135話 正義
『正義?警察官だから正義だって言うのぉ?ボクはそうは思わないんだよねぇ。正義って、法律のことでしょ?正義を押し付けるのが警察。だから、君も正義じゃないよねぇ?
用事の方は、ごめんねぇ。って、でも、ボクが呼んだわけじゃないよねぇ』
『たしかに!呼んだのは上司だな』
『もしかしてさっきの人ぉ?』
『イエス!・・・って、こんな話してて良いのか?何を話せば良いんだっけ?』
『うーん、楽しければ良いよぉ?今、楽しいから良いけどねぇ』
『ふーん・・・俺の声、スピーカーで皇輝君にも聞こえてるのか?』
『聞こえてるよぉ?もしかして、こうきくんの声聞きたい?』
『あ、別に良いや。声が聞こえなくても姿が見えるし』
『冷たいねぇ・・・警察なのに・・・よくそれで正義とか言えるよねぇ?みんなの評価が下がっちゃうよぉ?』
『心配するな、俺の評価はこれ以上、下がりようが無い!』
『いや、君のじゃなくて、警察のだよ・・・うふふっ!面白いねぇ、君ぃ。あ、高評価が増えてるよぉ?ようやく百万になったねぇ。すごいけど、まだまだだねぇ。それに、低評価のほうが増えるの早いしねぇ』
『俺の笑いは、嫁と息子に向けたものだからなぁ・・・万人にうけるようなら、警察官になってないだろうし』
『そうだよねぇ。お笑いの道に進んでたよねぇ』
『ところで、にゅうたろうくん。今、食べたいものとか、したいことは無いのかね?』
『無いよぉ?まさか、昼に食べた食パンが最後の晩餐になるとはねぇ。もっと美味しいもの食べておけば良かったねぇ。
あと、したいことはもうしたから良いやぁ。入りたいところにはだいたい入ったし、今回のこの配信で一億も高評価もらえたら、思い残すことなんて、無いねぇ』
『・・・俺の今日の夕飯、何だと思う?教えてやろうか?』
『・・・別にいいよぉ。人の食べるものになんて興味無いしぃ』
『赤飯だ!息子の診断結果が出る日は、赤飯と決まってるんでな!』
『聞いてないよね!?』
『なんだ、つっこめるじゃん、にゅうへいくん!』
『・・・あれ?ボク、にゅうたろうじゃなかったっけ・・・まぁ、いいかぁ。ボクねぇ、こんな口調だけど、どっちかというとツッコミ属性なんだよぉ』
『おお、俺はボケ属性だ!よろしくな!・・・ん?はいはい、もうちょっと待って。大丈夫ですって!』
『どうしたのぉ?』
『ああ、後ろから、何の話してるんだって、つっこまれた。あははっ、こっちにもツッコミ属性がいっぱいいるみたいだ』
『だよねぇ。配信のコメント欄も同じツッコミの嵐だよぉ?あと、息子の診断結果って何だ?っていう質問も多いみたいだねぇ』
『それ、聞いちゃう?息子のプライバシーに関わることだぞ?・・・俺の息子、かなり重いアレルギー症状を持っててさ、人に、近づけないんだ。だから、診察とか診断は隔離された施設で実施しているんだが、その結果が今日出るんだよ。それで、さっきまでその施設にいたところを・・・』
『呼び出されちゃったんだぁ・・・って、聞いてもいないことしゃべるねぇ。でもぉ、じゃあ、その息子さん、置いてきちゃったのぉ?淋しくて泣いてるんじゃないのぉ?』
『あいつは一人でも平気だ。俺の息子のくせに、しかもまだガキのくせに、かなりのツッコミ使いだからな。何かそこにモノでも置いてあれば・・・一人モノボケツッコミができる!』
『・・・モノボケならわかるけどぉ?何、それ』
『それはな、俺がするであろうモノボケを想定して、それにつっこむ。それ即ちモノボケツッコミだ!』
『いや、断定されても・・・ほらぁ、コメント欄、ひどいことになってるよぉ?そんな話してる場合じゃ無いだろうって。正義なんだから、早く子供を助けろって。大事な話をしろってさぁ?』
『え、大事な話、しても良いのか?』
『・・・別にぃ、交渉じゃ無ければ良いよぉ?君の話、面白いしぃ』
『じゃあ、ちょっと真面目な話をしても良いか?するぞ?いいか、絶対に止めるなよ?』
『なにそれ、止めてくれっていうフリ?・・・まぁ、ちょっとなら、良いよぉ』
『わかった。・・・おほん。じゃあ、セイギから真面目な話。正義の話をしようじゃないか!
・・・そもそも、正義ってなんだって?そう、まずそこが疑問に思うところだよな。にゅうぞうくんが言ったように、正義とは法律だと考える人もいる。正義とはヒーローだと考える人もいるだろう。
正義と言っても、考えは人それぞれで、その定義付けは難しい。
例えば、ヒーローと定義したとしても、何をどれくらいやれば、正義のヒーローと呼べるのか。
人を助けたり、善いことをすればいいのか?でも、それは素晴らしいことだけど、それって、親切な人、それか良い人で終わっちゃうのが普通じゃないか?
だって、善いことができる人なんて、いくらでもいるからな。ムッツリ良い人も含めたら、世界中のほとんどの人が該当するだろう。
じゃあ結局、何が正義なのか?悪に立ち向かうのが正義だ。俺はそう思っている。もちろん、ただの、俺の考えだ。その考えを押しつけるつもりはこれっぽっちも無い。
じゃあ、今度は、悪って何だ?と思うかもしれない。でも、悪ならわかりやすいんじゃないか?
悪いことをする人が、悪だ。人が嫌だと思うことをしたら、それは悪だ。もしかしたら、痛めつけられて喜ぶ人もいるかもしれない。でもそれは悪じゃなくて、性癖だ。
・・・人の家に勝手に入ること、それはもちろん悪だ。子供部屋にいる子供を縛って動けなくすること、それも悪。拳銃を持っていること、そしてそれで人を脅すことも悪。
警察官が銃を持ってるのは、仕事。嘘の名前を教えるのは、悪。ああ、俺は初めに嘘の名前を言ったけど、それが嘘だと正直に言ったから、ギリギリ正義!ん?ギリギリセーフとギリギリセイギって似てるな。
んんっ。でも、世の中、人の内から出ていない悪を含めれば、かなりの悪が存在していると言って良いだろう。
それでも、悪を内に閉じ込めたままでいられるのなら、それはギリギリセイギ!
少しでも溢れ出てしまったら、それは全て悪人だ。極端かもしれない。でも、悪人に程度など存在しない。ちょっとの悪も、すごい悪も、悪だ。
そして、悪がもたらすのは、悪人本人への何らかの感情、そして、被害者への負の感情。
一方で、正義だ。正義は、この悪に立ち向かう。
悪いことを悪いと言う。それだけでも正義と呼べるだろう。
正義がもたらすもの、それは、正の感情だ。希望、と言っても良いかもしれない。
もしかしたら、悪いことを悪いと注意されて、嫌な思いをする悪人がいるかもしれない。この場合、その悪人にとっては迷惑な行為だから、注意した人も悪人なのでは?・・・ん?いや、本当に悪いことなら、悪いと言うのが正義だ。正しいことを言われて嫌な思いをするのは、それは受け取り方が悪いだけだ。
もう一度言う。正義がもたらすもの。それは、正の感情だ。希望だ。喜びだ。
悪に立ち向かうことで、その悪によりもたらされた、あるいはもたらされるはずだった負の感情を無くすことができる。
それだけじゃない。悪自体を消すことができる。悪が無くなれば、誰も、負の感情を抱くことなど無いんだ。
でも、こう思うんじゃないだろうか。
悪が無くなっても、負の感情は残るんじゃないか?と。例えば、日頃、悪とは関係無く何かに思い悩む人もいるだろう。
でも、それは負の感情じゃ無いぞ。悩んで、今の自分を正に変えようとする、正の感情だ。
負の感情を消そう。無くそう。正の感情を抱くんだ!
悪に立ち向かうのは、恐いかもしれない。つらいかもしれない。でも、それはすごいことだ。格好良いことだ。
正の感情を抱くための、感情のコントロール?そんなのいらない、しなくていい!
そうだろ?だって、正の感情だけを抱けばいいんだ。
君は正しい、そして強い。正の感情で悪に立ち向かえ。
何度でも言うぞ!
君は強い。悪に立ち向かえ、君は、正義だ!正義なんだ!』
『・・・真面目すぎぃ・・・しかも、誰に向かって言ってるのぉ?視聴者?世界の善人候補ぉ?それとも、ボクぅ?
・・・いくら君が熱くなっても、ちゃんと心に響くかなぁ?
結局、人の心を支配するのは、負の感情なんだよぉ?劣等感とか嫌悪感とか、そういうのを感じてぇ、でも我慢してぇ、ときには発散してぇ・・・みんな、そうやって生きてるんだよぉ?
所詮、この世は弱肉強食とか、競争とか、勝者がいれば必ず敗者がいる。勝ったら正かもしれないけどさぁ、敗者には負の感情がつきものだよねぇ?』
『負の感情?そうかもしれないな。でも、いつか正の感情に変わる』
『さっきから、きれいごとばっかり並べて・・・正義ってさぁ、そんなに偉いの?正義を押しつけても、正義になれるとは限らないよねぇ?正義を押しつけること自体が悪なんじゃないのぉ?』
男が言うことも理解できた。
電話の先にいる警察官・・・セイギの言うことは、きれいごと、そして、願望ばかりではないか。
でも・・・その言葉は、セイギの言葉は、俺の心には強く響いた。
俺の胸の中で、何かの感情が湧き上がり、どんどん高ぶっていった。
俺が正義であれば、この感情をコントロールする必要など無い。
これからも、何も我慢せずに、楽しく生きることだってできる。
それに、人に希望を与えることができるなら、それはなんて素晴らしいことだろうか。
俺は、意識を集中させた。セイギが言う、正義を思い浮かべ、自分をさらに鼓舞した。
俺は、正義だ。
悪いことは考えない。
悪いことはしない。
悪いことはさせない。
悪いことを無くす。
悪いことを悪いことだと言う。
悪いことを見逃さない。
悪いことに立ち向かう。
俺は、正義だ!
『ねえ、こうきくん・・・大丈夫?何か、ぶつぶつ言いながら、すごい力が入って、顔も真っ赤だよぉ?』
男は、意識を電話先から俺へと変えて、そして、俺を見た。
これまで抱いたことが無いほどの強い感情、正の感情を持った俺を。
『・・・ねぇ・・・ね・・・んん?・・・あああ・・・ああっ!』
男に、俺が抱いた正義が伝染した。
『・・・ボクは、悪人です。悪いことをしました。たくさん、入ってはいけない場所に入りました。不法侵入です。
でも、何かを壊したり盗んだりしたことはありません。だから、人に迷惑をかけたことはありません。
・・・そう思っていました。でも、気付きました。入っては行けない場所に入ることで、その建物の持ち主に、不安を与えました。他の人も、もしかしたら、次は自分の建物かもしれないと、不安になったことでしょう。
そして、それを見た人に、自分もできるのできるのではないかという考えを持たせてしまいました。悪の芽を植えた、あるいは、芽生えさせたかもしれません。
ボクがしてきたこと、これは、悪です。悪は消えなければいけません』
そう言うと、男は固定していたカメラを取り外し、電源を切った。
映像の配信が止まったパソコン画面は暗転し、だが、評価の数字だけは増え続けていた。
電話先のセイギが、慌てた様子で、大きな声で何かを訴えている。
だが、男は、セイギの声には全く反応しない。
男は手にしていた拳銃を、ゆっくりと、自分の眉間につきつけた。
そこからの記憶だけは、曖昧だ。
思い出すと、いつも、走馬灯のようにスローモーションになる。もちろん、走馬灯など見たことはないが。
男は最後に言った。
『ボクは、悪に立ち向かう。ボクは悪を見逃さない。ボクは悪を無くす。ボクは・・・正義だ!』
『バンッ』
という大きな音が鳴り、男はゆっくりと背後に倒れ、血が噴き出した。
初めて嗅ぐ、サビ臭い血のにおい。
目の前が真っ白くなり、すぐに真っ黒くなった。
俺は、意識を失った。
最後、男がどんな表情だったか。それを思い出すことはできない。
だけど、銃の引き金を引く瞬間の、男の口の動き。それだけは思い出すことができた。
男は最後に、
『ごめんなさい』
そう言っていた」