141話 『お母さん』と呼ばせてみせましょう!
見た目は二十一歳。でも、生まれてからはまだ七年目の瑞輝くん。
人と握手するのが初めてだったのだろう。手を離すと、わたしと握手した右手を、まじまじと見つめていた。
その光景を見て、彼が『七歳』であることを再認識したと同時に、ある不安を抱いた。
「お父さま、瑞輝くんですが・・・触れても平気でしたか!?その場の雰囲気で握手しちゃいましたけど?」
「くくっ・・・安心してくれ。一年に三歳分の歳をとる体質、そして寿命が限られている以外は、普通の体質だよ」
わたしは、ほっと胸を撫で下ろした。
そんなわたしに、瑞輝くんのお父さんは話を続けた。
「他にも、知りたいことがあることだろう。わたしも君に知っておいてもらいたいことがある」
そう言うと、教室にたった一つだけ置かれた生徒用の机に座った。
「まずは・・・具体的に、瑞輝に何を教えてもらいたいか。きっと君は、ピカピカの一年生用のカリキュラムをつくってきたことだろう。そのままで構わない。小学一年生に教えることを、小学一年生に教えるように、瑞輝に教えてやって欲しい」
瑞輝くんにとっては・・・大学三年生が小学一年生の授業を受けるようなものなのだ。
わたしは、今の自分が小学一年生の授業を受ける姿を思い浮かべてみた。
先生は、わたしのことを小学一年生として扱う。
字を学び、書き順を学ぶ。善いこと、悪いことを学ぶ。
スカート捲りをする男子を非難する。
下半身を露出する男子のそれを指の隙間から見つつ、非難する。
『馬鹿って言う方が馬鹿なんですぅ!』と、男子と喧嘩する。
先生のことを間違って『お母さん』と呼んでしまう・・・。
「わかりました。瑞輝くんに『お母さん』と呼ばせてみせましょう!」
「・・・え?えっと・・・うん。瑞輝を全力で一年生として見てくれるという気持ちは伝わった。やはり、君を選んで正解だったよ。
あとは、こちらからお願いがあるんだが・・・ああ、その前に、君の置かれている状況を整理する必要があるな。
君は、西黒伏小学校の、たった一人の一年生の先生だ。この学校には、先生は君一人しかいない。
校長は、いる。でも、特殊な事情で、小学校には常駐せずに、別の学校の校長と兼務をすることになっている」
「わたしも、そう聞きました。でも、別の学校って・・・?麓にある小学校のことでしょうか?」
「君は、たしか麓の少し手前にあるアパートから通うんだったね?」
「はい。かなり古いアパートですけど、その分、家賃がかなり安いんです。ここまで車で十五分くらいですし。そもそもこの村にはアパートが無いですからね」
「ここに来る途中、何やら広大な敷地面積を持つ施設があったろう?ああ、もちろん建物は見えなかっただろうけど、高い塀が長く続いていたはずだ」
「・・・はい。何か、政府の極秘施設なのかな、と。道路もなぜか立派だし・・・わたし、いつか何かに巻き込まれるんじゃないかって、不安です」
「くくっ。何も知らなければ、そう思うかもしれない。でもね、秘密にしているわけではない。口外していないだけなんだ。知っている人は知っている。だって、通っている生徒がいるのだからな」
「生徒・・・?学校、ってことですか?」
「天照台高校って、聞いたことはあるかね?」
「・・・あります。わたしも教師ですので。それに、わたしの家系には教師が多いですし・・・あ、じゃあ、あれが天照台高校!?」
「そうだ。そして、そこの校長が、この小学校の校長を兼務する」
「そんなこと、できるんですねぇ。よほど権力を持っているとか・・・いや、深く関わると危険そうですね。
『へえ、そんなことあるんですね。すごーい』で済ませておきます」
「くくっ!あと、高校のすぐ先に、一軒の屋敷があっただろう?」
「はい、すごく立派なお屋敷がありました。その施設の関係者で、関わってはいけない人が住んでいるんだろうなって・・・ええと、もしかして?」
「そう、そこが天照台家だ」
「・・・じゃあ、瑞輝くんと、お父さまもそこに住んでいる、と?」
「瑞輝はそうだが、わたしはそこに住んでいない。いろいろあってね、天照台高校の校長・・・わたしの弟と、天照台家の子供たちだけが住んでいるんだよ」
「・・・校長先生って、天照台家の方なんですね」
「ああ。天照台家の人間が創立して、その後も天照台家の人間が校長を務めている。一族の間でも特に優れた人間が務める、なんて話もあるが・・・ああ、こんな話は不要だな」
「じゃあ、瑞輝くんは、その家から通うとして・・・送り迎えはどうされるんですか?」
「・・・瑞輝はすでに二十一歳相当。運転免許だって取れるのだよ?」
「まさか・・・自分で運転して小学校に通って、小学一年生の授業を受けると!?」
「くくっ、それは冗談だ。たとえ見た目と知識がそれ相応のものを持ったとしても、わたしだって実質七歳の子供に運転などさせたくない。
それに、生年月日は偽造できないから、免許をとることもできない。実家の運転手がお送り迎えをしてくれるよ」
「・・・わかりました。あと、お昼ご飯はどうします?当然、給食室も無いでしょうし、村に給食センターも無いですよね?」
「それも、実家のお手伝いさんにお弁当をつくってもらう予定だよ。ああ、君もお弁当をつくるのだろうけど、もし希望するなら、君の分も用意するが?」
「わたしは、自分でつくります。おそらく豪華なお弁当でしょうが・・・豪華な弁当に引かれる気持ちが無いと言ったら嘘になりますが・・・生徒の家の人につくってもらうなんて、非常識ですからね!」
「そうだな、済まない。非常識な、特殊な環境だからこそ、君の常識が必要だ。助かるよ」
「あとは・・・そうですね。『わたしは、小学一年生、七歳になったばかりの男の子の先生です。たった一年間ですが、この小学校で、生徒と共に学んでいきます』。
表向きには、こう言っておけば良いでしょう。では、言ってはいけないこと、してはいけないことなどありますか?」
「ああ。そのことで、取り決めというか、お願いがある。まず・・・この学校には、君と瑞輝しかいない。この学校、施設を管理しているのは天照台家だ。だから、二人以外の人間がここに来ることはまず無いだろう。
でも、万が一、誰かがやってきたら。もしかしたら、近くに住む人間が興味本位で様子を見に来るかもしれない。何か不測の事態・・・そうだな、強盗犯が逃げ込んでくるとか?そんなことがあった場合だが。
『瑞輝が生徒である』ということは言わないでほしい」
「特殊な体質であることは隠したい。ドキュメンタリー番組への出演も拒否する。そういうことですね?」
「ドキュ・・・ああ、そうだ。でも、それなら、生徒はどこにいるのか?そして、君は先生だが、じゃあ瑞輝は一体何者?となるだろう。瑞輝は、とりあえず『学校関係者』としてもらいたい」
「関係者?なんだか曖昧ですけど・・・聞き手の捉え方に任せる、ということでしょうか?」
「そうだ。関係者と聞いたら、『用務員かな?』『教頭先生かな?』『実習生かな?』『ただの暇な人かな?』などと思うことだろう。
もしもそれらで聞き返されたら、『イエス!』と答えてくれれば良い」
「イエス!・・・わかりました。あと、もしかして、本当の名前も隠しますか?」
「ああ。天照台という名前を隠したいというわけではない。現に、わたしも天照台を名乗って、普通に働いているのだからね」
「お父さまのご職業って・・・?」
「ただの・・・警察官だよ。わたしは校長職にふさわしい人間ではなかったようでね。まあ、わたしにとっては、ふさわしくなかったおかげで、幸せな人生を送ることができていると思っているがね」
「名前を隠すというのは?」
「いろいろと面倒なんだよ。天照台家を名乗ると必ず、『あの天照台家?』と聞かれるんだ。
そしたら、『どの天照台家ですか?』と、わたしは毎回聞く。
すると、『あの、都市伝説の?』と言われる。
そしたら、どの都市伝説・・・ああ、済まない。どうでも良いことを話してしまう癖があってね。
・・・瑞輝の名前を聞かれることがあったら、そうだな。『天童瑞輝』とでも答えてくれないか?」
「天童瑞輝・・・わかりました。『天』にこだわりがあるんですね?」
「いや、別にそうじゃないけど、なるべく近いもので考えたら浮かんだだけだ。・・・瑞輝も、わかったね?」
「・・・わかりました。僕は、学校関係者の天童瑞輝です」
「はい、よく言えましたね!」
わたしは、瑞輝くんを褒めて、そしてその頭を撫でた。
これまで頭を撫でられることも無かったのか。瑞輝くんは、『この行為に何の意味が?』という、不思議そうな顔でわたしを見ながら、でも、大人しく撫でられていた。
「あと、最後に・・・取り決めというか、君の来年度のことだが」
「・・・一年間という話ですものね。でも・・・もしかしたら、瑞輝くんはもっと生きることができるかもしれないですよね?」
「瑞輝の寿命には関係無く、君には一年間だけお願いをする。それは決定事項だ。もしも瑞輝が生きることができても、その後は他の何か、人生を全うする何かを考えるつもりだ」
「・・・わかりました」
「君を、こんな特殊な事情に巻き込んだ。だから、せめてものお礼として、来年度、希望する学校に行けるよう手配させてもらおう。だから、人事が始める時期までに、ゆっくり考えて欲しい」
「・・・どこでも、良いと?」
「もちろんだ。ああ、でも、学校を選べるだけで、いきなり校長とかは無理だぞ?」
「そ、そうですか・・・教頭でもダメ、ですよね・・・わかりました」
「・・・うむ。じゃあ、わたしからはこれで以上だ。一年間・・・もしかすると、一年より短い可能性もあるが、よろしく頼む」
「・・・はい。一年間、よろしくお願いします」
今日は、小学校の入学式。
本来は式典が執り行われるべきその日。だが、ここでは特殊な事情が多すぎるため、親子との対面だけで終了した。
瑞輝くんは、父親に手を引かれて帰って行った。
誰が見ても、大学生くらいの男性が中年の男性に手を引かれて歩く、異様な後ろ姿。
でも、わたしには、
真新しいランドセルを背負ったピカピカの一年生が、希望を胸に歩く、そんな後ろ姿に見えた。