144話 君より、俺の方がもっとずるい
わたしは、瑞輝くんの顔を見た。
『血を継いで欲しい』とだけ言った瑞輝くん。
わたしがそれを了承すれば、子供ができると教えられた瑞輝くん。
わたしの答えは決まっていた。
でも、この答えを口にするための様々な想い、決意のことは、瑞輝くんは知らないだろう。
そしてもちろん、この想いの本当の重さも。
だけど、わたしが了承することで、瑞輝くんは希望を持つことができる。そして、きっと、満面の笑みで喜んでくれることだろう。
わたしは、その笑顔を思い浮かべると、微笑んで、頷いた。
「わかりました。先生が、あなたの想いを継いであげましょう!」
「ほ、本当に?」
「本当です!だから・・・子供の顔、一緒に見よう?」
「・・・頑張る・・・先生、僕、頑張るよ・・・それで、子供はいつ産まれるの?明日?明後日?」
「・・・・・・」
瑞輝くんのこの問いも、予想はしていた。
本当の期間を伝えてしまうと、『子供の顔は見れないな』と、諦めてしまうかもしれない。
でも、わたしは、それがたとえ『善い嘘』だとしても、瑞輝くんに嘘をつきたくなかった。
「ねえ、瑞輝くん。朝顔の観察日記、つけてもらったよね?種を植えて、芽が出て、花が咲いた」
「はい。・・・ああ、そうですよね。朝顔も、花が咲くまで二か月近くかかった。人間の花が咲く・・・子供ができるにはもっと時間がかかるんですね?」
「・・・うん」
「やっぱり、子供の顔を見るのは難しいみたいですね。・・・でも、朝顔のことを思い出して、やっぱり、希望が持てました」
「希望?」
「はい。朝顔に水をあげて、大切に育てました。芽が出て、とても綺麗な花が咲いた。それを見たとき、とても嬉しかった。枯れてしまったら悲しかったけど、種が残りました。来年植えて、大切に育てれば、また綺麗な花が咲いて、嬉しいという感情も生まれる。人も、同じなんですね」
「うん・・・瑞輝くんとわたしの子供の種。大切に育てて、花を咲かせようね!」
「はい!」
生きたいという願望。そして、自分の子供への希望を強く抱いたその日。
瑞輝くんは亡くなった。
四月二日。
瑞輝くんの見た目年齢がわたしと同い年になるはずだったその日。
わたしは病院で人工受精の手術を受けた。
――「そして今・・・妊娠三週間、というわけです」
「無事に芽が出た、と。それは良かった。楽しみだな!でも、せっかく希望の学校に来たのに、休むことになるな」
「・・・わたし、嘘をつきました。この近くの小学校に転任したって。この四月から、好きなところに赴任できると言われて、わたしはずっと、どこが良いかを考えていました。
瑞輝くんの血を継ぐなんて話が出るずっと前に、その答えは出ていました。瑞輝くんがもっと長く生きることができるかもしれない。そう思ってわたし、一年間『休職』することにしたんです。
都合が良かったですよね?もしかするとわたしも、勘が鋭いのかもしれないですね!」
「そっか・・・でも、子供を産んで、一人で育てるのは・・・その、大変だろうな」
「ふふっ。そうですね、シングルマザーですからね。でも、わかっていたことですから」
「・・・よし!わかった。良いぞ?」
「・・・え?何が良いんですか?」
「俺も一緒に育てる!」
「・・・え?」
「これはきっと運命なんだよ。あの日、俺が瑞輝くんと出会ったこと。君と出会ったこと。俺の上司もそう思ったに違いない。
だから、俺と君を再会させたんだろう。もしかしたら、俺に瑞輝くんの話をするように言われたんじゃないか?」
「・・・ええ。でも・・・わたし、黒木さんには助けてもらってばっかりになってしまう。わたしから、あなたに返せるものなんて何も無いのに・・・」
「何を言ってるんだ。君と瑞輝くんの種・・・花が咲く喜び、希望をわけてもらえるんだぞ?すごいことじゃないか。ああ、楽しみだな!」
「・・・本当に、不思議な人ですね。わたし、実はあなたのこと、思い出したんじゃなくて、ずっと気になっていたんです。
妊娠がわかって、わたしは瑞輝くんのお父さま・・・あなたの上司にあなたのことを聞いてみました。警察官と聞いていたので、もしかしたら知ってるかなと思って。
そしたら、『くくっ』って笑って、すぐにこの場を設けてくれました。たしかに、瑞輝くんのことをあなたに話すように言ったのは、お父さまです。でも、お父さまは、こう付け加えました。
『あのときの出会いは、瑞輝にとっても、君にとっても運命的なものだったようだな』って。
・・・ずるいですよね、わたし。
だって、こんな話をすれば、きっと、あなたはわたしを助けてくれる。それがわかっていて、わたしはあなたに話をしたんです。
でも、お父さまの言うとおり、あなたとの出会いは運命的だった。不思議な雰囲気を持つあなたと、もう一度会いたいと思った。それは本当です。
きっと、瑞輝くんも、そう思っていたでしょう。わたしたちにとって、あなたは悪人から救ってくれた、正義のヒーローなんです。
あなたの言うとおり、あのときのことを思い返すと怖くて・・・でも、『後頭部にトスッ』を思い出すたびに、あなたの顔を思い出すたびに・・・。
わたしは、あなたに救われました。ずっと、何回も、わたしはあなたに救われているんです。だから、ありがとう。そして、わたし・・・あなたのことが」
「ちょっと待った!」
「・・・」
「・・・実は、俺も君のことをずっと気にしていた。俺にとっても運命的な出会いだったんだ。君が自分をずるいというのは、自由だ。
でも、それなら、俺もずるい。いや、君より、俺の方がもっとずるいぞ?お腹の子供を一緒に育てることで、喜びを分けてもらえる。そう思ったのは本当だ。
でも、それと同じくらい、『一緒の時間を過ごせるぞ!ウッシャッシャ!』と思ったんだ」
「・・・あなたは、人に希望を与えてくれる、不思議な人です。素敵な方です。でも、わたしは違う。何の取り柄も無いただの女です」
「俺にとっては、違う。君が俺に何かを感じてくれたように、俺も君に運命的なものを感じた。君の、人を包み込むような温かい雰囲気を感じた。その目に宿る強さと優しさを感じた。その見た目に宿る美貌を感じた・・・ああ、美貌はここでは余計だったか。
とにかく、俺は、君が好きだ!」
「・・・わたしもです」
美琴は、手で顔を覆うと、泣き出してしまった。
「ずるい俺から、もう一つずるい話をして良いか?」
美琴は泣いたまま、小さく頷いた。
「オセロ・・・君の白を、俺の黒に変えても良いか?」
美琴は、顔を上げて、真っ赤な目で真っ直ぐに俺を見て、大きく頷いた。
その後すぐ、俺と美琴は入籍した。
出会って二回目。時間にすれば出会ってから二時間くらいだったろう。
美琴は、妊娠のことをまだ誰にも話していなかった。
家族にも本当のことは話さずに、何と言い訳をしようか考えていたところだったようだ。
俺たちは、嘘をつくことにした。
美琴のお腹にいるのは、俺との子供。順序が逆になってしまったから、言わば、『できちゃった結婚です!』ってな。
よほど美琴のことを信用していたんだろう、美琴の両親は、泣いて喜んでくれた。
美琴の妹・・・美守の俺を見る目つきが気になったけど、後の言動から察するに、俺に一目惚れをしていたんだろう。
俺は、と言えば、親父にひどく怒られた。
でも、美琴にはずっと鼻の下を伸ばしてデレデレしてたな、あの親父め。
俺の上司は、こんな展開になることを読んでいたんだろう。
それでも、これまで見たことが無いくらい喜んでくれた。
一年前のあの事件。息子を助けたあのとき以上に。
と言うわけで、回想は終わりだ。
このことを知っていたのは、俺と美琴、そして上司だけ。
美守にも言っていなかった。その後、お前が生まれてからのことは、前に話したとおりだ。そこに嘘は無い」
いつもなら人に無表情しか与えない、裁の父親の話に、聞いていた四人全員が涙を流していた。
電話先からも鼻をすするような音が聞こえるから、おそらく裁の母親も泣いているのだろう。
「重い話をよくもまあ、あんなにも軽く話せますね、この人は・・・ぐすっ・・・」
「裁、お前、俺の従兄弟だったのか・・・くそっ、涙が・・・」
「裁くん、お父さんと血が繋がってなかったんだね・・・どおりで・・・うぅっ・・・」
「裁が何でツッコミ属性かわかったよ・・・うぅ・・・でも、姉さん、何で教えてくれなかったの?」
「・・・それでも、僕は・・・僕にとってのお父さんお母さんは、二人だからね・・・うぅ」
「ウッシャッシャ!みんな、感動しただろう?」
きっと、父は人差し指で鼻の下をこすっているに違いない。そんな得意げな顔を思い浮かべながら、裁は鼻をすすっていた。
「裁、この話だけど・・・校長も知らなかったはずだ。でも、お前たちが持ってる個人端末で、俺の話を聞いただろうな」
「そう、だね・・・」
「裁よ。お前、一気に校長候補筆頭だな!ウッシャッシャ!」
「・・・部外者だと思ったら、一族だったんだもんね」
「そうなんだよな!ああ、でも・・・一族じゃない人が校長になるには、たぶん、一族の誰かとの結婚、そして子供をつくるのが条件だったんじゃないか?・・・惜しいことしたな」
「何の話!?」
「ああ、『女神』と結婚する大義名分を失った、ということですね?」
「さすがは紫乃ちゃん!」
「おい、『女神』ってもしかして・・・」
「はい、皇輝、ストップです。そこら辺の話は後で、二人で話しましょう」
「・・・あと、鋭意号泣中に悪いんだが。まだあるんだ。脱水症状にならないよう、水分補給をしてから挑んでくれたまえ」
「・・・挑むって、何に?」
「皇輝くん。君が盗んで・・・持ってきた大荷物の中にノートパソコンが入っているだろう?」
「・・・俺が中学校のときに使ってた、俺のパソコンですけど?」
「上司もこの展開を予想してたらしくてな、あらかじめDVDを入れてたらしいぞ?」
皇輝は立ち上がると、一人、裁の部屋へと向かい、そしてすぐにノートパソコンを手に戻ってきた。
「上司が言うには、美琴と瑞輝くんの映像が入っているらしい」
「映像・・・これ、お父さんは見たことあるの?」
「無い。美琴からはその存在だけは聞いていた。『この子がもしも天照台家に関わることになったら、見せてあげるんだ!』って言ってたな。
俺も内容が気になりすぎて、隠れて見てやろうと思って探したんだが。遂に今日まで見つけることはできなかった。まさか上司が持ってたとはな。
聞いたけど、瑞輝くんが息を引き取る直前に、上司が撮った映像らしい」
本当の母親のことを知ったのは、四か月前のこと。
話を聞いただけで、写真などは見せられていなかった。
そして、今日知らされた本当の父親のこと。
話を聞いたからと言って、自分にとっての両親は、育ててくれた二人だけ。
だから、今さら本当の両親を見ても、その気持ちは変わらないだろう。
でも、もしかすると、本当の両親を見たら、何か感じることがあるかもしれない。
真剣な顔で、そんなことを考えていた裁。
「間違えてエッチなDVDが入ってた。なんてオチはやめてくださいね」
「それ、面白いな!一緒に隠し持ってたエッチな方を入れちゃった!ってか?」
紫乃と父が何やら変な会話をしていたが、今の裁にはそれにつっこむ余裕は無かった。
何やらしかめ面の皇輝が動画を再生してくれるのを、ただ、待っていた。