12話 交通事故
「跳ね返す、とは言ったものの、光の反射のそれとは違うし、もしかしたら『瞬間移動』という表現が適切かもしれない。
事象としては、お前に触れた人の触れた部分が、触れた人のお前に触れた場所に瞬間移動する、ということだ」
「うん、分かりづらい。さっきお父さんの手を握った時のことで説明してみて?」
「お前の右手に触れたわたしの左手が、わたしの右手に瞬間移動した。これは、例えばわたしが右手でお前の左肩に触れたら、わたしの右手のお前に触った部分がわたしの左肩に瞬間移動、つまり触れることになる。
移動するのは、お前に触れた部分だけ。手の場合は、本当に表面の部分だけだから、移動した先ではモノとしてではなく、感覚だけでしか捉えることができないだろう」
なんとなくわかった。
だが、なんでわたしがそんな体質に……?
「お前のその体質、産まれ持ったものでは無かった。発現したのはおそらく、小学校に入る直前くらいだろう。
もちろん、産まれたばかりのお前は母さんの母乳を飲むことができたし、わたしもお前を抱っこすることができた。
そして、外傷を受けることもできた。とは言っても、幸い傷つくようなことは何も無くて、予防接種とか、そういったものを受けることもできたんだ」
父が言っているのは、体質が変わる前に『できた事』。つまり、今はできないことなのだろう。
「その体質になった瞬間のことはわからない。でも、変わったと、そう判断できる出来事があった。
そう、母さんが死んだあの事故のときだ」
その事故の時、わたしは母の運転する車の助手席に乗っていた。
小学校に入る少し前、ランドセルを買ってもらった帰りのことだった。
事故の瞬間、わたしはピカピカのランドセルに夢中で、何が起きたのかわからなかった。
ただ、急に目の前が暗くなった、それはよく覚えている。
当時のことを父に教えてもらったことがある。母は、片側二車線の国道、右車線を走っていたらしい。そして、反対車線の右車線を走っていた十トンダンプがそのままの速度で反対車線にはみ出し、母の車と正面衝突した。
母の車には左方向に向かうブレーキ痕があったという。避けようとしたか、あるいは助手席への衝突だけは避けようとした結果か、それはわからない。
でも、そんな当たりどころも関係無いほどの事故だったという。
母の車は大破し、炎上した。車の半分以上がひしゃげた状態で、母は即死だったという。
そして、明らかに助手席のわたしも無事では済まないと思われた。
だが、わたしは無事だった。
聞いた話だと、大破した車体に奇跡的に子供一人分の空間があり、そして、無傷で救出された。
ダンプの運転手も亡くなった、そう聞いていた。
「当時、お前が助かったのは奇跡だと、そう思った。もちろん、そのときにはお前の体質のことはわからなかったからな。
そして、そのときの事故で、不可解なことがひとつあった。
ダンプの運転手の死因だ。
もちろん、事故の、衝突によるものとされたのだが、遺体の状態が、その運転席の状況と一致していなかったんだ。
ダンプの車体は前面、運転席側が大きく壊れたが、その損壊は運転席までは及んでいなかった。
一方で、運転手の状態、それは母さんの状態よりは幾分ましだったかもしれないが、同じような状態だった。
車内の何かにぶつかる、それだけでは起こりえない、何かに激しく挟まれなければそんな状態にはならない、そんな状態だった。
だが、運転席は何も壊れておらず、そしてその運転手が『ぶつかったとされる痕跡』すら見つからなかったんだ」
「つまり、そのとき、わたしの体質はすでに変わっていた?
助手席にいたわたしも、本当はお母さんと同じように潰されて、ぐちゃぐちゃになって死んでいるはずだった。
でも、わたしのからだは、それを、母の車とダンプを介してわたしに触れた『運転手』に跳ね返した、そういうこと?」
「ああ。そのときはわからなかったが、お前の体質のことがわかってから、わたしもそうだろうと考えている」
当時の事故のことを思い返すと、もうひとつ、わたしの体質が変わっていたのだろう、そう思えることがあった。
それは、さっき父が言っていた、体質が変わる前には可能だったことのひとつ、『抱っこできていた』から気付くものだった。
事故の瞬間、わたしの目の前は暗くなった。
急に、真っ暗で、そしてひどく狭い場所に閉じ込められたわたしは、恐怖だけを感じ、ずっと泣き叫んでいた。
お母さんの名前を、ずっと呼んでいた。
そのとき、わたしは恐怖以外、痛みや熱など、何も感じてはいなかった。
しばらくすると、大きな音がし始めた。金属が擦れるような、耳に触る大きな音。
そして、その音がする方向から光が差し込んだ。
わたしの声を聞いたレスキュー隊が、車体を切断してくれた、そう聞いた。
その後、そのわずかな隙間をわたしが通れるほどまで拡げてくれた。
レスキュー隊の人は『もう大丈夫だ』、そう言って、わたしの体に手を回し、引き上げてくれるようだった。
だが、その人の手には力が込められていなかった。
『何かにひっかかっているようだ』
その人はそう言うと、わたしのいる空間を覗き込み始めた。
引っ張り出して、わたしが傷つかないように気を遣ってくれたのだろう。
でも、わたしは、自分にひっかかっているもの、出るのを妨げているものが無いことを知っていた。
だから、それを証明しようと、自分でその空間から外に出た。レスキュー隊の人たちはみな、驚いた顔をしていた。
わたしが自力で脱出したからだろう、そのときはそう思っていた。
だけど、そうだ。よく考えればおかしい。
大破して炎上した車の中から自力で出たわたしは、無傷で、しかも汚れひとつ付いていなかったのだから。
すでに体質が変わっていた私を、レスキュー隊の人は引っ張ることができなかった。
いくら、体に手を回して引っ張ったとしても、それはわたしの体では無く、その人自身の体を引っ張っていたのだから。
「その後、わたしは警察病院で母さんと、運転手の遺体を見た。死因は同じ、でも現場の状況は全く違かった。
そして、念のため検査入院をすることになったお前の様子を見に行った。
MRIをとり、あとは心音を聞いたり、体の状態を聞き取りしたくらいだ、と担当医は教えてくれた。
だが、MRIの調子がよくないのか、うまく写らなかったという。それでも、何の異常も無いだろうと言う、医者の言葉に安心した。
『別にけがも何も無いよ』
と、ベッドから降りたお前を、わたしは抱きかかえてベッドに寝かせようとした。
だが、できなかった。
初め、わたしは理解が追いつかなかった。お前の脇の下に手を入れて、持ち上げる。そんな動作をしているはずだった。
でも、いくら力を入れてもお前の体は持ち上がらなかった。
そして気付いた。
わたしの脇の下を持ち上げられる感覚に。もちろんすぐには理解ができなかった。だから、持ち上げる力を大きくしたり、片側だけにしたり、パターンを変えてみた。
すると、お前にかけた力が全て、わたしの、その力をかけたのと同じ部分に、同じ力量でかかっていることがわかった。
その後も、不思議な顔をして見ていたお前のことには気が回らず、お前の肩を叩いたり、頬を軽く叩いてみたりした。
全てがわたしに返ってきた。
事故からこれまでの話を聞くに、救出されたとき、そして検査のときには、お前は全部自力で動いた。
だから、お前のその体質に気付いた人はいないだろう。もしもこんな体質のことが知られたら、きっと、普通の生活を送ることができないに違いない。
もちろん、隠したとしても、普通の生活なんて送れる保障はない、そうも思ったが、わたしは隠すことを決意した。
わたしは考えた。その体質を知られないためにはどうするか。触れられなければいい。
では、触れられないようにするにはどうすればいいか。『触れてはいけない』ことにすればいい。
そんなことを考えているうちに、ある少年のことが脳裏によぎった。その少年も…
いや、すまない。今の話は関係のないことだった」
父の話に聞き入っていたわたしは、ある少年、というフレーズも気にはなったが、それよりも続きの方が気になった。
「触れたらお前の命に危険が及ぶ、そうすればいい。初めは、ひどく壊れやすい体質を考えた。でも、自分では触ることができるし、走ったり、運動をすることもできるお前に、矛盾を感じてしまうだろう。
そこで考えたのが、
『認知の外での接触により、命の危険が及ぶ』だ。
そんな危険を背負ったお前の生活、行動には制限が生まれるだろう。
日常生活で、正面から人と接触すること、それはおそらく握手くらいではないか。
握手であれば、お前の手を握ったはずが自分の手を握っていたとしても、『手を握る』感覚には違いが無いから、変に思われることは何も無い。
あとはわたしがちゃんと管理すればうまくいく、そう思った。
医学的な知見などからは、そんな不可解な体質であると判断できないだろう。
仕事柄、医者との繋がりが多いため、信頼できる医者は大勢いる。そして、最も信頼できる人物もいた。
全て話すのであればその人物だけだ、と思える人も。
だけど、それは本当に話さなければいけないときにしよう、そう考えた。
おそらく、人に接触しなければいけない場面、それは医療行為だろう。お前が自分で転んだり、何かにぶつかったり、お前が熱したフライパンに触れたり、そうすれば当然、傷つくだろう。
でも、お前に絆創膏を貼ったり、消毒液をかけたり、そんなことはできない。それに、予防接種など、注射をうつこともできないんだ」
わたしは小学一年生のときに、父から注射の打ち方を学んだ。
普通はお医者さんに打たれるものだ、それは常識として知っていた。
でも、もしも注射を打たれる瞬間に、わたしが別のことを考えたり、よそ見をして、認知していなかったらどうなってしまうか。
そんな理由から、自分で打つことになった、そう聞かされていた。
でも、そうではなかったのだ。わたしに注射を打つことができないのだった。
わたしに注射を打ったその人の腕に、注射の針が刺さるだけなのだ。
「体質のこと、嘘をついていたが、人との接触を避けなければいけないのは本当だったんだ。だから、小学校も通わせることはできなかった。
でも、中学校に上がれば、お前の体質、もちろん嘘の方だが。ちゃんと理解してもらえれて、いくらかの制限のもと、学校生活を送れると、そう思った。
だから、お前に学校に行く意思があれば、登校してもいい、そう思った。
一般的な、普通の生活を送ることはできないだろう。それはわかっていた。
でも、様々な制限があったとしても、学校に通うお前が、少しでも『楽しい』あるいは『普通』を感じることができれば良い、そう思っていた。
でも、結果、お前には我慢しか無かったな。
わたしがもっとうまいこと考えていればそうはならなかったかもしれない。
だから、申し訳ない。
そして、三年間よく頑張ったな。卒業、おめでとう」
赤飯を食べているときも、祝いの言葉をくれなかった父には、
『こんなタイミングで祝うんじゃない』
というつっこみを覚えただけだった。
本当の話を聞いても、父に対する怒りや恨みなどの感情がこみ上げるはずがなかった。
だから、わたしは一言、
「ありがとう」
笑って、そう言った。