202話 皇輝さまの十八歳の誕生日に結婚しましょう
「四月から働く予定のお手伝いさん。一人は六十代前半、もう一人は二十代前半くらいの女性でした。
その二十代の方は、結局そのときしかお目にかかることができませんでしたけど、すごく綺麗だったのを覚えています。
顔で決めたのでしょうか?お父さまって、面食いなんですよ。わたくしのお母さま、ミス何とかでグランプリにも輝いたようですし」
「へ、へぇ・・・でも、面接とか試験もあるんじゃないの?西望寺家のお手伝いさんでしょ?」
「えぇ。素行やら何やらもちゃんと調査するみたいです。それで、その綺麗なお姉さまですが、これまた綺麗な笑顔で、わたくしを見て言っていたのです。
『この大きさならぁ、あのバッグに入りそうね。スパイごっことか言って詰め込んでぇ、持って帰ってぇ、身代金と交換!タッくんと国外にばっくれてぇ、死ぬまで楽に生きようっと!』
そのときのわたくしにはわからない単語ばかりでしたので、理解できませんでしたけど・・・ね?これ、アレですよね?」
「アレ・・・たしかに、確実に誘拐を目論んでたよね」
「その後すぐ、お姉さま、お花摘みに立ちましたの。わたくし、お姉さんに付いて行って、摘み終わって個室から出てきたところで単語の意味を聞こうと思いましたの。
でも、お花が大きかったのでしょうか、なかなか出てこなくて。だから、居間に戻って、しばらくして戻ったお姉さんに、皆の前で聞いてみましたの。
『ねぇ、お姉さん。スパイ、身代金、タッくん、ばっくれる。この言葉の意味を教えていただけますか?』
あのときのお姉さま、激しく動揺していましたわ。
『えっと、お嬢ちゃん?どこでそんな言葉を聞いたの?』
『お姉さん、さっき言ってたよね?』
『そ、そんなこと言ってたかしら?あぁ・・・もしかしたら、電話かな?わたし携帯電話で、お友達とスパイアニメの話をしていたの。きっとその会話聞いたのね。
でもね、お嬢ちゃん。人のお花摘みの音を聞いちゃいけないんだよ?お嬢ちゃんも、聞かれたら嫌でしょう?』
『わたくし、解き放つ音も綺麗ですので。むしろ聞いてほしいくらいですけど?』
『何この子!?いや、噂で聞いたことがある・・・この世には大便マスターがいるって!』」
「ちょっとごめんね?それ、今つくった話じゃないよね?大便マスターなんて、今日紫乃ちゃんから初めて聞いた言葉だけど?」
「あら。たしかに、ちょっと脚色したかもしれませんわ。とにかく、あのときお姉さまは、御手洗いで『タッくん』と電話をしていたのかもしれませんね。
お父さま、耳が良いけど、女性のトイレの音は聞かないようにしていたのでしょう。気付いたのはわたくしだけ。
そのとき、わたくしの体質のことは認知されていませんでした。だから、トイレに聞き耳を立てたのだと思われましたの。わたくし、みんなに注意されてしまいましたわ。
『全てのトイレのドアに聞き耳を立てることを禁ずる』、『解き放つ音を人に聞かせることを禁ずる』って。
その日の夕方、お父さまのところに、お姉さまから『お手伝いさんを辞退したい』という電話があったようです。夕食の時に、お父さまからみんなにそう伝えられましたわ。
そして、みんなの顔からは、ほぼ同じ声が聞こえてきました・・・。
『朱音が変な子認定された・・・大便使いになど育てたつもりは無いのに・・・』
言ってはいけないこと、やってはいけないことを、この身をもって知った一日だった。
そんな記憶でしたけど・・・今思えば、下手したら誘拐されてましたよね、わたくし?」
「そ、そうだね。・・・そっか、自分に対する悪意を聞くことができるから・・・。じゃあ、災厄って、未然に防ぐこともできるってことかな・・・?」
「ところで、何でこんなことをお話しているんでしたっけ?」
「・・・実は、わたしたちもね、小学校に入る直前に何かが起きているの」
「特殊な体質を持つ人は、災厄を招くっていう側面も持つんじゃないか。僕たちはそう考えているんだ」
「・・・そうですか。でもわたくしは、その未遂事件以降は何も思い浮かぶことはありませんが・・・はっ!もしかして、数々の負の衝撃は災厄だったとでも!?」
「負の衝撃?・・・それたぶん、違うと思うよ?」
「思惑が外れて皇輝さまが天照台高校に入ったこと。皇輝さまと同じクラスになれなかったこと。一か月弱もの間、皇輝さまの起きている顔を拝めなかったこと。・・・あぁ、たしかにこれは最悪ですわね!」
「それ、俺の行動が最悪だったって言いたいだけじゃないのか!?」
その後、裁は、昼休みに伝える予定だったみんなの体質のことを話した。そこには、先日知ったばかりの太一の体質も含まれていた。
「みなさんも、わたくしと似たような学校生活を送ってきたのですね。・・・確かに、我慢の大きさだけで言うと、紫乃が一番かもしれませんわね。でも、つくりあげた空気感で言うと、太一さんが一番でしょうか。クラスメイトに最後まで名前を覚えてもらえないって・・・すごすぎません!?」
「だよね。でもわたしも、卒業式が終わって最後にみんなで写真撮ろうって時に、『今日いたの?』って言われたっけ」
「はぁ?嘘でしょ!?その容姿を持ってして、何をどうしたら空気になれるの?気高すぎて逆に見えないってやつ?・・・そ、そう言えばこの女神、わたしの感情センサーも反応しないんだよね。・・・もしかすると、物理的に触れられない、跳ね返す・・・それ以外にも何かあるんじゃ・・・」
「この体質がどうかした?」
「いえ、わたくしにもよくはわかりませんが・・・ふむ、おそらく自覚は無い?ここにいる二人も気付いてなさそう・・・後で、紫乃にでも聞いてみますか。・・・ところで、皇輝さま?」
「・・・ん?」
「クロサイさんが近づいてくれるのが一番ですけど・・・皇輝さまが正の感情をばらまいてくれれば、わたくし、普通に生きることができますよね?どうすれば感情のコントロールができるようになります?
わたくしには何ができますか?結婚ですか?あぁ、それが良いですね。じゃあ、皇輝さまの十八歳の誕生日に結婚しましょう。早めに、明日から準備を開始しましょう」
「お前、『人に結婚を迫ることを禁ずる』って言われたことは無いか?・・・とにかく、俺が感情をコントロールできたとしても、全ての声を消すことはできないと思うけどな」
「そうなのですか?負の感情が正の感情で上書きされるのでしょう?」
「例えば、羨望って、負の感情なのか正の感情なのか、はっきりしないだろ?向上心とか、競争心もそうだ。判別が難しい感情は上書きできないと思う。そして、その感情から派生する負の感情は、必ずある」
「それ即ち、善い負の感情ということですね」
「・・・ん?負の感情に善いも悪いもあるのか?」
「だって、例えばこの世界に悪人しかいなかったらどうします?誰かと共生するのであれば、比較的善い悪人を見つけません?」
「その体質・・・お前の我慢も、相当のものじゃないか。それなのに・・・朱音、お前、強いんだな」
「え、うそ・・・皇輝さまに褒められた!?きゃっ!じゃあ、結婚」
「結婚はしないぞ?」
「何このやりとり!?天照奈ちゃんと紫乃ちゃんのお風呂のやりとりそのままじゃない!?」
「いや、わたしなら『じゃあ』か『け』でかぶせるよ?」
「何に張り合ってるの!?」
「そう言えば、皇輝さまはなぜここに?わたしに聞く力があるか、それを聞きたかっただけですか?」
「あぁ、それもある。でもな、今日はバイト無いし、裁に勉強を教えてやるのが一番の目的だ。ついでに天照奈の手料理を食べたかったし」
「なぜ皇輝さまがクロサイさんに勉強を!?あれ、でもそう言えば、皇輝さまって、この前の全国模試・・・」
「あぁ、九位だったな。朱音よりも、裁よりも下だ。こんな俺が教える立場なのがおかしいか?」
「滅相もありませんわ!・・・申し訳ありません。きっと、アルバイトで復習する時間が取れなかったのと、心身を激しく磨耗していたせいでしょう。それに、勉強というか、勉強の仕方を教えて差し上げるんでしょう?」
「うん。僕、効率が悪いみたいなんだ。食事、お風呂、トイレ以外は勉強しかしていないのに・・・」
「でも裁くんって、いつもいろいろなことに巻き込まれてるよね?本当に勉強だけに集中できる時間って、実は少ないんじゃない?」
「俺もそう思ってた。ちゃんと勉強してあれなら、天照台の血を引いているのにおかしいよな?」
「結果、ただ効率悪いだけでもあんまり驚かないでよね?・・・中学校までは邪念というか、物理的な障害があったけど・・・でも今は時間もかけてるはずなんだけどね・・・」
「とにかく、いつもどおり勉強して見せてくれ。それを見てから判断する」
裁と皇輝の二人は、裁の部屋へと向かった。そして、リビングには天照奈と朱音だけが残った。
「あの天照奈さん・・・すごく気になっていること、聞いても良いですか?」
「・・・良いよ?」
「何でクロサイさんと同棲しているのです?」
「ど、同棲!?いや、一階部分は裁くんの居住スペースで、わたしは二階に住んでるから・・・裁くんの家事をするときだけ、一階にいるだけで・・・」
「階層で分けられている、と・・・でも別に、玄関が別でも問題無いのでは?何かあったとしても、クロサイさんがあなたの部屋の合鍵を持っていれば良いだけでしょう?」
「そう言われると・・・うん、たしかにそうなんだよね。いざというとき、裁くんに助けてもらう。代わりに、裁くんの家事全般をする。近くにいる必要はあるけど・・・ね」
「クロサイさんのお父さまの陰謀ってことですか・・・なんだか、噂以上に厄介そうですわね」
「そうなの!気を付けないと、大変なことになっちゃうの」
「でもその大変なことって・・・もしかすると天照奈さんにとって、結果的には『嬉しい大変』だったりしない?」
「・・・どういうこと?」
「だって、天照奈さんて・・・」
朱音は、『何を言うんだろう?』という表情で見つめてくる天照奈を見た。相変わらず、その顔からは何も聞こえないし、何の感情も感じ取れない。
でも、朱音には、目の前の女神が何を思っているかはわかっていた。
この子は、クロサイさんのことが好きなのだろう。
ちゃんと自分の気持ちに気付いているけれど、今のこの状況を変えようとは考えていない。
この状況に満足しているのか、あるいはこの状況を良い方向へ進める手段がわからないだけなのか。
いずれにせよ、何事にも恐ろしく察しが良いはずなのに、恋愛感情にだけはひどく鈍感のようだ。
『だって、天照奈さんって、クロサイさんのことが好きなんでしょう?』
『大変なことって、クロサイさんと生涯のパートナーにさせられることじゃない?』
それを言って良いものか、一瞬だけ悩んだ。
そして、悩んだ結果、朱音は、その言葉を飲み込んだ。
「天照奈さん。結果的に、家事スキルをさらに高めることができるじゃないですか」
「そ、そうなんだよね。父とは違って人目を気にするからか、余計に身に付くというか・・・」
「それはありますわね!・・・じゃあ、後片付けをして、今日は帰らせていただきますわ。手伝いますわよ?わたくし、お皿洗いは食洗機並みの腕前なので」
「あ。ありがとう!」
見たことのないほどの大きなお茶碗を洗いながら、朱音は考えていた。
きっと紫乃は、自分が疑問に思っていることの全てを知っているだろう。答えは知らないかもしれないが、確実に把握しているはずだ。
そして、ずっと、ニヤニヤとモヤモヤの狭間で何かを我慢しているに違いない。
たった五ヶ月とは言え、一番近くで見てきた紫乃。
そう、明日、紫乃に聞いてみよう。
特に聞かなければいけないこと。
女神に対する皇輝さまの想いの強さ。そこには、わたしに付け入る隙があるかどうか。
聞くことはできないが、確かめたいこと。
紫乃に対する『親近感』にも似た、この強い想い。
遠いところで血の繋がりがあるからか。
本心から言い合える、初めてできた友達に対するものなのか。
それとも・・・