部屋のインターホンが鳴った。
「あ、来たね!僕が行くよ」
玄関に出迎えに向かった裁が部屋に戻ると、その後には肩を落として落胆した様子の不動堂の姿があった。
「・・・冬華、急に用事が入ったんだって。みんなにごめんって、伝えてほしいって・・・」
「・・・う、嘘でしょ!?」
不動堂の言葉を信じない紫乃と朱音は、その目で確認すべく玄関へと走った。
だが、玄関にも外にも冬華がいないことがわかったのか。今世紀最大の失望をあらわに、部屋へと戻ってきた。
「こ、こんなことが・・・じゃあ、今日は何のために・・・?」
「ただの昼食会になっちゃったね。でも、みんなで食べれば美味しいよ!」
「天照奈さんのお料理が美味しいのは百も承知ですわ。でも・・・冬華の笑顔という最高のスパイスが失われた今、わたくしたちは心から美味しくいただくことはできないでしょう」
「ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「冬華の笑顔、せめて画像などは無いのですか?ボーリングで満面の笑みを見せる冬華。『わーい、おごりだ!』とほくそ笑む冬華。ドードーを罵倒してにやける冬華。ねぇ、あるでしょ?」
「満面の笑み以外のやつ、見たくないよね?・・・でも、ボーリングでストライク取ってはしゃぐ冬華の写真はあるぞ?そうだな、みんなに見せるよ」
「やった!まずは言い出しっぺのわたしからです!」
「ずるいです!わたくしからです!」
「どうせならみんなで、大きい画面で見ようか。裁、パソコン持ってたよな?」
「うん。そこの、朱音ちゃんの後ろのクローゼットに入ってるよ?」
「じゃあ、わたくしが取って差し上げますわ!」
立ち上がり、笑顔でクローゼットの扉に手をかける朱音。
そんな朱音、実は部屋に入ってからずっと、激しく意気投合した紫乃とだけわかりあえる目会話を繰り広げていた。
『見ました?部屋の隅にわざとらしく置いてある大きな箱』
『なんて浅はかなのでしょう。きっと、サプライズに違いありませんわ?』
『サプライズ上級者のわたしたちにサプライズなど通用するはず無いでしょうが!』
『どうせ、あの箱から冬華さんが出てくるんでしょう?』
『と思わせて、本当はクローゼットから出てくるのでしょうね』
『上級者の裏をかこうなど、なめられたものですわね』
『朱音をクローゼットの前に座らせた時点でバレバレですよ』
『でも、気づきました?あのクロサイさん、さっきからあの箱をチラチラと見てますわよ?』
『あのサイくん、嘘などつけない男ですからね』
『そしてドードーさん。クローゼットに入ってるのバレないと良いな!って思いがひしひしと伝わってきますわ』
『と、いうことで。結局、冬華はあの箱に入っている!』
『ふふん。上級者は裏の裏まで読めますのよ?』
『です。おそらく画像を表示するのと同じタイミングで、あの箱から飛び出るのでしょう!』
『全く。わざと驚いてあげる上級者の身にもなってほしいですわ』
『どれ、さっさとクローゼットからパソコンを取り出してしまいなさい』
『・・・わたくしに命令しないでください』
朱音がクローゼットの扉を開けようと力を込めたその瞬間、勢いよく扉が開いた。
『ぎゃーっ!?』
その場にいた天照奈以外が、奇声を上げて激しく驚いた。
「はじめまして!これが冬華の笑顔でーっす!」
不動堂の笑顔ランキング堂々の第一位。
その笑顔を浮かべた冬華が、中から飛び出したのだった。