19話 天照奈(その二)~彼との対面~
十年前に一回会ったわたしと、同級生のわたしが重なったのだろう。
彼は少しの間、口を開けたまま、わたしの顔を見ていた。だがすぐに我に返り、今度はわたしが首から下げている許可証に視線を移した。
わたしの下の名前、天照奈の漢字を確認しているのだろう。どういう漢字をあてるのか、なかなか思い浮かばないだろうから。
……って、確認する時間ちょっと長くない?漢字を見て何か思うことでもあるのだろうか……
あっ! 写真!
許可証に貼られた自分の写真を思い出すと、わたしはすぐに許可証を裏返した。
やばい、絶対見られた。写真の上に何かシールでも貼っておけば良かった。
これがわたしの趣味だなんて思っていなければ良いのだが。でも、許可証に不相応なこんな写真を撮ることを提案したのは、もしかして自分の父親では?なんて思ってくれているかもしれない。
そう、悪いのは彼の父親なのだ。
元凶であるその男を、若干の恨みを込めて見つめる。
すると、おそらくだが、
『早くあんたの息子も紹介しなさいよ』
とでも受け取ったのであろう。
「こいつが息子の『裁』だ。許可証は車の中に置いてきちゃったけど、『さい』は、裁判の裁、裁くの裁だ」
彼の紹介をしてくれたのだった。
父からは昨日、彼の名前を聞いていた。でも、どの漢字をあてているのかは思い浮かばなかった。何より、父が『サイクロプス』を連発するせいで、カタカナでしか認識できなかったのだ。
しかし、なんて格好いい名前だろうか。警察官の父、あと、母親と祖父も警察官だったらしいから、人を裁けるような善良な人間になってほしいという願いが込められているのかもしれない。
でも、人を裁くのは法であって、人ではないような気もするが。
あぁ、でも彼ならそれができるか。納得の名前である。
彼の名前のことを考えていると、
「それより、あてなちゃんって、そんな漢字だったんだ。ゲンさん、顔に似合わず、すごい名前付けるな。キラキラじゃん」
と、彼の父親からちょっと引っかかる事を言われた。
キラキラネームなどと言われたら、当然だがいい気がしない。
父を横目で見ると、同じように感じたのか、少し眉をひそめている。
「見た目どおり輝いてて、良い名前だな。なんだ、これなら裁もサイクロプスって名乗ってもいいくらいだな」
何の悪びれた様子も無く続いた言葉に、わたしも父も少し安心した。
でも、やっぱりサイクロプスは良くないと思う。
彼も間髪入れずに、
「いや、良くないから」
とツッコミを入れていた。
思ったとおり、彼もツッコミ属性のようだ。もしも彼の母親が強力なツッコミ使いであったとしても、この強力なボケ属性の父親を野放しにできるとは思えない。
でも、わたしもツッコミだからな……もしも一緒に行動することになって、お互いにツッコミでうまくやっていけるだろうか?
あぁ、でも長い目で見れば、彼の父親にツッコミを入れる負担を分け合えるかもしれないな。
あれ、もしかして父親へのツッコミが初めての共同作業? いや、それは嫌だ。
などと、無表情のまま妄想を繰り広げていると、
「ところでさ、なんで天照奈ちゃんも制服なんだ?」
彼の父親がわたしに質問をしてきた。そう思うのは当然だろう。
でも、これは今日の彼との対面のイメージトレーニングの末にたどり着いた格好です……とは言えない。
彼のことを意識しているとは思われたくないのだ。
いずれ、彼に近づいたら発現するかもしれないが、素の状態ではバレてしまったら恥ずかしすぎる。
「ははぁん、もしかして、裁の……」
えっ? もしかしてこの男、わたしの彼への思いに気づいてる?
やばい、そう思ったわたしは咄嗟に、事前に考えていた言い訳を口走った。
「えっと、いつもの習慣で制服に着替えちゃって。その、着替えるのも面倒だからそのまま来ちゃったの」
少し動揺してしまったか、早口になってしまった。
でも、事前に考えていただけあって自然な理由だし、変に思われることはないだろう。
「うん、いつもの時間に起きて、わたしに朝ご飯も作ってくれたからな。習慣はそう簡単には抜け切らないのだろう。裁P少年もそうなんだろ?」
そして、父よ、超絶ナイスなフォローをありがとう。
でも父よ、その呼び方は良くない。
普通に裁少年で良くない?そんなにサイクロプスって呼びたいの?
あと、彼の服装のことは掘り下げない方が良いのでは。きっと、部屋着と制服以外持っていない、で終わると思うんだけど。
「こいつさ、部屋着と制服しか持ってないんだわ。常にどっちかは着てるその服って特殊素材の重いやつで、普通の服なんて着ちゃったら、いつものが重いってバレるしな。しょうがない。
なぁ、ゲンさん、重い普段着も作ってよ。できればオシャレ目なので頼む」
「あぁ、そうだな。考えておこう」
やっぱり。
て言うか、普段着を重くする必要あるの? ヒーローとして日々の鍛練は欠かせないってことか。
ただ、重い服装が普通だったのなら、逆に急に軽くなるのも生活しづらいのだろうか。
でも、彼自身と服装合わせて、たしか三五〇キログラムでしょ?いろいろと重量制限ありそうだな。
「じゃあ、紹介も終わったところで、どうする? ゲンさんから裁に話してくれるのか? 天照奈ちゃんのからだのこと」
「体質って言ってくれ、なんか生々しい。そうだな、まずは握手でもしてもらおうか?」
「なるほど、裁に近づく、というか触れた天照奈ちゃんから発現するものを確認できる。
そして、裁も天照奈ちゃんの体質を体感できる、そういうことか。さすがゲンさん、考えてるな」
彼の父親の『からだ』という言葉に一瞬ビクッとしてしまった。すぐに父がつっこんでくれたが、この男の前では少しでも気を抜いてはいけないらしい。
そして、ついに来た。
彼に近づいてわたしの何かを発現させるときが。
でも、事前に言われていたおかげか、異様に落ち着いていられる。
え? 握手するの?
「裁少年、手袋は外していい。握手して、少し様子を見たら、ちょっと力を入れてみてくれないか。君も気付くはずだ」
え、素肌で握手?わたし、お父さん以外の男の人に触れるの初めてなんだけど。
しかも、彼がその人なんて……
ちょっと、さっきまでのわたしの落ち着き、どこ行っちゃったの?
でも、実際には触ることはできないのだ。
そう考えて、なんとか落ち着きを取り戻そうと全力で集中した。
彼を見ると、手袋を外すとポケットからハンカチを取り出し、手をよく拭いていた。
通気性の悪そうな手袋だから、中が湿っていたのだろう。
「おっ、なんだ裁くーん、緊張してるの? てか、実はそのハンカチ二キログラムあるんだよな。おそろしいやつだよ」
彼は、父親の冷やかしを疎ましそうに見るも、その言葉で逆に落ち着くことができたのだろう。
心を決めたのか、わたしと向き合うと、初めの一歩を踏み出した。
その一歩を見て、わたしは無意識のうちに一歩下がってしまった。
昨夜から入念な心の準備をしてきたはずなのだが、やはり、彼に近づくことの『恐怖』を拭うことはできていなかったらしい。
でも、彼はわたしの体質のことを何も知らない、そして、何が起きるのかもわからない。
きっと、彼の方が怖いのではないだろうか。
そう考えると、わたしは、下げた一歩を元の位置に戻して、彼が近づくのを待つことにした。
そして、約五〇センチメートル。
彼は、遂に握手をできる距離にまで近づいた。
握手をしなくても、この距離なら彼の体質が影響するのではないか?
そう思ったが、でも、そんなことを考えることができているということは、まだ何も変わっていないのかもしれない。
彼は左手を差し伸べてきた。
わたしは彼の利き手がどちらかはわからない。わたしの利き手が右手だということも、彼はもちろんわからないだろう。
おそらく何か意図があって、左手なのだろう。
彼の差し伸べた左手。おそらくこの十五年間、お風呂に入る以外はずっと手袋をしていたであろう。
その手は、白く、そして綺麗だった。
でも、重りをつけられていたせいか、その美白さには似つかわしくないほど、逞しかった。
素晴らしいギャップだ。手だけでそう思うということは、もし彼の肉体を見たら、わたしはどうなってしまうのだろう。
て言うか、邪念がひどいな、わたし。
もしかして、発現されたのって、この邪念?
いや、たしかにいつもの妄想とか邪念を積み重ねたら、わたしの中の大半を占めるかもしれないけど。
もっとちゃんとした、心の奥底の何かが発現されるはずだ。
そう思いながら、わたしは手を伸ばした。
そして、彼のその手を握った。握ったと言っても、まだ触れただけだったが。
彼が素肌で触れる最初の人が、もしかしたら自分かもしれない。
もしもそうだったら、なんて運命的なことだろう。
でも、実際には触れていないのだから、ノーカンかもしれないが。
そんな思いもあったからか、緊張と合わせて、わたしの手が汗をかいていたのかもしれない。
握った手は温かく、そして湿っていた。
あれ?
何も、変わらない?
そう思えているということは、変わっていないのだろう、と思う。
わたしは父を見た。
すると、父は少し首を捻って何かを呟いていた。
何かがおかしい。
そして、わたしは気づいた。
そう、握った彼の手が温かいのだ。
逞しいその見た目よりもずっと、柔らかい、包み込んでくれるような感触もあった。
彼の手に『触っている』のか?
父と、彼の父親が、彼に向かって何やら頷くのが見えた。
そんな二人をみた彼は、わたしに向き合い、何かを決めたような表情になった。
きっと、その手に力を込めるのだろう。
でも、今、力を込められたら、その力は……
「あ、ちょっと、待っ……」
わたしは、『待って!』、そう言いたかったが、遅かった。
彼は既に力を込めていたのだ。
『ミシッ』という感触と同時に、痛みがわたしの手を襲った。
わたしの口は、無意識に、
「痛い!」
と声を出した。
彼はすぐにその手を離してくれた。
わたしは右手でその左手をかばうと、その場にうずくまった。
「そりゃそう、だよね。僕が握ったら痛いに決まってる。ねぇ、何をしたかったの?」
と、彼は大きな声をだした。
そして、おそらく父達の方を見ているのだろう。
父は『信じられない』という表情をしているに違いない。
おそらく骨は折れていないだろう。
だが、鋭い痛みに、わたしはしばらく立ち上がることができなかった。
この痛みは彼から与えられたもの。
彼が手に込めたその力は、跳ね返らなかった。
痛みに耐えるわたしの表情は、でも、笑っていたかもしれない。
彼は、わたしに触ることができる。
そして、わたしは彼に触ることができるのだ。