172話 快便
七時五分前。
ダイニングへとやって来た裁の右手には、紫乃ではなく紫音がべったりとくっついていた。
「ヒューヒューっ、今日も朝からお熱いこと!」
いつもどおり、紫乃と裁のコンビだと思っているのだろう。不動堂が昨日と同じように囃し立てた。
「おはようございます。そんなドードーは、さっさと絶滅するがよろし!」
紫乃の口調を真似る紫音に、
「俺、昨日の今日だからまだ絶滅仲間見つかってないよ!?しかもなんか、いつもよりあたりきつくない!?」
ダメージを受けつつも、どこか嬉しそうな不動堂。だがここで、不動堂はとある違和感に気づいた。
裁にべったりが紫乃の特等席だということは重々承知だ。そして、いつもそれが当たり前のような顔をして、『左手にくっついている』のだ。
それが、今は右手にくっついている。そしてその表情からは、おそらく立ち位置を忘れるほどの高揚のようなものを感じる。
「ははーん・・・なるほどな!」
不動堂の違和感は、確信へと変わった。
おそらく、他の男共も気づいていることだろう。そう思った不動堂は、裁を含む他四名を順に見た。
不動堂の目線にとりあえず頷く、相良と綱。
『いや、たぶんそれ違うよ?』という顔の太一。
『間違いなく違うよ?』という顔の裁。
それでも、五人中三人の意見が一致したと判断した不動堂。
導き出した解を、自信満々に言い放った。
「紫乃ちゃん、今朝、快便だったんだろ!なっ?」
そう、不動堂は昨日たまたま、聞いていたのだ。
紫乃が女子二人に向けて、
『ここのところ緊張続きのせいか、大便ちゃんが引っ込み思案なのです。箱入り大便なのです』
と、いつもの大便話をしているのを。
得意気な顔をしている不動堂に対し、紫音の表情は、さっきまでにこやかだったものが、一気に『無』にまで一変した。
「・・・そうですね。わぁ、よく気付きましたね。あまりに大きくて可愛らしいお花を摘めたので、そこら辺に落ちてた金色のブーメランパンツで包んで、あなたの実家に郵送してあげましたよ」
「無表情で、無感情で、早口だと!?ち、違うのか!?それに、そのパンツって俺の海パンじゃね?しかも、なんてものを実家に送ってんだよ!俺の親はそれを見てどんな反応すれば良いんだ!?」
「ドードーくん、朝からうるさい!そしてつっこみが長い!よって、絶滅の刑に処する!」
いつの間にか、裁のうしろには天照奈と、その左手にべったりとくっつく紫乃が立っていた。
どうやら紫乃も、紫音を装う気らしい。
「し、紫音ちゃんと天照奈ちゃん、おはよう!ふ、二人がそんなにくっつくなんて・・・おお、まるで太陽が二つ・・・眩しすぎて見えない!まぶシャイン!」
「あ、奇遇だね!わたしもドードーくんの姿、全く見えないよん!うるさすぎて全く見えない!うんうん、シャインだよね!SHINE!」
「え、それ『死ね』って言ってない!?」
――八時ちょうど。朝食を終えて一休みした八人は、リビングに集まった。
今日の予定について、いつもどおり紫乃が司会進行を務める。
「二泊三日のお泊まり会も、あと少しで終わってしまいます。楽しかったこと、怖かったこと、感動したこと、重かったこと、ドードーがキモかったことなど、いろいろありました」
『キモかった思い出だけ名指し!?』
「さて、帰りの時間ですが。夏休み、そしてお盆直前のこの時期。しかも、できたばかりの海浜公園。ボクたちは超渋滞してもなお行きたい!という目的地にいるわけですが。
おそらく午後になると帰り道が激混みすること間違い無いでしょう。なので、昼食前に帰ることにします」
何やらひどく寂しそうな顔をするサイラブ。それほど、東條家の執事がつくる食事が、質も量も高かったのだ。
「ですので、残すところあと三時間半ですね。さて、最後に何をしましょうか?・・・ラブくん、何かしたいことはあります?この辺で行きたいところでも良いですよ?」
「今まさに、行きたいところがあるんだぜ?・・・ダイベンシティだぜ?」
「・・・大便ですね?どうぞ、行ってらっしゃい」
紫乃の返答を聞くなり、相良はどこかへと走り出した。
「うんこしたいって普通に言えばいいのに。おしゃれに言ったつもりなんでしょうか?」
『でも、紫乃ちゃんもよくわかったよね』と、あらためて紫乃の大便ネタの強さに気付かされた残り六人だった。
「帰りは十一時半ってことだろ?じゃあ、電車組は時間調べないとな」
「その必要はありませんよ?」
「ん?もしかして調べてくれたのか?」
「いいえ?帰りはみんなで車で帰るのですから。おそらくそのまま実家に帰る人もいるでしょうし、できるだけみなさんの最寄りの駅とかまでは送る予定です」
「お、サンキュー!・・・・・・って、でも、俺ら八人だよな?」
「ですね」
「紫乃ちゃんの家の車、八人乗りだよな?」
「ぴったりですね」
「運転手を入れたら、九人だよな?」
「一人溢れますね」
「それ、俺だよな?」
「当然ですね」
「・・・やっぱ、電車の時間調べないとじゃんか!」
「ぶふっ!やっぱりちょっと泳がせると面白いですねこのドードー!・・・実はですね、紫音はこれからアイドル活動なのです。暇なあなたとは違うのですよ!」
「そうなの!あと一時間くらいでマネマネが迎えに来ちゃうの!寂しい!」
「そっか・・・まるまる二日間、一緒にいれただけでも奇跡だったよな・・・」
「ですね。おそらくあなたの災厄ポイントが貯まったのでしょうね!」
「俺の災厄って奇跡なの!?最高じゃね!?」
「ところで、みなさんは今日、どこに帰る予定です?できるだけみなさんのご希望に添えるところに送りたいと思うのです。まず、ボクの可愛い太一は?」
「僕は、今日の夕方からバイト入れてるんだ」
「可愛くて働き者とは!じゃあ、終点は太一のアパートですかね」
「他の人にもよるけど。もともと電車で帰る頭だったし、紫乃ちゃんの家の近くの駅で降ろしてもらって全然構わないよ?」
「ふむ・・・じゃあ、サイくんと天照奈ちゃんは?お二人は実家に帰ります?」
「ううん、実は明日、アパートにお母さんが来るんだ。だから、今日はアパートに帰って、明日合流して、一緒に実家帰る予定だよ」
「わたしもその車に乗せてもらうの!」
「ほぉ、サイママですか!えっと、じゃあ、今日はボクも二人のアパートに泊まりますね!たまたま、大きな荷物を持ってますので。そりゃもう、卒業までは余裕なくらい!あ、成績がクラスビリになってみんなより早く卒業式を迎えるなんて醜態はさらしませんので心配なさらず!太一もそれだと都合が良いですもんね!みんなでアパートに帰りましょう!
・・・じゃあ次、ツナロウはどうします?」
『いや、何で紫乃ちゃんが泊まる必要があるの?』
という拒否つっこみをしようと身構えるも、そのつっこみを入れる隙をつくらない計画なのか。これまで聞いたことの無い超絶早口に阻まれてしまった天照奈だった。
「俺は、実家に帰る。ていうか、俺は実家から通ってるから、そこしか無いんだけどな」
「じゃあ、極力近くまでは送りますね!・・・ラブくんはまだ大便から戻りませんね。・・・じゃあ仕方無い。ドードーは?」
「やっぱり俺、最後か忘れ去られるのが特等席なんだな・・・俺は実家に帰るぞ?」
「京都ですか。遠いですね。お気をつけて。さよなら」
「違う、親父の実家・・・って、なんか冷たくね!?」
「そうですか?じゃあ、最寄り駅は・・・ああ、ここから歩いて五分のところですね。お気をつけて。さよなら」
「それ、ここからの最寄りでしょ!?俺、結局電車で帰れってこと!?」
「うーむ、やっぱりドードーの長つっこみに関わると時間の無駄ですね。でも、ちょうどラブくんも戻ったし、今回ばかりは多めに見てやりましょう」
『俺の扱い、どんどんひどくなってない?ていうか、俺に構う時間が長くなってる、ってことだよな・・・?それはそれで・・・』
項垂れながらも嬉しそうな顔をする不動堂を横目に、紫乃は大便室帰りの相良にみんなと同じ質問を続けた。
「ラブくん、今日はどこに帰ります?もしかしてこのまま実家ですか?・・・それなら最寄り駅というか、空港ですかね?」
「おお、さすがお嬢だぜ?俺は空港に行くんだぜ?」
「じゃあ、次会うのは二学期ですかね!」
「おお、そうかもな!」
「何時の飛行機です?」
「十四時集合だぜ?」
「集合?・・・それなら予定通りにここを出発すれば間に合いますね。お母さまによろしくお伝えくださいな」
「おお、バッチリだぜ?」
「本当は一度ご挨拶したいですが。素晴らしい人格、そして最強説が浮上したラブママ・・・ふふっ、ご挨拶というか普通にただ見たいだけですが」
「お?じゃあ、一緒に空港行くか?」
「な、なんと!ボクを連れて、お母さまに紹介したいとでも!?」
「おお、俺、母ちゃんと電話すっときはいつもお嬢の話してっぞ?」
「おお・・・でも今日は・・・いや、卒業まで先約で埋まっていますので。ボクはその便に乗ることはできません・・・」
「紫乃ちゃん?せっかくだし、そっちの便に乗ったら?当日でも、チケットは買えるんじゃない?
それにほら、わたしたちのアパートに入るチケット、持って無いでしょ?」
「ち、チケット!?」
「うん。アパートに入る一か月前までに予約しないと駄目なんだよ?」
「・・・え、でも、前に入ったときにはチケットなんて・・・」
「うん。今日からできた制度なの」
「!?・・・そ、それ、おいくら万円・・・」
「無料だよ?でも、予約してないでしょ?だから、今回は飛行機に乗ったら?」
「・・・とりあえず、一か月後のチケットを予約します。二年と七か月分ください・・・」
「一度の予約は一日分までだよ?」
「じゃあ、明日以降また予約します・・・」
新たな手法で紫乃の長期お泊まりを阻む天照奈。誰もが恐れを抱く表情で、だが二人のやりとりを温かく見守っていた。。
「おお、お嬢。飛行機乗るのか?どこに行くんだ?」
「ラブくんの家、みたいですね・・・」
「おお、でも、しばらく誰もいないぜ?」
「え?」
「母ちゃん、しばらく家にいないからな!」
「ん?お出かけしてるのですか?」
「何言ってんだ?空港集合って言ったんだぜ?話が通じてなかったか?」
「集合・・・・・・そういうことですか。ラブくん、あなたの場合、通じる通じないじゃなくて、『ちゃんと伝えてない』ですからね?
わかりました。母ちゃんがこっちに来る。そういうことですか」
「さっきからそう言ってるんだぜ?」
「言ってないから言ってんでしょうが!・・・失礼をば。ほんとこのラブくんは聞かないと何も話しませんね」
「がはは!」
「何を笑ってるのこの人?・・・でも、そうですね。みんなもラブママにご挨拶・・・ていうか、ただ見たいことでしょう。
・・・人はなぜ動物園に行くのか。そこに日常では触れ合えない生命体がいるからです!
・・・ということで、みんなで空港行くぞぉ!」
突如判明した、相良の最強母ちゃんが襲来するという事実。
その後は、出発まで学生の本分である勉強をこなした七人。
小さな期待と大きな恐いもの見たさを抱き、予定時刻に別荘を発ったのであった。