18話 裁(その二)~少女との対面~
天照奈と紹介されて微笑むその少女を見て、僕は雷に打たれたように動けなくなった。
まさか、あのときの女の子が、同級生のあの少女だったなんて。
たしかに噂では、『あてなちゃん』とか『神々しい名前』とか言われていたのを思い出した。
でもその、下の名前のおかげで、こちらも珍しいはずの名字は噂されなかったのだ。
しかし……
十年前の女の子に対する恋愛感情のドキドキが一〇〇パーセントだったとすると、この少女の外見に対するドキドキも一〇〇パーセントだった。
すなわち、足すと二〇〇パーセント、かけると一〇〇〇〇パーセントにもなってしまうのだ。
是れ即ち卒倒レベル、致死レベルでは無いか。
でも、倒れてはいけない。こんなところでそんな理由で倒れてしまったら、父に死ぬまで冷やかされる。
いや、父のことだから死んでも夢に出てきて冷やかすに違いない。
しかし、『天照奈』か。名は体を表すというが、輝くほどの美しさの彼女にぴったりの名前だ。
しかも『あてな』という響きもいい。こんな名前付けた親、最高か、そう思った。
そして、名前の横に貼られた写真。これはまじまじと見て良いものか悩んだ。なんとなくだが、許可証には不相応なその写真、うちの父が迷惑をかけたのではないかという匂いがプンプンする。
でも……なんて素晴らしい写真だろう。アイドルなどに特に興味の無い僕でも、国宝級に可愛いことはわかる。
さきほど生で見た、その女神のような微笑みを浮かべているその写真。
どこかで売っていないだろうか。一万円くらいなら出してもいい。
まじまじと見ていたつもりはないのだが、少女は何かに気付いたように、『あっ』という顔をして、許可証を裏返した。
そんな仕草も本当に可愛かった。
「こいつが息子の『裁』だ。許可証は車の中に置いてきちゃったけど、『さい』は、裁判の裁、裁くの裁だ」
父が僕の紹介をしてくれた。
ちなみに名前の由来は、人を裁けるくらい正しい人間になってほしい、というものだったらしい。
両親、祖父、そして産んでくれたお母さん、警察官の家系で考え抜いた名前だという。
当時その話を聞いたときに、僕が、
『でも、人を裁くのは法であって、人じゃないよね』
と言うと、父と母は顔を見合わせて『えっ?』と言い、その後は一切、名前の話をしなくなった。
許可証のことは、父が忘れてきてくれて良かったと思っている。だって、たしかあのとき、『カメラの性能を確かめたいから九〇メートル先のお前を撮らせてくれ』。
そう言って撮った写真が使われていて、父が言うに、ものすごい良い具合にぼけている写真、なのだ。
しかも、前回はたしか寝起きドッキリで撮ったひどい写真だったし……まぁ、他人に見られないからいいのだが。
「それより、あてなちゃんって、そんな漢字だったんだ。ゲンさん、顔に似合わず、すごい名前付けるな。キラキラじゃん」
おいこら、父よ。変なこと言うんじゃない。
ほら、雛賀のじいさんと少女の表情がちょっと変わったんじゃないか? じいさんなんて、眉をひそめてるぞ。
「見た目どおり輝いてて、良い名前だな。なんだ、これなら裁もサイクロプスって名乗ってもいいくらいだな」
「いや、良くないから」
ようやく体が動くようになり、いつもどおりのツッコミができた。
でも、あまりサイクロプスと呼ばれたくない。彼女にそんなイメージを持たれたくないな、そう思ったのだ。
「ところでさ、なんで天照奈ちゃんも制服なんだ?」
僕も気にはなっていたが、父が代わりに聞いてくれた。そして、父はニヤリとして、
「ははぁん、もしかして、裁の……」
父が全てを言う前に少女が口を開いた。
「えっと、いつもの習慣で制服に着替えちゃって。その、着替えるのも面倒だからそのまま来ちゃったの」
何やら少し早口のような気がしたが、気のせいだろう。
何より、彼女は声もすごく綺麗で、早口かどうかなどはあまり関係なかったのだ。
「うん、いつもの時間に起きて、わたしに朝ご飯も作ってくれたからな。習慣はそう簡単には抜け切らないのだろう。裁P少年もそうなんだろ?」
雛賀のじいさん、そんなに『P』って必要? いらないだろう、『P』は。とツッコミたかったが、自分の服装のことをどう話せば良いのやら。
「こいつさ、部屋着と制服しか持ってないんだわ。常にどっちかは着てるその服って特殊素材の重いやつで、普通の服なんて着ちゃったら、いつものが重いってバレるしな。しょうがない。
なぁ、ゲンさん、重い普段着も作ってよ。できればオシャレ目なので頼む」
「あぁ、そうだな。考えておこう」
どうやら普段着問題は解決しそうだ。
「じゃあ、紹介も終わったところで、どうする? ゲンさんから裁に話してくれるのか? 天照奈ちゃんのからだのこと」
「体質って言ってくれ、なんか生々しい。そうだな、まずは握手でもしてもらおうか?」
「なるほど、裁に近づく、というか触れた天照奈ちゃんから発現するものを確認できる。
そして、裁も天照奈ちゃんの体質を体感できる、そういうことか。さすがゲンさん、考えてるな」
雛賀のじいさんは頷いた。少女の本当の体質のことは全くわからないが、とりあえずは握手をすればいいらしい。
握手...え、握手? この子に触るの? 触っていいの?
「裁少年、手袋は外していい。握手して、少し様子を見たら、ちょっと力を入れてみてくれないか。君も気付くはずだ」
え、なに? 結構長い時間、握手し続けるの? しかも力入れるって、僕の握力で握ったら……
裁は昨日、素肌で人生一、二、三番目に触れた男達の顔を思い浮かべた。いずれも握った手を粉砕させてしまったのだ。
でも、じいさんは『ちょっと』と言ったから、少女の手の感触を確かめる程度に握れば良いだろう。
手袋を外すと、緊張からか、ただ単に手袋をしていたからか、手が湿っていた。ポケットからハンカチを取り出し、手をよく拭いた。
「おっ、なんだ裁くーん、緊張してるの?てか、実はそのハンカチ、二キログラムあるんだよな。おそろしいやつだよ」
父の冷やかしがひどく疎ましかった。
だが、そんな父を見ると、僕に向かって微笑んで、頷いてくれた。
一息つき、精神を集中させると、僕から彼女に近づいた。
彼女は既に僕の体質のことを聞いているのだろう。自分の何が発現されるのか不安な様子で、そして緊張しているようだった。
僕が初めの一歩を踏み出すと、彼女は一歩下がった。でも、心を決めたのか、その後ろに下げた一歩を、元の位置に戻す。
それを確認すると、僕は一歩、また一歩と彼女に向かって踏み出し、遂に握手をできる距離にまで近づいた。
握手をしなくても、この距離なら僕の体質が影響するのではないか?
そう思ったが、まだ何も変わらない様子の彼女に、僕は左手を差し伸べた。利き手は右手なのだが、少しでも握力の低い方を選んだのだ。
彼女は、何かを考える様子で、おそるおそる左手を差し出した。
僕はその手を握った。握ったと言っても、まだ触れただけだったが。
おそらく僕の手がまた汗をかいたのだろう。握った手は温かく、そして湿っていた。
初めて素肌で触る女の子の手。
しかもそれが、この女神のような少女だなんて。僕は意識を保つのに必死だった。
父がまた冷やかしの目で見ていそうだな、そう思い、父を見る。
すると、父は少し首を捻って、雛賀のじいさんと何かを話していた。
そして、二人でこちらを見て、頷いた。握ってみろ、そういうことだろう。
僕はまた彼女と向き合い、そして、少し、ほんの少し力を加えることにした。
その瞬間、彼女が
「あ、ちょっと、待っ……」
そう言ったが、遅かった。
僕は既に力を少し込めていたのだ。
『ミシッ』という感触がして、同時に彼女は「痛い!」と声を出した。
僕はすぐにその手を離すと、彼女は右手でその左手をかばい、痛そうにしてその場にうずくまった。
「そりゃそう、だよね。僕が握ったら痛いに決まってる。ねぇ、何をしたかったの?」
僕は父達の方、いや、雛賀のじいさんの顔を見た。
すると、じいさんは、何か信じられないものでも見るような表情をしていた。
父は、聞いていた話と違う、そんな顔だろうか。
そして、うずくまった彼女を見てみた。
痛がる様子のその顔は、でも、少し笑っているような、喜んでいるようにも見えた。
僕は、何もわからず、ただその場に立っていることしかできなかった。