150話 ブーメランパンツから可愛いパンティがはみ出てる
「その年、剣道の全国大会に初めて出場した俺は、初戦で敗退した。技術面でも精神面でも、確実に上回っていた相手だった。
試合後に親父から指摘された敗因が、俺を変えるきっかけになった。
『お前の心には弱い部分がある。勝負に勝ちたいのなら、それを捨てることだ』
自分でも、その弱い部分には、ずっと前から気付いていた。
最初に抱いたのは、違和感だった。小学校に入ってすぐに、周りの男子と自分との間に、ちょっとした違いを感じ始めた。
周りの男子が『ヒーローもの』とか『格好良いもの』に憧れる中、俺は『可愛いもの』に憧れた。
周りの男子たちが『サッカー選手』とか『プロ野球選手』に憧れる中、俺は『ケーキ屋さん』に憧れた。
そんな違和感を感じて少したったある日。
クラスの中心的な男子グループが、一人の男子を大きな声でからかい始めた。
『俺のお母さんから聞いたんだけど。お前、家ではお人形遊びばっかやってるんだって?いっつも女子とばっか遊んでるし、本当は女の子なんじゃねえの?おい、ちゃんと付いてるか見てみようぜ!』
その男子は、クラスの数名に取り押さえられると、女子もいるみんなの目の前で、パンツを下ろされた。
女子たちは悲鳴をあげて手で顔を覆いつつも、指の隙間から、ちゃんと付いていたそれを覗き見ていた。
なぜかわからないが、その横で自ら下半身を露出する輩もいた。
今思えば、無理矢理露出させられた男子の方が立派だった気がする。
そんな事件があって、俺は、感じていた違和感を『決定的な違い』として認識した。
俺は、からだも中身も男だけど、心の一部に『女の子』を持っている。心の一部が女の子という、特殊な体質なんだ。
もしかしたら、パンツを下ろされていたのは自分だったかもしれない。
それから俺は、その体質を隠した。一人称を『ボク』から『俺』に変えた。父親のことを、『パパ』ではなく『お父さん』と呼ぶことにした。『可愛いものが好き』ということは、絶対に口にしないように気を付けた。
そして、親父からかけられた言葉。
俺の心にある弱い部分。それは、心の中の、女の子の部分だ。
俺は、試合に勝ちたかったし、強くなりたかった。それに・・・パンツを下ろされたくなかったし、馬鹿にされたくなかったんだ。
でも、ただ隠すだけではなく、捨てなければいけないだろう。
どうすれば捨てることができるか、考えた。生まれ持った体質を『捨てる』『無くす』ことはできないだろう。だから、『変える』ことにした。
まずは自分の中でイメージしやすくするために、その体質を、『弱い人格』と捉え直した。そしてその人格を、新たな『強い人格』で上書きすることにしたんだ。
以降、俺は父親のことを、『親父』、母親のことを『おふくろ』と呼ぶことにした。
『強いものが格好良い』、『弱いものは格好悪い』、そして、『可愛いは弱い』。そう思うことにしたんだ。
人格の上書きは、ただ、ひたすら我慢することだった。
服や文房具を選ぶときには、我慢して、ピンクじゃなくて青色のものを手に取った。ご飯を食べるときには、我慢して、デザートではなく肉を食べているときに嬉しい顔をした。我慢して、ヒーローもののアニメだけを観るようにした。我慢して、可愛いものを見下すようにした。
やがて、我慢しなくても、意識しなくても、それらができるようになっていた。
そして、次の年の全国大会。俺は、勝利・・・できなかった。
弱い人格は、強い人格に上書きされた。それは間違いなかった。でも、消すことはできなかったんだ。
イメージで言うと、弱い人格の上に真っ白い紙を貼って、そこに強い人格を描いた感じだろう。
強い人格が捲れてしまえば、そこには弱い人格が現れるんだ。
そして、その弱い人格は、過度の緊張や心に大きな揺らぎがあったときに現れることがわかった。
普段は、滅多に現れることがない。
でも・・・全国大会もそうだし、高校に転入したときも・・・東條と雛賀は、俺の自己紹介を覚えてるだろ?
ひどく緊張した俺は、自分のことを『ボク』、親父のことを『パパ』と言いそうになった。
まるで、弱い自分を変えたくて、転入先で高校デビューを目論むヤツに見えただろう・・・あれが本来の人格なんだ。
可愛いものが大好きで、弱くて、パンツを下ろされるのを怖がっている俺なんだ。
普段の俺は、強い人格を装った、ただの虚勢張り。情けないし、みっともないけど・・・でも、やっぱり、自分の人格を、体質を変えることはできないんだ・・・」
話を終えたのか。
綱は俯いたまま、手で顔を覆ってしまった。泣いてはいないだろうが、ひどく恥ずかしがっている様子だった。
話を聞いていた四人とも、おそらく同じ感想を持っていた。
だが、その感想をどう表現すべきか、綱にかける言葉を悩んで、口を開けないでいた。
紫乃以外は。
「ツナロウよ。あなたの言いたいことはよくわかりました。面を上げなさい」
「・・・ああ」
綱は、紫乃に言われたとおりに顔を上げた。
泣いてはいなかったが、その目は少し赤くなっていた。
「ツナロウよ。つまり、あなたは・・・『パンツは下ろすものではない。被るものだ』。そう言いたいのですね?」
「・・・・・・はぁ!?あの話をどう聞けばそんな解釈になるんだ!?」
「じゃあ・・・『金のブーメランパンツを履けば、笑われることはあっても、下ろされることはない』。ですね?」
「それ、ついさっきの不動堂のヤツで、俺の過去とは関係無いだろうが!恥ずかしい思いをして話したのに・・・お前らならわかってくれると思ったのに・・・」
「ちゃんと聞いてましたよ?そして、あなたにかける言葉もちゃんと考えました。でも、三通りもあって、どれを言おうか悩んでるんですよね・・・みんなもきっと同じでしょう」
「さ、三通りも!?」
「そうです。せっかくだから、三人の可愛い女の子から、一つずつ言ってあげますよ!」
「三通り全部言ってくれるのか!?」
「ええ。じゃあ、ボク、紫音、天照奈ちゃんの順で良いですね?」
裁も、紫乃が考えている言葉はわかっていた。そしてその言葉が綱に与える影響力の大きさも。
それは三つとも、ひどく厳しい言葉だ。不動堂なら絶滅しかねない。
女の子三人にそれを託すのは申し訳なかったが、少しでも傷を浅くしようという、紫乃の心遣いだろう。
天照奈と紫音は、紫乃を見て大きく頷いた。その表情から、覚悟はすでに決まっている、そう受け取ることができた。
紫乃は、大きく息を吸うと、心を無にして、言った。
紫音と天照奈も、それに続いた。
「ほぉ」
「ふーん」
「へぇ」
「・・・・・・ん?・・・え!?」
「おや、何か不満でも?」
「いや・・・え?・・・そ、そうか。そうだよな。かける言葉も無いほど、弱くて惨めなヤツだってことだよな、俺・・・」
「そうですね。弱すぎです。レベル一で、ぼっちで、僧侶なのに間違って斧を買っちゃって装備できなくて、結局素手で戦って全滅するくらい弱いです」
「・・・弱いし、ぼっち、か。何も言い返せないな」
「でも、せっかく話してくれたのに、あの反応はさすがに可哀想でしたかね。どれ、ボクから講評をしてあげましょう・・・その前に、天照奈ちゃん、今の話をまとめてもらえますか?長ったらしいので、簡潔にお願いしますね!」
「え、わたし!?・・・うん。えっと、『可愛いものが大好き。でもバレると恥ずかしい』。以上」
「え、俺のあの話、そんな簡単にまとまる!?」
「ふむ。完璧だけど、ツナロウが不満を垂れてますね。もっといじってほしい、そういうことですか?
では、仕方がありません。実はボク、まとめるのは苦手なのですが、一肌脱いであげますよ。いや・・・一パンツ下ろしてあげます」
『じゃあ、最初から紫乃ちゃんで良かったよね?』
『しかも、一パンツ下ろすって何?』
綱以外の三人は、同じつっこみを目で共有していた。
何かを下ろす仕草の後に、紫乃は目を細めた。
どうやら、切れ長の目をした綱を演じるつもりらしい。
紫乃は、綱の本来の人格を予想し、装い、まとめた。
「ボクちん、可愛いものがだーい好き!でも、みんなにバレるとパンツを下ろされるの刑に処されちゃう!だから、いつも心の中で可愛いパンティを被ってるんだ。
でもでも、いつかバレるかもしれないよね。よし、じゃあ、さらに金のブーメランパンツを被って、変っ身!
わぁ、すごい!誰もパンツを下ろそうとしないよ!でも、誰も、近づいても来ない・・・あれ?それに、ブーメランパンツから可愛いパンティがはみ出てる!?
ダメだぁ、隠しきれないよ!どうしたら良いのぉ!?」
「・・・まじかよ・・・さすがにここまで馬鹿にされると、俺も黙ってられねぇぞ?」
「あら、また何か不満でも?そうか、可愛いパンティを具体的に言うべきでしたか。そうですね、女の子向けアニメの主人公がプリントされたパンティにしましょう。金のブーメランパンツじゃなくて、戦隊ヒーローもののおパンツにしますか!」
「・・・もう良い。帰る」
綱は、自分のTシャツを手に取ると、肩にかけて、屋内に入るドアノブに手をかけた。
「待ちなさい・・・ごめんなさい。さすがにからかいすぎました。度が過ぎてしまったのは謝ります。でも、あなたに本当にかけるべき言葉を考えていたのです」
「あんな事言いながら考えることなんて知れてるだろ?帰るぞ」
「・・・だから、何?」
「あ?」
「だから何なの?って言ってるんですよ」
「何がだよ?」
「心に女の子がいる?だから何なの?」
「・・・だせぇだろうが。変だろうが。俺は男だぞ!?」
「ボクも男ですよ?」
「・・・いや、お前はどう見ても女だろ」
「あれ、言ってませんでしたっけ?ボク、男ですよ?見ますか?」
紫乃は、左手でワンピースのスカート部分を捲ると、股間を覆っている部分に右手をかけた。
天照奈は、素早く手で顔を覆った。だが展開が気になるのか、覆われたものが気になるのか、指には隙間が生じていた。
「・・・いや、良いよ。膨らみもあるし・・・何より、お前、嘘はつかないだろ?」
「悪い嘘は、ですけどね。ボクは、男だけど、中身も心も女の子です。何か問題でも?」
「お前は・・・可愛いから、良いだろう・・・」
「きゃっ、可愛いって言われた!嬉しい!」
「俺は・・・見てのとおり、男だ。女の格好をしたいとは思わない。女装した自分が可愛くないのがわかっているからな。
でも、こんな男が、可愛いものが好きだなんて言ったら、変だろう?変なヤツは排除の対象になるんだよ。笑われるんだよ」
「ほぉ。排除される?じゃあ、ボクは真っ先に、開始一秒で脳天打ち抜かれて死ぬでしょう。
笑われる?じゃあ、ボクの周りには、『死因、笑い』の死体の山が築かれることでしょう」
「だから、お前は可愛いから・・・」
「違います。いや、可愛いのは認めます。でも、ボク、人前では目出し帽ですよ?小学校、中学校と、目出し帽の中の、ボクのこの可愛い素顔を拝めた人は、ほとんどいません。
目出し帽を被った男が女の子の服を着て、女の子のしゃべり方をする。可愛いものこそ正義だと説く。
どんな扱いをされてきたか、想像がつくでしょう?」
「・・・でも、それはやっぱり、いざというときは素顔が可愛いって言えるから・・・」
「・・・もう・・・ずっと、ずっっと、あんたは、何を言ってるの?何をしてきたの?
好きなものを好きって言って何が悪いんですか!?
人の目が気になる?可愛いものが好きって言うと弱いと思われる?そんなの、ただ、あんたが弱いだけでしょうが!
あんたのお父さまが言ったのは、好きなものを、自信を持って好きと言えない弱さのことでしょ?
可愛いを馬鹿にするんじゃないですよ!」
ずっと我慢していたのか、いつも穏やかな紫乃は、感情を昂らせていた。
その迫力に、綱は何も言えず、ただ驚いた顔をしていた。