186話 すごいのを見たい
「代わりました。雛賀天照奈です」
「あ、天照奈ちゃん?」
「・・・え?もしかして、裁くん!?」
彩の母親だと思い、丁寧な挨拶をした天照奈だったが、その声は、さっきまで検証のため一緒にいた裁だった。
「え?何で裁くんなの?」
「いや、今、目を閉じて炒飯食べてたんだけど」
「・・・目を閉じて炒飯四キロ食べてるってこと?よくわからない状況だけど・・・もしかしてそこにいるのって、裁くんとお父さんの二人ってこと?」
「そうだけど?」
「ってことは、彩ちゃん?電話かける相手、間違えたんじゃない?」
天照奈は、横で未だに頬を赤らめて俯く彩に言った。
「間違い無いよ?わたし、さい兄に電話をしたの」
彩はそう言うと、またも顔を手で覆ってしまった。
状況を察した紫乃は、『勇者よ!』そう言い、彩の頭を撫で回していた。
天照奈も、これまでの会話から状況を察した。
『そっか・・・一緒にお風呂に入りたいって言ったときにわたしを見てたから・・・でも、勘違いだったなんて・・・。
あと、そうか。紫乃ちゃんが言った優位性で頷いてたのって、わたしと同性ってことじゃなくて、裁くんと割と近い親族ってことか。
・・・いや、でも、ちょっと待って?え!?それにしても、何で裁くんとお風呂に入りたいわけ!?』
天照奈は激しく動揺した。
「どうしたの?おーい、天照奈ちゃん?」
「裁くん、ちょ、ちょっと待ってね?・・・彩ちゃん、何で裁くんとお風呂に入りたいの?親族とは言っても、異性だよ?」
「天照奈ちゃん。わたしたちと一緒じゃないですか」
「一緒じゃないでしょ!いや、たしかに、からだは異性だけど・・でも、紫乃ちゃんは男の娘だから・・・」
「じゃあ、わたしたちの方が入りやすいじゃないですか!」
思わず紫乃の後押しをしてしまい、自分が激しく動揺していることを自覚した天照奈。
気持ちを落ち着かせるため、まずは状況を確認することにした。
「裁くん?それで、彩ちゃんには何て答えたの?」
「いや、あのね・・・年下だけど叔母でしょ?ほら、お母さんとはお風呂に入ったことあるし、別に一緒に入っても問題無いかなって思ったんだ。でも、僕って常識とかデリカシー無いから、天照奈ちゃんに確認した方が良いかなって」
「な、なるほど、それでわたしに代わってくれと・・・賢明な判断です」
ひとまず落ち着いた天照奈は、目の前の彩を見ながら、そして電話先の裁に向かって話を進めた。
「・・・えっとね、二人は親族だけど、異性だよね?」
「うん」
裁の返事とあわせて、横にいる彩も顔を手で覆いながら頷いた。
「えっと・・・ほら、裁くんは高校生だし、彩ちゃんは中学三年生だよね?」
「うん」
裁と彩が同時に応える。
「異性、だよね?」
「うん」
問い正す天照奈に、ただただ『うん』と言い、頷くだけの二人。
「ふふっ。何を聞いても『うん』しか出ませんよ?・・・それに、天照奈ちゃん、異性とお風呂に入っていけないなんて法律ありますか?」
「・・・え?わたしがおかしいの?」
片手で頭を抱えた天照奈は、だが、あることを思いついた。
「裁くん、お父さん近くにいるよね?」
「いるけど?炒飯食べてるよ?」
「電話、代わってもらえる?」
「・・・うん」
天照奈がお願いをすると、電話先からは、
『なんか、天照奈ちゃんが代わってほしいって』
『え、俺なんか悪いことしたか?』
『それは間違い無いけど。どの案件だろうね』
『いないって言ってくれ』
『いるって言っちゃったよ?』
『くっ・・・』
低俗なやりとりの末に、裁の父親が応答した。
「も、もしもし?俺と話をしたいなんて珍しいな・・・俺、なんかしたっけ?それとも、裁の食料費の相談とか?」
「いえ、これまでのことは一旦忘れましょう・・・突然、つかぬことを伺いますが。裁くんと彩ちゃん、一緒にお風呂に入っても良いと思いますか?」
「・・・ん?もしも彩ちゃんが良いって言うんなら、良いんじゃないか?」
「ぐっ・・・で、でも、異性ですよ?」
「あぁ、そうか・・・天照奈ちゃんが求める解はわかった。じゃあ、答えはこうだ。いくら親族でも、高校生の男の子と中学生の女の子が一緒に風呂に入るのは、教育上よろしくない気がする。
でもな・・・裁だぞ?こいつ、女の子のパンティ見ても全然嬉しくないらしいぞ?」
「ぱ、パンティ?何の話ですか?」
「まぁ、でも、実際にパンティを見たら理性を失うかもな!・・・ん?」
『僕さっき、実は彩ちゃんのを見ちゃったんだ。不可抗力だからね?』
『ほぉ・・・それでもなお、全然嬉しくないと答えた、ということか・・・』
「だ、そうだ。大丈夫だろ?」
「もう良いです。さようなら」
天照奈は電話を切った。
「ねぇ、彩ちゃん?皇輝くんとは一緒にお風呂に入ったことあるの?」
「兄さまですか?・・・いえ、ありませんし、絶対に、一緒に入りたくありません」
「!?・・・さ、裁くんと皇輝くんの違いって何?」
「・・・す・・・」
彩は再び顔を手で覆ってしまった。
その可愛い耳は、これ以上赤くなることはないと思えるくらいに赤くなっている。
「天照奈ちゃん、これ以上聞いてしまうと彩ちゃん、蒸発しちゃいますよ?『す』でわかったでしょ?ね?」
「す?・・・あぁ・・・そういうことか。裁くんの『すごいのを見たい』ってこと?」
「おぉ・・・おそらくムキムキのからだのことを言ってるのでしょうが。ほんとこの天照奈ちゃん、無意識下ネタの達人ですね。しかし・・・サイちゃん、まさかの逸材でしたね・・・あなたは、最高の弟子です」
「でも、見たいと入りたいは違うよね?ねぇ、彩ちゃん。想像してみて?」
「天照奈ちゃん、蒸発しちゃいますって!」
「じゃあ、ほら、わたしが持ってきた麦茶あげるから飲んで!」
天照奈は、自分の手提げバッグからステンレスのボトルを取り出すと、キャップを開けて彩に手渡した。
「あ、間接キス!?わ、わたしも水分欲しいな・・・」
「自分のコーラ飲んだら?」
「!?」
「じゃあ、想像してみてね?きっと、彩ちゃんは『一緒にお風呂に入っている姿』っていうと『一緒に湯船に浸かっている姿』を思い浮かべるでしょ?」
「・・・うん」
「脱衣所から想像してみて?」
「なんてリアルなことを!?・・・あ、天照奈ちゃん?それこそ、天照奈ちゃんは想像できるのですか!?」
「わたし、小学三年生までお父さんとお風呂に入ってたから・・・一度見たモノは鮮明に思い返せるし」
「な、なるほど・・・サイくんのからだの一部分をお父さんにすれば想像完了と・・・ん?ところでサイちゃんは、お父さんとお風呂に入ったことは?」
「・・・記憶にありません」
「これは・・・」
「想像できない、か・・・」
「そうか!天照奈ちゃん、提案があります!」
天照奈は、瞬時に紫乃の考えを察した。
今日は紫乃の口からお風呂の『お』すら言わせないつもりだったが、もう、そんなことはどうでも良くなっていた。
「そうだね。まずは紫乃ちゃんで試すのが一番かもね」
「じゃ、じゃあ天照奈ちゃんも一緒に」
「入らないよ?」
「あの・・・二人、何の話をしてるの?」
「あのね、彩ちゃん。裁くんと一緒にお風呂に入るのは、ダメじゃないとは思うんだけど・・・男の子とお風呂に入ると、どうしても目がいったり、意識しちゃうと思うの」
「目?意識?」
「だからね、まずは紫乃ちゃんで試しみて?」
「でも、紫乃ちゃん、女の子だよね?」
「あれ?そこも聞いてませんでした?わたし、そんなに話題に上がりません?・・・あのね、わたし、いや、ボク・・・からだは男なんです」
「え、嘘でしょ!?」
「でも、中身は女の子以上に女の子ですから。じゃあ、今日は遊びまくってぇ、良い汗かいてぇ、一緒にお風呂で汗を流しましょ!」
「えっと・・・はい。それで、さい兄は?」
「ボクの後で良いでしょう!いやぁ、棚からぼた餅とはこのことですね!いや、冷蔵庫にケーキですね!あ、紫音も一緒だとなお良いのでは?」
「えっ、嘘!?紫音とお風呂に入れるの?」
「です!たしか今日は帰ってくるって言ってたから。じゃあ、東條家別宅に一緒に帰ってぇ、お風呂入ってぇ、恋バナしてぇ、川の字で寝ましょ!」
「はい!・・・って、紫音ちゃん、見えるかな?」
「あ、そうですね・・・素っ裸の紫音は見えないか・・・ん?じゃあそれこそ」
「裁くんはダメだよ?本末転倒だよね?」
「ですよね・・・」
紫乃と紫音を一度に相手したときよりも激しく疲弊した天照奈。
帰って一人でお風呂に入りたい。
本気でそう思っていたのだった。
――十二時三十分、中華料理店。
「しかし、何だったんだ?彩ちゃん、お前と一緒に風呂に入りたいってか?」
「うん、そうらしいんだけど」
「お前さ、女の子とお風呂に入るの、意識しないのか?」
「女の子だけど、叔母でしょ?」
「たしかに、漢字で書くと『母』って付くけど・・・もしも叔母じゃなかったらどうなんだ?」
「そりゃ、女の子とお風呂なんて、さすがに入れないよ?」
「お前、肩書きだけでそんなに変わるのか?何かあったら全員叔母だと思えば大概の事はできそうだな。・・・じゃあ、そうだな、もしもの話だぞ?天照奈ちゃんがお前の叔母だったら?一緒にお風呂に入れるのか?」
「・・・え?」
「肩書きが大事なんだろ?ほら、天照奈ちゃんが彩ちゃんと同じ立場だったらどうする?」
「・・・」
次の瞬間、目を瞑ったままの裁の鼻から、大量の血が噴き出した。
「お前、出先で鼻血はやめろよ!・・・あぁ、目を閉じてたんだったな。悪い、想像しやすかったよな・・・店主、ティッシュくれないか?」
「全く、お前たちは何をやってるに?・・・ほれ、炒飯にも血がかかったによ?もう、これ下げちまうに?」
「あぁ、悪い」
店主からボックスティッシュを受け取ると、裁の父、正義は一枚を取り、丸めて裁の鼻の穴に突っ込んだ。
空になった正義の普通盛炒飯の皿と、一口分だけ残った爆盛炒飯の巨大皿を持つと、店主は裁たちに背を向け、厨房へと去った。
正義はもちろん、目を瞑った裁には、店主のほくそ笑む顔は見えなかった。
そして十分後。
裁の出血が落ち着くと、正義はポケットから財布を取り出した。
「おい、店主、勘定だ!」
「あいよぉ!炒飯普通盛と爆盛で、六,七五〇円いただくに!」
「へ?・・・あっ・・・ああぁっ!!」
勝利を確信してから、時間調整のために十分という時間を空けた。
そして彩からの電話、裁の鼻血を経て、すっかり爆盛炒飯チャレンジのことを忘れてしまっていた正義。
財布から一万円を取り出し支払いを済ませて店を出ると、その場に両手と両膝をついたのだった。