145話 普通
動画の再生ボタンが押されると、画面が暗転し、そしてすぐに明るくなった。
そこには、真っ白い壁を背景に、大きめのベッドが映し出されていた。
ベッドの中央には、体を起こして座っている一人の男性。
そしてその横には、男性に寄り添うようにベッドに腰掛けた、一人の女性が映っていた。
男性は、裁から見ても、『何の特徴も無い普通の顔』をしていた。でもその顔は、ひどく青白いところを除けば、いつも鏡で見る自分の顔によく似ていた。
そして、女性。母の若い頃の写真を見せてもらったことがあるが、よく似ていた。目がぱっちりしていて、少し気の強そうな、でも優しそうな雰囲気を感じた。
「ほお、真のサイママ、美人さんですね・・・」
紫乃がそう呟いていたから、一般的に美人と呼ばれるような顔立ちをしているのだろう。
二人とも、硬い表情で、でも頑張って微笑もうとしているのが見て取れた。
三十秒くらい、静止画のような映像が続くと、
「ほら、写真じゃないんだから。何か話しなさい」
おそらく撮影している父の上司・・・祖父の声だろう。
その声に、まず女性が反応した。
「は、はい。こ、こんにちは。白銀美琴です。二十四歳、独身です。教師をやっています。これを見ているあなたの・・・母親です!」
本当の母と思われる女性の謎の自己紹介から始まると、次に、男性が口を開いた。
「ぼ、僕の名前は天照台瑞輝です。見た目は二十三歳だけど、生まれてからは七年と十一か月。つまり、七歳です」
どう見ても成人男性の見た目をした、本当の父と思われる男性。
だが、その話し方、そして話しているときの雰囲気からは、幼さを感じた。おそらく、本当の母が十一か月をかけて引き出した、本当の父本来の姿なのだろう。
「先生のお腹には、僕と先生の子供がいます」
「うん。これを見ている、君のことですよ!いえーい!」
カメラに慣れてきたのか、二人とも自然な表情で、楽しそうに話すようになった。
でもそこからは、子供ができたばかりの『夫婦』ではなく、『先生と生徒』のような、仲の良い雰囲気を感じた。
「これを見ているということは・・・先生から僕のことを聞いた、ということなんでしょうね」
「そうだね。未来のわたしが、本当のことを話したのでしょう。そう、あなたはわたしと瑞輝くんの子供。
わたし、たぶん、魅惑の未亡人シングルマザーとか言ってたでしょ?
そして、あなたのお父さんは『素敵な人だった』とだけ言っていたと思う。
ふふっ、どうだった?本当のお父さん・・・瑞輝くんのこと聞いてみて。
『嘘つけ!』ってつっこんだかな?わたしだって何も知らないでそんなこと聞かされたらそう思う。
でもね、瑞輝くんの周りでは、あり得ないことがあり得てしまうの。もしかしたら・・・あなたの周りも、そうなのかもしれないね。もちろん、良い意味でね!
・・・あ、もしかすると、わたしも死んでたりして!?交通事故とか病とか?もしそうだったら・・・『なんか知らない二人が現れたぞ!?』って戸惑うことでしょう。まあ、誰か・・・と言ってもお父さましかいないけど、わたしたちのことを教えてもらったことでしょう。
あなたがどんな体質を抱えているか、今のわたしたちにはわからない。
もしも、人に迷惑をかけるような、大変な体質に生まれてしまったら・・・ごめんなさい。全ての責任はわたしたちにあります」
「・・・僕の勝手なわがままです。先生は僕のわがままに付き合ってくれただけ。だから、責任は全て僕にあります。
でも僕は、その責任を先生に押しつけて、いなくなってしまう・・・本当に、勝手な・・・最後まで、人に迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
二人は、カメラに向かって頭を下げた。
「これから、わたしたちの想いをあなたに伝えます。あなたはきっと、わたしの想いを汲んで、良い子に育っていることでしょう。
でも、これは今のわたしたちの想い。ほら、もしかしたらわたしの想いは、欲にまみれて変わっちゃってるかもしれないしね!」
「僕の想いは、この映像でしか伝えることができません。・・・たぶん、僕のことを初めて知って、初めて見ることでしょう。ただの無責任な僕のことを父親だとは思えないでしょう。
でも・・・本当に勝手な父親で申し訳ないけど・・・想いを伝えたい。君は、僕の希望なんです」
「わたしたちの、ね!・・・何を伝えるか、いろいろ考えたの。どんな子供に育ってほしいか。でも、わたしたちはひとつだけ、決めた」
「・・・そう、ひとつだけ。『普通に生きてほしい』それだけです」
「『何を持って普通なのか』って思う?もしもそんな疑問を持ったなら・・・良かった!だって、普通に生きていれば、普通が当たり前だから、そう思うんだよね!
でも、もし・・・普通に生きていなければ、やっぱり、ごめんなさい。たぶん、そこにいるわたしも、大きな責任を感じているでしょう。もしかしたら丸坊主にしてるかもね!あ、わたしもここで頭刈る!?」
「僕も一緒に刈りますか?」
「あはははっ!でも、そんな光景見せられても困っちゃうよね!とにかく、わたしたちが望むこと。それは、あなたが普通に生きること。普通が一番の幸せなんだから・・・」
「もう一つ・・・無責任で、欲張りでごめんなさい・・・これは、体質ではなくて・・・先生みたいな子供に育ってほしいです。
僕は、普通に生きることができませんでした。でも、今は幸せです。君が生まれてくれるという希望を持った。先生からたくさんの正の感情をもらった。
先生から、幸せを・・・『普通』をもらったんです。だから、君も・・・君自身が普通に生きれないかもしれない。でも、先生みたいに・・・お母さんみたいに、人に普通を与えてほしい・・・」
「・・・だ、そうです。以上、わたしたちの『勝手に希望を言っちゃおうコーナー』でした!またね!」
「え、終わりですか!?」
「終わりでいいのか!?」
天照台家二人のツッコミと、手を振る本当の母の満面の笑みで、映像は終わった。
本当の父と母だという、二人の映像。
初めて見聞きする二人に対し、裁が初めに抱いた感情。
それは、『自分は、間違い無くこの二人から産まれた』という実感だった。
自分の両親は、育ててくれた二人。その気持ちは変わっていない。
ただ、映像の二人の『血を継いだ』という実感を持った。気持ちの何かが大きく変わったわけではない。でも、自分を守ってくれる温かくて強い何かが、心に宿った。そんな気がした。
映像が終わって、誰も、何も言葉を発さなかった。
おそらく、裁か、裁の父の言葉を待っているのだろう。
裁は考えていた。
本当の父と母が僕に伝えたかったこと。
それは、普通に生きてほしいということ。
そしてもう一つ。本当の父は、人に希望や正の感情ではなく、『普通』を与えてほしいと言った。
果たして、自分は二人の希望を叶えることができたのだろうか。
叶えることができるのだろうか。
「本当のお父さんとお母さんは、僕に『普通に生きること』を望んだ。でも僕は・・・普通には生きることはできない。
この体質のせいで、本当のお母さん、その他、何人もの人の命を、普通を奪った。その責任を負って、そして、この体質を持った意味を果たすために、生きなければいけないんだ。
だから、本当のお父さんお母さんには、ごめんなさい。
僕のお父さんとお母さんは、僕に普通を与えてくれた。体質が特殊すぎたけど、それでも、普通に近い生活を送ることができた。美魔女スタイルも、人に二メートル近づけないのも、僕にとっては普通に思えるようになっていたんだ。
だから、二人には、ありがとう。
そして、僕には普通を与えてくれる友達もできた。みんな、こんな僕と普通に接してくれる。いや、普通以上の喜び、楽しさを与えてくれるんだ。
だから、みんなにも、ありがとう。
そして僕は・・・普通ではないけど、幸せです。こんな僕を産んでくれて、育ててくれて、見守ってくれて、ありがとう」
自然と溢れた涙を手で拭いながら、裁はそのときの想いを伝えた。
その場にいた友達三人、そして電話先から二人も涙を流しているのがわかった。
「裁、俺は誇らしい。こんな立派な子供に育ってくれて・・・よほど俺の育て方が良かったんだな・・・」
「・・・血統が良かったんでしょう。サイクロプスに育てたことだけは余計ですが・・・」
「想いが、ちゃんと伝わったんだね・・・本当のご両親の。あと、美守さんの」
「こんな従兄弟がいたなんて・・・俺も嬉しいぞ」
「お姉ちゃん、見てる?何この良い子・・・お姉ちゃんの子供は、こんな立派に育ったよ・・・」
みんなが、思い思いの言葉を述べた。
育ててくれた両親、そして遠くで血の繋がった三人。
みんなが、優しい目で裁を包み込んでくれていた。
「裁・・・美琴が命を絶ってしまったのは、それは俺たちの責任だ。でも・・・美琴がもう少し生きることができたら・・・瑞輝くんがもう少し、あと一年長く生きていたら・・・きっと、変わっていただろう。希望を持っただろうな。二人ともまだ生きていたかもしれない。お前の横で、一緒に映像を見て、笑っていたかもしれない」
父は、珍しく『たられば』を言った。
「お前は、普通に生きることができない。それは、その体質を普通にできなかった俺たちの責任だ。
でもな、裁。お前は、人に普通を与えている!
だって、そうだろ?もしも瑞輝くんが生きていたら・・・お前のその体質は、瑞輝くんを普通にしていたんだ。
寿命のことはわからない。でも、瑞輝くんは、お前の近くにいるだけで、人と同じ時間を歩むことができた。
美琴だって、それを知りさえすれば・・・生まれてきたお前に、希望という強い感情しか持たなければ・・・」
「・・・体質の・・・無効化・・・?」
「そうだ。二人が望んだのは、お前が人に普通に接して、人に普通を『感じさせる』ということ。
でもな、そんなもんじゃない。お前は、本当の普通を、文字どおり『与える』ことができるんだ!」
「・・・うん。裁くんは、わたしに普通を与えてくれる。裁くんがいてくれれば、わたしは、普通に人からの接触を受けることができる」
「わたしは、普通にこの可愛いすぎる顔を、素肌を晒せます。裁くんがいてくれれば、音波で傷つくことがないんです」
「俺も、普通に感情を表現できる。お前が近くにいれば、俺の感情が伝染することがないんだから」
「みんな・・・」
「聞いたろ、裁?お前は、みんなの希望だ。だから、胸を張って、生きてくれ!そして、校長になってくれ!」
「うん・・・みんなありがとう・・・僕・・・えっ!?校長!?」
「あれ、嫌か?」
「嫌というか・・・いや、この流れで校長の話!?」
「この流れだからするんだろうが!考えて見ろ。お前が普通に生活するには・・・お前、何の職業に就くつもりだ?迂闊に人に近づけない、その体質で?」
「・・・この前ようやく高校進学のことを聞かされて、将来のことなんて考えてないよ。悪に立ち向かうっていう、ざっくりとしたことしか考えてなかった」
「だろ?校長なんて、たまに『くくっ』って笑うだけで、きっと、人との接触は無いだろ?個人端末の音声を管理するだけで、悪に立ち向かう仕事もできるんじゃないか?」
「校長職を馬鹿にしすぎじゃない?いや、詳しくは知らないけど・・・」
「というわけで。校長先生、うちの裁を推しますので、よろしくお願いします。・・・あ、天照奈ちゃんと紫乃ちゃん、あと皇輝くんはこれでいいのか?校長やりたいか?」
「サイパパが決めることじゃないですよね?まあ、わたしは東條グループの社長になりますので、お構いなく」
「わたし、まだ何も考えてないけど、校長以外の職業が良いな」
「俺も、校長には絶対になりません」
「天照奈ちゃんには裁のお嫁・・・んんっ。たしかに俺に決定権は無いからな。ここで大きな声を出すのと、あとは上司にごまをするくらいしかできない。
・・・よし、以上。俺の『裁の素性を話しちゃうぞコーナー』は終了!じゃあ、解散!」
父との通話が一方的に切られた。
『ツー、ツー』という電話の音を背景に、
『似た者夫婦か!』という、四人のつっこみが、静かな部屋に響いた。