166話 地獄の微震
八月八日、日曜日。午前六時ちょうど。
携帯電話の目覚まし機能に起こされた裁は、ベッドから下りると両腕を挙げて、背筋を伸ばした。
隣のベッドで目を覚まさない可愛い寝顔を少し眺めると、バッグから替えの下着を取り出し、ユニットバスへと向かった。
浴室のカーテンを閉め、シャワーでお湯を浴び始める。
起きたばかりの頭で、昨日の出来事を思い返した。
すでに何度も思い返しているため、軽い復習程度の思い返しだった。
シャワーの勢いを上げれば、湯温を上げれば、もしかしたら昨日抱いた恐怖感を流せないか。そんなことを考え、すごい勢いの熱湯を浴びるも、それはただ昨日かいた冷や汗を流すだけの、わかりきった結果に終わった。
適温に下げ、シャンプーで頭を洗っていると、『ガチャン』という音、そして、
「にゃむにゃむ・・・」
という謎の言葉とともに、誰かがユニットバスに入って来た。
シャンプーの泡を流しながら、
「おはよう」
と声をかける裁に、
「・・・にゃます」
という、先ほどよりも人語に近い挨拶が返り、どうやらその人物は、便座に腰掛けて用を足し始めたようだった。
頭を洗い終えるとシャワーを止め、カーテンを開けた裁。
すると、用を足し終えたその人物が、バスタオルを手渡してくれた。
なぜかすでに全裸のその人物と入れ替わるように浴槽から出た裁。
からだを拭きながら、話しかける。
「昨日はありがとう。紫乃ちゃんのおかげでよく眠れたよ」
「にゃむ・・・あれが・・・最善の行動だったのです」
昨晩のこと。
天照奈の部屋で討論を続けていた四人。
と言っても、ほとんどが紫乃と紫音の口論だったのだが。
『裁と天照奈を密室に残して、紫乃と紫音は大人しく自分の部屋で寝る案』
『紫乃と天照奈、裁と紫音が一緒の部屋で寝る案』
『からだが同性同士で寝る案』
一つ目は秒で却下となり、二つ目の双子だけが得をする案か、それとも誰も損はしない、一般的に健全とも言える三つ目の案か。
口論は天照奈も巻き込んで十五分間続き、結局、次の日に男どもにも説明しやすい、三つ目の案に決まったのだった。
「しかし、地獄部屋が真上だったとは・・・防音機能は万全でしたが、免震機能は改善の余地がありますね。でも、後半はあの震度一から二くらいの微弱な揺れがゆりかごのように心地よかったですがね」
「僕の寝つっこみは平気だった?」
「ふふっ。よほど疲れていたのでしょう。昨日は一回しかありませんでしたよ?たしか、『世界平和じゃないの!?』ってつっこみでした。きっと、お父さまが世界征服でも企む夢を見たのでしょう」
「・・・天照奈ちゃんと紫音ちゃんは、眠れたかな?」
「ええ。あの二人、趣味は合いませんが、好み、特に殿方の好みは合いますからね。それぞれが同じ殿方を思い浮かべて安眠したことでしょう」
「・・・紫音ちゃんは黒いサイクロプス。天照奈ちゃんはたしか、強くて・・・アニメの主人公みたいな人が好きなんだっけ?どっちも、強くて頼りになるヒーローみたいな存在が好きってことかな?」
「ふふっ。サイくん、実は二人の、好みのどストライクかもしれませんよ?」
からだを拭き終えた裁は、紫乃のその言葉に、
「まさか。だって僕、人に頼ってばっかりの『弱い人間』だもん」
そんな言葉と、
「ふぅっ・・・」
と、何か言いたい顔をする紫乃を残して、裁はユニットバスを後にした。
七時五分前。
いつもどおり、自然と手を組んでくる紫乃と一緒にダイニングへとやって来た裁。
そこにはすでに全員の姿があった。
「ヒューヒューっ、朝からお熱いこと!」
「おはようございます。ドードーも早く絶滅仲間を見つけるがよろし」
「絶滅仲間!?」
「裁くんも避難・・・じゃなくて、紫乃ちゃんの部屋で寝てたんだね?」
「おお、朝起きたら相棒の姿が無かったからな。あんなことがあっても朝練に行くなんて、やっぱりすげえやつだ!って思ってたんだぜ?」
「僕、朝から何を練習するの?」
「ラブくん以外は、ちゃんと眠れましたか?」
「おお。物置も防音機能ばっちりだったからな!ちょっとの揺れは感じたけど、逆に心地よかったし!」
「うん。今回は寝袋持参だったから、快適だったよ!」
「瞬矢が俺の分の寝袋も持ってきてくれたんだ」
「うむ。それは良かったです。地獄の微震は常設しても良いくらいですね・・・とりあえず朝食をとりましょう!」
バイキング形式の朝食。
いきなり三キロ超えの量を取り始めるサイラブを横目に見ただけで、六人はすでにお腹がいっぱいになったのだった。
三十分後、六人が食後のコーヒーを飲み、二人が食後のおにぎりを食べる中、紫乃が今日の予定について話を始めた。
「さてと・・・実は昨日に予定を詰め込みすぎました。一日で夏の海を満喫できてしまうくらいに」
「肝試しはできなかったけど、肝は十分冷えたから良いもんね・・・」
「じゃあ、もしかして今日は勉強中心か・・・?まあ、勉強に集中すれば余計なことを考えないで済むだろうしな」
「でも、余計なことを考えないで勉強に集中できるの、二人くらいしかいないよね・・・?」
天照奈の言葉を聞き、みんなが裁と紫音を見た。
同じ扱いをされるのが嬉しいのか、紫音は頬を手で押さえて少し恥じらいだ。
「せっかくのお泊まり会なのです。勉強するにしても、ほどほどにしましょう。では何をするか・・・挙手をお願いします。はい、ドードー!」
「まだ挙げてないけど!?・・・うん、みんなで何かして遊びたいよな?」
「何か、とは?ビーチに行けない諸事情たっぷりなボクたちに何ができると?」
「屋内でもできる遊びだっていっぱいあるだろ?例えば、ゲームとか」
「ほお・・・ゲーム機などを準備していれば良かったですね。あと、トランプとか、オセロとか?」
「将棋、チェス、ボードゲームとかもな!なんか、どれも天照奈ちゃんの新たな才能に恐れを抱いて終わりそうだけど!」
「ふむ・・・ここには何一つ娯楽を置いてませんからね。じゃあまた、買い出しにでも行きます?」
「そうだな。でも、近くにそんなお店あるのか?」
「ふふっ。超絶好立地のこの別荘。ていうか、海浜公園と一緒にものすごい整備されているここら一帯なのですよ?歩いて五分のところにショッピングモールがあります」
「マジか!じゃあ、おもちゃ屋さんも入ってるだろうし・・・また、俺ら男で買い出し行くか!今日は綱もな!」
約束どおり誘ってもらえた綱の笑顔に、三人の女子の目が輝いた。
「ふむ・・・この時期の、しかも日曜日。おそらく大混雑でしょうけど・・・どうでしょう、今回はみんなで行きませんか?」
「うん。買い物だったらわたしも平気だよ?いつも行くスーパー、常に大混雑だから慣れてるし!」
「いや、天照奈ちゃんのそれはあなたのお客・・・んんっ。紫音も日焼けを全力で防ぐ格好すれば良いでしょうからね。ボクも同じく肌を全力で覆います。サイくんは人避けの練習です。どうです?」
「そうだね!わたしもみんなで買い物行きたいもん!変装グッズもちゃんとあるし、誰にもバレないよ!」
「僕も、普段から人に近づかないように練習しないとね!あ、練習ってこれか!」
「決まりですね。お店が開くのは九時ですから・・・あと一時間はありますね・・・」
紫乃は何かを考え始めると、すぐにいつものニヤけ顔に変わった。
きっと、紫乃が考えた面白い何かに巻き込まれるのだろう。天照奈はあごに手をやり、警戒心を高めたようだ。
「ここには、女の子が四人、そして男が四人います」
「正確には女子が二人、中身が女子なのが二人、男子が四人だけどな」
「もっと正確に言うと、男子のうち一人は『その他』ですけどね」
「俺、その他なの!?」
「ぶふっ、朝から笑わせないでください!・・・傍目から見れば、女子四人と男子四人が仲良くお買い物をする光景でしょう?」
「おい、俺は、見た目は完全に男だぞ?」
「ツナロウよ」
「なんだ、紫乃?」
「やーん、ツナロウには『紫乃ちゃん』って呼んで欲しいな」
「・・・紫乃、ちゃん・・・」
恥じらう綱に、今度は『きゃーっ!』と声を上げて目を輝かせる女子三人。
「可愛いっ!そんなツナロウよ。ラブくんに騙されて、着替えも持たずにやって来たツナロウよ。あなたに、ボクの着替えを貸して進ぜよう!」
「・・・騙したのはお前だもんな。でも・・・それって、また女装するってことか!?」
「です!嫌じゃないでしょ?」
「可愛い服を着ること自体は嫌じゃない・・・でも、それを着た自分が可愛くないのを知ってるからな・・・やっぱり、嫌だな」
「ふふっ!可愛ければ良いんでしょ?ねっ、実はカツラもあるから、女の子っぽくしましょ!」
「か、カツラだと?」
「うん、そうだよ!本当は昨日の衣装用にカツラも準備してたんだけど。みんなが持ってる素材を生かそうって紫乃と話して。カツラだけは使わなかったの」
「です。いくつかあるから、好きなの被っちゃいなよユー!です」
「・・・ねえ、紫乃ちゃん。まさか紫乃ちゃんの思惑、これだけじゃないよね?」
「思惑って何ですか、天照奈ちゃん?・・・ふふっ。まあ、そうですね。ボクたち男女八人。きっと、『あら、仲良し八人組だわね!』『わあ、美男美女とその他諸々の素敵な八人!』と思われることでしょう」
「その他諸々には、俺の他に誰が含まれてるんだ・・・?」
「でもね、それと同時に『わあ、カップル四組のくそリア充どもめ!』って思われるのはどうですか!面白いと思いません?」
「くそリア充って思われて嬉しい人いるか!?」
「表現が悪かったですね。ボクたちは恋愛感情などは持っていない、健全な八人組です。かっこ、一部を除き。
でも、そんなの、他の人には知る由もありません。腕を組むボクとサイくんを見た人たちは、『わあ、美女とサイクロプス!』と思うことでしょう。これで一組完成です。
でもきっと、仲良く話しているだけでもそう思われるのでは?そんな勝手な思い込みをされるのなら、偽りのカップルを装っても良いのでは?
しかも・・・恋愛に飢えた男どもにとっては夢のような気分を味わえることでしょう!」
「お、おお・・・!万が一だけど、紫音ちゃんとカップルを装えたら・・・俺、人生に未練は無いぞ!?」
「万が一じゃなくて四分の一ですけどね?」
「!?」
声にならない声を発し、不動堂は瞑想を始めた。
機運を高めているのだろう。だが、それは不動堂だけでは無かった。
『きゃーっ!サイサイと付き合えるの!?もしかしたらその後も継続して・・・きゃーっ!』
『おお、はずれ無しだぜ?たぶん、俺の見た目に合うのは綱なんだぜ?』
『俺、女の子扱いしてもらってるってことは・・・男とペアになるのか・・・可愛いのは圧倒的に太一だけど、俺に似合うのだったら相良かな・・・』
『誰に当たっても良いけど・・・天照奈ちゃんは裁くんと当たって欲しいな』
『もしも裁くんとカップルになったら・・・ど、どうしよう・・・わたし、嘘つけないから・・・』
『ぼ、僕、もし天照奈ちゃんと・・・まさか腕を組んだりなんてしないよね・・・あ』
それぞれが妄想の中で一喜一憂し、一人は鼻から出血していた。
「・・・じゃあ、ここは公平にくじびきでしょうかね?」
「ええーっ!?それぞれが好きな人の名前を紙に書いてぇ、両思いならカップル成立!ってシステムじゃないの?」
「それだと・・・カップルが成立したら、それぞれがその人を書いたことがバレちゃうでしょ?」
「えー!それ、ダメなの?」
「うむ。もしも一部の、某二人がカップルになってしまったら・・・この先、お互いを意識してしまうことでしょう。
なぜか目をそらしてしまう、上手く話すことができない、などという『好き避け』をしてしまうのですよ!」
「きゃーっ!それは大変・・・わたし、避けられたくない!」
「うむ、アホで助かりました・・・んんっ。てことで、ボクは部屋に戻ってくじを作成します。みなさん、外行きの格好をして、八時五十分にリビングに集合です!」
「おぉっ!」
「紫乃ちゃん、不正はダメだからね?」
「ぎくっ!じゃなくて、お風呂案件以外では不正などあり得ませんから!」
みんなは自室で、綱は紫音の部屋で着替えと身支度を済ませると、予定時刻にリビングへと集まった。
皆が昨日の移動時に着ていた軽装の中、紫乃と紫音はすさまじい美魔女スタイルをしていた。
「麦わら帽子にサングラス。そこまでは良いだろう。この炎天下で口と首元全体を覆うような黒いネックウォーマーみたいなマスクに、手足を黒い布でこれでもかと覆って、手袋もしてる・・・ちゃんと、水分取ってくれよな!?」
「ふふっ。紫外線と男の目線を防がねばなりませんからね!まあ、ボクは防ぐ対象に音波も加わるのですが!」
「裁の近くにいれば済む問題だろ?」
「それは、ボクとサイくんがカップルになれば、の話でしょう?そんな不正をすることは容易いですが、面白くないでしょ!だから、ボクとサイくんは一緒にはなりません!」
『それ、紫乃ちゃんと裁は一緒にならないように不正してるってことだよな?』
「じゃあ、みなさん。この二つの箱には、それぞれビー玉が四個ずつ入っています。そうです、昨日おケチな皇輝がくれたラムネに入っていたビー玉たちです。そこに、黒い油性ペンで『み』『な』『も』『と』と書かれています」
『何で、みなもと、なんだ?』
『紫乃ちゃんそれ、ホストクラブでやった大名ゲームの・・・よほど楽しかったんだね。しかもあの後、あの二人とメッセージのやりとり続けてるみたいだし・・・』
「女の子はこっちの可愛い箱。男どもはそっちの汚い箱から一人一つ、ビー玉を取って下さい。同じ文字が書かれた二人が・・・カップルだぜ!いえーい!」
「うおぉーっ!」
公正だというそのくじびき。
なぜか、ビー玉を取る順番が決められていたそのくじびき。
誰もが紫乃を疑う気持ちを抱き、ビー玉を取った。
だが、誰もがそんな疑いの気持ちなど消し飛ぶような、最高の結果となったのであった。
紫音以外は。