201話 大便みたいな勘違い
天照奈が無慈悲に設置した、何者にも踏破不可能なハードル。
それは超えるものではなく、美術館に飾られる国宝のようなもの。その場の皆が朱音にそう言い聞かせると、紫乃により、体質暴露の順番が決められた。
「朱音、太一、皇輝の順で良いでしょう。朱音からお願いします。ほれっ!」
「・・・ちょ、ちょっと待ってください。太一って?えっと、一族って他にもいるわけ?東條家なの?」
「あら、知らないのです?野良ってやつですよ?」
「なんですのそれ!?」
「一族の血を引く人間以外にも、特殊体質持ちがいるということです。あと、あなたのクラスにもう一人いるけど・・・あぁ、近いうちに絶滅してしまうので、知らなくても良いでしょう」
「・・・わかりました。では、わたくしから・・・」
――「・・・ふーん。人の顔から負の感情が聞こえてくる、と。な、なかなかの体質ですね・・・ま、まぁ、我慢度で言うのならボクが一番ですかね?」
「・・・ボク?紫音と区別が付くようにしているのですね?・・・か、可愛いじゃないですか」
「でもさ、我慢度で言うなら、やっぱり彩ちゃんが一番じゃない?」
「ちょっと、今度は誰ですの?」
「えっと、校長の、年の離れた妹・・・僕と皇輝くんの、年下の叔母さん」
「わたくし、というか西望寺家にはそんな存在知らされてませんことよ?」
「僕たちもつい最近知ったんだ。皇輝くんも教えてくれなかったし」
「いや、俺は別に・・・」
「うふふっ。可愛いサイちゃんを独占したかったんでしょ?全く、そんなんだからキモいって言われるんですよ?」
「え、俺、彩ちゃんにキモいって言われてるのか!?」
「彩ちゃん?天照奈ちゃんのことさえも呼び捨てるくせに、彩ちゃん!?ぶふぅっ!あはははっ!」
「くっ・・・お前みたいなのに近づかせたくなかったんだよ!」
「あら。今やお師匠と呼ばれて、えらく慕われていますけど?お風呂も一緒に入ったし、何ならボク、サイちゃんと結婚もできちゃいますよ?」
「くっ・・・」
「紫乃ちゃん?皇輝くんが負の感情ばらまいちゃうから、あんまり刺激しないであげてね?」
「ば、ばらまくって・・・」
「天照奈ちゃんの方がよっぽどひどいですからね?」
「それで、彩ちゃんはね、特殊な体質の人しか見ることができないんだ。普通の人だと、身に付けているものしか見えない」
「なんて体質を・・・逆ならどんなに良かったか・・・。でも、その子には申し訳ないのですが・・・少し、羨ましいって思ってしまいました。わたくし、人の顔が見えなければ良いのにって、ずっと、ずっと、思ってきたんです・・・」
「そりゃ、人の悪口なんて聞きたくないですもんね。っていうか、何でボクの声は全部聞こえるのです?全部が全部、あなたへの負の感情じゃないでしょうに!」
「・・・負の感情じゃなくて、『腐の感情』なのでしょうか?それとも、大便マスターだから、わたくしにとっては存在自体が負なのでしょうか」
「!?」
「あのさ、でも、何て言うんだろう・・・朱音ちゃんて、普通に顔を見て、普通に話をしてるように見えるけど?」
「うふふ。だってここにいる皆さん、負の感情が全く聞こえないんですもの。同時通訳の紫乃以外は、ですけど」
「じゃあ、僕が近づいても、あんまり力にはなれないかな」
「クロサイさんに近づけば・・・きっと、テレビを見ているときみたいに、何も気にすることなく、人の顔を見ることができるのでしょうね。
・・・もしもクロサイさんのことを知っていたら、もしも近くにいてくれていたら。今のわたしとは違っていたかもしれない。ここにいなかったかもしれない。
絶対に思い返すことなど無いと思っていた過去を、クロサイさんがいたらこうだったかもしれない、そんな妄想と一緒に思い返すこともできるかもしれない。
でも、それは全て過去の話です。わたくしたちは今を生きている。
今も、そしてこれからも、何かを我慢したり妥協して生きるんだろうな。
そしてそれも、ついさっきまでの、過去の話になりました。
・・・あなたが、クロサイさんが普通を与えてくれること知りました。
だからこれからは、普通に生きていく自分を思い浮かべることができます。
・・・普通の人にとっては当たり前のことかもしれませんけど、そう思えるだけでも、それはわたくしにとってすごいことなのです。
だから、ありがとう。
もしも近くにいてほしいときは、お願いしますわ。
ていうか、恥ずかしい話ですけど・・・近くにいてくれなくても、あなたを見ているだけでなんだか・・・安心しますの・・・」
「そう思ってもらえるなら嬉しいよ!何にもできない僕だけど、この体質で唯一できることだからね」
朱音の本心を知って、人の役に立てることを喜ぶ裁の笑顔を見て、その場のみんなが微笑んだ。
紫音以外は。
「朱音ちゃん?一つ、確認しても良い?」
ずっと黙っていた紫音が、何やら神妙な面持ちで口を開いた。
朱音は、紫音のその表情を見ただけで察したのか、
「安心してください。わたくし、お慕い申し上げているのは皇輝さまだけですの」
その答えに、紫音の表情が一気に晴れ渡った。
「朱音よ。どうやら、わたしは勘違いをしていたようです。大便みたいな傲慢をまき散らすだけの女だと思っていたのですが。思ったより良い・・・いや、えっと、アレ、ですね」
「なんて、大便みたいな勘違いを・・・あ、あなたこそ、思ったより良い・・・いや、アレ、でしたわね」
「で、でも、敬語キャラはボク一人で足りてますからね?すぐにやめるがよろし」
「ふふ・・・わたくしのはお嬢様言葉ですのよ?そんな、大便に毛が生えたくらいの敬語を使うくらいなら、そっちがやめるべきでは?」
「大便に毛が生えたら最強でしょうが!褒めるかけなすかどっちかにしてよね!」
「けなしてるんです!」
「それにあなた、ちょくちょく大便の話をしてますけど、大便マスターの座も狙ってません?」
「狙うわけないでしょ!?いや、話すことは嫌いじゃないけど、そんな称号ほしいわけないでしょうが!」
「大便は一人でするもの。分け合うことなどできないのですよ?」
「だから、あなた一人で良いです!認めましょう、あなたがマスターです!」
「ふふん。わかればよろし。では・・・使い魔であるあなたに、愛称を授けましょう!」
「つ、使い魔!?大便使いに使われるわたしって一体何モノ!?しかも、愛称?・・・わたくしは、普通に名前で呼んでもらえればそれで・・・」
「とは言いつつ。あなたの名前はもともと可愛いので、名前以上のものは思い浮かばないでしょう。だから、あなたは『朱音』です!」
「・・・思ったんですけど、何で最初から呼び捨てなんですの?」
「サイくん、ラブくん。天照奈ちゃん、サイちゃん。他の人は全員呼び捨てですよ?『くん』『ちゃん』含めての愛称なのです。あなたの場合は呼び捨てが可愛い。ただそれだけのこと」
「可愛い・・・それなら、文句はありませんけど」
「そんなことより、ちゃっちゃと体質の話を進めましょうか。次は太一の番ですよ?ほれ、どうぞ」
「う、うん・・・でもね?」
紫乃は見た。
何やら気まずそうにこちらを見ている太一を。
そして、さっきまでいたはずの五人がいなくなっているのを。
――十九時、裁と天照奈のアパート。
いつも二人だけの食卓を、皇輝、そして朱音が一緒に囲んでいた。
「雛賀さん、とても美味しいです。料理も最高に上手って・・・いや、まだまだ隠し持っているのでしょう。これくらいで驚いていてはからだが持ちませんわね」
「ふふっ。ねぇ、下の名前で呼んで欲しいな。わたし、勝手に朱音ちゃんって呼んじゃってるし」
「そうですか・・・じゃあ、天照奈さん、ですね。あと、クロサイさんと皇輝さま」
「何で俺だけ『さま』なんだ?」
「何でって、お慕い申し上げてるって言ったでしょう?嫌なら結婚して下さい」
「・・・と、ところで。こういう場に紫乃ちゃんがいないのって珍しいよね」
「そうだよね。チケット制度つくったけど、まさか簡単には諦めないだろうし。何か家の用事があったんじゃない?それか、何か思惑があるか」
「あの・・・今さらですけど、わたくしは何で呼ばれたのです?・・・もしかして、皇輝さまと話す場を提供してくれたとでも!?」
「何も聞かずによく来たよね?・・・いや、ほら、お昼休みにみんなの体質のことを話せなかったでしょ?それに、聞きたいこともあったし」
「聞きたいこと・・・?」
「あぁ。単刀直入に聞こう。西望寺、お前、耳が良かったりするか?」
「・・・なぜそんな・・・なんで、西望寺って呼ぶのです!?朱音って呼んでください!」
皇輝は一息つくと、
「・・・わかった。朱音、だな・・・」
そう呟き、少しだけ耳を赤くした。
「嬉しい!・・・それで、耳のことですけど。あれ、皇輝さま?耳が少し赤いですわよ?お熱でもあって?」
「み、耳を少し赤くするのが密かなマイブームなんだ・・・」
「そうですの・・・それで、耳のことですけど。人の顔から負の感情が聞こえるだけで、聴力は普通だと思っていますよ?」
「その、聞こえるっていうのはどう聞こえるんだ?その人の声で聞こえるのか?」
「そのとおりですわ。その人が口でしゃべるように、その人の声で、わたしの耳に入ってきますの」
「もしもだけど・・・しゃべれない人の顔を見たら?その、声って聞こえるのかな?」
「それは、わかりません。わたくしはこれまで、しゃべることができない人にお目にかかったことがないので。・・・でも、もしも紫乃がしゃべれない頃に出会ったら、きっと、聞こえていたでしょうね」
「負の感情、大便感情は聞き取ることができる。・・・条件付きだけど、聞く力があるってことかな?」
「朱音、この前の集まりが終わってすぐに、すごい音が聞こえただろう?あのとき、校長のメッセージ・・・何か気付いたことがあるか?」
「メッセージ?部屋に留まるってやつですか?」
「!?」
「あのとき部屋に残った三人へのメッセージだったのでしょう?ていうか、わたくしは校長の、
『あの三人以外には聞こえないだろう』
『あの三人以外は部屋に留まらないだろう』
っていう負の声を聞いただけです。なんとなく口でも言っていたような気もしますが」
「それって、聞いたことになるんじゃない?ねぇ、皇輝くん、どう思う?」
「・・・俺たちが判断することではないだろう。管理してるのは校長だから・・・って、メールか?」
皇輝の個人端末が何かを受信したようだ。
朱音以外は、その送り主と内容がわかっていた。
「校長から。『代わりに伝えてくれ』だとさ」
「何ですの?」
状況がつかめていない朱音に、皇輝から、集まりの後に校長から聞いた話が伝えられた。
「・・・特殊な体質と聞く力を持つ者には、校長の資格がある、と・・・一族の体質のことは知ってましたけど、聞く力・・・?」
「え、体質のことは知ってたの?紫乃ちゃんは知らなかったって言ってたけど」
「西望寺家では十歳の誕生日に、一族の体質のことが教えられますの。紫乃の場合・・・たぶん、お父さまが紫音の気持ちも汲んで、伝えていなかっただけでしょうね」
「あのお父さんなら忘れてただけって可能性もありそう。・・・じゃあ、朱音ちゃんのお父さまとか兄弟はみんな知っていて、特殊な体質を持っているの?」
「えぇ。お父さまは聴力、お兄さま二人は視力と嗅覚が優れていますの。メリットしかないって羨ましいですよね?あぁ、臭いのを人より嗅げるのは嫌ですけど」
「朱音ちゃんは特殊で、しかも聞く力もある・・・あのさ、変なこと聞くかもしれないけど。何か事件に巻き込まれたりしたことある?小学校に入る直前とか」
「事件?・・・いや、別に、我慢して生きてきただけでそんなことは・・・あ。忘れてましたけど、あれはよく考えれば事件ですわね。未遂に終わりましたけど」
「未遂?」
「えぇ。たしかにそれは小学校に入る直前だったでしょうか。西望寺家には執事の他にお手伝いさんが二人いて、雇用期間は一年間と決まっています。あのとき、四月から働く予定のお手伝いさんがご挨拶に来ていて・・・ぽわわわーん」
「何その効果音!?」
「え?回想の始まりって、こんな音でしょう?」
「紫乃ちゃんに似てるんだけど・・・」
「その日、家族揃って、二人のお手伝いさんと居間でお話をしていましたの・・・おりましたの」
『居間』と『いました』がかかっているのを気にしたのか。
言い直してから、朱音は当時のことを語り始めた。