187話 ボーリング場
十三時五分。
裁はまた目を閉じて、すぐ目の前を歩く父、正義の姿を感知していた。
その関知能力は、人間以外を感知することができない。体質が封じ込められるとは言え、目を閉じてしまっては、普通の生活はおろか、普通に歩くこともできないと思われた。
だが、人のすぐ後ろに付いていれば、目を閉じても普通に歩けることを知ったのだった。
『エスカレーターに乗るぞ』『段差あるぞ』
たまに声を掛けてくれる父を追って、駐車場から歩くこと約三分。父が立ち止まった。
「あの、さっき電話した黒木ですけど」
「あぁ、一番端と二番目のレーンが空いているか、聞かれた方ですか?」
「はいはい、それです」
「本来なら予約は受け付けていないのですが・・・ちょうど空くところでしたし、すぐいらっしゃると言っていたので。ご希望どおり、空けておきましたよ」
「ありがとう!助かる!」
「・・・でも、お二人だけですか?」
「あ、ああ。えっと、何か問題でも?」
「見てのとおり、十三時になってから急激に混み始めましてね。時期が時期ですし・・・四人以下でいらっしゃるお客様には、一レーンでのプレイをお願いしているんです」
「いや、実は息子がアレルギー持ちで人に近づけなくて・・・」
「じゃあ、そもそもこの場に来るのがよろしくないのでは?」
「ぎくっ!・・・息子の夢を・・・願いを叶えたいんです!」
「朝一ならいつも空いていますから、時間を改めては?」
「え、ダメ?そこを何とか!」
何やらカウンターで揉める父の声を聞いていると、背後から別の、聞いたことのある声がした。
「げっ!嘘でしょ?」
周囲五メートルの人の姿を感知できる裁は、その姿を感知できてはいた。
だが、まだ白くぼんやりとしか見えていなかったため、それが誰かまでは感知できていなかった。
「おほっ!紫乃ちゃん、天照奈ちゃん、それに彩ちゃんじゃないか!」
「紫乃ちゃん、来る階を間違えたね!ここ、ゲームセンターじゃなくてボーリング場だったみたい」
「ですね!じゃ、さよなら」
正義の姿を見るなり踵を返そうとする三人に、正義が食い下がる。
「あ、あのさ、時期も時期だからか、激混みらしいんだよ。俺さっき電話で二レーン分を無理矢理確保したんだけど・・・頼む!一レーン使ってくれないか?裁のためなんだ!」
「何ですかそれ?・・・でも、ゲーセンに行ってから戻ってきたとして、さらに混んでそうですね・・・仕方無いですかね、天照奈ちゃん?」
「そう、だね。みんなボーリング初めてだし・・・癪だけど、やり方を教えてもらえるしね」
「おお、決まりだな!俺、実はプロ並みの腕前だからな、いくらでも教えてやるぜ?」
「へぇ。ところで、なぜサイパパと目を瞑ったサイくんがこんなところに?」
「いやぁ、いろいろあってな。思わぬ出費が・・・」
「出費?じゃあなんでさらにお金を使おうと?」
「実は、今週ここでイベントというか、キャンペーンをやってるんだ。一ゲームのスコア上位三人に商品券がプレゼントされるんだ!」
「ふーん。でも、いくら上手いと言っても、プロには勝てませんよね?」
「それがな、うっしゃっしゃ!プロは参加不可なんだ!そして俺はプロ顔負けの腕前。どうだ!?」
「ほぉ。でも、警察官として、商品券なんてもらっても良いものなんですか?汚職事件ですか?」
「ぐっ、お食事券のことは言ってくれるな!・・・そ、それにこれは職務とは関係無いからな?ほら、警察官の採用条件にボーリングのスコアなんて無いだろ?ただの趣味だし・・・ほら、くじ引きとかの景品と一緒だ!現金じゃないし!」
「まぁ、状況はわかりましたよ。思わぬ大きな出費をサイママに咎められないようにボーリングで穴埋めする。あわよくば、身体能力に優れるサイくんもイケるんじゃね?と、目を開けても影響無いように一番端の二レーンを使ってプレイしようとした。でしょ?」
「そのとおり!ささっ、行こうぜ!ピンが俺を呼んでいる!」
一番端のレーンを黒木親子、二番目のレーンを女子三人で使用することとし、手続きを済ませるとレーンへと向かった。
「靴は取ってきたな?じゃあ、次はボールを選ぶんだ。穴に指を入れてみて、持ちやすさとか重さとか、しっくりくるやつを選ぶんだぞ」
「お父さま?き」
「金色の玉は無かったと思うぞ?」
「そうですか・・・」
何やら残念がる紫乃を先頭に、三人はそれぞれボールを選び、レーンに戻った。
シートに座りようやく目を開けることができた裁。ボールを選びに行くことはできないため、父にボールを選んでもらった。
どうやら一番重いボール一択だったらしいが。
「おいおい、三人が登録したその名前・・・良いのか?」
スコアボードを表示する画面には、『目出し帽』『無敵』『透明人間』と表示されていた。
「初めてのボーリング、しかも初めての友達との遊技ですからね。記憶と記録に残るやつと言えばこれですよ!」
「まぁ、良いんだが・・・それで言うと、俺には叶わないがな!」
そんな一レーンのスコアボードには、『非プロ』『サイプロクス』と表示されていた。
プロじゃないという意思表示に必死だったのか、サイクロプスの標記が違っていたが、誰も興味が無いのか。女子三人は見向きも聞きもせず、自分のボールを磨いていた。
「じゃあ、俺から投げるぞ?」
「これって順番にやるものなんですか?こっちはこっちで進めても良いのでは?」
「ストライクとって女子と『わーっ!きゃーっ!』ってはしゃぎたいの!」
女子とはしゃぎたい中年男性が構えをとったところで、少し離れたレーンから、『ガシャーン!』という大きな音が聞こえてきた。
「おいおい、いるんだよなぁ。ったく、これだからガキは・・・」
「なんですか?ボールが途中で止まってますけど?」
「ああ。ピンを所定の位置にセットする、上がったり下がったりする機械が見えるだろ?あれが上がりきる前に投げてぶつけたんだろう」
「あれにぶつけると何か良いことでも?」
「何にも無い。ギリギリ当たらないように投げて楽しんでるだけだろ?店側にしちゃ、ただの迷惑行為だがな」
裁は、そのレーンではしゃぐ三人を見てみた。
同い年くらいだろうか、三人とも、大きな声でゲラゲラと笑っていた。
店員がレーンの途中で止まったボールを脇に寄せる作業をする間、反省する様子を微塵も見せず、三人とも椅子に座って何かを楽しそうに話していた。
「天照台高校に入って、ああいったヤンチャな人種を見る機会が減りましたよね」
「わたし、ああいう人見ると、背後からボール投げてきたバカ面思い出しちゃうんだよねぇ」
「天照奈ちゃん、お口が悪いですよ?」
「失礼をば!」
「ぶふっ!・・・あの、わたし、見てはいけないものを見てしまったのですが・・・」
ヤンチャ達のレーンを見ていた紫乃は、その目線をその後方、通路側に向けていた。
裁も、その目線を追う。
ヤンチャレーンの最後方、ボールを置く台に寄りかかっている、とある人物を発見した。
「え、あれ、不動堂くん!?」
そう、それは、俯いて何かを考える様子の不動堂だったのだ。
「ねぇ、あのレーンでプレイしてるの、おバカ面三人組だけどさ、画面には四人の名前が表示されてるよ?」
「あて姉、見えるの!?」
「うん。わたし、目が良いの!」
「サイちゃん、女神のハイスペックはこんなもんじゃありませんよ?これくらいで驚いていては・・・それで、ドードーの名前もあります?」
「・・・一人だけよくわからない、『コッコー』って名前があるけど」
「ほぉ。かつてのドードーは孤高を装っていたと聞きます。おそらく中学校の同級生でしょうかね?孤高でコッコーとは、相手もなかなかやりますね」
「でもさ、何であんな後ろに、しかも立ってるんだんろうね」
「みんな感じると思いますが、『どうでも良いや』という自暴自棄な感情が伝わってきますね」
「本心では何か別なことを考えていて、上っ面の部分でそう考えている、と・・・全然楽しそうじゃないもんね。悲しい顔してるよ・・・」
「ドードー、まだ何かを抱えているのでしょう。そんな感じはありましたけど、わざわざ聞くことはできませんからね」
「うん・・・この前、強盗事件の後に話を聞いたけど、まだ何かあるんだろうなっては思ったよね」
「サイくん、雰囲気から何か感じることはできます?」
「うん・・・たぶん、何か責任を感じてるのか、後ろめたいことがあるのか・・・ヤンチャな三人に対してではなくて、他の誰かに対するものだと思う」
「さすが、さい兄!」
「ふむ。ここからはわたしの、でも、よく当たる紫乃ちゃんの勘ってやつですが・・・女の子でしょうかね。女の子にしてしまったことに負い目を感じている。おそらく、本当に何かをしたのはあのヤンチャ達。そしてその責任やらなんやらを背負わされたか、あるいは自分から背負ったのがドードーでしょう」
「さっすがお師匠!」
「師匠?」
「・・・ねぇ、どうする?話してくれないってことは、今はまだ関与しない方が良いよね?」
「それが賢明でしょう。変に事を荒立てて、ドードーの思惑を壊しちゃうかもしれません」
「うん。でも・・・紫乃ちゃん、我慢できる?」
「・・・絶対に無理です!いじってこそ輝くドードーです。でもあれは、いじりではなくいじめです。そんなの見て・・・ドードーのあんな表情を見て黙ってなんかいられませんよ!」
「さっすがお師匠!」
「師匠?・・・でも、どうする?じゃあ、僕が近づいてみる?」
「どうでしょう。たぶん、既に溢れ出ている『コッコーのおごりで遊びまくるぞ!イエーイ!』が発現されるだけでしょう・・・」
すると、すっかり投げるタイミングを失い、ボールを置いて椅子に座っていた正義がまた、あるレーンを見て口を開いた。
「おいおい、なんかすごいやつがいるみたいだぞ?」
そう言う正義は、ヤンチャレーンからさらに三レーンほど奥のレーンを見ていた。
そこでは高校生くらいの少年が一人でプレイしており、それを十数人ものギャラリーが見て、歓声を上げていたのだ。
「どう見てもプロじゃないよな?ぐぬぬっ、ライバル出現か!」
「なんだか目立つ少年ですね。すらりとした高身長、しなやかな動き、輝かしいイケメン。何より、なぜか片方の目だけを隠す前髪・・・」
「兄さまじゃないですか!?」
「皇輝くんって、海の家で鋭意バイト中じゃなかったっけ?」
「ちょっと待って?わたし、兄さまに聞いてみる!」
そう言うと、彩は携帯電話を取り出し操作すると、すぐにそれを耳にあてた。
「あれ?皇輝って携帯電話持ってないんじゃ?」
「わたし、昨日の対面の後すぐに携帯電話を買ってもらったんです。どうやって知ったかはわかりませんが、兄さま、それを聞きつけたらしくて。
兄さまも購入して、どうやって知ったかはわかりませんが、わたしに『俺も買ったよ!』ってメッセージを送ってきたんです。キモっ!」
「年下の叔母を溺愛する皇輝・・・ふむ、まぁこれだけ可愛ければ仕方ありませんね。しかもそんな可愛い子の目に映れるという優位性もある」
またもやストライクを出したのか、『キャー!』という歓声の中、椅子へと戻った皇輝。
騒がしい雰囲気の中、着信になど気付かないと思ったその時だった。
隣の椅子に置いていたショルダーバックから何かを取り出すと、まずそれを両手で天に掲げ、すぐにそれを耳にあてた。
「・・・出ましたね」
「もしもし、兄さまですか?・・・あの、つかぬことを聞きますが、今、ボーリング場にいますよね?
はい、いえ、なんだかわたしの後ろが騒がしいのはボーリング場にいるからではなくて、部屋で、大音量でアニメを観ているからです。
・・・なるほど、バイト先で二ゲーム無料チケットをもらった、と。たまたまバイトが休みだから来ている、と。良いスコアを出したら商品券がもらえるかもしれない、と。
わかりました。あ、いえ、わたしは兄さまとボーリングには興味ありませんので。さよなら」
そう言うと、彩は電話を切った。