191話 むっつり健全
八月十二日、木曜日。
十時半ちょうどにインターホンが鳴り、清水野太一は玄関へと向かった。
カメラを見ずとも、来訪者は予想できていた。
昨日の夜、『明日の十時半に伺います。あなたの本性暴いちゃうぞ!』という、紫乃からの謎のメッセージがあった。
紫乃の言うことには、いつも何らかの意味が込められている。
『でも、本性ってなに?』そんな疑問を抱くも、アパートの部屋に初めて友達がやってくることに、少しの嬉しさを覚えていた。
高校入学後に、初めてできた友達。
だが、友達をつくるために自身の体質を使ったことから、そこには、後ろめたい思いがあった。
体質のことは誰にも、友達にも話していない。誰かに何かの影響を与えるわけではないから、話す必要も無いと考えていた。
影響があるとすれば、自分自身の思いだけ。この後ろめたさ、モヤモヤを抱えることだけ。
ただ打ち明ければ良いだけのことなのだが、やはり、そこには後ろめたさがあるためか、未だに言えないでいた。
先日のお泊まり会で、友達二人が本心を打ち明けてくれた。さらに絆が深まったと言えるだろう。
だが、不動堂瞬矢は、本心を告白してくれたのは間違い無いものの、まだ全てを話していないと感じた。でも、それはきっとまだそのときではないから。ただそれだけだと思っている。
自分自身が何かをしなければいけない。その何かを成したあとに、話すことができることなのだろう。おそらくその場にいた全員がそう感じたに違いない。
では、自分はどうなのだろうか。
『清水野太一は何かを抱えている』と思われているのではないだろうか。
優しく気遣いができる友達は、話すことを強要しないし、何も言わずにそのときを待ってくれる。
そしてその優しさに甘えている、というのも、未だに言えない要因の一つなのだろう。
言えないということは、友達を心から信用していないということではないか。本心で向き合っていないのではないか。果たして自分はいつも、正直な気持ちを伝えているのだろうか。
そう思うこともあった。
本性、暴いてほしいな。
太一はそう呟きながら、玄関のドアを開けた。
そこに立っていたのは、紫乃ではなかった。
今日は、透明なフェイスガードか、それとも可愛い目出し帽のどちらだろうか。
そんな予想をしていた太一の目に映ったのは、頭部が何物にも覆われていない、普通の少女だった。
いや、何も被っていないという意味だけの普通であって、そう形容するには相応しくない容姿をしていた。
黒く真っ直ぐで長い髪は、太陽の光を帯びて輝いていた。
はっきりとした眉毛に、猫のようにぱっちりとして鋭い目。
身長は高い方ではないだろうが、すらりとして長い手足のその体格からは、女性らしさを強く感じる。
少し大きめに着ている白いTシャツには、大きくアニメのキャラクターがプリントされていた。
Tシャツから少し覗くのは、グレーのかなり短いスカート。
そしてそこから伸びるのは、細くて白い、だが健康的な脚。
国民的美少女と謳われる紫音、そして双子の紫乃。
また、一度見た人は必ず国宝級美少女と称する雛賀天照奈。
身近な比較対象が最強過ぎるせいで、どうしても見劣りしてしまうが、目の前の少女は間違い無く美少女と言える容姿をしていた。
そして、一つ言えること。
少女の容姿はまさに、太一の好み、ど真ん中だったのだ。
『きっと、天照台家の人間なんだろうな。顔のつくりが皇輝くんに似てる。でも、何だろう、瞳?奥に宿る何かから、裁くんを感じる・・・?』
その目は、太一の目をまっすぐに見つめていた。いや、目ではなく、本心を見抜くような視線だった。
もしかすると、紫乃が言っていた『本性を暴く』とは、この少女のことなのだろうか。
三秒くらい見続けてしまったからか、少女の視線が少し泳いだ。
「てっきり紫乃ちゃんだと思ったから・・・じろじろ見ちゃって、ごめん」
「いえ、わたしこそ・・・あの、もしかして、変ですか?」
「・・・変?」
「・・・服装、なんですけど」
「あ、あぁ・・・」
たぶん、気にしているのはTシャツのことだろう。プリントされているのは、太一でも知っている、国民的アニメのキャラクターだった。
子供から大人まで、幅広い世代から支持されているアニメで、最近は中高生の女子からも絶大な人気を誇るようになった。
というのも、見た目も性格も最強の美少年キャラが現れたのだ。
だが、少女の胸にプリントされているのは、そのキャラでもなく、主人公でもなく、人気キャラでも無かった。
むしろ、『このキャラのTシャツ売ってるんだ!?』とさえ思えるくらいにマニアックなキャラなのだ。
太一もそこまで詳しくないのだが、たしか、巨大化する能力を持っていて、強大なパワーを得る代わりにその見た目が一つ目の化け物になるという・・・あぁ、そうか。
この子も、サイクロプス系男子が好きなのだ。
『・・・え?天照台一族の女子って、もしかしてみんな裁くんのことが好きってこと?裁くんて、特殊体質持ちの、そして一族の救世主だけど、実は一族の女の子達の救世主でもあるの?』
「・・・可愛いと思うよ?」
キャラはマニアックだが、そのデザインは普通にオシャレだし、プリントTシャツとしてだけ考えれば普通に可愛いのだ。
「それって、小学校低学年の女の子に言う『可愛い』じゃないですか?」
「低学年?いや、君、中学生だよね?普通に中学生として可愛いと思うけど?でも・・・スカート、短すぎない?」
「今日は人目につくところに行かないし、それに、ここに来るならこれが良いだろうって、お師匠が」
「お師匠?」
「あ、ごめんなさい!お師匠・・・じゃなくて、紫乃ちゃんは車にいます」
「車に?どうかしたの?酔ったとか?」
「そうなんです。最近はずっとさい兄の近くにいたせいか、外では何も被らない生活が続いたみたいで。久しぶりに目出し帽を被って車に乗ったら、熱がこもっちゃったのか、ひどく酔ってしまったみたいです」
「さいにぃって裁くんだよね?でも、そっか・・・たしかにお泊まり会の間、ずっと裁くんにくっついてたからな・・・」
「ずるいですよね」
「・・・そ、そうだね」
裁の隣は、特殊体質の専用スペースとなっている。
いや、紫音もだから、ただの一族の溜まり場と化しているのだ。
曖昧な返事をしたところで、太一は、少女が首にうっすらと汗をかいているのを見た。
「とりあえず、中に入る?」
「・・・」
少女は、無表情で、何も答えなかった。
「あ、そうだよね・・・よくわからない男の部屋になんて入れないよね」
「いえ・・・紫乃ちゃんが言ってました。『太一は可愛いぞ!』って」
「よ、よく言われるけど・・・それこそ、その可愛いってペットの可愛さなんじゃないかと思ってるんだよね」
「でも、わたしも可愛いと思いますよ?特に目が可愛いです!」
大きな目でじっと見つめられて、ついつい目をそらしてしまう太一。
「と、ところで、紫乃ちゃんはなんで僕のところに来たんだろう」
「あ、えっと、わたしが今日、天照台家に帰るって言ったら、お師匠が『送りますよ』って言ってくれて。
『天災は実家。ラブくんの家には最強母ちゃん。ドードーはどっか。ツナロウも実家。でも、良いのです。わたしには太一がいますから』って言ってましたよ?」
「友達と会えなくて寂しいってことだね。そして、僕はこっちで暇してるだろうと・・・って天災?天照奈ちゃんと裁くんのこと!?・・・それと、えっと・・・」
「あ、ごめんなさい。わたし、天照台彩です」
「やっぱり、天照台家か・・・僕は、清水野太一。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします。ところで太一くん。今度、わたしとお風呂に入ってもらえますか?」
「お風呂?別にそれくらいなら・・・・・・ん?」
挨拶の直後、しかも突如出てくる質問だろうか?
いや、もしかしたら、お風呂場という空間に一緒に入りたいと言っているのかもしれない。夏でも意外とひんやりした空間なのだ。
いや、そう予想して『いいよ』なんて答えて、実は本当に一緒に入浴することになったら・・・。
ん、お風呂?
あぁ、紫乃ちゃんはいつも、天照奈ちゃんとお風呂に入りたがっているな。あと、紫音ちゃんも。
え?もしかして、天照台一族ってみんなそうなの?誰かとお風呂に入りたいの?でも、何で僕なの?この子は無差別なの?
太一が激しく困惑していると、
「わたし昨日、お師匠とお風呂に入ったんです。本当はさい兄と入りたかったんですけど。何でも、『紫乃ちゃんから試すのが一番』らしいんです」
え?裁くんとお風呂に入りたいの?そんなに裁くんのことが好きなの?
・・・そうか、男子とお風呂に入ることに、何の抵抗も持っていないんだ。でもそれって危険なんじゃ?
・・・そうか、だから、見た目と心はものすごく可愛いのに、実は男のからだをしている紫乃ちゃんで、それを教えたということか。
「わたし、びっくりしました。男の人には不思議なものが付いているのですね」
「・・・そ、そうだね」
「でも、お師匠ってすっごく綺麗なからだしてるんですよ?」
「う、うん。僕も一緒にお風呂に入ったことあるから・・・」
先日のお泊まり会でのことだった。
大きめの浴槽があると言う紫乃は、太一と綱を引き連れて、一緒にお風呂に入った。
『みんなで見せ合いましょう!』
どんな感情から出る言葉、行為なのかはよくわからなかったが、強制的にタオルを剥かれた。
あの国民的美少女の紫音そのままの顔。そして、男と感じさせない華奢な体格。その体質のせいで肌を一切露出しないためか、全く日に焼けずに真っ白くて綺麗な肌。
たとえ付いていたとしても、そのからだを直視することはできなかった。
「昨日、紫音ちゃんも一緒だったけど、見えなくて・・・」
「・・・ん?見え、なくて?」
「でも、何を試そうとしたのかな?聞いたら、『わたしが可愛すぎて男を感じませんか・・・不覚!』って・・・」
「そ、そっか・・・」
「でね、わたしなりに考えてみたんですけど。『可愛いところから男を慣らす』ってのが目的だと思うんですよ。だから、次は太一くんが良いかなって。これ、良い考えだと思いません?」
「・・・僕は、完全に異性だよ?」
「・・・あて姉も、それを何回も何回も言ってました。異性とはお風呂に入っちゃいけないのですか?」
「ダメというか・・・いや、なんだろう・・・逆に、むしろ男は喜んで入ると思うけど?何ならお金払ってでも・・・」
「じゃあ太一くんも、入りたいんですね?」
「あ、いや・・・それが健全というか・・・そうだ!あのさ、銭湯ってわかる?」
「共同浴場のことですね?」
「うん。銭湯はね、男風呂と女風呂に分けられているんだ」
「らしいですね」
「混浴っていうのもあるらしいんだけど・・・言いたいのは、男は女風呂に入っちゃいけないってこと」
「え?」
「たしか年齢制限があって、ある年齢を超えた男の人が女風呂に入ったら、捕まるんだ」
「え?」
「あとね、男が女の子の着替えを覗いたりしても捕まるんだ」
「・・・性別の壁が存在する、と?」
「そう。欲望ってヤツかな?健全な男はね、女の子が好きなんだ。それは生殖本能なのかもしれないけど、可愛い子を見たい、近くで見たい、もっと見たい、見えないところも見たい。
そこに意思の疎通があれば良いんだけど、無い場合が問題なんだ。想像して欲しくはないけど、好きでもない男の子が急にお風呂に入ってきたらどう思う?」
「兄さまのことですね?キモいです」
「もしかして皇輝くん!?・・・そ、そのキモいって感情が、壁なんだ。ちょっとしたキモいで済めば良いけど、それが犯罪になる場合もある。だから、その壁は明らかにされているんだ。法律で、モラルで、自制心で」
「壁・・・わたしにはそれが欠けていると?」
「・・・好きな人が入りやすいようにって、壁を取り払っていたらどうなるか。好きじゃない人も、犯罪者だって入ってくる可能性があるんだ。それは、危ないことなんだよ」
「じゃあ、好きな人にだけ壁を取り払えば良い?」
「うん。彩ちゃんが見極めて、そして相手の意思も確認して、それで取り払う分には問題無いんじゃないかな?」
「そっか・・・ありがとう!じゃあ、一緒にお風呂に入ってもらえますか?」
「!?」
清水野太一は、自分が健全な男子だと思っている。
先日の水着お披露目会で、美少女達の水着を見ても、体育座りでただ拍手だけをしていた。
でもそれは、恥ずかしさからとった行動だった。もしかすると、小学校低学年程度の健全性かもしれないが。
でも、自分では、『むっつりスケベ』ならぬ『むっつり健全』だと思っている。
太一は、自分と一緒にお風呂に入りたいのだという、目の前の少女を見た。
一般的に美少女と言われるであろうこの少女。
太一の好みど真ん中のこの少女。
Tシャツにプリントされたキャラクターは、控えめな胸の膨らみによって、顔が少し歪んでいる。
超ミニのスカートからは、真っ白く、でも健康的で長い脚が生えている。
こんな可愛い女の子とお風呂・・・。
太一はそのとき、生まれて初めて、鼻血を流した。