138話 西黒伏村
電話を切ってすぐ、裁の携帯電話には、父親からの着信があった。
だが、裁は画面を眺めるだけで、しばらくそれを無視していた。
「・・・何コールくらい放っておけば良いかな?」
「少なくとも十コールは必要ですかね」
「今回は出ない、っていうのも良いんじゃない?」
「でもたぶん、延々と粘ると思うよ?平気で百コールとか考えられるし」
「・・・じゃあ、百コールで!」
「天照奈ちゃん、ほんと、サイパパには厳しいですね。でも、天照奈ちゃんの精神的破壊行為にも絶滅せずにいられるサイパパもすごいですけど」
「じゃあ、間をとって五十五コールってことで。あと四十回だね・・・あれ?うそ、切れた!?」
反省させる意味を込めて、しばらく取らないことを決めた矢先のことだった。
「珍しいな、さすがに反省して、諦めたのかな・・・」
と、携帯電話の画面を眺めていた裁。
だが、すぐにまた着信があった。
「あ、また・・・あれ?今度はお母さんからだ」
「『息子が電話に出てくれないよぉ』ってサイパパがサイママにお願いしたんでしょうね」
「サイママ・・・」
新たな呼び方を聞き、天照奈は、高校の入学式前日のことを思い出した。
アパートに向かう途中のスーパーマーケットで買い物をしたときのことだった。
裁の母親を何と呼ぶべきか、悩んだ天照奈が聞いたのだ。
すると、裁の母親は少し悩んだ結果、『サイババとか?』と言ったのだ。
もちろんそんな呼び方などできるわけもなく、『美守さん』と呼ぶことにした天照奈。
紫乃だったら・・・喜んでサイババと呼んでいただろう。
「美守さんからだったら、仕方無いよね。『何で俺のときは出ないのに・・・』って嘆いて、反省もするでしょう。すぐに出ても良いんじゃない!」
天照奈からの提案に、裁はすぐに通話開始ボタンを押した。
「はい、もしもし」
「あ、裁?ごめんねぇ!正義さん、近年希に見る表情で猛省してるから、話を聞いてあげてくれる?」
「それどんな表情!?・・・『お母さんが言うなら、今回は仕方無いね』って、伝えてもらえる?」
「スピーカーモードだから、横で聞いてるよ。『ぐぬぬぬ』って唸ってる!うける!・・・あとね、妻として、正義さんのためにひとつだけ言うよ。『サイクロプス村』、それは存在する」
「・・・え?信じる人の心の中にだけ存在する、みたいなヤツ?」
「違うの。信じてなくても、みんなの心の中に存在するの。ほら、神経を集中させてみて?心の奥底・・・」
「奥底・・・集中・・・」
母の言うことは信じるのか。
裁は、心の中に入るかのように、精神統一を始めた。
そんな裁を見て、裁の母のことをよく知らない紫乃は、
「ねえ、天照奈ちゃん。サイママも、強烈な『ボケ属性』ですか?」
「そう、ね。強烈な『ノリボケ属性』かな」
天照奈の回答を聞くと、親子の会話に割り込んだ。
「サイくんのお母様。初めまして、東條紫乃と申します」
「あらぁ、あなたが噂の!可愛くて助平な紫乃ちゃん?」
「・・・・・・ええ、そのとおりです」
紫乃は、拳を握りしめて、だが声色を変えずに肯定した。
「今度、正式にご挨拶に伺いますので、この場では、声だけ、そしてこんな挨拶だけでお許しください」
「こちらこそ、ごめんなさいね。そこ、ツッコミの猛者が集まってるんでしょう?きっとみんな、イライラしてるでしょうね・・・でもね、許してほしいの。わたしたち、裁のツッコミレスで・・・」
「・・・ツッコミレス!?ああ、では、わたしからも裁くんに、頻繁にツッコミ電話、あとツッコミ帰省するよう伝えますね。では、話を再開願います・・・」
紫乃はそれだけ伝えると、裁に向け、『早くしてぇーっ!』とでも言うように顎をくいっと動かした。
「・・・じゃあやっぱり、サイクロプス村は嘘なんだね?」
「それは、本当だ」
いつの間にか、電話先も、母から父へと主導権が移動していたようだ。
「心の中にあるってこと?」
「違う・・・済まない、説明不足だった。ここからは本当の話しかしないから、電話を切らないでほしい。もしも嘘をついたら・・・今後、一切ボケないことを誓う!」
「嘘でしょ・・・死んだも同然じゃない!?」
「ああ、命をかける、と受け取ってもらっても構わない!」
「・・・わかったよ。じゃあ、電話は切らないし、ツッコミもしないからね」
「あ、ツッコミはどんどんしてくれよな!心の中で!」
嘘はつかないが、ボケはするのか!
裁は心の中でツッコミを入れると、話を聞くという意思表示として、沈黙をつくった。
「・・・西黒伏村。十六年前まで、実在した地名だ。『にしくろふせむら』か『サイクロプス村』で検索してみるといい」
ちょうどスマホを手にしていた紫乃が、検索をしてくれた。
「あ、ほんとだ、ありましたよ。なになに・・・もともとは独立した村として存在していた。人口の減少と共に、区市町村の字名としての村となり、十六年前には、その地名も消えた。昔から、その地には巨人伝説が伝えられてきた。そしてその地名から、『サイクロプス村』とも呼ばれていた。ですって!」
「へえ、本当のことだったんだ」
「ああ、信じろ!今も、これからもな!・・・んんっ、信憑性を高めるためにも、サイクロプス村じゃなくて、西黒伏村と呼ぶことにする。俺がこれから話すのは、十七年前、その村にいた『二人』のことだ」
おそらく、自分の本当の母親の話をするのだろう。裁はそう思った。
そして、なぜだか、聞かないほうが良いのではないか?そんな思いもあった。
聞いてしまうと、電話先の父、そして、母を遠く感じてしまうような、そんな気がしたからだった。
電話先の父も、おそらく息子のそんな様子を、電話ながら気づいていたのだろう。
落ち着いた声で、だが、話を一度も止めることなく、語った。
――十七年前の、四月のことだった。
俺はその日、無線で知らせを聞いて、ある現場へと向かっていた。
庁舎から二時間以上もかかる山奥の現場だったが、俺はたまたま麓の駅近くにいたんだ。
上司からの指示で、一人、現場へ直行することになった。
その日起こった事件。
都内で起こった銀行強盗の犯人が一人、盗んだ金を持って車で逃走した。
そして約二時間半後、山奥のとある村の学校から、警察に通報があったという。
そして、その通報内容から、犯人がその学校内に立て籠っていることがわかった。
その村の名前は『西黒伏村』。そして、その学校は『西黒伏小学校』だという。
初めて聞く名前のその村には、無線で連絡を受けてから約二十分後に到着した。
山奥と聞いたから、舗装もされていないような山道を想定していた。
だが実際には、村に少し入るまでは広々とした二車線の道路が整備されていたんだ。途中にあった何やら広大な敷地を持つ建物に行く人のために、管理されているのだろう。
その建物を過ぎると、こちらも大きなお屋敷がひとつあり、そしてそこを過ぎてすぐに、道路は一車線になった。
舗装もされており、一定の人の往来がある雰囲気だった。
山の中にポツポツと家が散見していたが、住んでいるかは怪しいほどさびれていた。
そんな中、目を引く建物が現れた。
出入り口の柱をみると、『西黒伏小学校』と書かれた名板が付いていたから、目的地に到着したことがわかった。
村の人口に合わせて建設されたのであろう。小学校と聞いて想像する二、三階建ての大きな校舎ではなく、小さな平屋建てだった。
パトカーでは無かったから、犯人が見ていたとしてもバレないだろう。
そう思った俺は、堂々と校門から入り、建物の正面入り口前に車を停めた。
制服も着ていなかったから、名乗らない限り警察であるとはバレないだろう。
そう思った俺は、堂々と正面入り口から建物の中に入った。
念のためスリッパは履かず、敷いてあった泥を落とす用の緑のヤツで、ちゃんと靴の裏をゴシゴシしてから、入った。
平日の十二時五分。
警察に通報があったのは、二十五分前くらい。通常であれば、お昼前、最後の授業をしていた時間だろう。
校舎の大きさ、そして村の雰囲気から、生徒数はきっと、二、三人くらいではないかと推測された。
そして、先生の数も一人か二人か。
その授業中に犯人の男が急に現れ、誰かを人質に、立て籠ったのだろう。
・・・何も知らなければ、そう予想する。だが、今回は違った。
そもそも、誰がどうやって通報したのか?
教室が二つあって、犯人がいない方の先生が通報したのか?
いや、さすがに犯人も、全員を一つの教室にまとめてから、立て籠るだろう。
もしも、職員室に先生がいたら?まずは職員室に入り、校舎内の全員を一つの教室にまとめてから、立て籠るだろう。
そして、先生たちから携帯電話を奪い、警察に電話させないはずだ。
しかし、今回、その先生の一人から通報があったのだ。
通報後すぐの内容は、事件解決後に聞いた。どうやら、警察に電話があって、まず聞こえたのは、
『誰か、教室に入ってくる!?』
という女性の声だったという。
そして、
『おいっ、動くな。これ、わかるか?鉄砲だよ。動いたら撃つぞ?』
という男の声が聞こえてきたらしい。
警察に通報したこの女性。この小学校の先生だった。
犯人が侵入する直前に警察に通報し、通話状態を維持したまま、犯人とのやりとりを続けたのだ。
その後のやりとりから、そこが西黒伏小学校であることがわかり、そして、近くで捜査をしていた俺に指示があった、というわけだ。
通報を受けた職員は、すぐに捜査本部に音声を繋ぎ、そして俺も無線でその音声を聞くことができた。
だから、通報後少ししてから、車を降りる直前までのやりとりは把握できていたんだ。
校舎に入った俺は、教室ではなく、職員室へと向かった。
最後のやりとりで、犯人が職員室にあった女性の弁当を奪い、食べている音が聞こえたからだった。
音声からは、職員室にいるのは犯人の男と、この学校の先生である女性。そして、おそらく同じく先生であると思われる男性の、合わせて三人。
犯人は、二人と一緒に職員室に入ると、内側から鍵を閉めた。そして、女性がお昼に食べる予定だった弁当を奪い、扉の前で食べているのだ。器用にも、銃を構えたまま。
なぜ生徒が一人もいなかったのか、そのときにはわからなかった。だが、俺にとっては都合の良い状況だった。
車を降りるまでの間、どうすれば人質を助けることができるか。そして、無事に犯人を確保できるかを考えていた。
そして、俺は、ひとつの方法を考え出していた。
職員室のドアの前。
俺は、息をひそめた。ただ息をひそめただけじゃない。これでもかというくらい、息をひそめたんだ。
もしも犯人と目が合っても、気づかれないくらい、息をひそめた。
そして、ノックした。若干強めを意識した。
『コンコココンコン、コンコン』
部屋の中で、人が動く音がした。
ドアには磨りガラスが付いていなかったが、人が動く気配がした。
そして、
「・・・誰だ?」
部屋の中から、男の声が聞こえた。
俺は、応えなかった。しばらくすると、
「・・・誰か、いるのか?」
と、またも同じ男の声。
俺は、応えなかった。
「・・・おい、この時間、誰か来る予定あったのか?」
「・・・誰も、来ません。夕方まで、わたしたち二人しかいない予定でした・・・」
「じゃあ、誰なんだ?・・・おい、誰かいるんだろ?・・・まさか、警察か?」
俺は、応えなかった。すると、
「おい、女。お前、ドア開けて部屋の外確認しろ・・・早くしろ!」
中で、二人の人間が動く音が聞こえた。
そして、『ガチャン』という、鍵が開けられる音。すぐに、スライド式のドアが開けられた。
ドアから顔を覗かせたのは、犯人が指示したとおり、一人の女性だった。
年齢は、二十代の前半くらいだろうか。息をひそめているから、顔はよく見えない。だが、美しく聡明な雰囲気であることはひしいしと伝わってきた。
顔をよく見たい、そう思ったが、解決後にゆっくり拝もう。そう決めて、息をひそめ続けた。
「だ・・・誰も、いません・・・」
「ああ?嘘ついてんじゃねえぞ?たしかに誰かノックしただろうが!ピンポンダッシュみたいなことするヤツでもいんのか?」
女性は、ドアを全開にして、部屋から半身を出していたにも関わらず、ドアの前にいる俺には気づいていないようだった。
「女、中に入れ。入ったら、動くなよ?男もだ。良いな?」
犯人も気になったのか。女性を部屋の中に戻すと、今度は自分が半身を出し、外の様子を窺い始めた。
「・・・たしかに、誰もいない・・・なんだ?ノックして、走って逃げたのか?・・・わかんねえけど、びびらせんじゃねえよ・・・」
犯人も、息をひそめる俺には気づかなかった。
そして俺は、計画どおり、隙を見せた犯人を急襲した。
そう、ドアの前、天井から。