133話 小学校に入る少し前、三月のある日のこと
三人は、天照奈の目論見を、『裁の成績、そして活力向上を目的とした弁当づくり』という名目のオブラートで包み込むと、記憶の奥底に封印した。
「と、ところで・・・皇輝くんの、アルバイトのことだけど。家庭教師以外にもやっているの?」
「あ、ああ。日雇いがほとんどだが・・・たまに、刑務所の慰問に関するバイトをやってる」
「慰問?よく、歌手とかが行くとかいうアレですか?」
「そう。祖父に口利きしてもらってるんだ。ただの雑用だけど、収容されている人の前に出ることもある」
皇輝の祖父は、警察官だ。
裁の父親の上司で、今はかなりの権力を持っているらしい。もちろん、皇輝の体質を知っているだろうし、その体質をうまく使っているのではないか。
たまに、裁も父の仕事に協力するのだが。きっと、その体質の使いどころは、上司が考えているのではないだろうか。
裁はそう推測していた。
「皇輝くんが感情のコントロールを実践する場を提供・・・そして、あわよくば囚人を更生させたい・・・おじいさんの目論見はこんな感じかな?」
「くくっ。本当に察しの良いヤツだな。だいたい合っている。それは俺の将来の夢にも大きく関係するだが。この体質を、正しく有効に使いたいという、俺と祖父の利害関係が一致したんだ」
「正しく、有効に・・・」
「そうだ。使い方によっては、例え一時的であったとしても、負の感情さえも感染させてしまう俺の体質。三人もさっき体感しただろ?
最悪の場合、他人、そして、自分を傷つけてしまうことだって・・・ある、だろう。
でも、有効に使えば、例え道を踏み外した悪人でも、正しい道に導けるんじゃないかと思っている。
有効に使うためには、まず『感情のコントロール』を身に付ける必要があるだろう。
でもな、そんなのは必要無いんだ。なぜなら、『正しい』『善い』感情だけを持っていれば、コントロールする必要なんて無いのだから」
「皇輝、あなた、すごいこと言ってますよ?それって、まるで正義の味方じゃないですか。将来の夢って、もしかして・・・」
「ああ、そうだな・・・ちょっと、昔の話をしても良いか?」
「いつの当主の話です?」
「そこまで昔じゃない!俺の、過去の話だ」
三人が頷くと、皇輝は話を続ける。
「今から十年前くらい前。小学校に入る少し前、三月のある日のことだった。俺はそのとき、四月から背負う予定のピカピカのランドセルを眺めて、呆けていた」
「ほお、天照台家の嫡男ともあろうお方が、そんな呆ける暇なんてあったのですか?」
「一日中ではないからな!習い事も勉強も終わって、その時は親父もおふくろも出かけていた。珍しく、することが無かっただけだ」
「ほお。でもわたしも、可愛い目出し帽が新調された日にはそれを眺めてましたね・・・運命の殿方との素敵な出会いを思い浮かべながら・・・きゃっ!」
「そして、そのとき・・・突然、一人の見たことのない男が部屋に入って来たんだ。俺はその後・・・自分の部屋に監禁された」
皇輝の話を、紫乃も空気を読み、黙って聞いた。
きっと、今も思い返すのだろう。
当時の記憶をまるで今、目の前で起きたかのように、鮮明に語ってくれた。
「俺は、ランドセルを背負ってみたり、中に教科書を入れたりしながら、小学校の生活を想像していた。
すると突然、部屋のカギが開けられる音がしたんだ。
天照台家は、子供の部屋とか関係無く、全てがオートロック式にされている。
解錠するには、指紋か虹彩認証をする必要があるんだ。だから、関係者以外が部屋に入ることは不可能だし、そもそも天照台家は、敷地内に入ることすら不可能と言われていた。
だから俺は、両親が帰ってきて、何かの用で部屋に入ってきたものだと思った。
でも、違った。
『お邪魔しちゃいますよぉ』
軽い口調で部屋に入って来たのは、見たことの無い男だった。
長髪で、年齢はおそらく、そのときの親父より少し若いくらい。二十代半ばくらいだったろう。
突然のことに、俺は思考が停止して、固まっていた。
『こちらのお部屋も立派ですよぉ?子供部屋ですかねぇ。そうですよねぇ、だって子供がいるもんねぇ』
その男は、手元のカメラで部屋の様子を撮影しながら、説明口調で独りしゃべっていた。
『こんにちはぁ。ああ、安心してねぇ。顔は写さない主義だから。ちょっと中の様子を撮ったらすぐに出るから、気にしないでねぇ。
・・・おやおや、綺麗なランドセルだねぇ。てことは、ピカピカの一年生になるんだねぇ。可愛いねぇ。
君のこと、動画に写せない代わりに、ボクの目で見た感想を述べるよぉ』
男は、俺を見た。
初めは何も考えられずにいたが、男の気持ちの悪い口調の独り言を聞いているうちに、恐怖という感情が生まれていた。
当時、俺は親から『誘拐』という事象を聞いたばかりだった。
発生リスク、対処法を聞いたのだが、もはや手遅れのその状況に、死の恐怖すら覚えていたんだ。
そう、男は、死の恐怖という強い感情を持った俺を見た。
『そんなに怖がらなくても良いよぉ・・・・・・えっ・・・ああ・・・そうだよねぇ・・・ボク、もしもこれがバレたらさ・・・殺されちゃうかなぁ・・・』
後に聞いた話では、この男は、侵入不可能と言われる建物に侵入する様子、そして中の様子を動画配信する快楽犯だった。
凄腕のハッカーで、どんな警備も破ると豪語し、実際に、どんな建物にも侵入していたらしい。
これまでは、中の様子を撮影するだけで、すぐにその建物を去っていた。
誰かに危害を与えたり、何かを盗むことは一切しなかった。
自分の顔を出すことは無く、また、綿密な計画を立てていたのだろう。見つかることも、捕まることも一切無かった。
恐い物知らずで、ただただ侵入し、配信を続けた。
侵入すること、そして人の注目を浴びることに喜び感じていたようだ。
そのとき、俺の体質はすでに、半年前に発動していた。
その俺の、死すら覚える恐怖感が、男に伝染したんだ。
『どうしよう・・・天照台家だもんねぇ。今すぐに出ても、もしかしたらもう囲まれてるかもねぇ。
捕まったらもう、動画配信できなくなっちゃうよねぇ。それって、死んだも同然だよねぇ。殺されたも同然だよねぇ。じゃあ・・・ここで死んでも同然だよねぇ?』
俺ではなく、カメラに向かって独り言を続けるその男に、俺の恐怖心は膨れ上がる一方だった。
『じゃあ、せめてこの遺作を発表してから、自殺しようかなぁ・・・』
男は、背負っていた荷物の中からノートパソコンを取り出した。
そして、何やら操作をすると、その画面には、カメラで撮影している映像が映し出された。
カメラを固定して、自分の顔を大きく映し出すと、男はその場で配信を始めた。
『配信開始っと・・・えぇ、映ってますかねぇ。みなさん、こんにちはぁ。・・・ああ、でも、はじめましてぇ、かな?だって、顔をさらすの初めてだもんねぇ。顔をさらしたら捕まっちゃうから、今まで隠してたもんねぇ。
じゃあ、何で今回はさらしているのかって?そりゃ、これが遺作となるからなんだよねぇ。何で遺作になるのかは、後でニュースでも見てよねぇ。
さてさて、しかも今回は生配信だよねぇ。しかもなんと、最後に侵入した建物の中から配信なんだよねぇ。うん、ここがどこか、気になるよねぇ?じゃあちょっと、カメラを動かすね』
男は、固定していたカメラを取り外すと、俺の部屋の中を写し始めた。
『はいはい、ここは子供部屋なんだなぁ。ほら、子供もいるし、ピカピカのランドセルもあるよ?ああ、もちろんボクは人の顔は写さない主義だからねぇ。でもからだの大きさで子供ってわかるから、良いよねぇ?
いやぁ、立派な子供部屋だよぉ。じゃあ、ここがどこの、誰の子供の部屋か、気になるよねぇ?だから、侵入したときの動画を流すよ。
一応、ボクの顔も画面の右下に小さく映しておくよ。さぁ、撮りたてほやほやを、温かいうちにご覧あれ。ああ、もちろん編集はできなかったから、いつもと違って、テロップ表示は無いからねぇ。頑張って聞き取ってねぇ」
男はパソコンを操作し、この部屋に来るまでの動画データを再生し始めた。
ちらっと見えたその画面には、天照台家の敷地に侵入する様子が映し出されていた。
男は一息ついて、また俺と向き合った。
『困っちゃうよねぇ。本当に面白いものって、世界中の人に認められるけど、それでも、規制ばかりなんだよねぇ。だから、今再生してる動画が終わって、ここがどこだか知れ渡ったら。ボク、捕まっちゃうよねぇ?
しかもこの配信もきっと、止められちゃうよねぇ?それだけは阻止したいんだぁ。だって、ボクの遺作なんだもん。
だから、君にも協力してもらうねぇ?痛いことはしないから。でも、そうだなぁ、縛られてくれるぅ?」
男は、荷物の中からロープを取り出すと、俺を縛り始めた。
上半身、手を動かせなくするだけで、それ以外は口も、脚も動かすことができた。
だがもちろん、その男の前で、恐怖で何も動かすことはできなかった。
『はい、良い子ですねぇ。動画、そろそろ終わるねぇ。じゃあ、カメラで君を写すよ?ああ、顔は写さないから安心してねぇ』
男は固定カメラの向きを変えると、俺の顔が映らないように角度を調整した。
『すごい!もう十万人も見てるよぉ。遺作だからかな?それとも天照台家だからかな?生配信だからかな?
まぁ、いいか。あ、動画終わったねぇ。はい、みんなお疲れさまぁ。というわけで、ここはあの天照台家の中、子供部屋だよぉ。
そもそも天照台家って何?思うよねぇ。都市伝説では聞いたことある?きっとあるよねぇ。
昔から日本を影で支えるすごい一族。あと、これも都市伝説で、天照台高校なんて、すごい高校があるらしいよぉ。うん、その、天照台家に入ったの、ボク。すごいでしょ?
・・・なんて、ゆっくりしてると、遺作とか関係無く配信を止められちゃうよねぇ。もう警察も動いたよねぇ。
これを見ている警察のみなさぁん。動画配信を止めないでねぇ?もし、止めたら・・・ほら、ここに映ってる子供を殺すからねぇ?
そうだ・・・ねぇねぇ、きみ、名前、何て言うの?』
『・・・』
『ねぇねぇ』
『・・・』
俺は、恐怖から口を動かすこともできなかった。
『ねぇったらぁ。あぁ、そうか。ちょっと待ってね?』
男はまた荷物に手をやると、中から拳銃を取りだした。
『じゃーん。ボク、こんなのも持ってるんだぁ。お金があるとねぇ、こんなのも手に入っちゃうの。ほら、君。これ、おもちゃじゃないよ?お名前、教えてくれないと、撃っちゃうよぉ?』
『・・・・・・こうき』
『うん。ああ、せっかくだから、名字も教えて欲しいなぁ。もしかしたら天照台家の子供じゃなくてぇ、不運なお友達かもしれないしねぇ』
『・・・てんしょうだい・・・こうき』
『うん、よく言えたねぇ。はい、てんしょうだいこうき君のお父さん、お母さん。ちゃんと、本物ですよぉ!配信を止めたら、この拳銃を発砲しちゃうからねぇ、気をつけてねぇ。
ああ、そっかぁ・・・これって、人質だよねぇ。そっかそっか。じゃあ、何か要求しないとねぇ。でも、要求はさっきのとおりだよぉ。配信を止めないでくれればそれで良いよぉ。
警察に連絡しても良いし、救出しても良いし。・・・って、もう警察も見てるし、救出にも動いてるよねぇ?
でも・・・できるかなぁ?
うふふっ、この建物の警備システムをいじったからねぇ。もう誰も入れないし出れないんだよぉ。本当だよぉ?確かめてみなよぉ。
はぁ・・・しゃべり疲れた。普段こんなにしゃべること無いからねぇ。ちょっと休むねぇ?』
男は休むと言い、口を閉じた。
だが、しゃべるのを止めただけで、それ以外は何も変わらなかった。
だから、俺が抱く感情も、恐怖のまま、何も変わらなかった。