205話 バッドエンドとハッピーエンド
朝、八時半に冬華の家に電話をして、九時半に商店街の中央広場で待合せをした。
去年のあの日と逆だな、と思った。あの日、冬華がどんな思いで電話をしてきたのかを想像して、家を出るまでの時間を過ごした。
最寄り駅まで来てくれた太一と合流して、待合せ場所には予定時刻の十分前に到着した。
昨晩の天気予報で、日中の最高気温が三十五度を超えると言っていたから、少し早めの時間設定にしたけど、気温はすでに三十度を超えていた。
待合せ場所には、また、冬華が先に到着していた。
クリスマスツリーの跡地前に立つ冬華は、半袖の白いTシャツとカーキ色のショートパンツ、そして、真っ赤なニット帽を被っていた。
その帽子は、六年前にプレゼントした俺の母さんの手編みのものだった。
さすがに暑いよな、と思いつつ、白いTシャツに映えて可愛いな、とも思った。そしてきっと、俺の考えも察していたんだろう、とも。
「ごめん、待たせたか?」
「ううん。さっき来たとこ……えっと、お友達?」
「ああ、同じ高校の…」
「清水野太一です。瞬矢くんとはクラスが違うけど、一番仲が良いんだ」
「俺が一番? 紫乃ちゃんじゃないのか?」
「一緒にいて一番楽しいのは紫乃ちゃんだけど、あらゆる項目の平均値が最も高いのは瞬矢くんだと思うよ?飛び抜けた項目は無いけど。あ、根拠資料ほしい?」
「お前、なんか、キャラつくってないか?」
「ふふ。川島冬華です。瞬矢くんとは小学四年生のときに同じクラスで……その後は別々だった、みたい」
「クラスが別だから見える部分もあるよね!」
「お前、俺の何を見てるんだ!?」
「あはは! 太一くんて、面白いね」
「そ、そうか! 今日は司会進行役がいないから頑張ってくれてるんだな。じゃあ、あまり負担をかけないように……早速で悪いんだけど、冬華。今、本心から望むことはあるか?」
「本心、から……? それは、まぁ、あるけど……」
「口に出さなくていい。目を瞑って、強く願ってくれないか?」
「目を瞑って? ……何か変なことする気じゃないよね?」
「しないよ!? え、何か紫乃ちゃんとのやりとりを彷彿させるんだけど、まだ接触してないよね?」
「紫乃ちゃん? 女の子のお友達もいるんだね! 良いなぁ、わたしも会ってみたいな」
「もちろんだ。びっくりするくらい可愛いけど……みんな、最低二回はびっくりするんだ。あと、一緒にお風呂に入りたがるけど、そこは無視しても良いぞ」
「女の子なら一緒にお風呂に入っても良いんじゃ?」
「まぁ、そこは会えばわかる。……じゃあ、目を瞑ってほしい。そして……手を繋いでも良いか?」
「え、瞬矢くんと?」
「うん。冬華の願いが叶うようにって、俺も全力で願う。俺のその願いも届くように、手を繋ぎたいんだ」
「わたし、汗かいてるから恥ずかしい……」
「大丈夫。俺の手からは滴るほどの汗が出てるから」
「それはちょっと……」
「え?」
「じゃあ、二人とも目を瞑ってね。どさくさに紛れて変なところを触らないように、僕が二人の手を誘導するよ?」
「あぁ。変なところに誘導するなよ? って、太一だから大丈夫か」
目を瞑ると、左手を小さく差し出した。
商店街の雑踏だけが聞こえる中で、右手首を軽く叩かれる感触があった。冬華が左利きだから左手を差し出したけど、たぶん、冬華は俺の利き手に合わせて右手を差し出したんだろう。
太一の配慮に感謝しつつ、俺も右手を差し出すと、冬華の手と合わせてくれた。
冬華の手は、思ったよりもずっと小さかった。
その手を軽く、でも、強い思いで握った。
太一はおそらく、『冬華ちゃんが一番強く願っていることが叶えば良いのに』という願いを込めて、冬華に触れてくれたと思う。
冬華の願いが何なのか。俺は、冬華の言葉を待った。
すぐに、その声が聞こえてきた。
「ねぇ、目を開けて?」
目を開けると、そこには、冬華の笑顔があった。
去年のクリスマスイブ、この場所で最後に見せてくれたものと同じ。
俺が大好きな冬華の笑顔だった。
「…………ねぇ、瞬矢くん」
「……うん」
「わたし、瞬矢くんのことが、ずっと、好きでした……付き合ってほしいとか、そんなおこがましいことは考えていないの。ただ、わたしの本心を正直に伝えたかっただけ……」
冬華は、全てを思い出すことを望んだのだろう。きっと、死にたくなるほどつらいことも思い出したに違いない。
でも、変わらない笑顔で、俺に、あの日言えなかったことを……もう一度、チャンスを与えてくれたんだ。
「冬華、誕生日おめでとう。俺……俺は、冬華の笑顔が大好きだ。小学校四年生の時に、隣の席になってからずっと。ずっと、ずっと、その笑顔が大好きだった。その帽子にもよく似合うし、それに、ピカピカのクリスマスツリーよりも輝いて見える。
……それを、言いたかった。
……ごめん……あのとき、ちゃんと、本心から向き合わなくて……ごめん……ごめんなさい!」
手を繋いだまま、俺は頭を下げて謝った。
しばらくの間、直射日光が俺の後頭部を焼き続けた。
「ありがとう……わたし、瞬矢くんの本心を聞いて、ホッとした……瞬矢くんはやっぱり、わたしが好きな瞬矢くんその人だったから。
……わたしも、本当のことを言うね? わたし、自分にとって都合の良い解釈をしていたの。瞬矢くんの雰囲気が訴える感情が、全部、本心とは真逆のものなんだって、そう思い込んでた。
瞬矢くんはいつも、『近づくな』『群れるのは格好悪い』みんなに対してそんな雰囲気を放って、人を遠ざけていた。
でも、本心は違うんじゃないのかな。本心を伝えたいのに、真逆のことを伝えてしまっているんじゃないのかな。本当は一人、我慢をしてるんじゃないのかなって、わたしは勝手に、そう思ってた。
瞬矢くんからは、『悲しい』『つらい』っていう感情は一切伝わってこなかったから、きっと、本心から『嬉しい』『楽しい』って思ったことが無いんじゃないのかなって。
だから、勝手に、我慢してるって思った。でも、こんなこと話したら気持ち悪い女の子だって思われちゃうよね? なんだか、ストーカーみたい。だって、わたし……瞬矢くんがわたしに伝えてくれた感情を、そんな自分勝手な思いで、都合の良いものに変えてたんだもん。
『なんで目が合うだけで笑顔を返してくるの? 別に可愛くないし、いらないんだけど?』
そう感じたから、すごく嬉しかったし、笑顔になれた。
『帽子とマフラー、特にその笑顔とは似合わないな』
そう感じたから、早く三学期になって、学校に着けていきたいな! って思った。
去年も、ね……わたしは、勝手な解釈で、瞬矢くんの本心をつくりあげていたの。
瞬矢くんからは、いつもよりたくさん、感情が伝わってきた。
『もう存在すら忘れてたんだけど?』
『俺を使いたいだけだろ? 自分勝手なやつだな』
『またその笑顔? 好きじゃないんだけど』
『俺にできることなんて何も無いし、考えさせるな』
『工場つぶれて夜逃げしちまえ!』
……クラスが別々になって、顔を合わせることも無かったし、感情も伝わってくることはなかったけど……ちゃんと、わたしのことを見てくれていたんだ。気にしてくれていたんだ。わたしが告白する理由もわかってくれている。まだ、わたしの笑顔を好きでいてくれたんだ……
わたし、あのとき、すごく嬉しかった。
わたし、あいつらのいいなりになる気は全然無かった。工場がつぶれても、夜逃げをしても、家族が一緒なら我慢できるって思ってた。
でも、瞬矢くんの話が出てきて……本当は、工場なんてどうでもいいからって、断れば良かったんだよね。でも、夜逃げの話もあったから、最後に思いを伝えたいって考えてしまったの。
……そして、最後に瞬矢くんが口にした言葉。
『それって本心なの?』
それはきっと、わたしが本心からの思いを伝えたと思ったから、出てきた言葉。
でも、わたし、思ったの。本当の、本心からの思いを伝えたのかな? って。
瞬矢くんはきっと、全部わかってくれているだろう。わたしはそれをわかった上で、わたしの誕生日に、思いを伝えた。
瞬矢くんの本心は、必ずわたしの思いに答えてくれる。答えなんてわかっていた。最後に良い思い出だけを手に入れよう。
……自分勝手な思いだったんだって気付いた。優しい、瞬矢くんの本心を利用しただけ……
その後ね、あいつらとは何も無かったんだよ? でもね、
『コッコーがこいつを振ったってみんなに言ってやろうぜ』
『誕生日、クリスマスイブなんて関係無い。だってボク、孤高だもん! ってか』
『お前、ちゃんと学校来いよな? その方があいつ、より孤高になって面白いだろ? な?』
あいつらの言葉を聞いて……あぁ、わたしはまた、瞬矢くんに迷惑をかけてしまう。そう思って、後悔した。
あのとき、お誕生会に呼んでしまったから、わたしのせいで瞬矢くんは、みんなに悪口を言われてしまった。
今回、自分勝手な思いを伝えてしまったから、また瞬矢くんは……
わたし、逃げようと思ったの。弱くて、自分勝手で、無責任で、最低な人間なの。でも、何であのとき、逃げた後のことを考えなかったんだろう。きっと、あいつらは瞬矢くんのせいだって、ありもしないことで面白おかしく責めるはずなのに。
わたしは逃げた。でも、生き残ってしまった。そしたら、都合の悪いことは忘れていて、結局、逃げたんだよね。思い出さなかったらずっと、瞬矢くんにだけつらい思いをさせていたのに……
だから、瞬矢くん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい!」
冬華は、頭を下げて俺に謝った。
俺には謝られる筋合いなんて無かった。でも、それが冬華の本心なら、受け入れなくてはいけないと思った。
受け入れた上で、でもそれは違うと言わなければいけなかった。
「これはわたしの、あのときの気持ち。そして今は……わたし、すごく嬉しい。瞬矢くんの言葉が、感情が、本心が、人生で一番嬉しい瞬間をくれたの。
だから……ありがとう。ありが、とう……うっ……あぁぁん」
冬華は、その場にしゃがむと、声を出して泣き始めた。
そういえば、太一の姿は少し前から見えなくなっていた。
少しして落ち着くと、冬華は俺に言った。
「……告白の答え、だけど……『笑顔が大好き』だけ?」
「あ……えっと、うん……」
「わたしの笑顔とだけは付き合えるってこと……?」
「えっと……その……」
「……ふふ。冗談だよ。きっと、好きな子ができたんでしょ? わたしは大丈夫。だってあのとき、言ったでしょ? 付き合ってほしいなんて思ってないって。
たぶん、それは本心だと思う。それにね、瞬矢くんが幸せなら、わたしも素直に喜べると思う。たぶん、そう思える……たぶん。まさか包丁持って追いかけるまではしないから、安心してね?」
「包丁持って追いかける以下のことはしそうだな!? ……ていうか、ごめん。冬華が謝ったことは、全部俺の責任だ。俺が本心をねじ曲げるような性格だったから、冬華に余計なことばかり考えさせてしまったんだ。
それに俺、『工場つぶれて夜逃げしちまえ!』とか、ひどすぎる感情を伝えてたんだな。本当に、ごめん……」
「ふふ。じゃあ、わたしがすごかったって思えば良いかな? 本心を見抜いて、翻訳してたんだから! ちなみにそのひどい言葉は、『工場大丈夫かなぁ、ボクちん心配で夜も眠れないよぉ』って翻訳したよ?」
「え? ほんと、紫乃ちゃんと接触して、入れ知恵付けられてないよね?」
「え、なに? 紫乃ちゃんって子もこんな感じなの?」
「あぁ……世界で一番気配りができて、一番面白い男の娘だよ!」
「……男の子?」
「あ、いや……」
「ところでさ、気になることが二つあるんだけど。まず、太一くんはどこに行ったの? わたしが目を開けたときにはいなかったけど?」
「……あいつは、俺が知る限り、世界で一番優しい男なんだ」
「そっか……瞬矢くんが変わったのは、瞬矢くんが頑張ったのと、友達のおかげなんだね?」
「俺は何もしてなくて、天照奈ちゃんに絶滅させられたのがきっかけなんだけど……」
「あてなちゃん? 何だか、いっぱいお友達できたみたいで羨ましいなぁ……それと、もう一つ。あいつら、あそこで何してるの?」
冬華が指さしたその先。
去年、冬華が走り去って、あの三人と落ち合ったその場所へと曲がる角。
あの三人がそこから顔を出し、膝を突いて泣いていたのだ。
「あぁ。昨日、あの後、あいつらと話をしたんだ。なぜか急に改心したみたいで、ずっと、俺と冬華に謝ってた。冬華と会うことを話したら、見届けさせてほしいって」
「……でも、なんで泣いてるわけ?」
「……さぁ。なんか急にすっげぇ良いヤツらに変わってて、俺も何が何だかよくわからん」
「でも……何だろう、去年のあの日が全部良い思い出に変わったみたい。もちろんあの日のことは無くならないけど……バッドエンドとハッピーエンド、どっちも経験できたって感じかな!」
「そう、だな……よし、嫌かもしれないけど、みんなでボーリングでも行かないか?」
「……ふふ。瞬矢くんのおごりなら良いよ?」
「もちろん!……ていうかあいつら、俺が貢いだ分を全部返すって言ってたから、その金で、だけどな!」
その後、俺は驚愕の事実を知った。
あいつらがその日、無一文だったこと。
俺のボーリングセンスが皆無だったこと。
そして、もう一つ。
前回の全国模試、第一位が冬華だったこと。