197話 今世紀最大の動揺
一族の集まりは、年に一回、夏期に行われる。
開催地である天照台家までは、西望寺家から高速道路を使い、車で約九時間を要する。車以外にも飛行機、新幹線、ヘリコプターなどの移動手段があるのだが、
『家の玄関から天照台家の玄関まで乗り換え無く行けるから車が一番楽』
『寝て起きればそこはもう天照台家』
という理由で、いつも車での移動が採用されていた。
おじいさま、お父さま、叔母さま、そしてお兄さま二人とわたし。一族の血を引く六人は、前日の二十三時にリムジンバスという就寝に特化した乗り物に乗車した。
皆、いつも二十三時には就寝するため、乗車するやいなや全員すぐに就寝し、朝を迎えたのだった。
「そもそも、なぜ天照台家で行われるのですか?西望寺家だけ遠すぎませんか?中間地点で行うのが合理的ではありませんか?・・・あと、お父さまはもう少し離れてくれませんか?」
朝七時ちょうど。なぜか隣の席で朝食を取り始めたお父さまに疑問をぶつけた。
「この集まりは、一族の当主、校長が参集するものだからな。もしもお前が校長になったら、西望寺家で行うようにすれば良いんじゃないか?・・・え、近い?」
「・・・でも、校長って代々、天照台家の人間しか就いていないんですよね?・・・ちょっとこっちに寄り過ぎです」
「結果、そうだ。だけどね、『校長は一族の中で最も優れた人間が就く』そう言われている。天照台家の・・・初代校長の血がよほど優れていたのだろう。・・・むしろ、お前と反対側に寄ってるんだけど」
「優れた人間・・・」
十歳の誕生日に、一族の血の話を聞かされた。
血を引いた人間は、何かしらの特殊な体質を持って生まれる可能性が高いという。そして、その体質が特殊なほど『優れた血』とされ、代々、一族の当主に就いてきたというのだ。
でも、その話を聞いてから、わたしはずっと疑問を抱いていた。
それは『優れた血』と言えるのだろうか。
初代校長が抱えていた体質のことも聞いていた。
『何物にも触ることができない』『周りの人に助けてもらえないと、一人で生きることができない』『でも、その代わり、万物の声を聞くことができた』
どれだけメリットが大きいとしても、そんなデメリットを抱えた時点で、人に迷惑をかける時点で優れてなどいないのではないか。
「その・・・集まりの本当の目的は何なのですか?」
「あぁ。二人に聞いただろう?主に、子供の自慢だ」
「はい、それはお兄さまに聞きました。知りたいのは本当の目的です。・・・一族の血を引く大人、そして十五歳から十八歳の子供が参集される。そこで行われるのは子供自慢・・・それって、優れた子供を選別するのが目的なのでしょう?」
「あっはっは!そうだろうな。わたしも、子供の時はいつも思っていたさ。『子供自慢なんてくだらない』ってな。
でも、大人になって・・・お前たちが生まれて、気付いた。あの場にいるとね、子供たちがいかに優れているかを話したいんだ。校長になってほしいとは微塵も思ってはいないが・・・これも、一族の血なのかもしれないな」
「・・・昨年は、わたしのことも自慢したのですか?」
「当たり前じゃないか。何ならお前がお腹の中にいるときから自慢していたぞ?」
「親バカが過ぎる!なんか恥ずかしいんですけど・・・あっち行って下さい」
「ま、まぁ、そう言ってくれるな。集まりはね、子供自慢という名の情報交換の場なんだ。優れた子供を見つけるために、優れた部分は全て共有しなければいけないんだよ」
「・・・それは、優れた部分だけなのですか?」
「あぁ・・・体質のことを気にしているのだろう?」
『哀れまれるだけだからな。そんなことは言えない』
「ですよね・・・」
わたしは、お父さまの顔から聞こえてきた答えにそう呟いた。
「・・・哀れまれる他にも、言えないのには理由がある。いくら娘のことでも、本人に意思を確認しないままに話せないだろう?」
両親、そしてお兄さまたちは、わたしに負の感情を隠せないことをよく知っている。
だからいつも、抱いた負の感情をちゃんと口にも出してくれた。そしてその負の感情を口でも説明してくれた。
「デメリットの体質を言うメリットなんて無いですもんね・・・」
「それは、集まりの場でお前が決めてくれれば良い。あの場の雰囲気は独特でね。別に話さなくても良いことも、その場では、話した方が良いと思うこともある。
普通じゃない・・・いや、もしかするとわたしたちが思っている普通が特殊で、あの場が普通なのかもしれないな・・・」
集まりの場と聞き、わたしは気になったことを聞いてみた。
「あの・・・今日は、天照台家と東條家の子供は何人参加するのですか?」
「おっと、二人に聞いていないのか?」
「はい。子供自慢ってところでお胸糞が悪くなって、ついついおゲップが出てしまったので」
「何でも『お』を付ければ上品になると思ってない!?ついでに言っておくが、今日は『大きいお花摘んで参りますわ』も禁止だぞ?
・・・参加するかどうかは本人の意思もあるようだからな。とりあえず、知っている範囲で子供のことを教えよう。
まず天照台家だが・・・実はね、天照台家は『校長候補』しか教えてくれないんだよ」
「なにそれ?全然、情報共有してくれないじゃん!?」
「校長の仕事は一族を管理すること。まぁ、我々は校長候補など知っても仕方が無いからな。そしてその校長候補は、お前と同い年の男の子だ。あらゆる分野で誰よりも優れているらしいぞ?」
「同い年の、男の子・・・?」
自分も、あらゆる分野でトップに立っていると思っていた。だが、もしかすると井の中の蛙だったのかもしれない。
もしかすると、同年代で自分よりも優れた一面を共有することで子供たちに切磋琢磨させることも、集まりの目的の一つなのかもしれない。
でもそれなら、天照台家も全ての情報を出すべきだ。それに・・・校長候補がいるのなら、もう、他の子供の情報など不要なのではないか?
段々と、釈然としない思いが沸いていたわたしは、どうやら表情が変わっていたらしい。
「その気持ちはよくわかる。でもね、必ずしもその男の子が校長になるとは限らない。お前が校長になる可能性だってあるのだから」
「認められるのは嬉しいですけど、校長になるのは絶対に嫌です」
「え?」
「だって、つまらなそう。わたし、人の顔を見なくても良い、華やかな職に就きたいので」
「・・・じゃあ次に、東條家だが。こちらもね、お前と同い年の子供が二人いる」
「同い年、多いですね・・・また男の子ですか?」
「その二人は双子。男の子と女の子だ」
「へぇ・・・双子だと、一族の血はどう影響するんでしょうね?半分こ?」
「・・・去年まで、父親からは自慢だけを聞かされてきた。確か、男の子の方は『音波に極端に弱い肌』を持って生まれたらしくてな。常に肌を、何か布一枚ででも覆わないと命に関わるらしい」
「そんな・・・わたしなんかより全然ひどい体質じゃないですか・・・しかも体質のこと、デメリットなのに、親は共有してくれたのですか?」
「あぁ、まぁ、デメリットとは言え隠せない体質だからな。仕方が無いと思ったのだろう。しかもその子、少し前まで全く声が出なかったらしい。
でも、その代わりというか・・・音の才能は全て女の子が持って生まれたらしくてな。美しい容姿、そして天使のような声を持って生まれたその女の子は、アイドルを目指しているらしいぞ?」
「なんていうか、不公平というか・・・一族の血の悪い部分を押し付けられた男の子と、良い部分だけに恵まれた女の子・・・」
「でも、見た目はどちらもかなりの美少女らしくてな。その男の子、からだは男だけど、それ以外は女の子以上に女の子らしい」
「・・・男の娘ってこと?でも・・・そうだよね。肌を覆うのなら女性の服の方が適しているし、バリエーションにも富んでいる。何より可愛い。
それに・・・そんな制約のある中で、でも自分の気持ちに正直に生きているってことですよね。その子、すごく強い・・・わたし、会ってみたいな」
「あぁ。今日、来ると良いな。それに、わたしはアイドルを目指している女の子が気になるな。あれから一年だから、もしかしたらもう有名になってたりして」
お父さまのその言葉を聞いて、前の席に座るお兄さま二人がざわついた。
「かなりの美少女で、しかも天使みたいな声してるんだろ?」
「でも、ただの親バカな可能性もあるぞ?だって、そんな女の子がデビューなんかしたら、あっという間にトップアイドルになってるんじゃないか?」
「そうだよな。それこそ紫音みたいな国民的アイドルになってるだろう」
「もしかして紫音だったりして?ついこの間アケビフルーティエイトに加入して、あっという間にトップアイドルだからな。時期も合うぞ?」
「紫音が東條家のご令嬢?もしそうだったら・・・今日、来るんじゃないか!?」
「・・・お父さま、途中、コンビニエンスストアに寄ってもらえますか?」
「・・・まさかお前たち、色紙とサインペンを買うんじゃないだろうな?」
「期待するのは自由ですよね?・・・僕たちが校長になる確率くらい低いでしょうが」
――三十分後、目的地である天照台家に到着した。
執事により案内された部屋は大きな和室で、中央にはこれまた大きな掘りごたつ式のテーブルが置かれていた。
座席には既に三人が、こちらに向かって着いており、にこやかな顔で出迎えてくれた。
座る席が決められているのか、既に着席している三人に向かう合うように、お父さまから着席を始めた。
「ご無沙汰しております、東條さん。今日はそちらもお子さんが・・・おや、一人ですか?どちらの・・・え!?」
少しでも優位性を保ちたいお父さまはきっと、自分の座席と東條家の大人しか見ていなかったのだろう。
丁寧な挨拶の後に、ようやく子供の姿を捉えたのだ。
わたしは見ていた。
今世紀最大の動揺を見せたお父さまを。
だがしかし、わたしとお兄さま二人も、部屋に入った瞬間から激しく動揺していた。
座っているのは、東條家の祖父と思われる老人、父親と思われる男性。そしてその隣に綺麗な姿勢で座る女の子。
それは、あの紫音だったのだ。
デビュー後、あっという間に億単位のファンを獲得して、あっという間に国民的アイドルとなった女の子。
人を見た目と才能だけで判断しがちなお兄さま二人にとっても、紫音は至高の存在だった。
そして、わたしも紫音の大ファンだった。
人の顔から負の感情が聞こえてくるこの体質だが、肉眼でなければ、それは聞こえてこない。
『人の顔を見ない』『空気と化す』という激しい我慢は、学校にいる間だけ。でも、空気な分、学校では激しく勉強に集中できた。
学校で勉強する分、家ではお兄さまたちとの会話や、テレビや雑誌を見て過ごす時間に費やすことができた。
テレビっ子、雑誌っ子のわたしは、お兄さま二人が一般的に美少年と言われる容姿であることを知っていた。
そんな二人に囲まれて生きてきたわたしは、男の人の顔面にはうるさい。
雑誌を見て、美少年アイドルの評価をしても、高得点を取れる男の子はほとんどいなかった。そしてそれは女の子の顔面に対しても同じだった。
うぬぼれでなく、自分が一般的に美少女と言われる容姿であることも知っていた。
少なくとも、自分を上回る容姿でない限り、女の子を美少女と認めることはなかった。
そんな中で、紫音は文句無しの美少女だった。
でもそれは、ただの顔面判断基準。容姿を美少年として、美少女として評価する場合だけに限られた。
わたしの好みはまた別なのだ。
そして、わたしの好みは、一般的なものとは大きく外れていることも知っていた。
負の感情に囲まれて生きているわたしは、正の感情を強く欲していた。
普通の人にとって、負の感情も正の感情も、それは聞こえるものではなくて、感じ取るものだろう。
でも自分にとっては、負の感情は聞こえてくるもの。だからこそ、正の感情を欲する自分は、より強く、そして精度良くそれを感じ取ることができた。
テレビや雑誌を見て、自分が好む正の感情を感じ取ると、『あ、この人好きだわ』と思ってしまうのだ。
例えその人の前歯が人の数倍出ていたとしても、例えその人のあごが人の数倍出ていたとしても。自分好みの正の感情を感じ取れるだけで、好きになってしまうのだ。
ただし、それはテレビの、雑誌の中の人間。だから、正の感情だけで判断した好み。
実際には、肉眼で見て話して、口から出る言葉を聞いて、顔から聞こえる言葉を聞いて、判断することになるだろう。
好みの男性を指差すたびに、お兄さまは、
『俺の妹にはこんなブサイク似合わない。妹の好みが負だ』
『妹の好み・・・いくら正の感情が強くても、この顔面は負だらけだぞ?』
そんな酷い事を、口からも顔からも発していた。
そして、突如目の前に現れた紫音。
性別など関係無く、どんな男性よりもその容姿が好きだった。
紫音が持つ正の感情は、太陽のように大きく、そして温かく感じていた。
わたしは、激しい動揺を抑えつつ、その、解像度が高すぎる顔面を拝んだ。
そしてすぐに、声が聞こえてきた。
それは間違いなく紫音の、わたしに抱いた負の感情だった。