143話 最初のお願い
十二月二日。
見た目年齢が二十三歳になった瑞輝くん。
と言っても、見た目の変化はほとんど見られなかった。でも、挙動や雰囲気、特に表情は目に見えて変わってきていた。
そして、体調の変化も・・・。
寒さが関係しているのか、瑞輝くんは体調を崩しやすくなった。
咳が出て、胸が苦しくなるらしい。
十二月の欠席日数が五日目になったある日のこと。
天照台家にお見舞いに行くと、いつものように厳重な門が開けられて、瑞輝くんの部屋に案内された。
そこには珍しく、瑞輝くんの父親の姿があった。
「ああ、先生。久しぶりだな」
「お久しぶりです。瑞輝くんの具合、どうですか?」
「ああ。暖かいところで安静にしていれば、比較的平気みたいだな」
「・・・あの、思ったんですけど」
「この部屋で授業をすれば良いんじゃないか?だろう?」
「・・・はい。あの教室でやる必要は無いと思うんです」
「・・・そうだな。初めのうちは、『小学校の教室』で授業を受けることに意義があったが・・・今は、残り限られた時間、先生の授業を受けることの方が大切だ。そうだな、ここで、授業をしてくれるか?」
「もちろんです!わたしも暖かい環境の方が良いので・・・」
その日以降、わたしは天照台家の、瑞輝くんの部屋に通い、授業をすることになった。
顔パスが通用しないその家では、毎回厳重なチェックを受けた。
初めのうちは、家に行くたびに胃の痛みを覚えていたけど、だんだんとそんな環境にも慣れてきた。
いつも真新しい靴下を履くよう気を使っていたけど、慣れてからは、穴が空いていても笑ってごまかせるくらいにはなっていたのだ。
そして、三月になった。
瑞輝くんとの授業も、あと一か月。そして、瑞輝くんの寿命も・・・
お医者さんからは、今月を乗りきれる確率は極めて低いと言われたらしい。
瑞輝くんの顔色は、ゲームの敵で出てくる一つ目の巨人のように、どんどん青くなっていった。
わたしも、そんな瑞輝くん相手に授業をやるような鬼の心は持っていなかった。
二月の中旬くらいからは、授業ではなく、ただ会話をするために通っていたのだ。
会話と言ってもその多くは、わたしからの、昨年度教えた生徒たちの話だった。
瑞輝くんはその話を、目を閉じて、頷いて、たまに微笑みながら聞いていた。
でも、その日は違った。
瑞輝くんから、『話がある』と言ってきたのだ。
「先生・・・今まで、ありがとうざいました」
「何を言ってるの?まだ、一年経ってないでしょ?」
「たぶん、意識を保って話せるのは、あと二、三日くらいだと思います。もしかしたら、今日までかもしれない。だから、先生に話したいことを話しておきます。・・・ふふっ、念のためです」
「・・・よろしい。聞いてあげましょう。終わる終わる詐欺みたいなヤツで、変なお願いしてもダメだからね?」
「何ですか、その詐欺・・・でも・・・変なお願い、か・・・しても良いですか?」
「えっ!?・・・でも、瑞輝くん、お願いなんてしたことないから・・・少しのことなら多めに見てあげましょう!」
「最後の、お願いです」
「最初の、でしょ?」
「ふふっ・・・先生、今日は、スカートじゃ無いんですね・・・」
「・・・まさか、捲りたかった!?」
「あはははっ!・・・それは、最後のお願いにしたいと思います。僕がいよいよのときは、スカートで来て下さいね!」
「・・・前向きに検討させていただきます。それで・・・最初のお願いは?」
「・・・僕の血を・・・継ぎたいんです・・・」
「血を、注ぎたい?飲んで欲しいってことじゃないよね?」
本当は、わかっていた。
瑞輝くんは、自分の血を・・・一族としての血を継ぎたい。
自分の想いを後継者に託したい、そう言っているのだ。
瑞輝くんの口から、そのお願いが出ることは予想していた。
つい先日、瑞輝くんのお父さんと二人で話す機会があった。そのときに聞いたのだ。
天照台家のことを。
――「まず言っておくが。この話は、あくまでもわたしの推測だ。校長職にふさわしくないわたしには、本当のことを告げられていないのでね。でもまあ、実の弟が校長なんだ。そんな身近な存在だから、聞かなくてもわかるだろう?
わたしは、一族の当主、校長にはなれなかった。なりたいわけではなかったし、なれなくて良かったと思っている。
一族・・・天照台家からはね、『特殊な体質』を持つ子供が生まれる可能性が高いんだ。
わたしもね、実は右目が見えない。代わりに、左目の視力が十二.〇もある。・・・すまん、嘘だ。本当は十.〇だ。
当主・・・校長にふさわしいとされる条件の一つが、この『特殊な体質』なのだろう。
でも、わたしは条件を満たしていない。つまり、もう一つ必要なものがあるんだ。
でも、それが何なのかは、今のこの話には関係無いから、省略させてもらう。
校長職に必要なのは、おそらく、その『もう一つの条件』の方だけ。
じゃあ、『特殊な体質』は何なのか。
それを持った人間は、『特殊な体質』『もう一つの条件』のいずれか、あるいは両方を持つ『後継に恵まれる』可能性が高いとされているんだ。と、思っている。
君は、『そんな、デメリットもあるような体質を継ぐ必要があるのか?』そう思うことだろう。
わたしだって、そう思う。
だけど、継いだ者にだけわかり得る、想いがあるのだろう、とわたしは思っている」
「・・・想い、ですか?」
「ああ。おそらく、『希望』だろう」
「希望・・・?」
「・・・歴代の当主。校長のほとんどが、大きなデメリットを抱えて生きてきたという。皆が例外無く、人に迷惑をかけて、何かを我慢して、生きてきた。
だが、まわりにはいつも、その迷惑を、負担を受け持ってくれる人間がいてくれた。
そんな、『友人や配偶者に恵まれる』という素質も兼ね備えていたのだろう。
でも、校長になったからといって、何かを達成できたり、人に喜びを与えるようなこと。それはたぶん、無い。
逆に、いつもまわりの人に迷惑をかけて、まわりの人から希望を分けてもらって、生きているんだ。
そんな中で、唯一の希望。
それは、一族の血を継ぐこと、なのだろう。全く同じ体質しか継がれないのであれば、とっくにそんな血は途絶えていたに違いない。
でも、その体質は、皆それぞれ、異なった。デメリットだけのときも、メリットだけのときもあった。
特殊性が弱かったり、強かったり。人にかける迷惑が極めて大きかったり、比較的小さかったり。
もしかしたら、まわりに迷惑をかけない、メリットだけの体質が生まれるかもしれない。
もしかしたら、希望だけを与えることができる体質が生まれるかもしれない。
そんな希望を持っているんだろう。
瑞輝も、弟に・・・今の校長に、一族の話を聞かされたはずだ。
でも、おそらく話を聞かされただけで、校長職を継ぐ継がないの話はしなかったはずだ。寿命があるのだからね。
でも、瑞輝は思ったはずだ。
自分も、血を継ぐことで、人に希望を与えることができるかもしれない、と。
瑞輝はわたしに聞いてきたよ。
『どうしたら血を継ぐことができるのか?』ってな。
子供をつくる必要がある、とわたしは答えた。
瑞輝は、『どうしたら子供をつくれるのか?』と聞いてきた。
・・・知識を与えることはできた。もちろん、瑞輝も理解できただろう。でも、七歳の子供にそんな話をしたいとは思わなかった。
だから・・・わたしは嘘をついた。
『女の人と手を繋ぐんだ。すると、その女の人のお腹には、二人の子供の種ができる。そして、女の人が、子供を産むという意思を持つと、その種から芽が生えて、育って、花が咲く。それが、二人の子供になる』
『僕・・・先生と、握手をした。じゃあ、もしかしたら・・・先生が、僕の血を継いでくれるって言ったら・・・?』
気休めのつもりで言った嘘。
瑞輝の命は限られている。
せめて、『先生がお前の子供を産んでくれる』という希望を持って最後を迎えることができたら。
そんなことを考えて・・・わたしは、瑞輝に、初めて嘘をついた」
「・・・わたしが同じ立場なら、同じような嘘をついたかもしれません。きっと、これは善い嘘なんだって、そう思い込んで・・・」
「たぶん、瑞輝は校長に、こうも言われたんじゃないだろうか。
『しかし、勿体無いな。体質の特殊性が強ければ強いほど、より良い後継に恵まれると聞く。でも、後継をつくれない特殊な体質が生まれるなど、誰が思っただろうか』とね」
「・・・わたしは、あなたたち、天照台家のことは知りません。一族の想いなど知りません。
でも、瑞輝くんの想いは・・・わかることができます。瑞輝くんはよく、わたしに言っていました。
『迷惑ばかりかけてごめんなさい』
『先生に何か返せれば良いのに』
『先生に・・・人に、喜びを、希望を与えることができたら、どんなに嬉しいだろう』って」
「・・・先生のおかげで、瑞輝は嬉しいときに笑うようになった。嬉しいときに『嬉しい』と言うようになった」
「・・・はい。そんな瑞輝くんを見て、わたしも嬉しかった。だから、わたしはいつもこう返していました。
『わたしは瑞輝くんから、いつもたくさんもらっているよ!』
『瑞輝くんが嬉しい顔をしたら、わたしも嬉しい!』
『瑞輝くんが楽しい顔をしたら、わたしも楽しい!』って。
でも、あるとき、瑞輝くんは言いました。
『それは、すごく嬉しい・・・でも、じゃあ・・・先生、僕がいなくなったら・・・悲しい?』って。
わたし、もちろん悲しいけど、そこで悲しいって答えて良いのか、わからなかった。
いつも心の中にいるよ、なんて言葉をかけても良かったかもしれない。
・・・でも、わたしは何も言えなかった。
そんなわたしに、瑞輝くんはこう言いました。
『先生の悲しみを上書きできるほどの喜び、希望。そんなのを与えられないかな・・・なんてね!』って」
「・・・」
「お父さま、なぜそんな話を、わたしにしたのですか?・・・いえ、わかっています。きっと、わたしが瑞輝くんの血を・・・子供をつくってくれる可能性があると考えたのでしょう?」
「・・・全く・・・本当に、察しの良い人だな。わたしもこう見えて親馬鹿でね。嘘を本当にしてあげたい。そんな思いはあった。
でも、わたしでもわかるくらい現実的じゃないし、非常識な考えだ。
わたしは、とうじょ・・・ある人に、相談してみたんだ。その人の勘はよく当たるって、ごく限られた人しか知らないけど、そう言われていた。
その人は、こう答えてくれた。
『君が考えているその女性は、君の言うことを肯定してくれるだろう。でも、了解はしてくれないだろう。当の本人からのお願いじゃなければ、ね。・・・展開までは読めない。だけど、精子を凍結保存しておいて損は無いだろう』
わたしは先日、紹介された病院に瑞輝を連れて行った。そして、精子を凍結保存した」
「・・・わたしは、瑞輝くんの子供を産んでも良い、そう思っています。これは、たしかに非常識です。瑞輝くんはわたしの生徒・・・小学校一年生なんですから。
わたし、瑞輝くんのことが好きだけど、もちろん恋愛感情とか、そんなものは持ったことがありません。
これまで希望を持たなかった瑞輝くんに希望を持ってもらいたい!だから、人工受精で瑞輝くんの子供を産みます!
・・・何それ?それって、わたしじゃなくても良くない?おかしいでしょ!
そんな考えだってあります。
でも、非常識だけど・・・天照台家の・・・瑞輝くんのまわりでは、あり得ないことがあり得てしまう。そうでしょう?
それがわかった今では・・・瑞輝くんのことを知った今では、その非常識も、常識に・・・さすがに、そうはならないです。
でも、わたし、良いですよ?
シングルマザーにだって、なります。
瑞輝くんの希望の種を・・・花を、咲かせてみせます!」
「・・・ありがとう。本当に、ありがとう。もしも、瑞輝本人から君にお願いがあったら・・・正式にわたしからもお願いするよ。君のことは、天照台家が、わたしが責任を持って、今後も手厚く見守らせてもらう」
「はい。でも、このことは・・・」
「ああ、天照台家などと言ってしまったが・・・このことを知っているのは、君と、わたしだけだ。今も、これからも、ずっと」
あとは、瑞輝くん本人から話があるかどうか。
でも、わたしは知っていた。この十一ヶ月で、瑞輝くんの性格を知っていた。
だから、いつお願いされても良いように、短く、簡潔に、でも、想いの伝わる答えを考えることにした。