146話 普通という幸せ
裁の父によりもたらされた静寂の中、最初に口を開いたのは紫乃だった。
「あのサイパパ、今頃きっと、サイママに怒られてるでしょうね」
「そう、だね。僕の本当のお父さんのこと、お母さんにも秘密にしてたなんて・・・」
「でもさ、よく秘密を守れたよね、裁くんのお父さん」
「秘密は守るものだろ?普通じゃ・・・まあ、あの親父だもんな」
「もしかすると、あの、質より量の小ボケは秘密を隠すためにわざと・・・」
「無いですね」
「そんなことよりさ、裁くんのお父さん・・・あ、やっぱりいいや」
裁の父親に関わりたくない本能が働いたのか。天照奈は何かを言いかけてやめた。
だが裁には、天照奈が言いたいことがわかっていた。おそらく、裁自身も気になっていたことと同じだろう。
「もう一つの質問・・・だよね?」
「うん・・・」
「ああ、そういえば。サイくんが質問したとき、あのサイパパ、『どっちだ?』って言ってましたね」
「くくっ、格好良いこと言いたかっただけかもな」
裁の父のことがわかってきたのか。だんだんと扱いが変わってきた皇輝。過去に自分を助けてくれたセイギとは決別を済ませたらしい。
「たぶん、だけど。今日の出来事で特に大きい事柄が二つあったよね?」
「一族の当主、校長職のことを知りました」
「皇輝くんの体質を知った」
「うん。校長職のことを知って、僕は自分の体質、生い立ちに疑問を持った。お父さんも、上司・・・おじいさんに今日の出来事を聞いて、僕がその疑問を持つと推測した」
「・・・もしかすると、全部その上司の推測かもしれませんけどね」
「うん。だとしても、じゃあ、もう一つの疑問・・・皇輝くんの体質を知った上で持ち得る疑問・・・」
「わたし、わかりました!」
「早っ、さすが紫乃ちゃん!」
素直に目を輝かせる裁の横で、天照奈と皇輝は、何やら得意気な様子の紫乃に疑いの目を向けていた。
『皇輝の体質を使って、天照奈ちゃんとお風呂に入る良い方法ありますかね?』なんて言うに違いない。そう考えた天照奈。
俺の体質を使って、『天照奈ちゃんにまた水着を着せたりできますかね?』どうせそんなことを言うんだろう。そう考えた皇輝。
「三人の体質で悪を拭う。そう、わたしたちは円陣を組みました。でも、果たして三人の体質でどこまでやれるのか?そもそも、その体質、どこまで使えるのか?でしょう!」
「そ、そうか!新たに、三人揃っての検証が必要ってことだね!」
「です!例えば、サイくんの体質。別宅でのわたしたちのお風呂襲撃・・・んんっ、紫音との会話で出てきましたが。壁越しでも効果はあるのでしょうか?あと、二メートルの範囲って、前だけ?後ろも?それとも裁くんを中心とした球状?」
「おお、さすが紫乃ちゃん!って・・・あれ?二人とも、目を見開いて、どうしたの?」
「ふふっ!わたしの推測に驚いたのでしょう!見直したのでしょう!」
「・・・お、おお。お前も真面目な話できるんだなって、驚愕してたところだ」
「わたしも。でも、出会った頃の紫乃ちゃんてこんな感じだったよね・・・もしかして、実は裁くんに近づいて発現・・・?」
「ぐふっ・・・『可愛くて聡明な紫乃ちゃん』というイメージが、いつの間にか『可愛くておバカな紫乃ちゃん』に変わっていたようですね・・・さ、サイパパのせいです。きっとそうです!」
「お父さんに出会う前からこんな感じだった気が・・・と、とにかく。紫乃ちゃんの言うとおりだよ。僕たちは、自分の体質を正しく使うためにも、ちゃんと知らないといけない」
「そうだな・・・特に重要な裁の体質がよくわかっていないんじゃ、話にならな・・・って、お前、何で知らないんだよ!壁越しで効果あるとか?そんなのすぐに疑問に思うところだろ?」
「・・・面目ない。っていうか、四か月前にいきなりこの体質のこと知らされて・・・お父さんに少し教えられたのと、天照奈ちゃんと一緒に検証したけど・・・それに、迂闊に試せないし」
「そうだよね。裁くんが悪いわけじゃない。わたしだって、この体質がどこまで跳ね返すかわからないし。・・・まあ、悪いのは全部、詳しく教えてくれなかった裁くんのお父さんだよね」
「そうだな。悪い。・・・で、どうする?裁の親父に聞いてみるか?」
「癪に障りますけど、それが一番早いでしょうね」
「でもさ、『実は、俺も知りまっせーん!』て言いそうじゃない?」
「天照奈ちゃん、今の似てましたよ!もしかすると憎悪という感情は、お芝居を上手くするのでしょうか!?」
「憎悪!?・・・じゃ、じゃあさ。まずは僕たちだけで検証できることをしてみない?それでもわからないことがあれば、聞くっていうのはどう?」
「それですね!」
「うん!」
「よし。俺も暇をつくるから、やろう!」
「今日のところは遅くなったし。いろいろあって疲れたから、また今度だね」
「特に、裁くんは早く休んだ方が良いよ。いろいろ考えちゃって、眠れないかもしれないけど・・・」
「・・・天照台家のことで知りたいことがあったら、聞いてくれ。俺がわかることは教えるからな」
「わたしが添い寝してあげましょうか?・・・あ!名案があります!わたしと天照・・・」
「紫乃ちゃん。お泊まりグッズには先に帰ってもらったよね?」
「ぐっ・・・わ、わたし、汚れない体質なので、一日二日着替えなくとも・・・」
「紫乃ちゃんが汚れなくても、制服は汚れるよね?シワだってできちゃうよ?」
「ぐっ・・・あ、アイロ・・・」
「アイロン、使えるの?」
「ぐっ・・・あて」
「わたしの制服は貸しません!」
「ぐふっ・・・」
見慣れた光景、そして今日も惨敗した紫乃に、頭の中のスコアブックに黒星をつけた裁。
会話にかぶせるほどの察しの良さってこれか、と、すごいを通り越して恐れを抱く皇輝。
「あ、でもさ。もうすぐ夏休みだよね?学校があるときよりは集まりやすいんじゃない?」
「そう、だね。夏期講習も端末に配信されるみたいだから、自分の好きな時間に勉強できるもんね。じゃあ、皇輝くんのアルバイト次第かな?」
「ああ。実は俺、夏休みのバイトは決まってるんだ」
「ほお。プールで女の子の水着を監視するアレですか?」
「お前・・・違う、海で・・・」
「なぁんだ、海で女の子の水着を監視する方ですか!」
「何で水着の監視になるんだよ!超絶忙しい『海の家』があって、そこを手伝うんだよ!かなり時給が高いんだぞ?」
「ほお・・・料理ができない皇輝にできることがありますか?・・・ああ、売り子ですか。そのイケメンを買われた。そう言うことですね?」
「俺は料理をしない。でも、『しない』だけで『できない』というわけじゃない。むしろ『できすぎる』くらいにできるぞ」
「ぎゃーっ!あなた、体質以外に欠点無いじゃないですか!」
「欠点言うな!・・・くくっ、店の稼ぎで時給が上がるらしいからな。食材の工場生産が追い付かないくらい売って、稼いでやる!」
「海の家王に、俺はなる!ってやつですか・・・で、その海の家はどこにあるのです?」
「うん、ほら、最近整備された海浜公園があるだろ?」
「ああ、あそこですね。ふむ・・・ふふっ・・・」
紫乃は、あごに手をやると、何かを考え始めた。そしてにやけた。
「おい、冷やかしにくるなよ?・・・ああ、でも、東條家の資産で買い占めてくれるなら歓迎するがな」
「紫乃ちゃん?もしかして、『東條家の別荘が近くにあります。みんなでお泊まり会しませんか?』なんて考えてないよね?」
「ふふっ。答えは『ズボッシ!』です。皇輝がバイトするお店の売り上げに貢献するのと、海で遊ぶのと・・・バーベキューもしましょう!みんなで恋バナして・・・あ、別荘には大きなおふ・・・」
「わたし、海とか行ったこと無いんだよね。勝手なイメージだけど、紫乃ちゃんのお風呂計画みたいに治安が悪そうな・・・」
「僕も、こんな体質だから。海というか人の多いところに行ったことすら無いからなぁ・・・」
「だからです!社会勉強ですよ!特殊な体質?そんなの、夏の海の前では無効化されるのですよ!」
「いや、されないでしょ。紫乃ちゃん、ズタボロになって水死体で発見されるよ?」
「天照奈ちゃん、怖いこと言わないでください!・・・ふぅ、どうやら夏の海の魔力で思考回路が無力化されていたようです。落ち着くのです、わたし」
「でも、人が少ないところとか、時間帯とか?それなら僕も行ってみたいな、海」
「絶対にお風呂計画を企てないって誓うなら、わたしも行っても良いかな・・・」
「お風呂は諦めます。何と言っても水着が・・・おっと。よし、そうと決まれば、他の野郎共にも声をかけますからね!みんなの都合の良い日に、二泊三日くらいでしょうか」
「俺は住み込みで働くから、その別荘とやらには行けないぞ?」
「一日くらい良いでしょ?何ならあなたを一晩買ってあげますよ?」
「なんか変な言い方だな・・・まあ、前もって決めてくれれば、一日くらいは平気だろう」
「はい。じゃあ、明日、学校でみんなで決めましょう!行くぞ、海!おおっ!」
『体質の検証は!?』とつっこみをいれようとした裁。だが、夏の海の魔力とやらに無効化されてしまった。
『実はお風呂計画は布石で、真の目的は天照奈ちゃんの水着姿なのです!』と、にやける紫乃。
『水着か・・・海に入らなければ着なくても良いよね?』紫乃の企みには当然気づいていた天照奈。
『・・・はっ!もしかして、天照奈の水着が拝めるのか!?ていうか、天照奈の水着見たさに数億人が押し寄せるんじゃ・・・これは忙しくなりそうだぜ!』夏の海の魔力とやらに、思考回路にデバフがかかってしまった皇輝。
普通に、つっこみができる。
普通に、欲望のままにいられる。
普通に、ただ水着に着替えることに抵抗感を抱く。
普通に、好きな女の子の水着姿を思い描く。
そんな普通のこと。当たり前のこと。
今は実感できなくても、いつか思い返したときに、気づくだろう。
普通という幸せに。
――その頃、黒木家では。
「さ、裁から電話かかってくるから、な?怒る気持ちはよくわかる。でも、もうちょっと待ってくれ!」
「さっきからそればっかり・・・いつまで経っても電話来ないじゃない!」
「おかしいな・・・もう一つの疑問があるはずなのに・・・何やってんだあいつら!?」
夏の海の魔力とやらに、そんな疑問も洗い流されてしまったことなど、知るよしもない正義。
「そ、そうだ!今度、新しくできた海浜公園行こう!裁に、初めての海を見せてやろう!」
「なんでこんなときに海の話が出るの?今、海、関係無いよね?」
夏の海の魔力とやらが無効化された黒木家。
普通とは言えない焦り。
普通とは言えない怒り。
でも、普通じゃないことがあるから、普通を、より感じられるんだよな。
そう思った正義は、『黙って聞く』スイッチを入れたのだった。
『白銀美琴』はこれで終わりです。
次の章は『夏休み』を予定しています。引き続き、読んでもらえると嬉しいです。