16話 裁(その一)~女の子との再会~
午後七時、黒木家。
大いに盛り上がった赤飯パーティーも、赤飯の完食とともに終わりを迎えようとしていた。
裁は、いろいろあって疲れきった体に鞭を打ち、父の大ボケ小ボケ、母のノリボケにツッコミ続けていた。
それでも、五合炊いたうちの三合を食べきった裁は、意識が持つまではツッコミというお祝いを続けようと決めていた。
自分の卒業祝いは昼に終わっており、夜は父と母の『いろいろ話せてスッキリした祝い』なのだ。
でも、そろそろ限界か、そう思った時だった。父の携帯電話が鳴った。
「おっ、ゲンさんからだ。珍しいな」
父はそう言うと、その場で電話に出た。
「はい、黒木です。え? 『たわしさん』ですか? あぁ、『わたしさん』ですか、なんてね。
うん、別に問題無いけど、珍しいね、ゲンさんから電話なんて。うん、賑やかだよ、なんたって今日は赤飯パーティーだからね。
へぇ、ゲンさんとこもそうなんだ。でも、うちは昼も赤飯パーティーだったぜ! え、まぁ、回数より質って言われたらそうかもしれないけど、でも美守の赤飯は世界一旨いからな。
ゲンさんも食べたこと無かったっけ?うん、やっぱりそうでしょ?
へぇ、娘さんの作った赤飯も旨いんだ、今度食べてみたいな」
いつものやりとりの横で、僕は母との談笑を続けていた。
すると、何やら重要な話になったのか、父は席を立ち、リビングを出た。
「うん……うん……」
父の返事だけが壁越しに聞こえる。どうやら本当に真面目な話をしているらしい。
「珍しいね、お父さんが真面目な電話するなんて」
「そりゃ、一年に一回くらいは真面目な話するでしょ」
母と話しながらも、僕は父の電話の内容が気になった。
今日、ゲンさん、いや雛賀のじいさんと会ったばかりのタイミングでの電話ということは、僕に関係する内容なのではないか。
すると、
「え? あちゃーっ、やっちゃったか!」
リビングを出た意味が無いほどの、父の大きな声が聞こえ始めた。
「我慢できなくなった? じゃあ、もしかして、遂に『源一の野望』の始まりですか? 『科学で世界を悪に染めてやろうぞウハハハハの章』の始まり始まり、ってか?」
あれ? まさか、雛賀のじいさん、僕と近づいちゃったのか?
いつもどおり近づかないようにしたけど、もしかして五十メートル走のときだろうか。
最後、よろけてゴールしたからな……
「えっ違うの? 娘さんのこと? うん、うん……」
またもや真面目な話が始まったようだ。雛賀のじいさんからの一方的な話なのか、父の相槌だけが聞こえていた。
「そうか、娘さんにもそんな体質、しかも最強スキルが……ゲンさんも大変だったんだな」
しばらくすると、雛賀のじいさんの話が終わったらしい。
しかし、最強スキルってなんだ? たしか娘さんって僕と同い年で、生まれつき体が弱いんじゃなかったっけ?
もしかして僕と同じで本当の体質が隠されていたのか? 会話の続きが気になり、耳を澄ませる。
母も気になっているらしく、壁に耳を当てて聞いている。
「え? 言っちゃ駄目なの? まぁ、ゲンさんがそう言うんだから何か事情があるんだろう。
うん、えっ? 対面したい? 中学を卒業した二人を対面させるって……もしかしてお見合い!? 化け物同士、あ、いや、美女と野獣みたいで良いじゃない。
てかさ、結婚って何歳からできるんだっけ?」
え、結婚? ちょっと、なんの話してるの?
「あぁ、明日なら午後だったら大丈夫だと思う。うん、いつもの場所ね、わかった。あと、実印持っていった方がいい?いらないと。
うん、うん、娘さんのことは言っちゃ駄目だけど裁のことは話すと。まぁいいんじゃないか?
どうせ明日対面したら裁にも教えてくれるんだろ?
じゃあさ、せっかくなら設定盛り盛りにして、格好良く伝えてくれると助かる。
え、事実を伝える? そんな、サイクロプスって言うのだけはやめてくれよ。うん、じゃあまた明日」
電話が終わりリビングに戻る父を、僕と母は、
『詳しく聞かせろ』
という表情で迎えた。
学生時代陸上部だったという母は、父が最後に『じゃあ』と言った瞬間に席に戻っていた。
「裁、明日の午後暇だろ? ゲンさんが大事な話したいから、いつものとこに来てほしいってさ」
「いや、それは聞こえてたからわかるよ!」
「え? 聞こえてたの?」
「結婚って何? なんかお父さんが勝手に話を進めてたけど?」
「あぁ、そこか。なんかさ、その、大事な話するのに、お前とゲンさんの娘さんを対面させたいんだとさ。
ほら、ゲンさんの娘さん、天使みたいに可愛いから。あんな娘がいたらな、なんて思うわけよ。ゲンさんは、結婚はまだ早いって怒ってたけど。って、お前は会ったことなかったか?」
「いや、一回あるけど。でも結婚なんて、そりゃ気が早すぎるよ、ねぇお母さん?」
「ゲンさんの娘さんって、超可愛いよね。わたしは賛成だよ? 結婚」
勝手に都合の良い話を進める両親に唖然としたが、実のところ内心はまんざらでもない様子の僕なのであった。
雛賀のじいさんの娘とは、ちょうど十年前、小学校に入る前に一度だけ会っていた。
その日は、測定の結果を聞くため、いつもの施設の一階に来ていた。
父と僕は、一階の大部屋で雛賀のじいさん(当時はおじさん)を待っていた。
すると、父の携帯電話に着信があり、父は、
『ごめん、二十分くらい外出るから、この部屋で遊んでいてくれ。部屋から出ないようにな』
と僕に告げると、急ぎ足で部屋を出て行った。
僕は父の言われたとおりに、待つには広すぎるその部屋で何をして過ごすかを考えた。
初めは、部屋の隅に転がっていたボールを投げて遊んでいたが、すぐに飽きた。
お父さん早く戻らないかな、と出入り口を見ると、そのドアが少し開いているのが見えた。
急いで部屋を出た父が、完全に閉めていかなかったのだろう。
閉めておこうと思いドアノブに触れたところで、外から足音が聞こえたような気がした。
僕はそっと、隙間から部屋の外を覗こうとした。
すると、目の前に急に顔が現れた。
部屋の外から中を覗こうとする誰かとタイミングが合ってしまったらしい。
あまりに驚いて、尻餅を付いてしまった。
ドアノブを持ったままだったので、ドアは勢いよく閉まり、覗いたのが誰かを確認できなかった。
でも、僕と同じくらいの身長の、たぶん女の子だったと思う。あまりに驚いたので、しばらくは心臓のバクバクを止めるために目を閉じていた。
すると、ドアが開く音にまた驚く僕が聞いたのは、
『そんなところで何やってるんだ?』
という父の声だった。
そして、
『用事はもう済んでるから、帰るぞ』
と言う父の後を追い、部屋を出た。
正面玄関に近づいたところで、ちょうど階段から下りてきた二人の人物と遭遇した。
一人は雛賀のおじさんで、一人は知らない女の子だった。
『さっきはお疲れ様。娘さんも来てたんだな。あぁ、もしかすると子供同士は初めましてか?』
父はそう言うと、片膝で立って僕らと目線を揃えると、僕の紹介をしてくれた。
『いつも話してる、おじさんの息子だ』
雛賀のおじさんも、
『わたしの娘だ。君と同い年だよ。お互い近づくことは難しいけど、よろしくね』
と、女の子を紹介してくれた。さっきの女の子だろうか。
よく確認をしたかった。でも、なぜかわからないが、ドキドキしてしまって直視できなかった。
目線の端で女の子を見ると、同じように直視はせずに、チラチラとこちらを伺っているようだった。
おそらくだが、僕に近づいてはいけないと言われていたのに、ふいにではあるが近づいてしまったから、気まずかったのだろう。
その後、僕の体調には異変も無かったし、その女の子に近づいたという事は、お父さんとお母さんに内緒にした。
その後は女の子と会うことは無かった。
あのときのことを思い返すと、今でもドキドキする。
当時は気付かなかったが、おそらくこれは恋愛感情だろう。
明日対面したら……絶対に緊張するだろう。
あの父のことだ、そんな僕を見たらきっと、『やーい』と囃したてるに違いない。
でも、不幸中の幸いというか、僕の体質は僕には影響しない。だから、その女の子に対する気持ちが発現してしまうということは無いだろう。
まぁ、対面とは言え、近づくことは無いだろうが。
とにかく、心の準備をして、いつもより身なりを整えて明日に臨もう。
「じゃあ、明日の午後だから、お昼に迎えに来るぞ。準備しておいてくれ。いつもよりオシャレな格好しろよ」
僕の心を読んだわけではないだろう。思わずギクッとしてしまった。
早めにベッドに入ると、あらゆるパターンのイメージトレーニングをすることにした。
女の子のイメージを十年前の姿にしてしまうと、実際に会う姿とのギャップがありすぎるだろう。
そこで成長後の姿を、とある少女に重ねた。
それは、中学校の同級生、とある少女だった。
中学校に入学した僕は、入学一日目から注目の的となり、その噂はすぐに学校中に広がった。
一日目は教室の外に人だかりが出来ていた。でも、それも三日目になると悲しいくらいにいなくなった。
と同時に、とある少女の噂が飛び交い始めたのだ。
『なんか、後ろから触られると死んじゃうかもしれないんだって』
『昨日、後ろからボール当てようとした男の子の家に、その子の親がチンピラ引き連れて怒鳴り込んだんだって』
『恐くて近づけないよね。取扱注意って紙でも貼ってほしいよ。それこそ国宝級の取扱い、ってね』
『でも、見た目も国宝級に可愛いらしいよ』
小学校の頃から噂に慣れていた僕は、チンピラのくだりだけは嘘だろうなと思った。
そしてその日の放課後、いつもどおり人がいなくなるのを待つと、教室を出た。
気配に気付き、下駄箱と反対側を向く。すると、一人の少女が僕から二メートルの距離を保ち、立っていた。
壁に背を付けていること、そしてその見た目から、噂の少女だと思った。
その少女は噂の少女で間違い無かった。体質は違えど、人との接触に大きな制限があるという境遇は僕と同じ。
なぜか、ドキドキしてしまうのはきっと、国宝級とも噂されるその美貌のせいだろう。
目が合うと石になるかもしれないと思い、少女の眉間を見て話した。
その少女も、僕のことを噂で聞いていたらしい。
小学校は通信教育だったというその少女は、おそらく人付き合いや噂などには慣れていないだろうから、僕の経験、あと、母の教えを話したと思う。
最後は、『また話したい』という、本心からの言葉で終わった。
あのときのことも、思い返すとドキドキする。
見た目に対しての感情はもちろんあるが、おそらく十年前の女の子の姿と重ねてしまうからだろう。
だから、女の子の成長後のイメージには、彼女がすんなりとはまったのだ。
だが、少女の解像度が高すぎるためか、僕の脳内再生機能のスペックが不足していた。
おかげで再生速度が非常に遅く、少しぼけてしまう。
と、そんなことを考えているうちに、頭がパンクし、いつの間にか眠りに就いていた。
三月十八日、水曜日。
いつもと同じ時間に目覚めるとすぐに、学校に行かなくてもいいことを思い出した。
昨日が卒業式だったのに、あまりにいろいろなことがありすぎたせいで、ずっと前のことのように感じた。
一階に下りると、父が朝食をとっていた。
「お、早いな。今日から学校無いこと忘れたのか? あ、それとも」
父はニヤニヤと僕を見た。きっと、早起きしてオシャレでもすると思っているのだろう。
「ただの習慣だよ。それに昨日、いろいろあって、疲れて早く寝たからね」
「そうか、でも、ちょっとはオシャレしとけよ」
父と一緒に朝食をとると、ニヤニヤした父を見送り、部屋に戻った。
オシャレと言っても何をしたらいいかわからない。
母に聞いたら、きっと『あらあら、まぁまぁ』と目を輝かせるだろうから、自力でやるしか無い。
でもきっと、初めてのオシャレ=黒歴史になるに違いない。
そう思うと、顔を洗って、寝癖を整えるだけに留めた。これでいいのだ。
どうせ何も起こらないのだろうから。
正午になり、母とお昼ご飯を食べ終えたところで、父が迎えに来た。
僕を一目見るなり、
「なんで制服なんて着てるんだ?」
と聞かれたが、
「いや、僕だってオシャレってヤツを考えたよ? でもさ、制服以外はパジャマしか無いことに気付いたんだよね」
そう言うと、父と母が声を合わせて
「あっ!」
と大声を出したのだった。
「まぁいい……素のお前を見てもらおう」
そう呟く父と、施設に向かった。
午後一時ちょうどに施設に到着し、裏口から大部屋に入った。
雛賀のじいさんは、いつもと同じように体重計の前に立っていた。
その横には、こちらには背を向け、正面の出入り口を見ている少女がいた。
後ろ姿を見ただけで、なぜかドキドキしてしまう僕には構わず、
「よぉ、ゲンさん。来たよ」
と大声を出す父に、僕は思わずビクッとしてしまった。
少女も、僕たちが正面から入ってくると思っていたのか、同じようにびっくりした様子で振り返った。
振り返る仕草で、つやのある黒く長い髪がなびいた。
全ての髪の毛が元の場所に垂れ下がる。
少女の顔がはっきりと見えた。
「おぉ、来たね。君たちは十年前に一回しか会っていないから、覚えていないだろう。
紹介するよ。
娘の『天照奈』だ」
緊張した面持ちで、でも微笑んで僕を見るその少女。
同級生の、国宝級の、あの少女だった。