204話 記憶喪失
「くくっ。全く、せっかちなやつらだ……どれ、一年壱クラスの先生よ、まだそこにいるかな?」
「はっ、ここに。シュバッ」
素早い効果音とともに、その姿が画面上に現れた。どうやらただ暗闇に身を潜めていただけらしい。
「今回の件、どう思う?」
「校長が気にしているのは、SNSに投稿した人物のことだろう? 例のリアルガセ教の犯人は、質問を思い浮かべて対象と握手をすることで、その答えを聞くことができた。その体質を使えば、東條家別宅の住所を知ることもできただろう。だがしかし、その人物は生徒たちによって改心させられたはず。
とすると今回は、また別の人物と考えるべきだろう。東條家、そしてアケビフルーティエイトのセキュリティは万全だと聞く。現に紫音さんが国民的アイドルになって一年、個人情報は全く出回っていなかったからな。あぁ、クロキサイ以外は、だが」
「別の野良体質、と考えるのが自然なのだろう。人物の特定は父に任せている。君も、文字だけでは人の心を読むことはできないからな」
「読むと言うのは言い過ぎだけどな。人の疑問が聞こえてくるだけだ。その人が考えている疑問の答えを言うから、心を全て読んでいると思われるけどね。
他のクラスの先生の方がよっぽどすごいだろう。俺と違って疑問が聞こえないのに、同じように心を読んでいると思われているのだから」
「目で、耳で、鼻で。人の感情を読み取るのが得意な体質が揃っているからな。中には体質持ちじゃなくて、完全に察するだけのすごい先生もいるがな。くくくっ」
「しかし、一族の人間が一学年に六人も揃うなんてな。しかも……あぁ、校長にふさわしい要件のことはよく知らないが、全て兼ね備えている人間も何人かいるんだろう? 野良は、まぁ例年どおり、この高校にはよく集まるよな」
「やはり、体質持ちは体質持ちと出会うという運命も持っているようだな。そして、友達に恵まれる。……君がこの高校の先生になってくれて、どんなに助けられているか」
「あははっ。もともと教師志望だったからな」
「生徒が疑問に思っていることを聞くことができる先生。だがしかし、その質問は勉強だけには限るまい。同級生のこと、親のこと、大人のこと、社会のこと、将来のこと。そこには耳を塞ぎたいものだって数多くあったことだろう。それこそ人の数以上の声が聞こえてきたはずだ。よく先生になったものだと思うよ」
「まぁ、俺が我慢をするだけで、人の、生徒の我慢を無くすことだってできるからな。それに、この学校はいつも面白い生徒が集まる。俺も、この高校にいると我慢なんてほとんど無くて、しかも楽しいんだよ。だから、礼を言うのは俺の方だな……って、何回このやりとりを繰り返すんだ? 何なら高校のときからずっと感謝の言葉を言い合ってる気がするぞ?」
「……世の中の微少な音をも全て聞き分けてしまう、わたしの体質。人が発する音には全て、個性がある。聞いていて安心できる音、嫌悪感を持つ音。羨望や不安から生じる負の感情がほとんどだ。でも、君の音は……」
「ほら、また言ってる。とにかく、生徒の管理は俺たちにもできるけど、一族の事情にまでは手出しできないからな?じゃ、今回の騒動が落ち着くことを願ってるよ。
……あぁ、あと、うちのクラスの西望寺朱音のことだけど。校長、気にしてたよな? 昨日何かあったのか、今日はずいぶんと心の疑問が変わっていたよ。皇輝さま一色だったのが……でも、大便マスターって何のことだ?」
「あぁ、くくっ。きっと、紫乃くんの影響だろう。まぁ、紫乃くんが関わったのなら、絶対に悪い方向には転じないだろう。報告ありがとう。ではまた今度、食事でも」
「あぁ。でも、俺は婚活で忙しいんだからな!?」
「そういえば、九州に最高の独身がいるらしいぞ?」
「相良の最強母ちゃんだろうが! ……じゃ、またな」
画面が暗転すると、校長はまた一つ『くくっ』と笑い、生徒たちの音に意識を向けた。
――時は同じく十八時、天照台高校の学生寮の一室。
「じゃあ、入寮祝いということで……ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「この前の続きを教えて下さい」
「……この前?」
「ボーリング場から走り去ったでしょう?」
「え!? も、もしかして紫乃ちゃんもいたのか? ……じゃあ、あの天照奈ちゃんと皇輝は、幻覚じゃなくて本物だったのか?」
「何ならサイくんとサイちゃんもいましたよ? あとサイパパも」
「そ、そうか……で、続きっていうのは?」
「あぁ。まず、わたしの推測から話しましょうかね。あの場にいたおバカ面の三人組。きっと、ドードーの身近にいた、おそらく女の子にひどいことをした。そしてドードーはその罪を背負わされたか、自ら背負った。それで一人、あの場で絶滅しかけていた。どうです?」
「……恐ろしいほど合ってるんだけど? えっと、心を読む体質持ちでもいるのか?」
「ふふん。大便マスターに推測できないことは無いのですよ?」
「昨日からそれ、好きだよな。そういえば、朱音ちゃんはその弟子なんだっけ?」
「弟子はサイちゃんで、お風呂のやつです。朱音はただの使い魔ですよ」
「だ、誰が使い魔ですって!?」
「しかしあなた、ちゃんと誘ってもいないのに来るなんて……なんだかんだでわたしのことが好きなのでは?」
「……はぁ? あ、あなたこそ、わたしにする大便話の割合、他の人よりも三割ほど多いと思われてよ?」
「はぁ? そ、そんなの、みんな平等に決まってるでしょ? あなたの便器、容量が小さいんじゃないの?」
「ふふん。こまめに流すから、容量なんて関係無いですわよ?」
「ほぉ。じゃあ、流すのが追いつかないくらい垂れ流してあげましょうか?」
「望むところですわ!」
「あのさ……良いんだけど、何で俺の部屋なわけ? お祝いなら紫乃ちゃんの部屋でやるのが普通じゃね?」
「まぁ良いじゃないですか。どうせドードーも『ボクちん、友達を部屋に入れるの初めて!嬉しいよーん!』って思ってるんでしょう?」
「そ、そりゃそうだけど……で? 俺の話、本当に聞きたいのか? せっかくのお祝いなのに、楽しい話じゃないぞ?」
「朱音にドードーのことを知ってもらうためにも、ちょうど良い機会でしょう。まぁ、たかだかドードーの話が? わたしの感情を動かすとは思えませんがね」
「わたしも、他人の話ではピクリとも笑ったり泣いたりしたことはございませんからね?」
「まぁ、別に良いけど……じゃあ、とりあえず走り出すまでの経緯というか、過去の話をするぞ?」
数分後。
「ぐふっ……うぅ……ま、まぁ、ドードー、にしては? や、やり……うぅっ。やります、ね……」
「ううっ……わ、悪い方じゃ、ない、ということは、ぐすっ。わ、わかり、ました、わ……」
ティッシュを一箱消費するほど涙を流す二人に、不動堂はバスタオルを手渡した。
「話す前のあの態度は何だったの!? ……それで、俺は冬華の家に走ったんだが……」
「ひぐっ……と、途中で、転んで泣いた、とでも?」
「泣いてるのは、今ここにいる二人だろ?泣きながらでも茶々いれるのか? 冬華だけど……実は、記憶を失っていたんだ」
「うそ……冬華さん……なんだか、映画みたいな話ですわ……つくり話じゃないでしょうね?」
「朱音よ。ドードーは嘘つきですが、嘘だけは言いません」
「何それ、意味がわかりませんわ?」
「自分に嘘はつくけど、人には嘘をつきません。それで、記憶喪失というのは……何もかも忘れてしまったと?」
「それが……これは冬華のお母さんに聞いたんだけど。冬華、あの夜病院に運ばれて、次の日に意識を取り戻したらしいんだ。
起きてすぐ、『ねぇ、ここどこ? 昨日、瞬矢くんのお母さんにもらった手編みの帽子とマフラー、どこにある? あーあ、早く三学期始まらないかな!』って言ったらしいんだ……」
「小学四年生の誕生日……おそらく冬華ちゃんにとって一番楽しかった、嬉しかった思い出。その日以降の記憶を失った。つまり、冬華ちゃんはあの日の、次の日の冬華ちゃんに戻ってしまったと……」
「そ、それは……冬華さんにとっては良いことなのでは?忘れたいほどの嫌なことだけを失ったのですから……」
「でもきっと、冬華ちゃんも、そしてドードーも、それではいけないと思った。そうですね?」
「……あぁ。去年の誕生日、クリスマスイブ以来の対面。どんな反応をするのか、正直怖かった。でも、冬華は俺に、『わぁ、瞬矢くんだぁ! あのときとあまり変わってないね』って言ってくれたよ。
実は、これは冬華のお母さんの気遣いかもしれないけど、あれから時間を置いて、逆に良かったって言ってくれたんだ。冬華の記憶では、自分は小学校四年生なのに、鏡に写る姿は中学三年生。さすがに取り乱したらしい。
段々と記憶を失ったことを認めるようになって、『失った分、これから楽しい思い出をつくっていくから!』って、前向きに考えるようになったのは最近のことらしい」
「……ドードーさんは、言いたいことを言うことができたのですか? 小学四年生の冬華さんに、言うべきことを言うチャンスでもあったわけですよね?」
「あぁ。朱音ちゃんの言うとおりなんだが……冬華も、俺が何かを言おうとしているのに気付いたらしいんだ。そして、言った。
『瞬矢くん、変わったね。もちろん、すごく良い方に、だよ? あのときは無表情で、でも、優しさとか温かさとかを隠してるんだろうなって思ってた。でも今は、何も隠さないで……瞬矢くんの良いところが全部、見てわかるよ。
……瞬矢くん、今、悲しい顔をしてる。きっと、わたしにとってはすごく嬉しいことを話してくれるんでしょう? でもね、何だろう……それをただ甘えて聞いてしまって良いのかな……瞬矢くん、わたしの分まで、何かを背負うんじゃないの?
きっと、本心を話してくれるんだと思う。でもね……今度は、わたしが本心で聞くことができないの。
だって、そうでしょ? わたしは、一番嬉しかったときの思い出までしか覚えていない。嫌なことは失った……見失った……目を背けたの。現実と、本心と向き合ってないの。そんなわたしが、瞬矢くんの本心をちゃんと聞けないよ……』」
「……ううっ、冬華ちゃん……」
「何て出来た子なのでしょう……」
「あぁ。冬華は人に優しくて気遣いができて、でも、自分には厳しい子なんだ。俺は、最後に一つだけ、『冬華は、思い出したいか?』って、聞いた。
そしたら冬華、こう答えた。
『わからないよ……きっとわたし、嫌なことがあったんでしょ?思い出したら、また死にたくなるかもしれない。でもね……瞬矢くんみたいに、逃げたくないとは思ってるんだ。何があったのかは思い出せないけど、瞬矢くんは逃げずに、頑張って、わたしに会いに来てくれたんだよね?
だから……だけど、やっぱり、わからないよ……』って」
「冬華さんだって、恐いけど、思い出そうとしているのでしょう?それを、思い出したいか? って……無責任というか、まるで思い出させることができるかのようなことを言いますのね……」
「それで、次にいつ冬華ちゃんと会ったのです?」
「その、次の日だ。電話をして、商店街の中心で待合せをした」
「クリスマスツリーがあった場所……去年、待合せをした場所ですね? そこに、太一と向かった、と?」
「……そのとおりだ。朱音ちゃんの言うとおり、無責任な、また俺の自分勝手な思いかもしれない。太一にはちゃんと話をして、お願いしてみたんだ。そしたら太一、
『叶え方にもよるよ。そして僕の体質はそれを選ぶことができる。冬華ちゃんが本当に、心の奥底から望むことしか叶わないんだから。それにね……体質を使っちゃったら、僕も関係するよね?僕も一緒に背負うから安心して!』
って言ってくれた。ほんと、何て良いやつなんだあいつは!」
「おぉ……明日、スーパーウルトラファイティング撫で撫でをしてやりましょう」
「それ、わたしも加わって良くて?」
「待合せ場所では……」
「ちょっと待ったぁ! ここからはノーカットで回想をお願いします。では、どうぞ!」