154話 何も、無かった?
十六時ちょうど。
スケジュールどおりに一時間の昼寝を終えた面々は、目をこすりながらリビングに集まった。
ソファに座り、自身の勉強脳とタブレット端末を起動する。
「・・・勉強開始です。ほれっ、開始してください」
紫乃の気の抜けた号令がかかり、それぞれが勉強に取りかかろうとしたそのときだった。
『ビッビビビッビッ、ビッビッ』
別荘のインターホンが七回、ふざけたリズムで鳴った。
「きゃっ、たぶんわたし!きっとアレだよ!いっ、しょっ、うーっ!」
全員の視線が、タブレットから玄関に向かって女の子走りする紫音へと向けられた。
紫音が玄関のドアを開けると、そこには謎の巨体が仁王立ちしていた。
「ギャオス!!ほ、本物だよね!?やーん、とうとう会えた!本物の紫音たん!!」
その巨体、身長は百八十センチ後半で、体重は優に百キロを超えているだろう。そこに一切の贅肉は存在せず、肉体だけで言えば相良や裁に近い。
刈り上げた短髪に、あごひげ。目元は真っ黒いサングラスで隠されているが、何やら人に威圧感を与えるような、重厚感のある雰囲気を醸し出している。
だが、その服装。蛍光ピンクのタンクトップに、銀色に輝くベリーショートパンツ。
二度見した後にすぐ目を背け、人によってはモザイク処理が必要な、そんな格好をしていた。
年齢や性別という情報よりも、生物学的に何類に属するのか、いや、地球の生物かすら疑わしいその巨体。
頭部と体格から想像できる低い声で、服装から想像できるような、奇抜な言葉を発していた。
「ふふっ。初めまして。あと、いつも可愛い衣装をありがとう!」
「ギャボス!た、ただの挨拶でこの破壊力・・・・・・やーん、絶滅しちゃう!今日の衣装、わたしの遺作になるかもぉ!?」
巨体をくねらせて奇声を発するその人物に、リビングがざわついた。
「おい、なんだあの生命体は!?男か?おばさんか?いや、地球人か?」
「あら、良い反応をする男子がいるわね。ていうか、やーん、みんな見過ぎぃ!じゃあわたしもぉ・・・見る!」
その巨体は品定めをするように、リビングにいる七人を順番に見始めた。
「あら残念。超絶美少年はいないのね。・・・でも、ぐふふっ、女神ちゃん!久しぶりーっ!きゃーっ、相変わらず眩しい!まぶシャイン!
そしてそして、サイクロプッチャン!何、その真っ黒な全身タイツみたいなやつ!?えっ、黒サイクロプス?もしかして紫音たんが好きな黒きサイって・・・」
「はいはい、ひとまず衣装を運ぶぞ、地球外男おばさん!」
最高潮の興奮を見せる男おばさんの後ろから、裁の父が顔を覗かせた。
既に気配を察知していたのか。天照奈は昼寝の延長戦を始めたようだった。
だが、
「やっほー!裁、久しぶりー!」
さらに後ろから、裁の母親が顔を覗かせたのだ。
尊敬すべき対象と目を背けるべき対象を同時に捉えた天照奈。とった行動は、片眼だけ開ける、だった。
「天照奈ちゃんも久しぶり!あれ、どうしたの?片眼、痛いの?」
仁王立ちで品定めを続ける男おばさんを余所に、裁の両親と初対面の面々の挨拶が始まった。
「サイくんのお母さまですか!?はじめまして、東條紫乃と申します!」
「あらあら、本当に・・・噂以上に可愛い!」
「ふふっ、ありがとうございます!」
「でも、助平なんでしょ?」
「はいっ!えっ!?」
「わたしは、お父さまもお母さまも初めましてですね。紫乃の姉の紫音です!」
「おおっ!アイドルで、勉強が趣味で、付いてない方だな!」
「・・・そう、ですね。事実、ですね」
「あと、君が不動堂の息子だな?・・・って、おい!そんな海パンでうろついちゃダメじゃないか!逮捕するぞ?」
「!?」
初対面の相手の表情を激変、あるいは無にさせるという平常運転を見終えると、裁は父に問いかけた。
「何でお父さんがここに?しかも、お母さんも一緒なんて」
「・・・裁、お前のせいだぞ?この前の、ほら、例の電話の件。お前、もう一つ疑問があったはずだろ?何で電話してこなかったんだよ!
おかげであの後、美守に怒られただけで終わったんだぞ?その穴埋めで、今日は衣装配達のついでに海浜公園に・・・」
「それ、僕は悪くないよね?それに疑問って・・・あれでしょ?体質の・・・」
本当の体質を知らない人間がいるためか、大きな声では話すことができない裁。
そんな裁の反応を見て、裁の父はあきれた様子を見せた。
「何だ、お前・・・まだ話してないのか?友達には言っても良いんだぞ?いや、言うべきだろ」
「・・・そう、だよね。僕も、ずっと、言わなきゃとは思ってたんだけど・・・でも・・・」
「おい、裁。何の話だ?体質?」
「うん・・・僕の、本当の体質のことなんだ」
「・・・お前が教えてくれた、重度のアレルギー体質ってやつ。あれ、嘘なんだろ?」
「・・・え?」
「そりゃ、近くにいれば、さすがに気付くだろ。人に近づかないのは、何か他に原因があるから。そうだろ?」
「・・・うん。実は」
「ちょっと待った。俺たち、お前が自分から話してくれるまでは聞かないでおこうと思ってた。でも、予測くらいしても良いだろう?さっきも男四人でそのことを話したばかりなんだ」
「おお、そうだぜ!思えば相棒の周りでは不自然なことばっか起こるからな!」
「うん。一番は、今日も紫乃ちゃんの肌が何物にも覆われてないことだよね?」
裁のすぐ横、特等席に座る紫乃は、自分の姿を見て『あっ!』という声を発した。
今日は朝から頭部に何も付けずに、しかも普通に水着を着て、肌をしっかりと露出していたのだった。
「よくわかんねえけど、なんか、お前が俺に近づいたら・・・好青年になったらしいな。それってたぶん俺の本来の人格、だろ?」
「おお、ツナロウにまで勘づかれるとは・・・みんな、察しが良いのか、ボクたちの行動がおそまつだったのでしょうか」
さすがに、もう隠すことはできないし、隠す必要も無いと悟った裁。
まずは、不動堂が言う『予測』とやらを黙って聞くことにした。
「じゃあ、俺から代表して。お前さ・・・本当に、サイクロプスなんだろ?目に見えるのは仮のサイズ。本当は十倍以上の大きさなんだけど、そのサイズに凝縮されている。
その凝縮されたからだは、でも、周囲には、本来のサイズが持っている影響力が作用する。その怪力だってそうだよな?
そしてその大きいからだは、音柱みたいな役割も果たしていて、紫乃ちゃんに及ぶはずの音波を全て、代わりに受けてあげることもできる。そんな心優しいサイクロプスなんだろ?
そして、綱の件。綱は覚えてないと言うけど、実は一瞬だけ本当のサイズを見せて脅したんだろう。さすがの綱もびびって、ついつい好青年になってしまった。どうだ?」
「違うよ?」
「!?」
「不動堂くん、それ、さっきもみんなに即却下されたやつだよね?何でそれを話したの?あきらめようよ」
「ぶはははっ!さすが不動堂の息子だな!」
「じゃあ、僕から。これはちゃんと、みんなの意見をまとめたものだよ。
裁くん、たぶんだけど。人に、催眠術というか、暗示みたいなものをかけることができるんじゃない?意識的か無意識かはわからないけど。
紫乃ちゃんには、音で危害を受けないっていう体質だと思い込ませている。意識が変わるだけで体質まで変わるかはわからないけどね。
そして、綱くんには、本来の自分を出して良い、という暗示をかけた。
あと、相良くん、裁くんに近づいたのがきっかけで、学校で大きい方ができるようになったんだよね?」
「おお。中学校までは全力で我慢してたんだぜ?忍耐力を鍛えられて良かったけどな!今は毎日、堂々と解き放つ喜びを感じてるぜ?」
腹を抱えて笑いを堪えている父を横目に、裁は天照奈、そして紫乃を見た。
二人とも、小さく頷いて、優しい目で同意してくれた。
「うん。実はね・・・」
裁は、自分の本当の体質のこと、そして、その体質の周りで起きた出来事を全て話した。
「マジかよ・・・信じられないけど、でも、お前が言うんだから真実なんだろうな。裁・・・お前、自分自身が大きな責任を負う、大変な体質を抱えてたんだな。
俺たちに何かできるかはわからないけど、何でも言ってくれ!あ、『もう一回絶滅しろ』は無しな!」
「おお、相棒。お前は本当にすげえやつだぜ!でも相棒のその体格、その体質とは関係無いよな?」
「大変な体質だけど・・・紫乃ちゃんに『普通』を与える、運命的な体質なんだね!それに、裁くんならきっと、たくさんの人に普通を、希望を与えることができるよ!」
「俺はまだよくわからないけど、真っ直ぐで優しいお前なら、何でもできるだろうな」
「みんな・・・」
本当の体質を隠していたことを責めること無く、しかも信じがたい話を、温かく受け入れてくれた。
自然と涙が溢れる裁を見て、微笑んでいた天照奈は一瞬真面目な顔になり、何かを決意した。
「わたしも・・・みんなに言っていた体質は、嘘なの・・・」
天照奈も、自分の本当の体質を打ち明けた。
そして、その体質は、紫乃と同じように裁に近づくことで無効化するということも。
「天照奈ちゃん、その体質・・・最強じゃね?」
「おお、最強だけど、試合にはならないな!」
「国宝級に可愛いだけじゃないのか・・・すごいを通り越して恐ろしいな」
天照奈の体質に驚く不動堂、相良、綱の三人。
太一だけは真剣な表情で、何かを考えていた。
そして、小さく『そうか・・・』と呟いた。
二人の本当の体質を知り、自身が持っていた体質がなぜ消失したのかを理解したのだった。
すでに無くなった体質だし、何より今は、友達二人の体質を自分たちがどう受け取るか、どう助けることができるかを考えなければいけない状況なのだ。
それに、おそらく、
『太一よ、なぜ黙っていたのです!?上手く使えば、天照奈ちゃんと一緒にお風呂に入れたじゃないですか!』
と、紫乃に責められることは間違い無い。
だから、太一は、そのことをみんなに話すことはしなかった。
「でも、それじゃあ天照奈ちゃんに何かあっても、誰も助けることができない・・・そうか、だから裁くんがいつも近くに・・・一緒の部屋で暮らしているんだね?」
「うん。裁くんが近くにいてくれるだけで、わたしは、普通になれるの」
「天照奈ちゃん・・・」
常人なら昇天しかねないほどの天照奈の言葉、想い。
そして、皆の、普通じゃない体質を普通に受け入れてくれるという想い。
裁はそれらの想いを受け取って、新たな気持ちを抱いた。
「僕の、この体質・・・一部の人には『本当の普通』というものをあげることができる。でも、やっぱり、今気付いたよ。それももちろん大事だけど・・・。
普通を感じさせてくれる、みんなの存在が何より嬉しいし、心強いんだ!だから、みんな、ありがとう!」
裁の感謝の言葉に、その場にいた感動を覚える中。
「ぶおぉーん!何、この心温まる集い!?これは夢?まぼろしぃーっ?・・・そっか、わたし、紫音たんに会えて生涯を終えたのね!ここ、天国だったのね!」
男おばさんは、悲鳴にも似た声を上げると、仁王立ちのまま安らかな眠りに就いた。
「・・・こいつがいるの忘れてた・・・ま、まあ良いだろう。死人に口なし、ってことで!」
「いや、生きてるよね!?」
紫音が依頼した衣装は、黒いベールに隠されたまま、紫音の部屋へと運ばれた。
『もしかしたらサプライズライブでもしてくれるのかな?』
何も知らない男どもは、そんな期待を抱くような顔でそれをただ見ていた。
「よし、任務完了!じゃあ、俺たちは行くからな。近くのホテルを予約してるんだ」
「え、嘘、本当にこれだけ?意外なんだけど」
「おい、俺がいると何かに巻き込まれるとでも言いたいのか?」
『そうですが?』
裁を含む、巻き込まれたことのある三人は、大きく頷いていた。
「夜のビーチで美守のご機嫌取り・・・じゃなくて、イチャイチャしないといけないんだ。俺は忙しいんだぞ?」
「うん、さよなら」
「ああ。でも、なにその塩対応?・・・まあいい。じゃ、この遺体はここに安置していくからな。明日また引き取りに来る」
「えっ、嘘でしょ!?嫌だよこんな置物!」
「魔除けの効果があるらしいぞ?・・・こいつ、『きゃーっ、写真撮りまくるぞぃ!』って、車の中でずっとはしゃいでたからな。何かのスイッチが入ったら起きるだろ」
「・・・写真?・・・あぁっ、そうだわ。わたし、まだ、死ねないわ!真の目的はバーベキューにあり!・・・でも、安心して頂戴?時間を教えてくれれば、そのときだけお邪魔させてもらうわ。その他の時間は・・・ぐふふっ、夏のビーチが呼んでいる!」
突然復活した男おばさん、そして両親を見送ると、裁は、
「結局、何も無かったね・・・」
そう呟いた。
『何も、無かった?』
『相棒のすごい体質のことを聞いたぞ?』
『天照奈ちゃんが物理的にも無敵だって知ったけど?』
『未知の生命体に遭遇したよな?』
あり得ないことにまだ慣れていない四人。
裁の言葉に、目を見開き唖然としたのであった。