159話 逃げ道
常夜灯で薄暗く照らされていたリビングが、突如、明るくなった。
電気を付けたのは、裁だった。
今日の事件を呼び込んだのは、自分の不運スキル。
そう判断した裁は、巻き込んでしまったみんなに対する言葉を考えていたのだった。
「みんな・・・ご」
「サイサイ!」
裁の言葉は、紫音によって遮られた。
だが、遮ったのは紫音の言葉だけではなかった。見回すと、全員が裁を見て、その目で同じ事を訴えていた。
「何で謝ろうとしたの?サイサイのせいじゃないでしょ?それに、サイサイは・・・ドードーくんと一緒に、わたしを守ってくれた」
「で、でも・・・僕の運が悪いから、あんな事件を呼び寄せたんだ」
「・・・それは、もしかしたらそうかもしれないね・・・サイサイの周りでは、あり得ないことが、あり得てしまうから・・・」
「でしょ?だから・・・ごめ」
「でもね?サイサイの本当の体質を知ってから、サイサイの決意を聞いてから・・・わたしは、サイサイの責任を少しでも負えたらって・・・少しでも力になれたらって・・・いつも、そう思ってたんだよ?
もしもさっきの事件に遭ったのがわたしたちじゃなくて、知らない人たちだったらどうだった?そして、もしも誰かが死んじゃってたら?
・・・サイサイ、自分を責めて、責めて・・・どうやってその責任を負ってただろう。考えるだけで、わたしは、怖い。
・・・だから、ね?わたしで、良かったの。
・・・わたしで、良かった・・・わたしたちは、言えるよ?
サイサイのせいじゃない。サイサイは、助けてくれた。サイサイのおかげで、助かったの!」
その場にいる全員が、頷き、そして優しい目で裁を包み込んでくれた。
視界が急にぼやけ、自分が涙していることに気付いた。
「でも・・・もしかしたら、誰かが傷を負っていたかもしれない。いつか、無事では済まない、そんな日が来るかもしれない・・・そう思うと、やっぱり・・・怖いよ・・・」
「ふふっ。それは、わたしもだよ?さっきのことは、一生トラウマになるくらい怖かった。また起こるかもしれないし、今度は無事で済まないかもしれない。そんな恐怖は、たぶんサイサイより強いよ。
でもね?それでも、サイサイが守ってくれる。みんなが守ってくれるって、信じてる。
そしてわたしも、サイサイを、みんなを、守りたいの。だから、わたしは、大丈夫だよ?」
「そうだよ、裁くん。ちゃんと、まわりを見て?わかるはずだよ?みんな、紫音ちゃんと同じ事を考えている。みんな、自分の身と同じくらい、友達のことを考えているの。
もちろん、逃げ出したら、みんなが軽蔑する。責任だって押しつけるかもしれない。でも、そんなことをする人はこの場にはいない。だから、誰も、裁くんに謝られたいなんて思ってないの。
こういうときは、やっぱり・・・紫乃ちゃん、お願い」
「はい。ボクも、初めての体験だったので、激しく動揺してしまいました。でも、もう大丈夫です。ボクはボクの役割を果たしましょう。・・・紫音よ」
「なに、紫乃?」
「お花摘んだ後で良かったですね!大便漏らさなくて済んだもん!」
「・・・・・・」
皆が、
『こんなときに、一体何を口走って・・・』
という顔をして、すぐに、
『あ・・・でも、いつものやつだ・・・』
そんな顔になり、
「いや、そこは小便でしょ!?」
と、つっこんだのだった。
――「さて・・・では、多数決をとりますよ?」
いつもどおり、紫乃がその場を仕切り始めた。
「今後のことです。いずれ訪れる災厄。その可能性を、そしてその脅威を少しでも小さくするための方策です。
バラバラで行動する・・・友達を・・・ズッ友会を解散すべきだと言う人、挙手をお願いします」
紫乃は、神妙な面持ちで挙手を促し、全員を見回した。
「・・・そうですか・・・満場一致。そうですか・・・薄情な、奴らです・・・」
紫乃は深く、しかし、『仕方が無いか』という、ため息をついた。
「紫乃ちゃん・・・」
「なんです、サイくん?」
「・・・一人で、何をやってるの?」
「・・・予行練習です。心の準備、というやつですね」
「いや、その多数決、たぶん誰も手を挙げないからね!?」
「ですよね!括弧笑い!」
「でも、たしかに、今後のことを考える必要はある。話し合う必要はあるよね」
「裁くんのお父さんの言うとおりにするのは癪だけど、必要だよね」
「天照奈、違うぞ?これは、俺たちの意思だ。裁の親父は関係無い」
「うちのお父さん、全力で駆けつけてくれたのに・・・好感度が全く上がっていない!?」
「紫乃ちゃんが言ってたように、バラバラに行動するっていうのも、一つの考えだよな」
「ドードーよ」
「なんだい、紫乃ちゃん?」
「今、あなたを見て、あなたの言葉を聞いて、『薄情なヤツ』という強い思いを抱きました。あなた、本心では『ボクちん、何があってもみんなと一緒だもん!』って思っているのでしょう?」
「何そのしゃべり方!?・・・ていうか俺の体質、嘘発見器みたいな使われ方してる!?」
「ぶふっ!わざわざ自分からイジる要素増やして・・・このドードー、どんどん面白くなっていきますね!」
「まずは・・・やっぱり、意思を確認した方が良いと思うんだ。『巻き込む人』『巻き込まれる人』が明確なんだから・・・」
「サイサイ・・・うん、そうだね。わたし、『みんな、同じ気持ちだよ』なんて格好良いこと言ったけど。そんな気持ちを押しつけちゃったかもしれない。肯定せざるを得ない雰囲気をつくっちゃたかもしれないね・・・」
ソファに深く座る紫音は、太ももに置いた両手をぎゅっと、握った。
「そうですね。今後、今日と同じようにみんなが集まれば、今日以上の事件が起こるかもしれません。そんな事件を呼び寄せて、みんなを巻き込むかもしれないし、そんな事件に巻き込まれるかもしれません。
今の、みなさんの素直な気持ちを教えて下さい。・・・怖い、ですよね?」
全員が、紫乃の問いに大きく頷き、肯定した。
「事件になんて巻き込まれたくないし、巻き込みたくない、ですよね?」
全員が大きく頷き、肯定した。
「自分には責任が無い。そう思いたいし、本当は、逃げ出したい、ですよね・・・?」
全員が、小さくだが、頷いた。
「天照奈ちゃんと一緒に、お風呂に入りたい、ですよね?」
天照奈以外が大きく頷いた。
「ドードーの海パン、キモかった、ですよね?」
不動堂以外が大きく二回ずつ頷いた。
「ボクって、最高に可愛い、ですよね?・・・全員が激しく頷いた。皇輝の前髪って・・・」
「おいっ!お前、本当に、どこまで・・・」
「ボクはいつでも大真面目ですよ?ふふっ!だって、神妙な雰囲気になったら、それこそ逃げ場が無くなっちゃうじゃないですか。
『ここに逃げたいヤツなんかいないよね?』
『みんな、友達のためなら命かけられるよね?』
そんな雰囲気じゃ、嫌でも、肯定するしか無いじゃないですか!」
「紫乃ちゃん・・・でも、それとお風呂は関係無いよね?」
「ぎくっ!」
「くくっ・・・紫乃、お前はやっぱり良いやつだよ」
「でしょ?じゃあ、一緒におふ」
「俺でもいいのかよ!?」
「・・・ねえ、紫乃ちゃん」
「なんです、太一?」
「みんなが一番心配してるのは、たぶん、僕、だよね・・・?」
「・・・そうかもしれませんね」
「たしかに、僕はこれまで事件になんて巻き込まれたことは無かった。そんなの、ニュースで観るだけで、自分の周りで起こるなんて考えもしなかった。
もしも今日の事件で、僕があの部屋にいたら・・・今こうして、みんなと笑い合えていたかはわからない。
紫音ちゃんは、すごい、強いよ・・・僕は、やっぱり・・・無理だと思う」
「太一・・・」
「僕は、だから・・・これから、みんなと・・・一緒に、いたい」
「そうですよね・・・一緒になんていられないですよね」
「・・・一緒に、いたいんだ」
「ですよねぇ・・・」
「一緒に・・・」
「そりゃそうですよ・・・」
「紫乃ちゃん。僕は、言わされてないからね?紫乃ちゃんがつくってくれた『逃げ道』の、入り口に立って、先を見てみたんだ。
その先にあるのは、平和な・・・事件になんて巻き込まれない、平穏な道。
でもね、この逃げ道って・・・みんながつくってくれた、普通の道でもあるんだ。
これまで、自分で望んだとはいえ、空気みたいな存在だった僕。今はみんなと楽しく、『こんなに幸せで良いのかな?』って思うくらい、楽しく生きているんだ。
もしかしたら、そこまで面倒を見てくれた上での逃げ道かもしれない。
『アフターサービスも万全です!』っていう、紫乃ちゃんのプランだったのかもしれない。だから、これは、僕にとって逃げ道なんかじゃない。
みんなと一緒に、みんなと歩幅を合わせて、普通に歩くための道なんだ!」
「くっ・・・なんですか、最近のこの、『友達の言葉で感動する』が続く展開は!?・・・全く、この太一は・・・最高なんだから!」
紫乃は、太一の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。太一も、紫乃にぐしゃぐしゃにされて、素直に喜んだ。
「しかし、太一よ。あなたのその最高の言葉は、他の人の逃げ道を無くしたも同然ですよ?」
「・・・あ」
「ふふっ。でも、まだ逃げ道のシャッターは下がりきっていません!ラブくんとツナロウよ。逃げても良いんですよ?」
「おお、俺はどっちでも良いぜ!ていうか俺、お嬢のボディーガード受け持ってるからな?逃げないぜ?」
「いや、あなたにお願いしてるのは、学校の敷地内でのことだけですからね?」
「おお、治外法権ってやつだな?じゃあ、敷地外ではボディーガードじゃなくて、ただお嬢を守りたい。これでどうだ?」
「ラブくん・・・あなたがアイドル衣装を着ていなければ、抱きついてるところですよ?」
「お?抱擁するのは俺の仕事じゃないぜ?それに、俺に逃げ道なんて無いんだぜ?一度道を決めたら、例え地獄行きでも、終着点まで行くんだぜ?」
「ふふっ・・・でも、ラブくん。地獄には一人で行ってよね?」
次々と訪れる感動メッセージに、すでに飽和気味の面々。
「さらに逃げにくくなりましたね。ツナロウ、あなたにはまず初めに問うべきでした・・・転入してきてわずか一か月。こんな面倒なグループに引き込んでしまって、本当に申し訳ありません」
「たしかに、まだお前らとは一か月しか付き合いが無い。しかも・・・紫乃と紫音は、たまに話しかけてくれる・・・だけど、今日初めて話したやつもいる。そんなやつらに俺の命をかけるなんて、できるはず無いだろ?」
「激しく同意」
「俺はこれまで、『可愛い』を我慢してきた。でも、それだけなんだ。別に、人に近づけないとか、空気みたいに扱われるなんてことも無かった。紫乃に笑われたとおり、俺の不幸自慢なんて、屁みたいなもんだ」
「へぇ!」
「お前らと普通に接することはできる。でも、俺は、普通を与えてもらわなくても、お前らと比べれば、普通なんだ」
「んだ!」
「だから、別に、お前らと一緒にいる理由は無い」
「ですね!」
「お前らと一緒にいても、俺が得られるのは・・・『幸せ』だけなんだ」
「そうですか!」
「普通という幸せ?違う。俺にとっては、ただの幸せだ。楽しいんだよ。これまでの十五年間、それなりに楽しいことだってあった。でも・・・今日一日の楽しかった出来事が、俺の十五年間のあらゆる思い出を上書きしちまったんだよ!」
「それは残念です!」
「・・・俺にはそもそも、逃げ道なんて無い。まだ、お前らの部屋に入っていないんだから。俺はまだ、出入り口で中の様子を窺ってるだけなんだ。逃げるんじゃなくて、『入らない』という選択肢が、まだ俺にはあるんだ」
「ほぉ!」
綱は、何かを決めたのか。
立ち上がると、顔を真っ赤にして、玄関へと歩いた。綱以外の全員が、ソファに腰掛けながら、何も言わずに、その様子を目で追った。
綱は、ドアを開けて外へと出た。
綱は、自分の気持ちを確かめたかった。
さっきみんなに言ったことは事実だった。でもひとつだけ、『部屋に入っていない』というのは嘘だった。
実際には、部屋に入り、でも、入ってすぐのところで中の様子を窺っていたのだ。
綱の気持ちは、とっくに決まっていた。
でもそれは、紫音が言うとおり、『雰囲気』により固められた決意なのかもしれない。
気の良い、最高の友達。そんな友達の思いが、俺の中の思いを引っ張ってくれただけ。
表には出てきたけど、薄っぺらいものかもしれない。
そう、『友達のため』なんて言っておいて、その実、今日みたいなことが起きたときに、真っ先に逃げ出すんじゃないか。
だから、一度部屋の外に出て、確かめたかったのだ。
『コン、コン』
綱は、ドアをノックした。
「入ってまーす!」
中から、紫乃の元気な声が聞こえた。
「・・・開けても、良いか?」
「どうぞー?」
紫乃の応えを聞くと、綱は、ドアを開けた。
「いらっしゃーい!」
綱は、見た。
玄関に集まり、笑顔で出迎えてくれる友達を。
『そうだ。ここが、俺の居場所なんだ』
本当は、確かめるまでも無かったのだ。
綱は、少しでもみんなを、自分の思いを疑ったことを悔いた。
だから、せめてみんなの笑顔に応えるために、
涙は流さず、目一杯、微笑み返した。