180話 サイババコンビ
十一時半。
天照台家の正面玄関へと移動した四人。
裁の祖父は、虹彩認証と指紋認証を済ませると、玄関の厳重な扉を開放した。
中に入ると、相変わらず屋内に入ったことを感じさせない中庭が目前に広がり、だが、冷たい空気が体を涼めた。
今日は執事の姿は無く、代わりに一人の女性が出迎えてくれた。
「ほぼ予定どおりだったようだな。紹介しよう、わたしの妻だ。災、君のおばあさんだよ」
どうやら瑞輝の部屋を案内することは、祖父の中では決定事項だったらしい。加えて、裁に祖母のことを紹介するつもりだったようだ。
「今更ですが。はじめまして、サイババです!」
「さ、さいばば?」
慎ましい雰囲気の淑女から突如放たれたその言葉に、裁はどのようにつっこんでいいかわからなかった。
だが、その横で美守だけは、
「ですよね!」
と激しく同意していた。
「全く・・・瑞輝の母親のわたしでさえ、あなたのことをこの前知ったのよ?ねぇ、信じられる?」
祖母は美守を見て文句を言った。
「わたしはただの育ての親なので、まだマシだと思います。でも・・・お腹を痛めて産んだ子供の子供ですよね?ありえませんよ!」
あっという間に意気投合したサイババたちに、祖父はたじろぎ、
「す、すまん。本当に、激しく済まないと思ってるんだ。これも天照台のアレで・・・」
どうやら、天照台の男は嫁の尻に敷かれる体質らしい。
祖母は、そんなことを考える裁を見て、優しい顔で微笑んだ。
「まぁ、いいわ・・・怒りよりも、驚きよりも・・・嬉しさの方が大きいもの。だって、急に孫が一人増えたんだもんね。しかも、こんなに立派な・・・」
目が合ったその瞬間から、裁は気付いていた。
祖母の目が真っ赤なことに。
たったの七歳でこの世を去った瑞輝そっくりの孫を見て、激しく感じるところがあるのだろう。
「ねえ、裁・・・ちゃん?裁、くん・・・裁・・・孫・・・サイマゴ・・・裁ちゃん」
どうやら呼び方を一通り試し、最後に裁ちゃんで落ち着いたらしい。
しかし、サイマゴも嫌だが、孫呼ばわりも嫌だな。裁はそんな感想を持った。
「裁ちゃん。その顔を・・・近くで見せてもらってもいい?」
裁は、すぐに肯定したかった。
だが、おそらく特殊な体質を持たない祖母に近づいて良いものか、迷った。
「ふふ。大丈夫よ?あなたの体質のことは聞いているの。きっとね、『あなたの顔をよく見たい』その思いが今、最も強いはずよ」
祖父を見ると、裁の目を見て頷いてくれた。
だがその首の動きとは裏腹に、何かを我慢するような、少し苦い顔をしていたのは気になったが。
「わかりました。じゃあ、僕から近づきますね?」
裁は、祖母に近づいた。
二メートル、一メートル、そして、三十センチ。
目の前に近づくと、祖母は裁の右手を両手で握り、顔を覗いてきた。
その目からは、すでに大粒の涙が溢れていた。
そしてすぐに、祖母はその顔を裁の左胸に押しつけると、声を出して泣いた。
その姿を見て、裁の目からも気が付くと涙が溢れていた。
天照奈、美守も鼻をすすり、もらい泣きしていた。
十秒ほどで落ち着いたのか、祖母は、
「ごめんね・・・」
それだけ呟くと、元の位置、祖父の隣に戻・・・らず、祖父の正面に立った。
そして、
『バチーン!』
大きな破裂音を立て、祖母は祖父の左頬を平手打ちした。
突然の行動に、涙を拭いていた三人は
「え?」
と、泣きながら驚いた。
祖父は何かを覚悟していたのか、左頬に真っ赤な平手の痕を残しながら、
「すまなかった・・・」
そう呟いた。
どうやら祖母の抱えていた思いは、嬉しさよりも、驚きよりも、怒りの方が大きかったらしい。
もしかすると、今回の件以外でも、天照台家に何かしらの憤りを感じていたのかもしれない。
「ふぅ・・・すっきりした!ねぇ、美守さん・・・で良かったかな?」
「はい!サイババ二号、黒木美守です!」
「ふふ、思ったとおりの人!今度一緒にお茶しましょう?いろいろお話ししたいわぁ」
「わたしもです!・・・って、うちの旦那は天照台家じゃないですけど、それ以上の厄介者なので!」
何やら激しく意気投合したサイババコンビに、裁は祖父と目が合い、その目に『ドンマイです』と応えた。
「さてと、言いたいことは山ほどあるだろうが。話を進めさせてもらう」
祖父は、左頬に真っ赤な平手痕をつけたまま、キリッとした顔で仕切り始めた。
「ここに来てもらったのは、瑞輝の部屋を見てもらうため。それは間違い無いんだが・・・実はね、会って欲しい人間がいるんだ」
「あなた、もしかして事前に話してないの?」
「・・・仕方が無いだろう。話すタイミングが無かったんだ。ほら、小学校にはクーラーが無いから長居できないだろ?車も別だったからな。今になった、というわけだ」
「そう。それで、あなたから話してくれるの?」
「ああ。災、小学校でわたしに質問したね?『天照台家に、今は皇輝しか子供がいないのか?』と」
「そういえば、ちゃんとした答えは聞いていませんでしたね」
「ああ。そしてその答えだが。『もう一人いる』だ」
「もう一人・・・皇輝くんからは聞いたことがありませんでした。一人っ子だって言ってましたけど」
「そうだろうな。その子は皇輝にとって叔母にあたるんだが・・・まぁ、兄妹ではないからな。聞かれなければ答えないだろう」
「叔母ということは・・・もしかして、本当のお父さん・・・瑞輝くんと校長の間にもう一人?あぁ、でも、それなら子供ではないか・・・」
「くくっ、惜しいな。瑞輝の下だよ」
「・・・え!?」
「さっき話したとおり、わたしたちにとって瑞輝の死はひどく堪えた。特殊な体質が生まれるとは知っていても、まさかあんなに特殊な、しかも寿命が限られた子供が生まれるなんて予想できなかったんだ。
だから、残った息子・・・校長が一人でもいれば十分だろうと思った。だがね・・・君が生まれた。もちろん、生まれてすぐには『なんて恐ろしい体質だ』と思うことしかできなかった」
「お母さんの・・・みんなの普通を奪いました・・・」
「すまん。それは体質の、わたしたち天照台一族の、血のせいだ。
美琴さん・・・君を産んだ母親が亡くなって、わたしは、なんとも言えない罪悪感を抱いた。何が希望だ・・・そう、強く自分を責めた。
そんなときだ。セイギが言ったんだ。
『この体質は、人から普通を奪うだけじゃない』
生まれてすぐ、そのときには、君のその体質が特殊な体質を無効化するなんてことは知らなかった。
セイギの持つ正義の心が、君を利用するという強い思いから出た言葉ではあった。
だがね、
『人を、みんなを不幸にするのは、悪の感情だ。その感情は、悪い欲望であり、悪いことを我慢する気持ちだ。この子の体質は、そんな心を許さない。そんな心を明るみに出してくれる。それを払うのは、俺たち大人の、周りの人間の役目だ』
わたしはセイギのその言葉を、君の体質を信じた。
そして生まれて間もない君で、まずは検証をした。
その結果は、聞いただろう?そしてね、君は不思議に思ったことはあるかな?わたしは、君に普通に近づいている」
「・・・会ったことはありませんでしたが、ずっと昔からその存在は聞いていました。だから、きっと近づいたことがあるんだ。そう思っていました」
「ああ。わたしはね、右目が見えない代わりに左目の視力が十もあるんだ。でも、この体質は、君が近づいても無効化などしない。つまり、近づいたわたしからは、何かが発現されたんだ。
そしてそれは、君を使った最初の検証の直前だった。わたしはね、自分の我慢、あるいは強い思いが何かわからなかった。不安だった。
セイギと同じように、君を使って世の中を善くしたいのか。それとも、悪の道に目覚めるのか。天照台高校の校長を息子に奪われて悔しいと駄々をこねるのか。
だが、セイギはそんな俺に一言、『美守よりも面白いのでお願いしますね!』と言った。
まさか、『姉が亡くなった直後、その旦那にプロポーズする妹よりも面白いことってなんだ!?』
そんなつっこみを入れて・・・わたしの迷いは消えたよ」
「最後のくだり、必要でした!?」
「わたしは君に近づいた。君を抱っこした。そして、ある強い思いが込み上げて、妻に電話したんだ」
「・・・えぇ。わたし、今でもはっきり覚えているわ」
「・・・わたしは妻にこう言った。『もう一人産んでくれないか?』とね」
「ふふ。つい昨日まで『俺はなんてことを・・・』って嘆いてたのに、こいつは何寝ぼけたことをほざいてやがるんだ?って思ったわ」
「くくっ・・・どうやら、瑞輝を失った悲しさが・・・寂しさが強かったようだな」
「たしか、わたしのおじいさまも、寂しいからって遺伝子ペットを・・・寂しい中年男性は何かをやらかすということですね」
「そう言ってくれるな・・・まぁ、やらかした感はあるんだが・・・」
「そうね。やらかした感、じゃなくて確実にやらかしたわよね」
「それで、当時四十五歳くらいだったわたし・・・いや、妻に頑張ってもらって、もう一子設けたというわけだ」
「お元気だったのですね!あ、実はわたしたちも一人目を考えてるんですよ?」
「あら、良いわね。いろいろアドバイスできるわよ?」
「ありがとうございます!で、いつお茶会します?」
激しく意気投合した二人を横目に、祖父は続けた。
「会って欲しいというのは、その子のことだ」
「その・・・叔母ということは女の子ですよね?それに、集まりに出ていないということは、まだ小さいということですか?あぁ、でも、おじいさまが四十五歳だったということは・・・今はその子、中学生くらいですか?」
「あぁ、すまん、情報不足だったな。娘はね、天照台彩。十四歳の、中学三年生だ」
「わぁ、彩ちゃん・・・可愛い名前ですね!紫乃ちゃんだったら、彩ちゃんとか呼びそう・・・」
「叔母・・・彩ちゃんを僕に紹介したいということですか?」
「そうだ。紹介と、もうひとつあるんだがね」
「もしかして、無効化・・・ですか?」
「くくっ、そのとおりだ」
「・・・彩ちゃんも、例外なく特殊な体質を持っている・・・どんな体質なんですか?」
「それは、会えばすぐにわかる。・・・心の準備は良いか?」
祖父は、裁ではなく、祖母を見てそう言った。
祖母が真面目な表情で頷くと、祖父はようやく歩みを進めた。
正面向かって左の扉を、またも虹彩と指紋認証で開けた。
「こっちは一族専用のスペースだ。今は、息子夫婦と彩だけが住んでいる」
「親と一緒じゃないのですね・・・」
「息子が校長になるまではわたしも一緒に住んでいたよ。でもね、職場まで遠いし、あまりここに住みたくないからな」
「いや、おじいさまというか・・・彩ちゃんはここに住まないといけないのですか?」
「・・・詳しくは言えないが、それも校長の仕事ってやつかな。まぁ、彩にとって実の兄だし・・・何より息子は彩にデレデレだからな」
「こ、校長がデレデレ!?」
「そ、想像できないね」
「皇輝もそうだったぞ?つい半年くらい前まで隣の部屋だったが、勉強を教える振りをしてデレデレしていたようだな」
「こ、皇輝くんがデレデレ!?」
「そ、想像できるね」
「じゃあ、入るぞ?」
家族専用スペースの廊下を少し歩くと、祖父は左側の、二部屋目のドアの前で止まってそう言った。
そして、ドアを二回ノックする。すぐに、
「はい」
と、女の子の声が聞こえた。
「入るぞ」
祖父はそう言うと、またも虹彩と指紋認証で解錠し、ドアを開けた。