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ジコセキニンヒーロー  作者: ケト
感傷と少女と検証と
178/242

178話 少女は年下の叔母

 八月十日、火曜日。

 中学三年の夏休みのとある一日、とある午前の一時。

 少女は一人、思い耽っていた。

 皆に平等に与えられたその、長く自由な時間。

 だが少女は、勉強と妄想でしか、その時間を消費することができなかった。

 平日でも、休日でも、夏休みでも、何ら変わりの無い時間が、ただただ過ぎていく。

 それでも、我慢という精神的な労力が少ない分、休みの方が気分的には楽だとは思うことができた。


 この時間はいつも、勉強という脳を使う作業に逃げ込むのだが、今日は、昨晩得たとある情報をきっかけに、妄想に耽っていた。

 あのあにさまが、お友達とお泊まり会をしたというのだ。

 兄さまは、少女の一歳年上で、そして甥っ子だった。兄さまにとって、少女は年下の叔母という、口で説明しても首を傾げてしまう面倒くさい関係だった。

 容姿端麗で、勉強もスポーツも万能な兄さま。唯一欠点をあげるとすれば、感情のコントロールが上手くできず、人付き合いというものを拒絶してきたところだろう。

 自らが拒むことで友達をつくらなかった。そんなことを口にする兄さまは、自分よりはだいぶマシな境遇に生きてきたと思える。


 それでも兄さまは、少女にとっては一年先を生きる、道標となる存在だった。

 中学を卒業するまでは、己を高めること、我慢という作業を我慢と思わないよう我慢していたことも知っている。

 そんな兄さまは、高校入学と同時に家を去った。

 父親に逆らった、というのが表向きの事情だったが、実のところは、兄さまが抱く夢を叶えるためには、少なくとも家を出る必要があったというのだ。

 兄さまも、兄さまのお父さまも、それを知った上での決別となった。

 だがしかし、授業料が普通の私立高校よりもかなり高額な上に、優秀な生徒しか集まらないその高校。

 普通の一人生活を送ることがどんなにツラいことか、それは少女にも想像し難いものだった。

 実際、六月の全国模試では、不動の一位の座から陥落。しかも九位だったと聞いた。

 たとえ中学時代に高校の勉強を一通り終えていたとは言え、アルバイト、自炊をこなしながら勉強しなければいけないのだ。

 単純に、復習に費やす時間が無かっただけだろう。

 だが、もしかしたらそれ以外の原因があるのかもしれない。

 

 兄さまが通う高校は、校則などほとんど無いところだと聞いている。

 例えば好きな女の子ができて、勉強よりもその女の子のことを考えているのではないか。妄想に耽っているのではないか。

 でも、兄さまに限ってそれはない・・・いや、あり得るのだ。

 あの無感情で無表情な男・・・兄さまは、実は恥ずかしいくらい純情なのだ。

 たまに無意識に恥ずかしいことを口にし、後で思い返したときにそのことに気付くのだろう。人目の付かないところでこっそりと耳を赤くしているのを見たことがあるのだ。


 そんな兄さまがお泊まり会、しかも兄さまを含めて男女八人の友達でのお泊まり・・・。

 親の許可を取っているとは言え、なんとも不純な気がするが、少女にとって大事なのは、『友達が七人もいる』という事実だった。

 少女が知る限りこれまで、いや、つい先月までは友達など一人もいなかったはずなのだ。

 それが何やら・・・そうだ、先月行われた親族の集まり。出禁のはずの兄さまが、なぜか隠れて参加したその日のことだった。

 親族の、同じ高校の生徒が住むアパートで密会が行われたという話を聞いた。

 そこで、まずは三人ものズッ友ができたということも。


 この少女の、兄さまに関する情報網。それは、兄さまの父親の独り言だった。

 決別してから連絡をとっていないはずの兄さまに『盗聴器でも仕掛けているのか?』と疑いたくなるようなその独り言。

 少女は、いつも疑問を抱いていた。

 だが、少女にとってはいずれ自分が辿るかもしれない未知の道なのだ。

 もともと耳が良い少女は、聞き耳をたてることもなく、自然にその情報を脳の重要な部分に記録していた。

 どんなにわかりやすい、あるいは難しい問題が書かれた参考書を買ってもらうよりも、兄さまの情報が、少女にとっては手に入れたいものだったのだ。


 少女は、小学六年生のときに起きた出来事の後、人生に絶望したときに、父に言われた言葉があった。

 『いつかお前にも、普通を与えてくれる人間が現れる』

 『きっと、そんな友達ができる』


 生まれ持った体質は、少女の持つ『血』によるものらしい。

 その呪われた血は、生まれながらに普通を奪うものだった。だがその一方で、周りの人に恵まれる一面も持つのだという。

 だが、これまで十三年を経過した今でも、そんな人間に遭遇したことは一度も無かった。

 もちろん、両親や兄さま、叔父と叔母たちを除いてだが。

 そしてその眉唾な話は、中学三年生になって、より具体的なものへと変わった。

 

 代々、少女の一族が校長を務めるという高校があった。

 兄さまも当然のようにそこに通っているのだが、全国でも優秀な人間だけが集まる。

 あらゆる分野で全国的にもトップクラスの生徒たちは、ある意味で特殊だと言えるのだという。

 もちろん、そんな環境にいるからと言って、特殊な体質が無くなるわけではない。

 だが、少女のその体質を普通と感じてくれる人間が現れるし、少女以上に特殊な体質を持つ人間だって現れる可能性がある。そう聞かされていた。


 中学校を卒業するまで、あと八ヶ月弱。

 たったそれだけの期間我慢するだけで、妄想の中で過ごすだけで、普通の生活を送れるようになるかもしれないのだ。

 少女は、三年生になってからは、そんな希望を抱きながら生きていた。




 少女の我慢、それは物心がついてから始まった。

 少女は生まれながらに、特殊な体質を抱えていたのだ。

 初めにおかしいと感じたのは、父と母とで、見え方が違うことだった。

 男女の差とか、体格の差、個体差などの見え方の差ではなかった。その姿が見えるか見えないか、という絶対的な差だったのだ。

 少女は、それが普通だと思っていた。だから、両親がそれに気付いたのは、たまたま少女の口から、

「お母さまは何で透明なの?」

 という言葉を聞いたからだった。


 少女は、何かの本かアニメで、透明人間というつくりものの存在を知った。

 人の目には映らないその存在。目には見えないが、見るモノによっては、羨望の対象にもなるというその存在。


 両親は、少女にいくつかの質問をした。

『誰が見えるか』『誰が見えないか』『洋服は見えるのか』『声は聞こえるのか』


 少女は答えた。

『お父さん、おじいさん、おじさん、兄さま』『お母さま、おばあさま、おばさま』『身に付けているものは見えます』『見えないけど、声は聞こえます』


 少女の答えから、両親は推測した。

 少女には、『特殊な体質を持つ人間しか見えない』のだと。

 そしてその後、両親は少女にいろいろな人や物を見せた。

 やはり結果は、推測したとおりだった。

 だが、見えないのは肉眼でだけ。カメラ越し、動画、静止画、そして鏡に映る人間は、全て見ることができるとわかった。

 

 両親は頭を抱えた。そんな体質が、いったい何の役に立つというのか。

 デメリットばかりの特殊な体質を見分けるだけの、ただのデメリットでしかない体質。


 少女は、自分の体質のことを口にしないように、両親から言われた。

 普通の人は、全ての人間を普通に見ることができるらしいのだ。

 そして自分は、は普通ではないらしい。

 じゃあ、いつになったら普通になるのか。いつになったら口にしても良いのか?少女は両親に質問した。

 『たとえ姿が見えなくても、普通に、笑って接してくれる人が現れたら。そのときは自然と口にするはずだ』

 両親はそう答えた。



 少女は、透明人間に囲まれても良いからと、普通の小学校に通うことを望んだ。

 家から車で三十分ほどの、山の麓にある小学校だった。

 全校生徒五百人弱のその小学校に、少女が見ることができた生徒は、たったの一パーセント、四人しかいなかった。

 そして、同じ学年には、たった一人だけ。

 少女は、見えない人間に囲まれながら、我慢ばかりの六年間を過ごした。


 透明なクラスメイトたちは、母親と同じで、着ているものだけが宙に浮いて見えた。

 見えない部分から、声だけが聞こえてきた。見えない部分も、触れればそこにはからだがあった。見えない人とも、ちゃんと会話は出来た。

 だが少女は、表情もわからない人間が発する言葉を恐れ、人と話すことはほとんど無かった。

 そのきっかけとなったのが、

 『話していても目が合わないから怖い』

 『可愛いけど、感情がわからなくて怖い』

 『超お嬢様だから冷たくて怖い』

 そんな言葉を聞いたからだった。

 耳が良かった少女には、見えない人間が見えないところで言うこと全てが聞こえてしまっていたのだ。


 幼いながら、少女は思った。

 姿が、顔が見えなくて良かったのかもしれない。

 こんな酷いことを言う人は、きっと、酷い顔をしているのだから、と。

 それから、少女は我慢をすることにした。見えない人と話をしなくても、普通に生きていける。

 どうせ見えないのだから、その存在ごと消してしまえば良いのだ。

 そして少女はまた別のことを思った。

 これは、願望だった。

 『わたしの姿が見えないのなら良かったのに』



 同じ学年の目黒めぐろ京香きょうかちゃん。

 同じ学年で唯一見えたのが、その女の子だった。

 だが、同じクラスになることは一度も無かった。


 六年生になってすぐ、ある日のことだった。

 小学校の帰り道、車窓から、その女の子が道路脇に座っている姿を見つけたのだ。

 少女は運転手に車を停めてもらい、女の子に駆け寄ると声を掛けた。

 女の子は目をひそめてわたしを見つめた。


 噂で聞いたのだが、女の子は目が悪かったらしい。

 ひどい近眼で、しかも現在の医学では矯正が不可能な病気だったという。

 それでも普通の小学校に通っていたのは、目が全く見えないわけではなく、視覚以外が極めて優れていたから、だという。

 ぼんやりとだけしか見えないその目では、少女の顔もまともに見えなかったことだろう。

 少女は、自分の名前を名乗った。

 『ああ、三組の。一度も同じクラスになれなかったね』

 女の子はそう言った。

 なんてことのない会話だったが、同級生と、文字どおり初めて顔を合わせて話をした瞬間だった。


 女の子が座って見ていたのは、捨てられた子猫だった。白と黒が一匹ずつ。

 段ボールの箱には、『誰かもらってください』という無責任な言葉が貼り付けられていた。

 どうするのか?少女は女の子に尋ねた。

 『うちはアパートだから飼えないの・・・』

 少女の家でも、動物を飼うことは許されていなかった。

 過去に、動物と接触できないという体質の人間がいたことがあるらしく、それもかなり昔の話なのに、それ以降も動物を飼うことは無かったのだ。


 少女は、運転手に聞いてみた。

 野良猫を勝手に育てても良いのか?と。

 運転手は、見えないその顔で言った。

 『無責任に捨てた飼い主が一番悪いです。でも、無責任に育てることもいけないこととされています』

 どうすれば無責任にならない?

 『愛情を持って育てることでしょう。もしも家で飼えないのであれば、そうですね・・・これ以上可哀想な子が増えないように、避妊手術をする必要がありますね』

 じゃあ、避妊手術をすれば、どこかで隠れて育てても良い?

『・・・たとえ避妊手術をしても、野良猫を見てよく思わない人間が多くいるのも事実です。子猫にとっても、お嬢様たちにとっても、悲しいことが起きるかもしれません』

 このまま見捨てるのと、どっちが悲しい?

『大事なものほど、無くしたときに悲しくなるものです。もしかしたら良い人に拾われるかもしれない。今ならまだ、たとえ見捨てたとしても、そんな思いを持つことが出来るでしょう』

 ・・・避妊手術をしてあげれば、拾ってくれる人も見つかりやすい?

『そうだと思います。でも、もう少し大きくならないと手術はできませんね』

 そうだ、保健所とかに連れていったら?

『それが一番でしょう。譲渡会などで引取先が見つかる可能性があります』


 少女は女の子のもとに戻り、事情を説明した。

 そして、一緒に保健所へと向かい、子猫を預けた。

 女の子は少し寂しそうに、でも笑って、子猫を渡した。


 少女は、同年代の人間の笑顔を見ることが無かった。

 兄さまも、『くくっ』と言うのに、感情を表に出さないためか、表情はほとんど変わらないのだ。

 そして、兄さま以外に見える人がいないのだから、それは仕方が無かった。

 

 その後、少女は女の子と保健所に通い、猫の様子を確認した。

 そしてある日、黒猫の里親が見つかったと聞いた。できれば白猫と一緒にもらってほしかったが、贅沢は言えないだろう。

 ずっと一緒だった二匹の別れに、嬉しさよりも淋しさが勝ったのか、女の子は涙を流して泣いていた。


 そして、黒猫が引き取られて一週間ほど経ったある日のこと。

 保健所に行くと、いつものケージに、白猫の姿が見られなかった。

 職員に聞くと、急に体調を崩して死んでしまったというのだ。

 もともとからだが弱かったらしく、引き取り手が見つからなかった要因でもあったらしい。

 女の子は大粒の涙を流し、泣いていた。

 そして、泣きながら、せめて黒猫には幸せになって欲しい、そんな願いを口にしていた。

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