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ジコセキニンヒーロー  作者: ケト
西望寺朱音
198/242

198話 口はSで、顔はM

 『・・・でも、紫乃の方が可愛いかな。あーあ、早く帰って勉強したい』


 紫音しおんから聞こえてきた声。果たしてこれは負の感情なのだろうか。

 おそらく、紫乃という女の子がいて、わたしの可愛さはその子より下だと言いたいのだろう。

 わたしのことを人よりも下に見たから、負の感情だと判定されたのだ。

 でも、わたしにとってはかなり嬉しい負の感情だった。


 隣でピクピクと微振動しているお兄さま二人は、サインペンと色紙を持って来なかったことを激しく後悔しているようだった。

 『サインペンの代わり・・・鼻血?』

 『色紙の代わり・・・皮膚?』

 などと、脳が揺れているからか、ともに訳のわからないことを呟いていた。

 だがやはり、一番動揺しているのはお父さまだった。

「し、し、紫音に似ている、というか、そ、そっくりですね。もし、もしかしてアイドル志望の娘さんとは、そ、そ、その子ですか?」

「えぇ・・・娘の紫音ですが、何か?」


 きっと、この瞬間を待ち望んでいたに違いない。

 東條家の父親は、おそらくこちらも今世紀最大のどや顔を見せた。

「ほぉ・・・ゆ、夢が叶って良かったですな。ほ、ほ、ほらお前たち、な、何を動揺しているんだ?せ、席に着きなひゃい」

 あんたが一番動揺してるんでしょうが!

 目が泳いでいるお父さまを、軽蔑だけを込めた目で一睨みすると、わたしは一番末端の席に座った。

 すると、あろうことか紫音が席をずらして、わたしの前に座り直したのだ。

 何やら、目でこちらの人数を数えていたようだったが、わたしが末端に座ると考え、六番目の席に着いたのだろう。

 おかげで東條家は、二番目に座る父親と紫音との間に三席分もの空間が生じた。

「し、紫音ちゃん?何でそっち行っちゃったの?」

 どや顔に少し陰りが見られる父親に、紫音は明らかに無感情な微笑みを返していた。


 わたしは、真正面、同じ顔の高さに座る紫音をあらためて拝見してみることにした。

 すると、紫音も同じことを考えていたようで、目が合ってしまった。

 紫音は、テレビで見たことのあるどんな笑顔よりも優しく、にっこりと微笑んでくれた。

 自分に向けられたものではないだろうに、横にいるお兄さま二人は、

 『もう、今日で終わっても良いや』

 そんな顔をして、祈るようなポーズで涙を流し始めていた。


 あまりの眩しさに、わたしの目は反射的に閉じそうになった。

 でも、わたしは耐えて、紫音の微笑みに応えた。

 今、激しく動揺しているものの、紫音に会えて心から嬉しいのだ。

 その気持ちを込めて、精一杯、微笑んだ。



『・・・でも、たぶん紫乃の次くらいかな。あーあ、早く帰って勉強したい』


 今度は、何が紫乃という女の子よりも劣っていると言うのだろうか。

 笑顔だろうか・・・そもそも紫乃ってどこの誰なのだろう・・・それに、紫音の負の感情はやはり、ただわたしを褒めてるだけではないのか・・・。

 そうか、負の感情にはもう一種類あったのだ。

 『善い負の感情』『悪い負の感情』そして、『嬉しい負の感情』

 ・・・いや、おそらく紫音に言われると何でも嬉しいだけ。

 わたしは自分がSだと思っていたが、どうやらMのようだ。いや、違う。口はSで、顔はMなのだ。

 ・・・わたしは何を思っているのだろう。

 あと紫音、さっきから勉強したいっていうのは何?もしかしてガリ勉なの?いや、違う、紫音はトップアイドルなのだ。歌とダンスの勉強なのだろう。

 そうだ、こんな場にいてはいけない。早く帰って勉強して!




 部屋に充満する激しい動揺。

 そんな雰囲気を払うかのように、三人の姿が部屋へと入ってきた。

 五十代後半くらいの男性、三十代半ばくらいの男性、そして自分と同い年くらいの男の子。

 間違い無く天照台家だろう。

 そして校長は、おそらく年長の男性ではない。男の子の父親と思われる、エネルギーに満ちあふれた男性だろう。

 三人がテーブルの短辺に座ると、校長と思われる男性が、何かを言う雰囲気を放った。

 効果音をつけるなら、『ゴゴゴ・・・』しか無いのではないかという緊張感が漂う。


「・・・まだ開始まで十五分もある。今のうちにトイレに行っておくと良い。大、中、小。我慢していては有意義な集まりにならんからな」

 この場に効果音をつけるなら、『・・・』しか無いのではないか。

 だが、わたしは思わず、

「中って何!?」

 と、つっこみを入れてしまった。

 すると、校長は少し微笑んで答えた。

「くくっ。おそらく誰もが『放屁ほうひ』を思い浮かべたのではないだろうか?でも、考えてみてほしい。物質で言うと、固体と液体の中間・・・いや、あれを固体と言って良いものかわからんが・・・。

 大きさや重量で言うのなら・・・くくっ、どうかね?放屁は中になり得るか?」


 わたしは察した。

 校長は優れた人間が就くのではない。特殊な人でもない。変な人が就くものなのだ、と。



 『中』の議論を続ける大人たちのおかげで、お兄さまも我を取り戻したようだった。

 自我とともに『小』を思い出したのか、連れ立って御手洗いへと向かった。

 そして、

「あ、わたし・・・ふふっ。わたくしも、お花を摘んで参りますわ。大きい方」

 気高い雰囲気を纏い、おしとやかな表情で、だが全てを台無しにする一言を放ち、紫音が立った。

「し、紫音ちゃん?大きい方は言う必要無いよね?」

「失礼をば!」


 紫音はわたしに目配せをすると、大きなお花を摘むための準備運動なのか、手首を回しながら部屋を出た。

 わたしも迂闊なことを言わないよう、

「お手伝いが必要ですわね」

 そう呟き、部屋を出た。


 女性用のトイレに入ってすぐ、手洗い場の前に紫音が立っていた。

 先ほどまでと変わらない笑顔で、手首を回しながら、紫音は言った。

「わたし、東條紫音。ねぇ、あなたも初めて参加するんでしょ?同い年だよね?」

「は、はい。中学三年生ですよね?・・・わたし、西望寺朱音です・・・」

「ふふっ。よろしくね、朱音ちゃん!ねぇ、敬語なんて使わなくて良いよ。あーあ、下らない集まりより、朱音ちゃんとお話してたいなぁ」

 紫音は気さくだった。

 ただ恐ろしく可愛いだけの、普通の、同い年の女の子だった。

「そうだね。ほんっと下らないよね。じゃあ、お腹が下ったってことにして、『お花が大きすぎて摘むのに時間がかかりそう』って言い訳する?」

「それだ!大きすぎて流れない、ってね!」

「いや、それはリアル過ぎ・・・ていうか、え?アイドルがそんなこと言っちゃダメだよ?」


「あはは!だよね。紫乃にも同じこと言われそう!」

「・・・紫乃って、お友達?」

「あ、紫乃はね、双子の弟だよ?」

「え、弟さん!?」

 紫乃という名前から、それに、自分よりも可愛いという声が聞こえたから、てっきり女の子だと思い込んでいた。

「うん。体質のこともあってね、ほら、子供自慢なんかするだけのつまらない場には行きたくないって。昨日の夜から大便室だいべんしつ籠城ろうじょうしちゃってさ、今日は来てないんだ」

「そ、そうなんだ・・・なんか、大便の話多いね・・・」

「あはは・・・あ、でも、大便担当は紫乃なんだ。わたしは同じ『べん』でも、勉強担当なの」

「大便担当って何?」


「ふふっ。・・・でもね、お父さまも、本当は紫乃を自慢したいと思うんだ。ちょっと音の才能があるだけのわたしなんかより、紫乃はずっと優しいし、気配りもできるし、可愛いし、面白いの!」

「弟さんのこと、大好きなんだね」

「うん!まぁ、弟って言うと違和感あるけど・・・基本は妹だけど、弟の部分が生えてるって感じかな?お得だよね!」

「下ネタも!?この子、本当にアイドル?」

「あ、ねぇ、朱音ちゃん。連絡先交換しない?」

「え、良いの!?も、もちろん・・・えっと、いろいろ、女子トークしたいな!」

「そうだね!あ、朱音ちゃんの趣味って何?」

「・・・趣味っていうか、いつもはテレビ観たり雑誌読んだり、あとは妄想してるかな。紫音ちゃんは?」

「わたし・・・勉強が趣味なの。アイドル活動とお花摘み以外の時間は勉強しかしないの・・・」

「その他にも食事とかお風呂の時間もあるよね?何でそこにお花摘みを入れたの?・・・ていうか、勉強って勉学の方?歌とかダンスの勉強じゃないの?」

「歌とダンスはちょっとやればできちゃうの。わたし、紫乃の才能も奪っちゃったから、すごいの!」

「・・・そっか」


 一瞬だが、紫音の目に陰りが見えたのに気が付いた。

 一族の血を押し付けられた弟に対し、自分は弟の分まで才能に恵まれた。そう思い、責任を感じているのだろう。

 弟の分まで背負ってアイドル活動をしているのではないか。

 目の前にいるのは普通の、同い年の女の子なのだ。この子も、一族の血を引いているのだ。何かしらの我慢をして生きているのだ。

 わたしと、同じなのだ。


「・・・勉強が趣味なんて、わたしくらいだよね?あはは・・・あ、そうだ、朱音ちゃんはどこの高校に行くか決めてるの?」

「わたしは家の近くの高校だよ?天照台高校には劣るだろうけど、偏差値も高いところだし、家から通えるし。紫音ちゃんは?」

「わたしは、高校には通わない予定なの。・・・アイドル活動を長く続けるのが、わたしの夢だから。それに、勉強は趣味でもできるからね!」

 携帯電話の連絡先を交換し終えたところで、叔母がわたしたちを迎えに来た。

 どうやら開始二分前になっていたらしい。

 結局、一輪の花も摘まずに、わたしは紫音と部屋へと戻った。



 子供自慢は五十音順とされたため、西望寺家から始まった。

 おそらく順番での優位を付けないためのものなのだろう。でも、名字は三つしか無いのだし、それなら下の名前での五十音順にすれば良いのに。

 そんな感想を持つと、だがすぐに、西望寺の中で一番目のわたしの自慢が始まった。

 まさに親バカ大会とも言えるだろう。

 生き生きとした顔で、お父さまはわたしを自慢した。

 先日の全国模試で七位だったこと。ちょっと出てみたテニスの大会で優勝したこと。ちょっと描いてみたら絵画コンクールで優秀賞を得たことなど。

 少しでも優位なものを漏れなく報告し尽くすと、最後に、わたしの顔を見た。

 わたしは小さく首を振った。

 なんとなく、この場では自分のデメリットを知られたくなかったのだ。

 紫音の弟がこの場にいれば、もしかしたら伝えてもらっても良かったかもしれない。

 その後、お兄さま二人の自慢が終わると、天照台家の順番となった。


 紫音はずっと、天照台家の男の子を見ていた。

 こちらも同い年だというその男の子。席に着くまでの所作を見ていたが、すらりとしたその高身長が放つ輝かしいオーラに相応しい、一切の無駄が無い動きをしていた。

 大きく猫のような目は、なぜかわからないが、片方だけが前髪で隠されていた。

 この男の子は、間違い無く美少年と言えるだろう。しかも、お兄さまをも遙かに凌駕している。

 わたしの美少年評価では、千点満点中、九九〇点だった。

 謎の前髪は、良い意味ミステリアスでプラスでもあったが、やっぱり変なので、そこでマイナス一〇点としたのだ。


 そして、彼のすごさはその容姿だけはなかった。

 校長から告げられた彼のエピソードに、その場の誰もが衝撃を受けることとなった。

 先日の全国模試で一位。時間があったからと出てみた地区大会予選の一〇〇メートル走で、中学記録を樹立。ちょっと書いてみたら書道コンクールで文部科学大臣賞。などなど。

 まずその容姿を見て折れかけていたお兄さま二人の心は、完全にへし折られた。

 これまでトップに立ってきたと思っていたわたしは、まさに上には上がいるということを思い知った。


 超絶美少年で天照台家で、しかもあらゆる面で本当のトップに君臨する男。

 こんな人がいたなんて・・・しかも、同い年なのだ。

 激しい衝撃を受けながら、わたしは男の子の顔を見た。

 父親からの自慢話を無表情で聞いていたその顔からは、何も聞こえなかった。もちろん、わたしと目が合うことも無かったし、何も知らないわたしに負の感情を抱くはずが無いだろう。

 わたしが見たかったのは、彼の持つ雰囲気だった。


 そこには感情が全く感じられなかった。

 負の感情だけでなく、正の感情も、そこには一切感じられないのだ。

 わたしの高感度の感情センサーに引っかからないということは、よほど感情を表に出したくないのか、感情を持たない機械のような人間なのか、どちらかだろう。

 どちらにしても、今はっきりと言えることがあった。

 彼は、わたしの好みではなかった。


 だからわたしは、『皇輝こうき』と紹介されたその超絶美少年ではなく、正面の紫音の横顔を見た。そこに癒しを求めることに、無駄な時間を費やすことにしたのだ。

 そんなわたしの気持ちをその表情から読み取ったのか、あるいは匂いを嗅ぎ取ったのか。お兄さま二人も何やら自尊心を取り戻したらしく、色紙とサインペンの代わりとなるものを考えるのを再開していた。



 天照台家の自慢が終わり、いよいよ紫音の順番。そう思ったそのときだった。

「俺からも一つだけ、言いたいことがあるんだけど」

 美少年が口を開いたのだ。

 その声からも一切の感情を感じ取ることはできなかったが、その声はとても綺麗だと感じた。

「あぁ、構わない。自分の意思で語りたいことがあるのだろう?話すと良い」

 自分の意思。校長はそう言った。

 校長も、息子の体質には触れていなかった。もしかすると目の前の美少年は、自らの体質のことを話すのではないか。

 誰もがそう思った。だが、

「俺は校長にはなりません。俺の夢は、校長とは全く別のところにあります。言いたいのはそれだけです」

 部屋に緊張が走った。

 開始前の動揺やどや顔が、小学校低学年並みの可愛い雰囲気だと思えるほどの、下手に触れると切れてしまうような鋭利な緊張だった。


「・・・良いだろう。校長職は強制ではない。お前の意思を尊重する。・・・お前の夢、わたしにもわかっている。でも、そうだな・・・夢のためにも、中学を卒業したら、一人で生きるが良い。天照台家からは一切の援助をしない。それで良いか?」

「・・・わかった」

 この二人にしかわかり得ない何か。

 息子の夢のために、厳しい現実を、試練を与えたのだろう。


 でもそれって、この場にいる他の人たちには関係無くない?

 それ、この場で話す必要あった?

 今日の夕食の時にでも話せば良かったんじゃない?


 眉をひそめながら、わたしはそんな疑問を抱いた。

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