13話 運命
「わたしの体質がいつからで、そしてどんなものか、なんとなくはわかったよ。
けど、このことを知っているのって、もしかしてお父さんだけ?」
「あぁ、そうだ。結局医者に診てもらうような病気にはかからなかったからな、お前は。知っているのはわたしひとりだけ。
だから、辛い思いをしたのであれば、わたしひとりの責任だ」
「いや、悪いのはわたしの体質でしょ? お父さんじゃないよ。それに、ひとりで抱えてくれて、ありがとう。
それこそ、わたしの方が謝らないと、だよ」
父は、安心したような、すっきりしたような顔で、微笑んだ。
「ところでさ、わたしのこの体質だけど、お父さんはどこまで把握しているの?」
「うん……言いづらいんだけど、実はな、いろいろ実験はしていたんだ」
実験、という単語に、わたしはピンとこなかった。
物心ついた頃から父の職場や実験棟に連れて行ってもらったが、何かの実験台になったような記憶は全くない。
「お前にはバレないようにしてたからな、わからなくて当然だろう。ほら、思い出してほしいんだが。
よく、実験棟の二階の部屋でゲームをして遊んでいただろう?」
それは覚えている。父が研究をしている間、よく、英単語を覚えるゲームをしていた。
発音も聞き取りしやすいように、外界の音を全く拾わないヘッドフォンを装着して、だ。
そして、ゲームに熱中して振り向くことは一切無かった……
あぁ、そういうことか。わたしは理解した。父はわたしの背中で実験をしていたのだろう。
一度も何も感じたことがなかった。ということは、実験では、わたしに一度も触れることがなかった、そういうことか。
父は、少しばつの悪そうな顔をするも、研究者らしく淡々と実験結果を述べた。
「地べたに座らせたお前の背中が実験対象だった。最初は軽く、いろいろなもので叩いたり、投げたりした。
だけど、わたしの体が続かなくなる。そう判断したわたしは、でも、すぐに一石二鳥の手段を思いついた。
お前にも話したことがあるだろう、いろいろな耐性を持った高性能スーツのこと」
たしかに、父から聞いたことがある。銃で撃たれても、ナイフで刺されても、そのスーツを貫くことはできないし、衝撃も吸収するから痛くない。
でも、衝撃の吸収には限度があるから、戦車の砲弾などはさすがに痛いだろう。そして、水中と宇宙空間には対応していない、と。
「このスーツの難点、それは重くて動きづらいというところなんだ。でも、この実験に素早さとか、力強い動きは不要だったから、わたしの虚弱な体でも、なんとかいろいろ試せていたんだ。
つまり、お前の体質を確かめるのと同時に、跳ね返ってきたものに対するこのスーツの耐性を確認できる。
背中だけだったけどな。
わたしができる範囲で、ハンマーで叩いたり、硬球を投げつけたりした。すべてわたしの背中に跳ね返されたが、スーツが衝撃を吸収してくれたから、モノが当たったかな、くらいの感覚だった。
そして、その後の実験内容は、さすがにわたしも最初は躊躇した。でも、きっと何ものもお前に触れることはできないだろう、そう割り切った。
まずは、ナイフをお前の背中に突き刺した。そして、火炎放射器で炙り、液体窒素を注いだりした」
結果、わたしは何も感じていない、が、背中に恐ろしいことをされていたようだ。
「結果は、スーツの性能が確かなことを確認できただけだった。これまでの実験は、わたしが持ったモノ、扱ったモノでの実験だった。
次に確認したのは、機械により自動でなされるものだった。まずは、ピッチングマシーンを準備した。
機械に玉を込めるのがわたしだから、なんとなくわたしに跳ね返りそうだな、と思った。そして、その予感は的中した。
次に、試しに同僚に玉を入れる作業だけをお願いし、投球するスイッチをわたしが入れてみた。
同僚の背中に時速一四〇キロメートルの硬球を跳ね返らせるわけにはいかないので、柔らかいゴムボールを使い、わたしもそのときはスーツを脱いだ。
その結果、わたしの背中にだけ、ゴムボールが当たる感覚があった。
もはや原理云々ではく、起こった事柄を事実と捉えるしか無い。この場合、推測だが、お前にボールをぶつけるという意思を持ったわたしに跳ね返ったのでは無いだろうか。
その次に考えていた手法もあったが、おそらくこのピッチングマシーンと同様で、お前に触れるという意思を持ったわたしに全て跳ね返るだろう。そう思い、実施はしなかった。
さらに、踏み込んだ実験を考えた。でも、いずれも何も知らないお前の、その背中で確かめることはできないものだった。だから、結局はまだ実施していない。
ちなみにそれは、わたしが掘った落とし穴に落とすこと、次の段階として、落とし穴に水を張っておくこと。
これはお前に了解をとらないと、さすがに口を聞いてもらえなくなりそうだからな。あと、水に沈んだときに、わたしが溺れる可能性がある、という危険性もある」
たしかに、父の掘った落とし穴に落とされたら、一ヶ月は目も合わさないだろう。
今後、実験をどうするか、という問題もあるが、その前に気になったことを聞いてみる。
「ところで、お父さん。なんで急にわたしに話をしてくれたの?中学校を卒業した日っていう、なんとなくの節目なのかとは思うけど」
「それは、な。うーん、なんと言うか。本当は、お前自身が気付くか、他の誰かが気付くまでは言うつもりは無かったんだ。
これは、わたしのミス、と言うのかな」
なんだか歯切れが悪い。しかも、ミスとは何だろうか。
「覚えてないと思うけど、さっき、うっかり『ある少年』のことを話しそうになった。それに関連することなんだ。
お前に全てを話したから、いずれ、その少年のことも話そうと思う。今後、彼に実験の協力をお願いすることもあると思うし、彼に協力することも出てくると思う。
ただし、このことはまだわたしが考えているだけだが」
そう言えば、何やら少年というフレーズを聞いた気がする。
たしか、わたしの体質がわかって、触れさせないようにする、という話題の時に…
ふと、わたしは『彼』のことを思い浮かべた。彼の体質も、人と距離をとらなくてはならないものだった。
そしてその考えは的中した。
「その少年は、お前と同じ中学校、そして同じ学年の『黒木裁』という少年だ」
「もしかしたら学校で噂を聞いたかもしれないが、その少年は重度のアレルギー症状を持っていた。そのため、少年は触れるモノにかなりの制限がかけられた。そして、人との距離を最低二メートル離さなければいけなかった。
だが、その少年も、健康を確認するために、身体測定、そしてスポーツテストをする必要があったんだ。
計測は、いつも実験棟の一階で実施していて、わたしは毎回それに立ち会っていた。それぞれ半年に一回、交互にやっていたから、三か月に一回は少年と会っていたことになる。
ただ、少年が小学校に入るまでの間は、計測と言うよりも彼の体質に係る実験がメインで、もう少し頻度は高かった。
お前も、実は一回だけだが、会ったことがあるんだ。小学校に入るちょっと前の事だったと思う」
そう言われて、わたしは実験棟で出会ったひとりの少年を思い浮かべることができた。たしかに、その少年と会ったのは、一回だけだった。
わたしは父に連れられて、実験棟にも、よく出入りしていた。
その一回しか会わなかったのは、おそらく少年の体質のせいで、会わないように操作されていたに違いない。
でも、その少年の父親とはよく顔を合わせており、遊んでもらったこともあったのだった。
その人の名前を聞いたことは無かったけど、
『おじさんの名前、正義と書いてまさよし、って読むんだ』
『おじさんの息子も君と同じ歳なんだ。体質も、君と同じように、でも、人に近づいてはいけないところは君より不遇かもしれないな』
『そんな息子もいるから、君と遊ぶのだって全然気を使わないぞ、どんどん遊ぼうぜ』
などと、とても気さくに、若干軽い人だなと思えた人だった。
でも、悪い気は全くしなくて、むしろ遊んでいて楽しかった。
そんなある日のことだった。
わたしの父と、その少年の父親が、少しの時間だが実験棟を離れることがあった。
何か緊急の事件があったのかもしれない。
父はわたしに、今いるこの二階の部屋にいるようにと告げると、急ぎ出て行った。
わたしは父の言うとおりに、いつものゲームをしていた。だけど、急にトイレに行きたくなった。
トイレは一階にしか無かった。
わたしは周りを見回し、人がいないのを確認すると、トイレへと走った。そして、トイレから出るときに、一階の大きな部屋、そこのドアが開いているのが目に入った。
運動場みたいに広い部屋で、いろいろな計測器があるのは知っていた。
でも、ちゃんと見たことはなく、少し中を見たいな、そう思った。
そして、ドアの隙間から中を覗いた。
すると、中から外を覗こうとする少年と、ちょうどタイミングが合ってしまったらしく、お互いの存在に気付き、それぞれ驚いて後ろに尻餅を付く結果になってしまった。
顔はよく見えなかったけど、おそらく、あの人の息子だろう。
そして、あまりにも驚いたのと、近づいてはいけないのに、あの瞬間、顔と顔がくっつくくらい近づいてしまった事への不安が押し寄せた。
結局、一度も振り返ることも無く、その場を走り去ってしまった。
その後、二階の部屋で過ごしていると、父は出てから十五分もしないうちに帰ってきた。
『ごめんな、今日は帰ろうか』
という父に連れられ、一階へと下りた。
すると、あの人と、おそらくさっきふいに近づいてしまった息子が帰るところにちょうど出くわした。
その父親は、少年から二メートルも離れていなかった。
でもきっと、近づいてもいいように、着ているモノとか、何か特別な対策をとっているのだろう。
少年の父親から、
『いつも話してる、おじさんの息子だ』
と紹介された。
わたしの父も、わたしを自分の娘であると、その少年に紹介してくれた。
わたしは、近づいてしまったという後ろめたさから、少年の顔を直視することができなかった。
視界の隅でその顔を捉えると、なんと、その少年も同じようにこちらを見れないような様子だった。
もしかしたら、わたしにも近づいてはいけないと教えられていたのかもしれない。
良かった。これならば、少年の口から、あのときのことを告げられることは無いだろう。
わたしが言わなければ、誰にも知られる心配はない。
それが、少年との出会いだった。
ちなみにその後、わたしが近づいたからと言って、その少年のからだに何か異常が現れたとか、そんな話は聞かなかった。
しかし、あのときの少年が、あの『彼』だったとは。
なんだ、運命的な出会いではないか…
もう二度と会うことも無いと思い、顔を思い出せないのも諦めようとしていたのだ。
しかも、父の話では、わたしの体質に係る実験で、また会う機会があるというのだ。
嬉しい。だけど……
例え一緒にいることができたとしても、彼には近いてはいけないし、そして、触れてはいけないのだ。
そして致命的なこと。
彼は、わたしに触れることができない。
いや、誰もわたしに触れることはできないのだ。