200話 大便マスター
雛賀天照奈。
紫乃がお隣さんの下へとやってくるときは、いつも彼女も一緒だった。
彼女を初めて見たとき、激しい衝撃を受けたのを覚えている。
それこそ、今世紀最大と言える衝撃だった。なぜカウントしていないかというと、衝撃ゲージが振り切れてしまったからだ。
その容姿は、わたしの美少女評価の枠をも超えていた。
敢えて美少女にこだわるのならば、国宝級美少女と言うのがふさわしい。美少女と言わないのであれば、女神とでも呼ぶべきではないか。
そのとき、わたしの感情センサーも振り切れていた。
そこに感じたのは『無』だった。
これはきっと、高すぎる音は聞こえないみたいなヤツではないだろうか。それとも、気高すぎる彼女は、その感情にすら触れることができないのか。
そこに、好みなどという低俗な考えは存在しなかった。
女性版の皇輝さま?などと一瞬考えたけれど、わたしはその女神を、ただの崇拝の対象として見ることにした。
バージンロードの終着点ではなく、人生の終着点。天の国で迎え入れてくれる存在なのだと。
・・・という、訳のわからないことを考えてしまうくらい、大きな衝撃を受けた。
いつも紫乃と行動している彼女とも、話す機会は一度も無かった。
そして最後、三人目。
黒木裁。なぜこの男を残したかというと、動揺した心を落ち着かせるためだった。
わたしのお隣さん、黒木裁のことは、『クロサイさん』と呼んでいる。
なぜこの場にいるか疑問に思ったが、でも、わたしは彼を見て、和んでいた。気が休まるのだ。
自己紹介サプライズのとき、彼だけはわたしに気付いた。その時点で、少しだが特別な思いを抱いた。
その後も、たまにではあるが、皇輝さまとしゃべれないモヤモヤする気持ちを聞いてもらったりした。
クロサイさんは、全く特徴の無い顔をしていた。
その顔を見た直後でも、思い浮かべることができないほどだった。
その顔からは一切、負の感情が聞こえてこなかった。そしてその顔から感じ取れたのは、ぬるま湯に浸かっているような、包み込んでくれるような温かい感情だった。
異性として意識するものではなく、人間として信頼できるようなもの。
編入したその日、紫音は、あの皇輝さまの隣の席になったにも関わらず、『ずるい、席交換しよう!』と言っていた。
そのときは、何をほざいているのかと思ったのだが、三週間だが隣にいることで、なんとなくわかった気がする。
紫音も、クロサイさんと仲が良いのだろう。
きっと、彼から感じ取れるこの感情が好きなのだろう。
彼を見て気を落ち着かせていると、その場がざわついていることに気が付いた。
クロサイさんが部外者だと言われているのだ。
それはそうだ。彼はただのお隣さんで、東條家のみんなと仲が良いだけなのだ。
だからわたしも、『あなた、わたくしのお隣さん。クロサイさんじゃないの?』と言った。
別に、この場にふさわしくないという思いから言ったわけではない。
でも、天照台家が来たらすぐに追い出されてしまうのでは?そう思っての言葉だった。
だがそれが火種となってしまったのか、クロサイさんは、なぜか紫乃と一緒に部屋を出る雰囲気になってしまった。
でも・・・そんな中、部屋に入って来た校長が、彼の参加を認めたのだ。
お父さまは激しく反論したが、敢え無く却下された。
彼は何なのだろうか。もしかしたら天照台家の隠し子?
でも、一族と聞かされても、それを不思議とは思わないだろう。なぜなら、彼からは皇輝さまや紫音から感じるそれらと似たものを感じるから。
今年の子供自慢は、なぜかクロサイさんから始まった。
まるで最初から彼の参加が決まっていたかのように、準備されていた紹介文が読み上げられた。
その紹介文は、正直、面白かった。
父親のボケのセンスは終始微妙だったが、でもそれは、つっこみどころを計算してのものなのだろう。
わたしも、心の中で気持ち良くつっこむことができたのだ。
そして、彼の人柄を知ることもできた。
友達に恵まれる・・・それは羨ましいと思った。それと同時に、わたしは友達に恵まれる才能があるのだろうか、そう思った。
これまで、友達と言えるのは紫音ただ一人だった。ただの遠い親戚というだけの関係かもしれないが。
わたしが望んだら、クロサイさんは友達になってくれるのだろうか。
最後に自慢されたのは、女神だった。
その紹介で、先日の全国模試の結果が二位であると聞き、わたしは我に返った。
女神も人間だったのだ。ちゃんと順位が付けられて、しかも二位なのだ。
いや、そりゃ、二位はすごいけど。
様々な感情がうごめく中、集まりは終わった。
最後に、東條家の子供たちと話をしたいと思った、その瞬間だった。
けたたましい音が鳴り始めたのだ。しかも複数。
わたしは発生源を探り、まずは校長に目をやった。
どうやら校長で間違いないようだった。
なぜなら、校長の顔から、聞こえてきたのだ。
『あの三人以外には聞こえまい』
『あの三人以外はこの部屋に留まることはあるまい』
よくわからないが、それが負の感情ということは、『あの三人』にわたしは含まれていないのだろう。
訳がわからず、すぐにお父さまたちを見ると、すでに部屋の外への避難を始めていた。
校長の言葉が気になったものの、校長に期待されていないのなら、部屋に留まらない方が賢明なのかもしれない。
わたしは、耳を塞いで気分が悪そうにしている叔母さまの長男の手を取ると、落ち着いて部屋から出た。
わたしが部屋から出るとすぐに、その音は止んだ。
廊下には、校長の他、紫乃、女神、クロサイさんの姿が見られなかった。
あの三人とは、その三人のことだったのだろう。
顔からの言葉が聞こえたせいか、校長の口からも同じ言葉が聞こえた気がした。
でも、それもその三人に向けて言ったものなのだろう。
中から施錠されていることを知ると、廊下の大人たちは混乱し始めた。
西望寺家は廊下に揃っているものの、中で何が行われているか気がかりだったため、みんなで中を気にしながら待った。
ひどく長く感じられたが、時間としては、五分くらいだったようだ。
全員が部屋から出て来ると、校長は、
「子供たちと話がしたかった」
と言っていた。
話していたのは、去年参加しなかった三人。
それなら、叔母さまの長男も初参加ではないのか。お父さまも、少し不満げな表情を浮かべていたから、同じ疑問を持っていたのだろう。
でも、それ以上言及する必要は無いと判断したのか。校長を残し、全員、天照台家を後にした。
天照台高校に編入して一か月足らず。
一度も皇輝さまと話すこと無く、夏休みを迎えたのだった。
――九月一日、木曜日。
一か月ぶりに、いつもと同じバスに乗り、いつもと同じ時間に教室に入った裁。
自席に着くと、既に左隣に着席していた西望寺朱音に『おはよう』と声を掛けた。
集まりの後、すぐに夏休みになってしまったため、あの日のことは話せていなかった。
それに、自分の素性、情報が西望寺家にも伝わっているのか、わからなかった。
「おはようございます・・・あぁ、ようやく思い出せましたわ」
「・・・僕の存在?まぁ、存在感は薄い方だよね」
「あの後、あなたのことを知りましたの。まさか、校長に弟がいて?その息子?・・・その瞬間、西望寺家が震えましたよ。震度一の微震でしたが。それでね、改めて遠縁のあなたの顔を思い浮かべようとしたのですが・・・夏休みをかけても叶いませんでしたわ」
「そ、そっか・・・一緒に写真でも撮ろうか?」
「何であなたと撮る必要が?」
「うっ・・・いや、まぁ、そうか。冬休みまでは顔を合わせるから、思い返すこともないよね」
「東條家のみなさんは、わたしよりも前に知っていたのですか?」
「ううん。実は、僕もあの集まりの夜に知ったんだ」
「うそ!・・・あぁ、たしかに集まりでは、ただの部外者扱いでしたものね・・・」
「知ってたのは、おじいさんと僕のお父さんだけ」
「全く、天照台家はほんっとに大事な事を言わないよね。でも、じゃあなんで東條家とは仲が良いの?」
「天照奈ちゃんとは中学校が一緒だったんだ。親同士が知り合いってのもあって、いろいろあって、一緒に・・・じゃなくて、仲良くなったんだ」
「ふふっ。東條家って、『いろいろあって』が好きだよね。そのいろいろが良いように働いて、みんなお友達になったの?」
「・・・そうだね。いろいろあって・・・だね!」
「それで、クロサイさんはどんな体質持ちなのです?」
「あぁ、僕はね、近づくとその人が強く思っていること、我慢していることを発現させるんだ。あと、特殊な体質の人に近づくと、近づいている間だけ、その体質が無効化する」
「・・・それって、恐くない?しかも、え、無効化!?」
「うん。・・・僕ね、生まれてすぐ、産んでくれたお母さんを含めて四人もの人を不幸にしてるんだ・・・この体質を教えてもらったのは中学の終わりなんだけど、それまでは重度のアレルギーっていう嘘の体質で、人との接触は避けてきたんだ」
「・・・大変だったね。そっか、わたしなんかよりずっと我慢してる人、いっぱいいるじゃん」
「・・・あっ。なんか体質のこと、普通に話しちゃった」
「ごめんね。わたしも、急に聞いたら教えてくれそうって思って。作戦だったの」
「でも、そっか。一族だもんね。隠す必要なんて無いし。・・・ねぇ、朱音ちゃん。お昼ご飯、みんなと一緒に食べない?」
「・・・行っても良いの?」
「もちろん。あ、でも・・・」
「・・・紫乃ですか?」
「いや、じゃなくて。朱音ちゃんて、いつも学食で食べてるの?」
「ふふ・・・わたくしの作戦には続きがあるのです。あなたがわたくしを誘うのを想定して、お弁当をこさえてきましたわ!」
「そ、それはすごいね・・・料理できるんだね。まさかとは思うけど・・・」
「まさか何なのです?料理くらいできて当然でしょう?わたくし、何でもできますの。だから、本当は学生寮じゃなくても良かったのですが、自分を磨く時間を確保したいという理由で寮を選びましたの」
「皇輝くんもそうだけど、みんなすごいよね・・・僕も一族の血を引いてるはずなのに、何にもできないよ?」
「やってないだけじゃないの?たぶん、やればできますわよ。だって、血統的には皇輝さまとほぼ同じでしょ?でも・・・そっか、何からも遠ざけられて育ったから・・・」
「・・・うん。やってみるよ!あ、皇輝くんも今日から一緒に食べるんだよ」
「!?」
お昼休み。
いつもの場所、いつものメンバーに、皇輝と朱音が加わっていた。
「ちょっと、何で朱音がここにいるのです?」
「そんなことよりも、何で皇輝さまがここにいるのです?しかも、何で起きているのです?・・・って、何でわたくしと目が合ったら目を瞑ったのです?」
「あのさ、ほら、朱音ちゃんには別に隠す必要も無いでしょ?それに、朱音ちゃんが何か我慢していることがあるなら、僕たちが力になれるかもしれないし」
「ふんっ。別に良いですけど?でも、それならまずは、あなたから話すべし!」
「あなた、口からも顔からも、全く同じ事言うんですね・・・しかも、何で全部負の感情に判定されるわけ?大便関係じゃないのに?」
「何をわけのわからないことを・・・それに大便って、食事中ですよ!食事中のお花摘みは禁止って、親に言われませんでしたか?」
「残念ながら、わたしのお花摘みは華麗ですので、食事中でも支障にならなくてよ?」
「そ、そんな・・・でも、いくら華麗でも大便は大便。大便マスターであるわたしの前で、そんな横暴は許されませんよ?」
「ねぇ、大便マスターさん。食事中に大便の話やめようって話だよね?早くやめない?」
すっかり仲良く言い合う二人に、皆を代表して、天照奈がつっこみを入れてくれた。
「ねぇ、朱音ちゃん。わたしはね、誰からも触れられない体質なの。そしてね、触れられないだけじゃなくて、跳ね返すの」
「そう、天照奈ちゃんは無敵なのです!」
「初代校長の逆・・・?って、わたしから話すんじゃなかったの?」
「ふふっ。ほら、早いもの勝ちってやつ?なんかさ、段々とハードルが上がりそうでしょ?」
「じゃあ、いきなり最強から話しちゃ駄目じゃない!?誰がこのハードル超えられるの!?なにこの女神、恐いんですけど!?」
天照奈はすごいを通り越して恐い。
身をもって思い知った朱音だった。