119話 朱音と紫音
黒い箱が開けられてから約二十秒が経過した。
すると、腕時計を見ながら生徒の様子を静観していた先生が口を開いた。
「以上で、転入生からの要望、そして紹介を終わります」
『えっ・・・熊のぬいぐるみが転入生ってこと!?』
『まさか、ぬいぐるみの中に入ってるとか?』
『どう見ても小さすぎるだろ!?ぬいぐるみは可愛いが』
教室内がどよめき続ける中、先生が続ける。
「終了したのは、わたしからの紹介です。では、ここからはご自分でどうぞ。演出もありましたので、一分以内でお願いします」
そう言うと、先生は教室の前から二列目、転入生の座席となる予定の空席を見た。
生徒の目線が、黒い箱から一斉に移動した。
そこには、一人の女子生徒が白い歯を見せて、満面の笑みで座っていた。
『なっ、なんだと!?』
『いつから・・・どうやってそこに!?』
『び・・・美少女だぞ!?』
クラスの、主に男子がざわつくのを嬉しそうに見ながら、女子生徒はその場で起立すると、自己紹介を始めた。
「みなさま、はじめまして。西望寺朱音と申します」
『さ、西望寺だと!?』
『東條家に並ぶ財閥だぞ!?』
『日本的な顔立ちの・・・美少女だぞ!?』
例のとおり、主に男子生徒が補足説明をしてくれるようだ。
裁は、隣の席のその転入生の言葉を聞きつつ、男子生徒の説明に耳を傾けることに決めた。
「まず、御協力下さいました先生に御礼申し上げます。ありがとうございました。おかげさまで完璧に遂行することができました。
ああ、一人には気づかれてしまいましたが・・・。
そして、みなさん。演出はいかがだったでしょうか?うふふっ、楽しんでもらえたなら光栄ですわ」
『まあ、楽しかったと言えば楽しかったかな』
『じゃあ、あがり症と言うのは嘘なのか?』
『この美少女、スタイルも抜群だぞ!?』
「時間も限られていますので、わたくしからは、今後の目標だけ申し上げたいと存じます」
『天照台高校のトップの座か?』
『ゆくゆくは日本のトップに立つとか?』
『ナンバーワン美少女の座か!?』
「二つあります。まず一つは、この学校で、あらゆる面でトップを目指します。
まず学力。先日の全国模試では第五位に甘んじてしまいましたが・・・おそらく敵は皇輝さまと、ガリ勉の紫音の二人でしょう。この素晴らしい環境で、勉強に費やす時間を増やせば、不可能ではないと考えております。
スポーツや芸術でも負けるつもりはありません。
そして、容姿でも。もちろん、ただの見た目を言っているのではありません。その身に纏う雰囲気を含めて、誰よりも輝きたいと思っておりますの。やはり敵は皇輝さま、そして紫音だけと考えております」
『皇輝?Sクラスの天照台皇輝か!?ヤツから一位の座を奪える人間がこの世に存在するのか!?』
『紫音?アケビフルーティエイトの紫音ちゃんじゃないよな?』
『・・・でも、天照奈さんには敵わないだろう』
男子生徒の最後の呟きに、意気揚々と語る転入生の顔つきが一瞬変わった。
が、戯れ言と判断したのか、自己紹介を続ける。
「そして二つ目。この学校での目標と言うより、人生の目標です。
・・・バージンロードの終着点に皇輝さまを立たせることです!」
『夢は天照台皇輝のお嫁さん、ってことか!?』
『待て!ただ立たせるだけ、という可能性もあるぞ?』
『ウェディングドレスも良いけど、和装も絶対似合うよな!』
「わたしからは以上です。他に聞きたいことがあれば、休み時間にでも何なりと聞いて下さいね!」
「西望寺さん、ありがとうございました。ちょうど一分ですね。演出といい目標といい、素晴らしい自己紹介でした」
先生が拍手を始めると、生徒がそれに続いた。
西望寺朱音が着席すると、先生の手で空を掴むような動作で、拍手は止んだ。
「では、伝達事項は以上となります。授業までの残り時間、自由に行動してください」
そう言うと、先生は黒い箱が乗せられた台車とともに教室を去った。
依然として静まりかえった教室内。
クラスメイトの視線は、西望寺朱音に向けられていた。
そんな中、果敢にも静寂を破るのは、超回復した不動堂だった。
「あ、あの・・・」
「すみません。わたくし、皇輝さまに挨拶をしたいのですが・・・」
「お、おお。天照台ならSクラスだけど・・・良ければ、案内しようか?」
「まあ、優しいのですね。お願いいたしますわ」
珍しく人の役に立てるのが嬉しいのか、不動堂は満面の笑みで西望寺を先導した。
『お、俺たちも行こうぜ?』
『ああ。Sクラスの転入生も気になるしな』
『わたしたちも行きましょう!自然に天照台くんを拝めるチャンスよ!』
クラスメイトがぞろぞろとSクラスへと移動を始めた。
すると、その横をかいくぐり、相良がSクラスではないどこかへと走り去った。
どうやら大便を我慢していたようだ。おそらく解き放ったあとにSクラスで合流する計画だろう。
入学式直後の自由時間を思い出していた裁。
だが、今回は裁も、その群れに加わった。Sクラスに入ったという紫音に挨拶をするためだった。
席を立ち、群れの最後尾に着くと、壱クラスには誰もいなくなった。
――時は少し遡り、Sクラス。
担任の先生が挨拶を終えると、
「では、転入生を紹介します。どうぞ、お入りください」
壱クラスでの登場演出など知るよしも無いSクラスの生徒たち。もちろん、先生の横には黒い箱など置かれていない。
全員が、当たり前のように後ろを振り向き、出入り口に注目した。
スライド式のドアがゆっくりと開く。
『・・・め、目出し帽だと!?』
『見ろ、女子だ!女子の制服着てるぞ!』
『紫色で花柄・・・可愛い目出し帽だな。美少女に違いない!』
出入り口に現れたのは、目出し帽を被った生徒だった。
その生徒は、ざわつく教室内の壁際を歩くと、先生の横にたどり着いた。
「では、二分以内で自己紹介をお願いします」
先生に自己紹介を促された生徒は、露わになっている目と口を笑顔に変えると、自己紹介を始めた。
「はじめまして。東條紫音と申します」
『東條って・・・まさか、東條グループか!?』
『目出し帽だしな。天クラスの東條紫乃さんと姉妹か何かか?』
『見える部分だけでもわかる。間違い無い。美少女だ!』
「みなさんご察しのとおり、わたしは天クラスの、東條紫乃の双子の姉です。これまでわたしは高校に通っていませんでしたが、訳あってこのたび、天照台高校に転入させていただくことになりました」
『やっぱり、東條グループのご令嬢か!』
『高校に通っていなかっただと?それって転入って言うのか?』
『声からもわかる。美少女だ!』
「わたし、実はアイドル活動をしているんです。その実績と、あと、この前の全国模試で四位になったのを認めてもらえて。転入という扱いになりました」
『アイドルだと!?実績があるってことは、かなり有名なアイドルか!?』
『それにしても、アイドルで、高校に通わないで、全国四位だと!?』
『美少女でアイドルで、紫音?・・・まさかな』
「顔を覆っている理由は、肌を保護するためではありません。出していいものかわからないので、とりあえず目出し帽を被りました」
『事務所的に顔出しNGなのか?』
『東條家ご令嬢だから顔ばれNGなのか?』
『覆われても美少女が漏れ出ている・・・』
東條紫音を名乗る転入生は、目出し帽から覗く大きな目で先生を見た。
先生がその目線に応える。
「あなたがその顔を露わにすることで、無用な騒動が起きる。そして、生徒たちの勉学の支障になる。東條さんはそう考えているのでしょう?ですが、そんなこと、気にすることはありません」
「でも・・・」
『騒動が起きる、だと?』
『ただのアイドルじゃなくて・・・しかも、紫音ということは』
『こりゃ、間違い無いな』
「みなさんも既に感づいていることでしょう。それに、例え勉学に支障が及んでも、それはあなたのせいではありません。生徒自身の精神力の問題です。
だから、気にせず、『取っちゃえよ、ユー!』です」
抑揚の全くない、先生の突然の軽い一言。
だが、転入生はその言葉に鼓舞されたのか。目出し帽に手をかけ、そして脱いだ。
「じゃーんっ、アケビフルーティエイトの紫音でーっす!よろしくね!」
『ほ、本物だっ!!』
『まじか!?奇跡だ!』
『め、目が・・・目の準備運動がまだ・・・』
「アイドル活動も続けるので、ライブとかイベントで学校を休むこともあると思います。でもわたし、勉強が大好きなので、学業を優先しますからね!」
『サインもらってもいいかな?』
『これ、口外していいやつか?』
『授業料上がったりしないよな?』
「ざわざわの中に、『口外して良いのか』というものがありましたね?みさなん、これまでの学校生活でわかっているでしょうが、『校内での情報は口外しない』という暗黙のルールを守って下さい」
「だ、そうです。みなさん、『しぃーっ』でお願いしますね!」
紫音は口の前で人差し指を立てて言った。
『そうなんだよな。校則が無いと言いつつ、暗黙のルールが意外と多いんだよな』
『口外したときのペナルティは聞かされてないが・・・退学は免れないだろう』
『紫音ちゃんと秘密の共有だと!?持ってくれよ、俺のからだ!』
「みなさん、わたしのせいで勉強に集中できなくなるなんて、ダメですよ?そして、わたしの勉強の邪魔もしないでくださいね!わたしの趣味は勉強ですので。以上、よろしくお願いします!」
『趣味が勉強だと!?』
『お近づきになるには、猛勉強するしかないかもな!』
『美少女に教えてもらうって手もあるぞ!』
「東條さん、ありがとうございました。おや、三十秒ほど余ってしまいましたね。では、わたしから質問しても構いませんか?」
「ええ、もちろんです」
「では・・・」
教室が静まり返った。
「好みの男性のタイプを教えて下さい」
『きたこれ!』
『ナイスぶっこみです、先生!』
『・・・たしか、黒きサイじゃなかったか?』
「きゃっ、恥ずかしい!ふふっ。わたしが好きなのは・・・ずばり、趣味が合う人。つまり、勉強が大好きな人です!
ちなみに、『クロキサイ』も大好きでーっす!まさか、ガセネタじゃなくてリアルネタだったとは。怖いよね!」
『これ、勉強すればチャンスありじゃないか!?』
『でも、全国模試四位だろ?ただのガリ勉じゃ無理かもしれん』
『クロサイっぽい顔に整形するのも一つの手か?』
自己紹介が終わると、紫音は事前に伝えられていた空席に着いた。
先生が教室から出ていくのを見届けると、紫音は左隣の男子生徒に声をかけた。
その男子は、先生が退室する様子を見せるやいなや、アイマスクを着けて瞑想を始めていた。
「なんか、運命感じちゃうね。でも、どうせなら壱クラスで運命感じたかったなぁ。きっと、朱音ちゃんもそう思ってるよ」
その男子はピクリとも動かないが、話は聞いているようだ。
「ふふっ。一人暮らし・・・一人生活?噂以上に大変そうだね。無いだろうけど、何かあったら言ってよね。わたしでも、紫乃でも」
その男子はやはり、ピクリとも動かない。
「ふふっ。相変わらずだね。ま、よろしくね。皇・・・」
「皇輝さまーっ!」
紫音の最後の言葉は、別の誰かの叫びにも似た声に上書きされた。
そして、紫音は見た。
その男子はため息をつくと耳栓を装着し、瞑想を深化させたのだった。