189話 十二月二十四日
俺は、冬華が走り去った方向に歩いた。
姿は見えなくても構わない。おそらく聞こえるであろう会話だけを目的に、耳をすませて、歩いた。
すると、たったの十メートル先の路地裏から、その声は聞こえてきた。
『あーあ、ふられてやんの』
『クリスマスイブまで待ってこれかよ』
『ベリー苦しみますを自分でつくっただけじゃね?』
それは、同じクラスの男子生徒三人の声だった。
成績は良いが、性格は最悪の三人。人目に、特に先生の目のつかないところで人が嫌がることを繰り返して楽しむ、最低なやつらだった。
『お前の家さぁ、もう終わりだろ?帰っても、どうせお祝いなんてしてもらえないだろ?だからさ、俺たちが可愛がってやるよ』
『・・・』
俺は知っていた。この三人の陰での会話、そして同級生の噂話から、冬華の家の事情を知っていた。
冬華の父親は小さな町工場を営んでいた。だが、お人好し過ぎるその性格からか、社会情勢によるためか、多額の借金を抱えていたのだ。
三人のうちの一人が、その工場の得意先、しかも社長の息子らしく、何かあるたびに工場の事情を伝え、冬華のことをからかっているのを聞いていた。
そして、十二月に入ってすぐのこと。
いよいよ工場の経営が厳しくなったらしく、
『うちの親父も、おまえん家の工場から手を引くってよ』
社長の息子が冬華にある話を持ちかけた。
『俺の親父がさ、それでも、お前の家をなんとかできないかって頑張ってんだよ。俺も親父に頼んでやるからさ、なぁ、お願い聞いてくれるか?』
『親同士のことでしょ?わたしたちの行動がそこに関係するとは思えないけど?』
『お前、頭悪いな。貧乏は忙しいから勉強できないもんなぁ。お前が俺の親父の悪口を言ってるって、親父に言ったらどうなると思う?』
『そんな、言ってないし、そんなこと・・・』
『息子の言うことを信じない親がいるか?なぁ、どうする?』
『・・・お願いって?』
『何、簡単なことだよ。俺のクラスの不動堂って知ってるだろ?お前ら近所だから、小学校も一緒だったんじゃね?』
『・・・そうだけど』
『孤高のコッコー。俺がつけた愛称だぜ?最高だろ?』
『ぎゃはは!何もかも捨てて勉強しかしてないから、成績だけは孤高だよな!』
『でな、お前、コッコーに告白してくれよ』
『告白?なんでそんなこと・・・』
『面白いだろ?俺だって、お前のこと考えてやったんだぜ?あいつの家、金持ちだろ?もしも付き合えたら援助してもらえんじゃね?』
『そんな、告白なんて・・・それに・・・話したことも、無いし・・・』
『コッコー、誰とも話したこと無いからなぁ。女の子に告白なんてされたら嬉しくて、誰とでも付き合ってくれるんじゃね?』
『俺たちってば優しいなぁ』
『俺が女だったら告白するんだけどなぁ』
『で、いつ告白する?夜逃げする前に済ませてくれよ?』
『・・・二十四日』
『クリスマスイブかよ!』
『たしかに、成功する可能性上がるな!』
『なんだぁ、お前も考えてんじゃん!やっぱ、金欲しいよなぁ!』
放課後、日直を押しつけられた俺は、冬華のクラスでされていた胸くそ悪い会話を聞いていた。
だから、知っていた。
冬華がその日、告白してくることを。
あの日、あの後、冬華と三人がどうなったかは知らない。
なぜなら、少し会話を聞くと、俺は家に帰っていたから。
家族で迎えたクリスマスパーティー。俺はずっと冬華のことを考えていた。
もう少し違った言い方があったかもしれない。断るという結果は変わらないとしても、冬華の家の心配くらいしても良かったかもしれない。
でも、どんなに考えても、俺の虚勢が邪魔をして、その他の言葉をかける自分を思い浮かべることはできなかった。
もしもあのときに戻れる能力があったとしても、俺の虚勢が邪魔をして、何度でも同じ言葉をかけていただろう。
冬休みが明けて、三学期の始業式を迎えた。
朝から、学校の至る所である一つの噂が飛び交っていた。
冬華が自殺を図ったというのだ。
十二月二十四日、浴室で、カッターナイフで手首を切ったらしい。
なんとか一命は取り留めたようだが、精神状態が安定せず、自宅で療養しているらしい。
そんな噂を聞いていると、あの三人が俺の席に向かって歩いて来た。
『俺とあいつの親が知り合いでよぉ、ちょっと仲良くてな。聞いたんだけど、お前、十二月二十四日、あいつに告られて振ったらしいな』
俺は、あいつって誰?と聞いた。
『マジか、あり得ねぇ!川島冬華だよ。お前のせいで自殺図ったんだろうがよ』
俺のせい?
『そりゃそうだろうが。クリスマスイブで?しかも聞いたら、あいつ、誕生日だったらしいじゃねぇか。ずっと想い続けた相手に特別な日に告って振られた。そりゃ、死にたくもなるわな』
俺はそのとき、三人の考えがわかった。
なんで冬華に告白させたのか。
冬華の家の事情から、俺に告白させることは容易かっただろう。そして、俺が振ることも想定していたに違いない。
少なからずショックを受けるだろう冬華を見て笑うのが、目的の一つ。
そしてもう一つ、おそらく社長の息子という立場を利用して、そいつは冬華のからだに手を出したかったのだ。
夜逃げをするか、あるいは工場が延命したとしても、冬華は学校に来なくなるに違いない。
そこまで想定した上で、俺を脅すことを計画していたのだ。
『お前の親父、警察官だろ?息子が人を自殺に追い込んだかもしれないって知ったらどうなんだろうな』
『ぎゃはは!責任取ってやめるんじゃね?』
『でもお母さまの財産あるから余裕だろ』
『別にさぁ、親に告げ口する気はねぇよ。たださ、どうせ金持ってても、遊び相手もいないお前は使い道無いだろ?俺らに分けてくれよ。な?』
別に、親父に告げ口されても何も困ることは無かった。
俺に孤高を説く親父でも、俺が学校でどんな存在だったかはよく知っていたはずだ。
きっと、俺が原因でないことも、ぱっと見が好青年のこいつらが悪いこともすぐにわかってくれただろう。
でも俺は、俺が原因であることを認めた。
こいつらが冬華にしたことは許されることではない。
でも、あの冬華なら、こんなやつらの言う事なんて聞くはずが無かったのだ。
だから、おそらく、あれも俺を思っての行動だったのだろう。
ただ俺に告白して振られれば、俺はそれで用済みだと思ったに違いない。
こんな面倒なやつらと関わり合いにならなくて済むと、思ったに違いない。
そして俺は、冬華の思うとおりに行動した。
事前に知っていたから、最悪の事態を想定して、何かできることがあったかもしれない。
その日、冬華の告白にちゃんと答えていれば、何かが変わったかもしれない。
でも、いくら考えても、何度同じ場面をやり返せたとしても、それは絶対にできなかったのだ。
結局、俺は、何もしなかった。
冬華の思いどおりに、その思いに甘えて、何もしなかった。
だから、俺が悪い。
そう、認めた。
その日から、俺の小遣いはもらった日にそのまま、三人の手に渡ることになった。
とは言っても、中学生活残り三か月で、月一回の小遣いだったから、巻き上げられたのは三回で済んだのだが。
でも、やつらは一度、俺の家にまでやって来た。
学校が終わってすぐに俺の席に来て、『お前の家行きたいなぁ』と言ってきたのだ。
何も言わずに歩く俺に、三人はまるで友達みたいな雰囲気を装い、付いて来た。
玄関で出迎えた母さんに、好青年ぶって挨拶をすると、三人は俺の部屋へと上がり込んできた。
成績が良く、ぱっと見だけでは悪い人間には見えない三人。
うまく目の付かないところで、バレないように人が嫌がることを、そして自分たちが楽しめることをしてきたのだ。
その日、三人は俺の部屋から金目のものを持って帰った。
俺の親にバレないように、買ったばかりものではなく、目に付かないところに置いてあった、でも価値があるものを選んで盗っていったのだ。
高校に入学して、俺は解放された。
実家から離れた高校で、寮に入り、そんな三人のことなど忘れようと思った。
初めて友達ができて、天照奈ちゃんに絶滅させられて、俺は変わった。
今なら、あの三人に会っても、本心を言えると思った。
できなかった。
今日、俺が実家に帰ったことを知ったのか、あるいは、いたらラッキーくらいの考えかはわからないが、やつらは俺の家を訪ねてきた。
一度部屋に通した三人の顔を覚えていたのか、母は笑顔で三人を迎え入れた。
俺の部屋に入るなり、やつらは部屋の物色を始めたが、前に盗られて以降はすぐに寮に入ったし、何一つあのときから変わっていなかった。
『つまんねぇな。じゃあ、小遣いだけもらって帰るか?』
やつらは、机の上に置いていた俺の財布を見つけると、中を覗いた。
『なんだよコッコー、二千円しか入ってねぇじゃん!』
『小遣いっていうか仕送りに変わったからか?』
『いや、見ろよ、カードじゃね?』
親から渡されたクレジットカードの存在を知ると、財布役として、遊びに付き合わされることになった。
『ゲーセンじゃね?』
『カラオケっしょ』
『ボーリングしてぇわ』
結局、全てが入ったアミューズメント施設に行くことになった。
十一時にファミレスで早めの昼食をとると、十二時半にボーリング場へとやって来た。
時期的に混んでいるかと思われたが、ちょうどお昼時だったためか、待たずに済んだ。
どうやら三人はそれを計算して行動していたらしい。
俺の分も含めて四人の登録をしていたが、第一投者にしていた俺のところで投球練習をするらしく、俺は後方でボールを置く台に寄りかかって立っていた。
ただ立ち尽くして、初めのうちは、バカみたいに笑う三人を見ていた。
自分がどんな表情をしているのか、わからなかった。
そして、幻覚で現れた天照奈ちゃんと皇輝。
皇輝が膝を付いた瞬間、心の奥底から、封印されていた冬華の思い出が溢れ出た。
小学四年生になって二回目の席替え。
俺は、冬華と隣の席になった。
そのときから既に虚勢を張っていた俺は、学校では誰とも話すことが無かった。
誰も、上っ面な嘘で人を避けていた俺に近づくことは無かった。
冬華も例外ではなく、俺に声をかけることは無かった。でも、俺に笑いかけてくれた。
それは、心の奥底の本心にまで響くような笑顔だった。
そうだ、俺は、その笑顔が好きだった。
十二月の終業式の日、冬華は初めて俺に話しかけてきた。
『あの・・・二十四日なんだけど・・・わたしの、誕生日なの。いっつも冬休みだから学校のみんなは来なくて・・・その、うちに来て、誕生会に来て欲しいな・・・なんて』
俺は、別に構わないと答えた。その日は、毎年家族で教会に行くのだが、誕生会はお昼にやるらしいから、参加しても問題無かったのだ。
冬華はいつもより嬉しそうに笑って、
『やったぁ!でも、あのね・・・うち、貧乏だから、ちょっと恥ずかしいな・・・ケーキもちっちゃいし。プレゼントもね、クリスマスと一緒だけど、消しゴム一個とか、シャープペン一本とかなんだよね・・・瞬矢くんは、来てくれるだけで嬉しいから、プレゼントはいらないからね?あーあ、楽しみ!』
誕生会のことを両親に伝えると、二人とも、俺が誘いを受けたことを喜んでいた。
『女の子かぁ。プレゼントは何が良いかな?』
母さんは、俺よりもソワソワしてそんなことを言っていた。
でも、冬華はプレゼントはいらないと言っていたと伝えた。
すると、
『気を遣ってくれる良い子なんだね!わかった。お母さん、すごく嬉しいから、この気持ちをプレゼントするね!』
当日、何も持たずに家を出ようとする俺に、母さんは紙袋を手渡した。
『ねぇ、これ、冬華ちゃんに渡して?手作りだからお金はかかってないからって言ってね?』
それを受け取ると、俺は冬華の家に向かった。