158話 本心
皇輝が顔を覗かせてから、約十五分後。
五人の警察官が、パトカー二台で駆けつけた。
プールサイドにいた太一が、ドアにカギがかけられてすぐに、通報をしていたようだった。
リビングの壁にめり込むように気を失っていた二人。そして、外の玄関部分の芝生で横たわっていた一人は、現行犯で逮捕され、パトカーは、病院へと直行した。
女装のまま聴取を受けた裁たち。だが、主に事情を説明していたのは、警察官よりも先に駆けつけていた裁の父、正義だった。
即座に非常事態だと判断した天照奈は、太一が警察に通報するよりも先に、裁の母親を通じて連絡をしてくれたらしい。
ビーチから全速力で走り、息を切らせたまま息子から事情を聞いた正義は、
『保護者兼警察官の俺が、まずは得意の大ボケで、うまく隙をつくったんだ!俺の指示で、レスリング全国一位の相良少年にタックルさせた!一人は、逃げようとしたところに俺の長い足をかけたら、壁に衝突した!外で伸びてるヤツは、俺の伝家の宝刀のバックドロップをくらわせてやったんだ!』
と、全ての手柄を横取りしてくれた。
意識を取り戻した犯人たちの供述とは、激しく大きな差異が生じることだろう。
だが、おそらく、正義の上司が何とかしてくれるはずだ。
「大変だったな・・・とりあえず、今日はこれ以上のことは起きないだろう。ゆっくり休め・・・って言っても難しいかもしれないけど。あんまり、悩むなよ?とにかく・・・九人で、よく話すことだな!」
正義はそう言うと、ビーチに残してきた愛妻のご機嫌取りを早々に再開するため、全速力でその場を後にした。
――未だに常夜灯のままの、薄暗いリビング。
紫音は、ソファに体育座りをして膝に顔を埋めたまま動かない。その横では、紫乃が紫音の肩に顔を埋めて、まだ涙を流していた。
不動堂も、床で紫音と同じような格好をして、小さく震えていた。
裁は、プールサイドにいた五人から、あらためて当時の経過を聞いた。
「三人が走って・・・わたしたち、すぐには後を追えなかったの。トイレかな?って思っちゃって・・・でも、なんだか、後ろ姿の雰囲気がトイレとは違うかな?そう思ったら、すぐにみんな、後を追ったの。でも、中からカギがかけられたのか、開かなくて・・・」
「ああ。俺たち、とりあえず壁・・・というか、窓だな。耳を当てて、みんなで中の様子を窺ったんだ。この建物、防音性にも優れているらしくてな、でも、かろうじて声が聞こえた。幸い・・・みんな、耳が良い、みたいだな・・・。
それぞれが中の声を聞いて、それぞれが中で起こっている事態を判断した。そして、それぞれが即座に行動をとったんだ。
綱は一人、中の音を聞くことを続けてくれた。天照奈は、裁の親父に連絡。太一は、警察に通報。
俺と相良は外壁を乗り越えて、外から玄関先に回った。外に黒いワンボックスカーが停まってたから、玄関にあった大きめの石をタイヤの前後に噛ませて、動かないようにした。
そしたらすぐに銃声が聞こえて、男が一人、飛び出してきたんだ。
巨大なアイドル姿に一瞬戸惑ったその隙を狙って、相良はその男の背後に入って、バックドロップを決めやがった」
「おお、伝家の宝刀だぜ?さすがにコンクリートの上じゃ死んじまうだろ?だから、ちゃんと、芝生に落としたんだぜ?」
「で、中に入って合流した、と言うわけだ」
「うん・・・中の様子は、さっき話したとおりだけど・・・」
「ああ。それが最善だったんだ。お前は、よくやったよ。でも・・・わからないことがあるな・・・先に中へと走った瞬矢と紫乃。あと、瞬矢は・・・誰にも気付かれないで、いつの間にか、犯人と紫音の後ろに回っていた・・・?」
「・・・聞こえたんだ」
不動堂が、顔を上げずに呟いた。
「聞こえた?」
「・・・誰も出入りしないはずの、玄関のドアが開いて、すぐに閉まる音。そして、そのすぐ後に、紫音ちゃんの小さな悲鳴が聞こえたんだ・・・」
「ボクも・・・でも、玄関の音じゃなくて、紫音の声だけでしたけど・・・」
紫乃も、紫音に寄り添ったまま、かすれた声で答えた。
「紫乃は、耳が異常に良いんだったな・・・でも、瞬矢、お前も、もしかして紫乃以上に耳が良いのか・・・?」
「わからない・・・昔から、人の噂とか陰口ばっか気にしてたからかな・・・聞かないように、聞かないようにって思っても、はっきりと聞こえてきたんだ。
ただの、俺の被害妄想かと思ってたけど・・・耳が、良かっただけなんだな・・・じゃあ、やっぱり、みんな・・・本当の、俺の悪口だったんだな・・・」
「瞬矢・・・」
「いや、良いんだ・・・そのおかげで、気付くことができたんだから。そして俺は・・・体質を使うことができたんだ・・・」
「・・・体質、だって!?」
「それって、誰にも気付かれないように、動くことができた・・・まるで、人の意識から外れたかのような、透明になったかのような・・・そんな、体質なの?」
「俺さ・・・天照奈ちゃんに人生を変えてもらう前、すごい過信を持っていた、だろ?そして、孤高こそ正義とか言ったり、人を見下したりとか・・・虚勢を、張ってたんだ。
そんな俺の周りには、友達はおろか、誰も寄ってこなかった。でも、自ら進んで孤独になったから仕方が無い、そう思い込んでいた。
実際は、心の奥底では『みんなと群れたい』『友達が欲しい』と思っていたんだろうな。
だけど、俺の過信は、いつもその本心をねじ曲げて、嘘をついていた。
『独りは格好良い』『群れるのは格好悪い』『友達なんていらない』。
最近になって、みんなと普通に、楽しく過ごせるようになって、変わる前の自分をちゃんと振り返れるようになった。
それで、思ったんだ・・・もしかすると、
『本心とは違うこと。ねじ曲げたもの、あるいは嘘が、体現される。そして、人に伝わる』
そんな体質を持っているんじゃないか、って。
考えてみた。
『孤高こそ格好良い』という嘘が、体現されて、まわりの皆に伝わった。
じゃあ、一人でいれば?みんながそう思ったに違いない。
『群れるヤツは格好悪い。弱い人間だ』という嘘が、体現されて、まわりの皆に伝わった。
じゃあ、誰もお前には近づかないからな?みんながそう思ったに違いない。
『一人が好きだ。誰も俺の存在に気付かなくても良い』という嘘が、体現されて、まわりの皆に伝わった。
誰も、俺の存在にすら気付かなくなった。
俺さ、みんなに言えなかったことがあるんだ。不幸自慢だって、みんなが話してくれるのに、やっぱり、恥ずかしくて言えなかったんだ。
・・・中学校の三年間、俺、みんなに無視されてたんだ。いや、無視どころか、誰にも相手にもされない、空気みたいな存在だった。
決定的だったのは、卒業式の日、最後にクラスで集合写真を撮ったときのことだ。
俺は、ねじ曲がった思いから、『群衆写真なんて、別に写らなくても良いや』と思った。そして、その群れから少し外れた位置で、眺めていた。
そしたら、誰も俺がその群れの中にいないことに、気付かなかった。明らかに外れていて、誰の目にも見える位置にいたのに。
『みんな写ってる?』『最後だから、みんな、笑顔でね!』『間違い無く全員写ってるよ!』。
俺は、シャッターを切るカメラの前を横切って、その場を後にした。
帰り道、歩きながら、三年間を振り返った。空っぽだった。何も無かったんだ。
でも、俺の過信はそのとき、それが『真の孤高』『格好良い』とねじ曲げた。
だけど、高校に入って、俺は変わることができた。まずは、裁が近づいてくれたことがきっかけだった。
裁、お前が本当の体質を教えてくれたとき、俺に近づいて発現されたものを予測しただろ?
『群れるのを我慢する』という思いが無くなった、って。
でも、たぶん、違うんだ。
『本心とは違うこと。ねじ曲げたもの、あるいは嘘が、体現される。また、人に伝わる』という体質が無効化されたんだ。
だから、俺はそのとき、初めて本心を体現することができたんだろう。
ほら、裁。お前も、俺が人と群れたいと思って他の教室に走った、と思ったんだろ?俺の本心が伝わったんだろう。
そして、天照奈ちゃんに人生を変えてもらってから。
俺は、本心のままに物事を考えて、体現して、人に伝えることができるようになった。本心とは違う、ねじ曲がった思いとか、嘘をつくことが無くなったんだ。だから、体質の事も、そうは思ったけど、ただの気のせいだ、とも思っていた。
でも、さっき・・・部屋に入って、男の一人に殴られて、地面にうつ伏せになって・・・それでも、俺は紫音ちゃんを、友達を助けたかった。
だから、俺を見て、俺のことを人質に取って欲しい。そう、本心から願った。でも、うつ伏せで倒れている俺なんかのそんな願いは叶わない。
そこで、ふと思ったんだ。もしもその体質が本当だったら、ここで、『友達より自分が大事だ』『だから早く逃げたい』『だから、誰も俺の存在に気付いてくれるな』という嘘をついたら、どうなるのだろうか。
どうせ何もできないなら、そんな嘘を全力で思い込んでみたら、と。
『逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい』
『だから気付くな、だから気付くな、だから気付くな・・・気付いてくれるな』
そう、思い続けた。
俺は這いつくばって、移動した。なんとか立ち上がって、紫音ちゃんに向かって歩いた。
・・・誰にも、気付かれなかった。
そう、本心と違うことが、嘘が体現されて、伝わったんだ。
でも最後、俺は紫音ちゃんの背後に立って、『友達を助けたい』という本心を、思ってしまった。
だから、たぶん、紫乃ちゃんに気付かれたんだろうな。でもそのおかげで、裁も俺の行動に合わせて動いてくれた・・・。
・・・・・・俺・・・怖かった・・・殺されると思った・・・でも、友達のためなら、死んでも良いかなって・・・そんな、ことを考えてた・・・でも、やっぱり、それは嘘だ。自分が一番大事なんだよ。だって、自分が助かって・・・本当に、良かったんだから・・・」
「不動堂くん・・・」
「瞬矢、お前・・・」
不動堂が特殊な体質を持っていたことに驚く者は、その場には一人もいなかった。
誰もが、不動堂の勇気に、そして、友達を想うその優しさに、心を打たれていた。
「ドードー、くん・・・?」
紫音が、俯いたまま、声を振り絞った。
「なんだい・・・紫音ちゃん?」
「・・・ありがとう・・・」
ただ一言だけ。
紫音は、不動堂にただ一言、お礼を言った。
その一言が、不動堂の恐怖を、嘘を拭い去った。
「俺・・・良かった・・・生きてるし。何より・・・紫音ちゃんが無事で・・・本当に良かった!」
紫音は、寄り添っていた紫乃の手を借りて立ち上がると、不動堂の元へと歩いた。
そして、紫音は不動堂に抱きつくと、泣き出した。
紫乃も、不動堂に抱きついた紫音に抱きついて、泣いた。
三人、声を出して、大声で、泣いた。
楽しかった時間が、一瞬にして壊された。
楽しかった思いが、ほんの数分の恐怖に、上書きされた。
誰の体質が呼び寄せたか。誰もそんなことは考えなかった。
いずれ起こり得る、そして今後も起こり得る災厄が、たまたま、今日、楽しかった時間の後に訪れただけだった。
裁の父は、『九人で話すことだ』と言った。
今後も起こり得る災厄への備えか、はたまた、ばらばらに行動すべきだ。そんなことを話せば良いのだろうか。
・・・ある者は思った。自分はまだ昼寝をしていて、これは、リアルな夢なのではないか、と。
・・・ある者は思った。全てが落ち着いたとき、
『・・・ぶふっ!あはははっ!じゃーん、実は、ドッキリでした!これこそが本当の『肝試し』なのですよ!・・・怖いから、天照奈ちゃん、今夜一緒におふ・・・』
と、紫乃が、いつもの調子で明るく言ってくれないものか、と。
だが、その出来事は、紛れもない事実だった。
誰もが、上書きされた思い、そして、今後も起こり得る災厄に、恐れを抱いてしまった瞬間だった。