193話 不純な思い
「不幸自慢は一旦置いときましょ?太一、話を続けて下さい」
「うん。三回目は、卒業式の後だった。最後のホームルームが終わって、僕はクラスメイトの誰にも何も言わずに、お母さんと一緒に教室を出ようとしたんだけど。
『先生には挨拶して帰りましょう?』って言われてさ。一度も話したことの無い先生に挨拶をして、そして、握手をしたんだ。
お母さんの前で、まさか『お前、誰だっけ?』はあり得ないから、『僕を激励してほしいな』って、前もって記録していたんだ。
そして、先生は願ったとおりのことを言ってくれた。それも、一字一句、願ったとおり同じ言葉を。その後、拍手をしてくれた先生に釣られて、クラスメイト全員の拍手で包まれたんだけど・・・実はそのとき、『すごいね。でも、あの人誰だっけ?』って、ひどい会話も聞こえてきて・・・」
「へぇ、いいなぁ・・・」
「お母さんには聞こえてほしく無かった。だから、『涙が溢れて周りの声が聞こえなければ良いな』って記録して、お母さんの手を引いて教室を出たんだ」
「・・・激励なら、それこそ、先生がしてくれてもおかしくないですよね?」
「続けるけど、次は高校に入って・・・あ、いや、そうだ・・・卒業式の前日に、弟の件があった!」
「ほぉ、アニメが好きという弟ですね?たしか太一の一つ下の。きっと、弟も可愛いんでしょうね!」
「わたしと同い年ってこと!?・・・紹介してもらって良いですか?あ、でも、見えるかな・・・」
「たぶん見えないかもね。あとで写真で良ければ見せるよ?・・・弟はね、成績は悪くないんだけど、でも、もう少し勉強した方が良いのにって、ずっと思ってたんだ。それでその日、『勉強すれば良いのに』って記録して、アニメを観てた弟に触れたんだ。そしたら、すぐに、部屋に戻って勉強を始めた」
「わかりました・・・その体質、本物ですね」
「・・・うん、間違い無いね!」
「ここで確信したの!?何その、アニメと勉強の相容れない感!?」
「アニメスイッチを即時に勉強スイッチに変えるなど不可能ですよ?」
「それ、天照奈ちゃんと裁くんを思い浮かべてない?あの二人は極端だからね?」
「なるほど・・・もはや、その体質を認めなければいけませんね。・・・記録した願いが叶う・・・ん?じゃ、じゃあ・・・それって、おふ」
「それで良いの?」
「え?」
「そんな簡単に、天照奈ちゃんとお風呂に入れても良いの?」
太一は、ずっと考えていた。自分の体質のことを話したら、みんながどんな反応をするのか。
今はもう無くなった体質だから、ただのあり得ない、不思議な話と受け取られることだろう。
でも、紫乃は絶対に、『勿体無い!』と騒ぐだろうと。
だから、太一はその言葉にどう応えるかを、ずっと考えていたのだ。
「い、良いですよ?・・・いや・・・でもそれは、富士山の山頂まで車で登ってしまうようなもの・・・達成感など一切無い・・・でも、登ったという事実は得ることができる。何より、結果として、頂からの景色を楽しめるのですから・・・で、でも・・・」
「お師匠!一緒に頑張ろうって、一緒に考えようって言ってくれたじゃないですか!そんな方法でお風呂に入っちゃダメですよ!」
「・・・サイちゃん?誰にも、何にも言われずに、サイくんも喜んで一緒にお風呂に入ってくれたらどう思いますか」
「すごく嬉しいに決まってるじゃないですか!人生悔い無し!そう言えると思います。・・・あ、なるほど・・・。
わたしこの前、何かのテレビで見ました。いくら時間をかけても、努力したとしても、成果が上がらなければ、それは失敗だ。ゼロ点だ。
お菓子を食べながら、アニメを観ながら、鼻をほじりながら適当に、でも成果をあげたなら、それは成功だ。百点なのだ、と」
太一なりに長い時間をかけて導いた解だったのだが、まさに成果が上がらなかったというやつだろう。
「・・・あと、そういえば」
話を戻そうと太一が言おうとしたこと。それは卒業式前日、弟を使った検証の後に、両親に対してしたことだった。
両親が子供の目の前でイチャイチャするかを確かめた件。
実際、『あーん』で食べあうという行為をするほどのイチャイチャを見せたのだが・・・太一は悟った。
これを言ったら、火に油を注ぐようなものだ、と。
「いや、あの・・・僕、人の目線を空中に描くことができたんだ。観察するのに、じろじろ見たり、よく目が合うと不審がられるでしょ?
もしかすると、自分でも気づかないうちに観察に必要な能力を身に付けたいと願って、知らないうちに記録して、身に付いてたものなのかもしれない。
それでね、その目線に関することなんだけど。裁くんを、初めて第一ホール前で見たとき。実は、周囲二メートルに、よくわからない、その目線と同じような無数の線が見えたんだよね・・・」
「・・・やっぱり、達成感のことを考えるなら、そのプロセスも重要なのかもしれませんね・・・」
「そうですね・・・人生一度きりと考えれば、その行為も一度きりと考えれば。ゼロか百か、その二通りで考えてはいけないのかもしれません。百に百をかければ一万になるのですから!」
「さすがは弟子ですね・・・それで言うと、たとえ成果を得たとしても、プロセスがゼロ点ならば、達成したとしても百にゼロをかけるようなもの。つまり、ゼロ点になってしまう」
「ですね。でも・・・そうか、例えばですよ?わたしたち、運転はできないですけど、できることを、ルート案内をしてみれば良いのでは?」
「なるほど!ゼロじゃなければ、せめて一とか二でも良いと!?」
「です!」
「・・・」
「太一よ。あなたを責めたい気持ちは、それこそ富士山のように壮大なものです。でも、見ての通り、わたしたちの考えは未だにまとまっていません。だから、一旦話を進めることにしましょう。
それで・・・その、サイくんの目線の話ですけど。その発生源は、目でしたか?」
「さすが耳が良い・・・えっと、そのとき僕が描くことができたのは目線だけだから、きっと、目から出ていたものだと思うよ?」
「うむ。これは昨日の検証でわかったことですが。あのサイくん、目を閉じれば体質を封じ込めることができるのです!」
「・・・え?うそ、そんな簡単なことで!?」
「はい。しかもあのサイくん、目を閉じると、周囲五メートルの人の姿を感知できるようなのです」
「それって・・・じゃあ、目を閉じれば普通に生活できるってこと?」
「でも、感知できるのは人と、その人が触れているものだけ。かといって、足が触れている地面は、少しの範囲だけしか見えないらしいですが」
「そっか・・・じゃあ、目を閉じてても、誰かの後ろを付いていけば、普通に歩けるんじゃない?」
「そうなんです!それを知って、あのサイパパは昨日さっそく、大食いとボーリングに、サイくんを連れ回したのです!
・・・でもね?関知できるとは言っても、真っ白なマネキンみたいにしか見えないんですって。太一は我慢できます?この凄まじく可愛いサイちゃんの姿が、無個性の真っ白い何かにしか見えないのですよ?」
「それは・・・正直、嫌だけど・・・じゃあ、裁くんの体質は、今までどおり変わらないってこと?」
「です!何より、わたしたちを無効化するという役目も担っていますからね!たまに、サイパパの個人的な、大便みたいな理由で使えるようになった。昨日の検証の成果は、結局、その程度のものでした!」
「いや、目を閉じて封じ込めることがわかったのは物凄い成果だよね!?」
「それで言うと、やっぱり、太一の体質は勿体無かったですよね?もしかしたらですけど、太一が自分のためにもっと願っていれば、もっと幸せになれたのでは?」
「どうだろうね・・・願いがどこまで叶うのかはわからなかったし・・・何より僕の願いは・・・普通に、ただ友達が欲しかっただけだったんだ・・・」
「・・・もしかして、それを機に消失してしまった、と?」
「・・・うん。その・・・それが、今までみんなに言えなかった要因なんだ。僕ね・・・紫乃ちゃんと、みんなと友達になるのに、この体質を使ったんだ・・・最低、だよね?」
「・・・別に、良いんじゃないですか?」
「・・・え?」
「願ったんでしょ?わたしたちと友達になりたいって、思ってくれたんでしょ?」
「・・・うん」
「クラスメイトに名前を覚えてもらえなくても、何とも思わなかった太一です。たぶんそのとき、高校に入って、初めて友達が欲しいと思ったんでしょ?そしてそれが、わたしたちだった。でしょ?」
「・・・うん」
紫乃は、微笑んでくれた。
紫乃はいつも、特に何も無くても、目が合うだけでも優しく微笑んでくれる。
でも、いつも以上に、嬉しそうに微笑んでくれた。
その微笑みを見て、自然と、太一の目からは涙が溢れた。
体質を使ってでも友達になりたい。そんな、不純な思いを伝えたはずなのに・・・そんな不純な思いよりも、『友達になりたい』という、ただの純粋な気持ちだけを切り取ってくれたのだ。
そうだ、友達なんだ。本心で話し合える、本心をわかり合えるのが、友達なんだ。
紛れもなく、初めてできた、そして、最高の友達なんだ。
「全く、泣き虫なんだから」
紫乃は、いつもどおり、頭を撫でてくれた。
紫乃に頭を撫でてもらうのが好きだった。まるでペット扱いのようにも感じるが、手袋越しに、その優しさを感じることができた。
同じ男のはずなのに、そこには母性のような、包み込むような温かさを感じることができた。
そして、あろうことか、いつの間にか紫乃は、太一の頭を自分の太ももに移動させ、膝枕をしていたのだ。
細い太ももから感じる温もりが追加されると、眠気すら感じるほどの心地良さを覚えた。
だがそのとき、ふと、太一は気付いた。
つい先ほどまで、鼻血を抑えていた太一は、仰向けになっていた。
そして今。右耳を紫乃の太ももに当てて、その顔は真横、正面を向いている。
そして、その目の前には、彩が座っていた。
彩のスカートは、膝上というよりも股下から測った方が早いのでは?と言うほどの短さだった。
彩のスカートは、本来スカートが持つべき目的である、その奥に隠すべきものを隠せていなかった。
つまり、パンティが丸見えだったのだ。
はっきりと見えてしまっている真っ白いその布には、アニメのキャラクターが小さくプリントされていた。
これまでちゃんと観たことはないが、そのアニメのことは知識として知っていた。たしか、幼児から小学校低学年向けのアニメではなかったか。
そもそも、そんな可愛いキャラクターがプリントされるパンティなんて、女児向けでしか販売されないだろう。
太一は思い出した。彩が自身の見た目を気にしていたことを。
『小学校低学年向けの可愛いですか?』という問い。
おそらく、今着ているTシャツは、紫乃にアドバイスをもらって購入したものなのだろう。
おそらく、それまでは、女児向けのキャラがプリントされたTシャツばかりを着ていたのでは無いだろうか。
そんなことを一通り考えて、太一は、とある重大な事実に気付いた。
枕にしていた紫乃の太もも、そして膝。
真っ赤に染まっていたのだ。
自分の鼻血によって。