199話 衝撃カウンター
かまいたちのような緊張感が未だ漂う中、今度こそ東條家の順番になった。
天照台皇輝の超絶エピソードの後に、しかもこんな雰囲気で、果たして自慢話などできるのだろうか。
そう思ったわたしは、だが、見た。
東條家の父親と思われる男性が、急に笑顔に変わったのだ。
まるで、『やっと子供の自慢ができる!』と言わんばかりの生き生きとした表情だった。それは良い意味で、その場の緊張をぶち壊してくれた。
父親は、紫乃が欠席した理由を『体調不良のため』と言っていた。大便室に籠城しているから、嘘ではないのだろう。
父親は、そんな紫乃のことを終始べた褒めしていた。そのほとんどが感覚的なもので、親バカと言われても仕方が無いものばかりだった。
一方で、紫音の自慢は、『国民的アイドルのセンターになった』という、それだけで西望寺家の全ての自慢を無かったものにするほどの大きいもの。
そして、『全国模試が六位だった』という二つだけだった。
・・・確かあのどや顔、紫乃は全国三十位だったと言っていた。
しかし、まさかアイドルに負けるとは・・・。
勉強が趣味、そして勉強担当というのも頷ける。というと、大便担当の紫乃もトップクラスということだろうか?いや、トップクラスの大便担当って何だ?大便室に籠城を決め込む時点でレベルが高いのか?
いやいや、今考えるべき『べん』は大便ではなく勉強の方だ。負けず嫌いのわたしの心に火が付いた。
トップの座とは言っても、そこにはあらゆる分野がある。容姿も、人の好みやジャンルがあるだろうから、一概にトップを決めることはできない。
だけど、勉強だけは違う。成績で、点数で順位がつけられるのだ。
たとえ憧れの紫音でも、勉強では負けたくない。
わたしは、アイドル活動をしていないときの、勉強担当の紫音を『ガリ勉紫音』と名付け、好敵手とすることに決めた。
東條家の自慢が終わると、校長から締めの言葉で、集まりは幕を閉じた。
本当に自慢だけなんかい!というつっこみを思うと、最後に紫音と話をしたいと思い、座ったまま声をかけた。
すると、
「ねぇ・・・皇輝くんと話をしてみない?夢ってなんだろうね」
紫音はそう言い、未だに緊張感が漂う天照台家の座席へと歩いた。
この親子には恐いものが無いのだろうか。そう思いつつ、わたしも席を立ち、美少年を美少女で挟み撃ちしてやることにした。
わたしと紫音が近づくと、校長は『くくっ』と口角を少し上げ、席を立った。祖父と思われる男性の姿は既に無かった。
その場に残ってくれている美少年に、紫音が尋ねた。
「皇輝くんの夢って何?」
唐突すぎる気もするが、そんな疑問を抱かせた美少年も悪いのだ。
わたしも腕を組み、美少女の圧を高めてやることにした。
美少年は『くくっ』と口角を少し上げると、答えた。
「実は、俺にもまだわかってない。一人でいろいろ経験して、いろんな感情を抱いてみて・・・いずれ、わかるときが来ると思う」
それだけ言うと席を立ち、部屋を出て行ってしまった。
「変なの・・・特に前髪が変だよね?」
後ろ姿に毒を吐く紫音だったが、わたしは何も言わずにただ突っ立っていた。
美少年の言葉。目が合って、その綺麗な顔面から聞こえた言葉。
『お前らには俺の我慢なんてわかりようがないだろう』
一人で生きるという意思を持ち、わたしたちを、いや、誰をも遠ざけているのだろう。
その意思が、負の感情として判定されたに違いない。
彼が抱える我慢とは一体何なのか。一族特有のもの、そしてそれは、夢を叶えるためのものに違いない。
とても気になったけれど、でも、わたしはそれよりも、彼の雰囲気に衝撃を受けていた。
最後の言葉を口から発したその瞬間、彼から強い正の感情を感じ取ったのだ。
それはまるで、正の感情の塊のようなもの。
それは、まだ磨かれていない原石のようなもの。
いつかそれは、まばゆい光を放つことだろう。そしてその輝きはきっと、わたしを照らすだろう。
わたしは、心に誓った。
皇輝さまに一生付いて行く。
――あれから一年が経過した。
今日は、高校生になって初めて臨む、一族の集まりの日だ。
わたしは、天照台高校の学生寮のロビーに置かれた革張りのソファに腰掛け、瞑想していた。
思えば、いろいろなことがあった。何度、激しい衝撃を受けたことか。
そのたびに今世紀最大の衝撃だと言っていた気がする。
一年前のあの日、皇輝さまと出会ってから、自分を磨くことに全精力を注いできた。
皇輝さまをバージンロードの終着点に立たせるという目標を抱き、妄想にも励んだ。
そして、気付いたら高校生になっていた。
第一の衝撃は、高校入学後すぐ、紫音から来たメッセージだった。
『皇輝くん、天照台高校に入ったらしいよ?』
なんということだろう。
一人で生きると聞き、まさか、学費が超高額な天照台高校になど入るわけがないと踏んでいたのだ。
でも、そうか・・・あの皇輝さまなのだ。
ちょっとやってみれば何事も日本で一番になれるのだ。ちょっと考えて、高校卒業までの完璧な資金計画を立てたのだろう。
その日以降、わたしは食事が喉を通らないほど無気力になった。
皇輝さまを軽んじていたこと、天照台高校に入らなかったことを激しく後悔した。
そして、第二の衝撃。それも紫音からのメッセージだった。
『わたし、天照台高校に編入する!』
・・・え?編入できるの?
っていうか紫音って高校入ってないけど、それって編入?
居ても立っても居られず、わたしは紫音に電話をした。
「あ、朱音ちゃん、久しぶりだね!」
「で、編入試験はいつなの?」
「えっと、試験は無いみたいだよ?そもそも入学試験も無かったらしいし」
「・・・じゃあ、どうやって編入するの?」
「今度、六月あたまに全国統一模試があるの知ってる?そこで良い成績を収めるか、勉強以外で何か良い成績を収めるか。願書を出して認められれば、七月一日から晴れて天照台高校の生徒!」
「・・・わたしも入ります」
それだけ言うと電話を切り、まずは模試までの綿密なスケジュールを立てた。
目指すは全国一位。それ即ち皇輝さまをも上回るということ。
天照台高校に編入し、さらには皇輝さまの心にも編入するという計画がスタートしたのだった。
第三の衝撃は七月一日、編入したその日の朝のことだった。
前日入りした学生寮から職員室に向かう途中、第一ホール前のモニターに立ち寄った。
そこで初めて、一学年の名簿と座席表を個人端末に取り込むことができたのだ。
何で事前に教えてくれないわけ?
それってものすごく大事なことじゃないの?
天照台高校って一族が管理してるだけあって、ここでも大事な事は言わないの?
文句とともにデータを受信すると、名簿を見た。
たった三クラスしかないこと、一クラス二十人しかいないこと、『壱』『S』『天』という謎のクラス名。
いろいろと思うところはあったが、そんなことはどうでも良かった。
皇輝さまと別のクラス!?
衝撃とともに目眩を覚えたが、決まってしまったものは仕方が無い。
模試で全国一位になれなかった時点で、当初の計画からは大きく外れているのだ。計画なら、また練り直せば良い。
第四の衝撃。
それは編入から今日まで約三週間続いた。
皇輝さまと一度もおしゃべりできなかったのだ。それどころか、起きている姿を拝むことすらできなかった。
朝も、昼休みも、休み時間中ずっと、アイマスクをつけて瞑想しているのだ。
授業開始ギリギリに登校して、授業が終わるとすぐに下校する。
教室の入り口で待ち伏せて、授業開始二秒前にやってくる皇輝さまを拝むことも考えた。
でも、拝んですぐに自席へと走っても、わたしが遅刻してしまう。何より、皇輝さまの動きは速すぎるため、その輝かしい残像しか見えないことだろう。
それは放課後も同じ事。隠しカメラを仕掛けたところで、どんなに解像度の高いものであっても、残像すら捉えることができないだろう。
為す術無く、あっという間に時間だけが過ぎたのだった。
そして今日。
一年ぶりに皇輝さまの顔面を拝めると思ったのに・・・まさかの出禁?
天照台家の出席者が、校長と祖父らしき男性の二人と知った時点で、わたしの衝撃カウンターは『五』を刻んだのだった。
それでも、カウントまでは至らなくても、集まりでは衝撃的なことばかりが起きた。
まずは部屋に入ったときのこと。
昨年と同様、東條家が先に着席していた。
昨年は三人しかいなかったのだが、今年は六人もいたのだ。西望寺家も、昨年のメンツに叔母さまの長男が加わったのだが・・・。
子供が三人も増えるってどういうこと?
紫音の弟が増えるのはわかる。昨年ほどではないが、わたしたちはまた、激しく動揺した。
昨年から変わらないのは、祖父と思われる男性と、既にどや顔の父親、そして紫音。
紫音とはあの後ずっとメッセージのやりとりをしていたし、編入後には休み時間におしゃべりもしていた。
問題は、増えた三人だ。
見た瞬間、天照台高校の同級生であることはわかったし、名前も知っていた。
まず、東條紫乃。紫音の双子の弟だ。
肌を布で覆う必要があるため、学校ではいつも目出し帽を被っていた。
紫乃に会ってみたいという、憧れのような思いを抱いていたせいか、その姿を見ても異様だと感じることは無かった。
何より、いつも可愛い目出し帽を被っているのだ。
わたしのお隣さんと仲が良いのか、よく、わたしの近くで会話をしている姿を見た。
頭部が布で覆われているせいか、ただわたしを認識していないだけか、その顔から声が聞こえることは無かった。
なんとなく避けられている感が否めなかったが、紫音に紹介されることもなく、わたしからそれを望まなかったため、これまで一度も話すことは無かった。
その紫乃が、今日は顔どころか肌を一切覆っていなかった。
治ったのだろうか?それとも、もしかすると一族の声では危害を受けないのか?
そんなことよりも、わたしはここで、十段階で言うと九くらいの衝撃を受けていた。
ちなみにこれが十になると衝撃カウントされる。
紫乃の素顔・・・超絶可愛いのだ。それは、紫音と全く同じ顔だった。
そして、その顔から感じ取れる正の感情。それも、紫音と同じく、人を元気にするようなものだった。
でも紫乃からは、紫音よりも優しさと温かさをより感じ取ることができた。
そして・・・初めて見たその顔、その目からは、大量の負の感情が流れ込んできた。
『ふふん。わたしの素顔があまりにも可愛いから驚いていますね?でも、まぁ、一番は天照奈ちゃんでしょうけど』
『おやおや、お通じの調子が悪いのでは?いつも綺麗なお肌が微妙に荒れていますことよ?』
『いつも頑張っているようですが、いくら頑張っても、何をやっても天照奈ちゃんには勝てませんよ?』
『あなたがいかに優れていても、天照奈ちゃんの超絶エピソードで心が折れることでしょう』
『ま、わたしには快便エピソードしかありませんけどね!』
『あ、ちなみに今朝のお通じの色と大きさは・・・』
紫乃の負の感情・・・それは、わたしのことを褒めてくれて、でも『天照奈ちゃん』よりは下だと言っているだけではないか。
紫音のそれとはまた別の、『嬉しい負の感情』だった。
でも・・・え?最後の二つって、わたしへの負の感情じゃないよね?
え、なに、大便関係って、全て負の感情に判定されるの?
もしそうだったら、大便担当の紫乃からは、目を離さない限りいつまでも大便が流れ込んでくるんじゃない?
わたしは便器の蓋を閉じると、目線を末端の席、雛賀天照奈へと移した。